槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2007/09/30 21:23:26|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-44-
【D7-2:カシュガル・カラクリ湖A】
更にカラクリ湖を目指し、車に乗り続ける。写真はいづれも車の中から撮ったもので、画質が悪い。山は相変わらずえんじに近い山肌で、山には草木一つ生えていない。その麓を流れる川は直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変えて流れている。川幅が今は細くても河原全体は幅広く、雪解けが始まる頃は河原の幅一杯に水があるのであろう。
 
時折道路沿いには草木が目に入る(写真左列)。そこは検問所というのは大袈裟であるが、パスポートをチェックさせられるところであり、車からおりて河原の方を眺めていたら、日本語を話すスリムな若い男がニコニコと近づいてきて、話掛けてきた。
 
最初は「日本の何処から来たのか」などと話していたが、「この川は崑崙山脈から流れて来ているようだが、ホータンの白玉川の様に玉石が採れないか?」という話になり、「採れない。」とあっけない答え。検問所の建物の中には土産物も販売されていて、玉製の装飾品もあったので聞いてみたまでであったが、付け入る隙の無い答えであった。
 
そして再び車上の人となり更に行くと、山と山の合間から川が流れ出している景色に出会うようになってきた。
 
 
 







2007/09/30 20:16:08|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-43-

【D7-1:カシュガル・カラクリ湖@】
南北に伸びる解放路と東西に伸びる人民路の交差点からみて解放北路を更に北に行くとカシュガル空港方面へ、解放南路を更に南に行くとホータン方面へ、人民東路を東にゆくと、南疆鉄路の終着駅、中国最西端の駅カシュガル駅に至り、人民西路を更に西に行くとカラコルム・ハイウェー方面へ行く。
 
カラクリ湖はカラコルム・ハイウェー方面へ200km足らずの、コングル山(標高7719m)とムスタガタ山(7546m)との間の標高3600mのところにある湖である。狭心症で冠動脈にステントを留置させているわが身にとって高山病が気になり、携帯用酸素ボンベ「酸素マニア」(純度99.5%の酸素12リットルを内容積60ccの耐圧ボンベに圧縮して詰め込んだ130g程度のもの、(株)オーツー・サプライズ販売)の携行だけでなく,更に200元で酸素ガスでパンパンに膨らませた枕大のビニール袋をガイドのグランベールさんに依頼して準備した。
 
そして、嵩張るそれを腹がかえにしてムハマットさん運転の車に乗り込んだ。助手席に駱さん、日本語の話せる現地ガイド、グランベールさんと自分が後部座席に乗り込んだ。
 
カシュガルの郊外になるほど,風景は顕著に変化し、山の形、色、樹木の種類、高さが変わって行く。民家もレンガつくりの住居や葡萄を干す高床の倉庫が目につき、それらも次第に数が少なくなってゆく。天気が良いとは言えないが、観光バス(?)に追いついたり、追い越されたりする。そして通行左手(=東側)に、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が目に入った(写真上1)。景色が良いので写真を撮るのに良いと言われているところに停車し、崑崙山脈の冠雪した峰々を背景に写真を撮った(写真上2右:駱さん)。
 
車の中でグさんに教えを受けた峰々のロケーションをメモした(以下の通り);
カシュガル近傍には7つの峰や高原、砂漠がある。北から天山、タクラマカン砂漠を挟み、その西の果ての峰が天山山脈と最近接する崑崙山脈、その南西にヒンズー・クシ、南にカラコルム、更に、その南にパミール高原がある。コングル山もムスタガタ山も共に崑崙山脈にある。したがって、その両峰の間にあるカラクリ湖も崑崙山脈にある、ということになる。帰ったら確認してみよう。
 
この道は三蔵法師一行が天竺からの帰りに通った道で、彼らは高山病にかかった形跡があるらしい。(陳瞬臣著:「天竺への道」)
 
その後、北京時間10:40頃、通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める(写真上3)。そして、相変わらず奇妙な色の山々や川の流れに付き合いながら車は南下する(写真上4
 
 







2007/09/29 22:14:06|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-42-

D6-13:カシュガル・カシュガルの美女
香妃墓を見学後、ホテルにチェックインして1時間ほど休憩してから夕食をとることになった。約束の時間にロビーに下りてゆくと、駱さんと、張さんの弟さん夫婦の姿があった。彼らは一日前にカシュガルにきて、カシュガル観光を済ませ、夕食を摂った後、帰途に就くとのことで、一緒に食事をしようということになったらしい。
 
駱さんは、その旨伝えるべく部屋に電話した、とのことだったが、電話に誰も出なかった、とのこと。それもそのはず、駱さんからは、ウルムチでの一泊目から迂闊にホテル内の電話に出るなという話だったので、出なかっただけのこと。まさか駱さんとは思わなかった。
 
弟さん夫婦が昨夜食事したところが良かったというので、そこへ行くことになった。店は地元の人というより、旅行客を目当てにしたこじんまりとした店で、外観は写真上1の様な感じである。写真のガラス張りの入り口を入り二階に店があった。料理の注文は弟さん夫婦にお任せした。料理は、シシカバブ、ラグ麺、野菜スープ、その他であったが、確かにこれまでのものよりも美味しかった(写真上2)。
 
そして食事がおわり、勘定をしにレジへ行った弟さんの奥さんがなかなか戻ってこない。何かを交渉している様である。その交渉は予想だに出来ないものであった。レジをしている女性が余りにも魅惑的なので、ツー・ショットをお願いしていたのだ。駱さんがカメラマンで、その女性(写真上3)を挟んで弟さん夫婦が、ついで自分とのツー・ショットを駱さんが奨めてくれ、流れで遠慮することもならず、写真に納まった。
 
ひょっとして、乾隆帝が恋焦がれた香妃はこんな感じの女性だったのかも知れない。明らかにトルコ系西洋人の香りがする。これだけの美人が何故レジ係り以上の飛躍をしないのか不思議で仕方なかった。天は二物を与えずの好例か、とか、カシュガルの大富豪に囲われているとかの邪推をしてもみたが、そんなことより、ここカシュガルは今でも東西文化の陸上の交差点。文化だけでなく、人種の交配が何代かに亘って行われていても不思議では無いのだろう。
 
また同じ中国人ながら一緒に写真に納まりたい気分を起こさせたのは、単に美人ということではなくて、少数民族と漢族との境界線を彼女に意識させられ、それを写真に遺したということではなかったか、そんな風に、この場の出来事を捕らえ、店を出た。ちなみにここでの食事代は弟さん夫婦のおごりであった。ご馳走さまでした。
 
表に出て時計を見ると、北京時間で、21:00をまわっていた。外ではヤキトリ屋の煙交じりのおいしそうな臭いではなくて、シシカバブの焼焦げる臭いと、煙が通りに幕を張っていた。その側に立って写真を撮ってもらおうとしたら、屋台を出して、シシカバブを焼いていた
お兄さんが、焼いている姿を撮ったらと、串を二本渡してくれた(写真上4)。
 
 







2007/09/28 23:17:51|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-41-

【D6-12:カシュガル・香妃果園】
香妃墓に入場するとき、10元余計に払うと、香妃果園に入ることが出来る。カシュガル産果物が一堂に集められて見学、場合によっては味見出来るのかと思ったが、ベンチに座って西瓜を食べながら歌舞の実演を見学する、というものであった。
 
グランベールさんの話では、カシュガルの人の80%が農業に従事していて、農業とは果物(スイカ、メロン、ぶどう、ザクロ、イチジク、瓜)と綿花の栽培が殆どで、ザクロはカシュガルの市果となっているとのこと。ついでながら、農業以外は鉱業(石油、天然ガス、石炭)ということだったが、香妃果園の入場券には他に洋ナシ、りんご、キーウィ、さくらんぼまで印刷されている。
 
入り口が立派な門構え(写真上1)なので、思わず門前で記念写真(写真上2)。細い道を50mほど歩くと、小さな舞台があった(写真上3)。我々3人の他には2人ほど客がいたが、他には来そうにないことを確認して、ベンチに座るとスイカが運ばれてきて、これを食べながらの歌舞の観賞となった。
 
歌舞といっても歌(演奏)の方はラジカセに録音したものを使い、舞踏のみ、カラフルなウィグル服を着た舞姫が舞うのである(写真上4)。舞姫は3人、ペアで踊る出し物が一つあり、相手をする男性の踊り手が一人。以上がここの歌舞団である。
 
この様なプロの舞姫は母娘受け継がれてゆくのだろうか?
 
三蔵法師らが旅した悠久のシルクロードの時代にも、旅商人を慰めるため歌舞団が東に西に移動し、歌舞と楽器を東西に伝えたのではなかろうか。歌舞の中には時に曲芸的な
ものや幻術の様なものもあったのではなかろうか。宗教でさえ歌舞団と一緒に移動したかも知れない。中国各地にある千仏洞に刻まれた仏絵には如来や菩薩の周りを楽器を奏でる飛天の舞姿がある。
 
清の時代でも事情は同。、乾隆帝は夢に現れたと言っているが、中国の英雄伝によく登場する常套的エピソードで、実は、カシュガルを通過点として、東西を旅する旅商人、あるいは旅行者から、「カシュガルにかぐわしい香りを発する美女がいる。単に美女であるだけではなく、知性も教養も身につけた王の妃にふさわしい女性である。」という情報が耳に入り、何がなんでも、ということで、北京まで強制的に連れて来たのではないか。
 
舞を観ていてそんなことを夢想した。
そして、いろいろ考えると、香妃の悲話は、実は清朝に対するウィグル族の人達の抵抗心の象徴として今に生きているのではないか。







2007/09/28 21:02:07|旅日記
中国 新疆・ウィグル地区の旅(シルクロードの旅)-40-

D6-11:カシュガル・香妃墓】
北京時間で17:40ころ、カシュガルに関しての、どんな観光案内書にも載っている香妃墓を見学した。空はまだ昼間の明るさである。カシュガル市街地から、北東方向に車で15分くらいのところにある。別名アバク・ホージャ墓と呼ばれるイスラム風霊廟である。(写真上1
 
この地にイスラム教を布教しようとしたムハンマッド・ユースフとその息子アパク一族が埋葬されている。天井に直径約17mのドームを中心に、それを囲む4つのミナレット(尖塔)を冠し、高さ26mの霊廟内には、緑、青、黄色に彩られたタイルに囲まれて一族72人が大小の棺の下に眠っている。清の乾隆帝に嫁ぎ、不幸な運命をたどった一族の娘「香妃」が祀られていると伝えられていたことから香妃墓とも呼ばれるが、実際には北京の東にある清東稜や西安に埋葬されたという説があるようだ。
 
ここには、霊廟の他、朝拝室、礼拝寺、講経堂、加満清真寺、教経堂、果園、池などがあり、敷地は広大である。「週刊シルクロード紀行No.8カシュガル」朝日新聞社刊に香妃墓の創建時の配置想像図が掲載されていて参考になる。
 
霊廟から講経堂のほうへ行くと、柱に彩色と彫刻を施した木造の建物群が目に入る(写真上2。彩色は緑、青、黄が主体で赤はない。柱の彫刻は屋根の付け根のところが、派手に彫刻されていた(写真上3右)。
 
イスラム寺院は、レンガ、タイル、ガラスつくりという先入観があったためか、この様な木造建築を目にすると、むしろ仏教寺院的な印象を受けた。今回の旅では行けなかったが、香妃墓からさらに北東に30kmほど行ったところに中国最西端の仏教遺跡のモール仏塔というのがあるらしい。唐代のもので、トルファンの両古城と同様レンガや土で出来ていて現在は崩れ落ちた遺跡となっているらしい。
 
ちょうど、三蔵法師が天竺からの帰り、カシュガルに立ち寄った頃であろうか。
 
内部から外を眺めると、ポプラと青い空が印象的であった。(写真上4
 
カシュガルには、いたるところにポプラが植えられている。