槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2007/12/10 22:04:33|物語
西方流雲(5)
   西方流雲(5)
  
  <<< 7.根無し草 >>>

天井の木目を見つめる度に、木目が何故平行でないのか不思議になる。
 板が最も効率よく沢山取れるようにするには丸太を長さ方向に沿って、切って行くのが最も良いはずで、そうだとすれば木目は平行になるはずで、木目同士が会合し、一本になっているなんてことは無いはずなのに、晃一が見つめている天井の木目は大きな半楕円軌跡を描いている。
 枝の出ていた部分であれば閉じた円や楕円になるはずだし、その場合は長径でも板幅に比べかなり小さいはずである。
 そんな脱線もしながら思いを巡らすものだから何時になっても考えがまとまらない。
 そのうち穴があいてしまうのではないかと思うほど天井の木目の軌跡を繰り返し繰り返し追い回している。
 会社から帰ってから何かしら黙考しているこのごろである。畳の上に横たわり、腕枕をしながらである。
ふと、「里」という言葉がどこからか現れて木目の一部に引っかかって止まった。
 鞍馬寺を過ぎて花背を通り過ぎて、出会った村落は俗っぽさの微塵もない絵にもなりそうな光景であった。
 薄くセピア色に染まった光景となって晃一の胸に格納されたようだ。
 そのセピア色に染まった光景の中に閉じ込められた、例の出来事も考えがまとまらない一つであったが、それ以上に考えがふらふらしているのは、自分の今の状態に対する物足りなさの打破に対する具体策であった。
 自分がこの会社で何が出来るのか、という自問に対する解が見つからないのだ。
自分のこれからの行動を導いてくれるガイドが欲しいと最近特に感じている。
晃一にとってはアクションガイドの内容を問題にする前に、アクションガイドを持っていないことが自分ながら情けないと思っていた。

十一月第二、第三の日曜日は、関西地方、特に京都、箕面等の紅葉シーズン真っ只中の休日で、人で溢れんばかりの雑踏となる。しかし、その紅葉の鮮やかさは、その雑踏を忘れさせるもの、として有名であった。
 その第二週が今度の日曜日で、晃一等は今回は、箕面に行くことにした。女性軍はさざえと石井さんが一緒に行くことになっていた。
 会社からの帰りに本屋で買ってきた25万分の1の東海道地方道路地図を買ってきた。
 その地図の西南端に伊丹市があり、西北端には若狭舞鶴、東北端には長野県恵那郡、東南端には豊橋、二十五万倍にこの地図を引き伸ばすと実際にそこまでいくのであるが、晃一は、どうして、片隅のごく狭い領域にのみしか、相談の対象とする地域が載っていない地図を買ってきてしまったのか、不思議で仕方なかった。
 その地図を畳の上に広げ、尾崎、戸津、斎田との四人で相談していたが、不思議なことに、誰もそのことにけちをつけなかった。
 むしろ、戸津などはその視線を彼の出身地である名古屋の方に向けたりして気を散らしていた。
ところが、突然尾崎が、畳の上に広げられた地図の一点を指差しながら、「やっと分かったよ、薄がこの地図を買ってきた理由が。」
と、如何にも納得した顔つきで晃一の方をみながら、その理由について、解説し始めた。
 戸津が、「尾崎が指差している地点を見つめながら、「なんや、京都やないか、それがなんやて?」と興味なげに言った。
 それを制する様に、「よく見ろよ、京都のどこと書いてある?」と今度は斉田の方を向いて言った。
斉田の口から、「花背、大布施だって」の言葉に晃一は驚いた。 事情の知らない斉田は「それがどうしたんや?」 とまるで興味の無い返事。
しかし晃一は尾崎に向かって「その地図は今度の正月の帰省は、十二月初めに免許証がとれるので、その地図を便りに今度の正月ドライブをして東京に帰ろうと思っているんだよ。」と、とぼけた。
すると、尾崎は晃一のそんな言い訳には全く無関心に、「伊丹市と箕面市を結んだ直線上に例の花背があるなんてなんだか謎めいているな」と今度は半分独り言のようにつぶやいたのが聞こえた。
「全く尾崎は考えすぎなんだから」と言った当の晃一こそ、考えすぎにならざるを得なくなるのは箕面から帰ったあとの話になるのだが、またまた不可解な出来事が晃一の身に起こるのだろうか?

  <<< 8.池田市呉服町 >>>

 晃一は東京の人間だったので知らなかったが、箕面は紅葉のシーズンになると、紅葉狩りをする観光客で溢れかえる、ということをシーズン間近になった十一月の初めに知った。
「皆で箕面に紅葉狩りに行かないか。」と提案したのは斉田だった。そして、
「全行程歩きにしよう。」と提案したのは尾崎で、「猪名川の土手を歩いてゆこう。」と追加提案も忘れなかった。
 晃一が、「どうして?」と聞くと、「こないだ猪名川べりの土手に祀られていたお地蔵さんの中に、見事な格好をしたもみじの木が、そのお地蔵さんに被さる様に植えられていたのだけれど、あれが紅葉したところを写真に撮りたいんや。」とのことだった。
 猪名川の土手に、何体かのお地蔵さんが祀られていることは晃一も知っていた。
 晃一が入社した年の最初の春四月、晃一は一人で猪名川の土手沿いを散策したことがあった。その時、お地蔵さんに気がつき、土手が出来る前、河が氾濫し、小さな子が濁流に飲み込まれ、幼い命が犠牲になったのかもしれない、などと思ったのだった。
 晃一はその散策を猪名川に沿って北上し、北伊丹の側を過ぎ軍行橋(ぐんこうばし)までいったのだが、その橋を過ぎて更に北上すると池田市に入り、さらに五月山方面に向かうと箕面に至るということを帰ってから地図を見て知っていた。
 斉田は歩いてゆくことに賛成することは間違いないが、誘う予定にしている橋田、石井の女性軍がなんと言うかだ。
 しかし、結局彼女等も大賛成し、しかもサンドイッチまで作って来てくれることになった。
そして朝七時に出発することになり、その朝がやってきた。

 会社の建物から最も近いところに、土手に上がる石段があった。土手の斜面に緩やかな傾斜で作られた階段を上がったところに、彼らの集合場所があった。
 最初に現れたのは斉田であった。そして斉田が手をかざして北の方に目を遣っているところへ次に現れたのは尾崎であった。
 手にはカメラと三脚を持っていた。
 そしてカメラのキャップを外して何かを撮影しようとしているところへ現れたのは女性二名だった。
 彼女らの三十メートルあとを歩いていた晃一の目には、如何にも尾崎が彼女等の写真を撮るように見えたが、斉田が、
「未だに咲いている紫陽花は珍しいな」というのが聞え、そうか、あの紫陽花を撮っているのか、と合点が行った。
 晃一も前年四月に猪名川べりを散策した時に気がついていたのである。紫陽花は晃一が昔から好きな花の一つであった。
 なんとも言えない青紫の色が神秘的で良いのであるが、それだけではないような感じもしていた。
 晃一が子供の時に住んでいた吉祥寺の自宅の庭に、植えてあったからかも知れない。
 自宅の庭の前に大きな二階建ての建物が建てられ、急に陽があたらなくなったときにも、紫陽花だけが何事もなかったかの様に例年と同様に綺麗な花を咲かせていたのを覚えていた。
 また、晃一の父が、「紫陽花ほど増やすのが簡単な花はない。挿し木でいくらでも増やすことが出来、この庭一杯紫陽花の花で埋め尽くしてしまうことも可能なんだ。」
というのを何度も聞いているうちに、いつか自分の家の庭は紫陽花畑になるのかも知れないという幻想を抱いていた。
 そんな子供の頃の思い出があったためかも知れない。
 その様な思い入れがあり、晃一もそこに紫陽花があることを覚えていたのだった。
 それにしても十一月中旬になっても花を咲かせている紫陽花を晃一も目にしたことはなかった。
 晃一が丁度石段を登り始めたときに、今日のもう一人のメンバーである戸津が小走りにやってきて、晃一に追いつき、今日の全メンバーが揃った。

 猪名川は、兵庫県川辺郡猪名川町にある大野山の山中を源流とし、ここから流れ出した水はまわりの水を集め、やがて川となり、渓谷を下っていき、北から南へと、兵庫県・大阪府の市や町を流れ、箕面川や千里川などのいくつもの支川と合流しながら、淀川河口に流れ着き大阪湾に流れ出る河で、南下するにつれて汚い河となって行くが、土手から見た猪名川はあくまでも滔々と流れていて、汚濁してゆく前途を持っているとは、晃一には思えなかった。また思いたくなかった。

 尾崎が、早速カメラを三脚に据えて、
「さあ、皆揃ったし、出発点で写真を撮ろうや。」
とその日の最初の提案をした。
 すると、斉田が、「そういえば、入社式の日には写真撮らへんかったな。」
と言ったが、その心を晃一は分からないでいたが、次のさざえこと橋田英子の言葉で意味が分かった。
「うち、仁田課長に言ったんよ。記念写真は撮らんでええの?と、そうしたら、桜の季節になったら三田の千刈水源地で歓迎会開くつもりや、その時で良いやろ、と言わはったんよ。」
 ここに集った六人の内、五人が、あの二階の事務所ではじめて顔をあわせたんだっけな、と晃一は独りごちた。
 その猪名川の流れに逆行する様に、彼らは北に向かって歩き始めた。
 土手には様々な低木や草が生えていたが、いずれも、その葉を黄や赤に染めていた。
 途中尾崎が気にしていたお地蔵さんのところで、写真を撮ったり、一服した以外は単調に一路北に歩を進め、午前九時頃には軍行橋に辿りつき、その橋を渡り、猪名川の東側の土手に沿った道を歩くことになった。
 この軍行橋(ぐんこうばし)を渡る直前の猪名川の西側の土手と、軍行橋と、軍行橋を渡りきった橋の袂にあった茶屋とのワンセットの光景は、何故か晃一の胸に焼きつき、その後数十年経っても夢にも現れる光景となるのだが、そのようなことは、実際に時を経て気がつくことであり、同僚たちと箕面へ紅葉見物に行こうとしているこの時の晃一には予想が出来ることではなかった。

 軍行橋は、1911年(明治四四)年11月19九日に猪名川を挟んで約一万人規模の陸軍大演習が行われ、この演習のために橋を架けたのが橋の名の由来という話があったが、丁度晃一が軍行橋を渡ったその日も不思議なことに、丁度60年後の同月同日だった。
そのことを知っていた斉田が、
「この橋を渡る時は全員一列になって、行進するように整然と渡ろうや」と、この日第二の提案が出され、全員がふざけ半分でそのようにして橋を渡ったのだった。
 そして、その橋を渡って五百メートルほど北に歩いていったところに呉服町という地名表示があり、それを見た晃一は、
「こんなところに呉服町というのがあるとは面白いね、少し手前には神田町というのがあったし」と呟いた。
 それを近くを歩いていたさざえが耳にして、
「神田、呉服町なんていうと、なんか東京に居るみたいやろ。」
と晃一に向かって話しかけた。
 そして、石井女史が、「呉服屋も沢山あるんやろか?」
などと全員が「呉服」という言葉を発していたところに、すこし後ろを自転車に乗ってゆっくり近づいてきた中年の女性が、追い抜きざま、晃一らに、
「ここは、『ごふく町』ではなく、『くれは町』と言うんよ」といって通りすぎていった。
「呉服と書いて、なんで『くれは』と読むんや。『くれ』とは読めても服を『は』と読むなんて無茶やわ」と石井女史が晃一に同意を得るような目つきつぶやいた。
その地名の謂れは後に呉春という池田市産の日本酒との関係で知りえることになる。
 そして更に少し歩くと、十字路があり、そこを右折すべきか、直進すべきか全員が迷い、右折賛成三名、直進賛成三名と割れてしまった。丁度十字路の角に和装店があるのに気づき、そこで聞いてみることに全員が賛成した。普通であれば、呉服屋という感じの店であったが、しかし『くれは』という読み方を知り、『ごふくや』とは発音しにくかった。
 晃一と石井女史とで聞きに行くことになった。
店に近づいて行くと、店は横開きの扉が半開きになっていて、ガラス戸越しに、やや薄暗い中の様子が少しづつ見えるようになってきた。
 店内に陳列されている品物は確かに和服が多かったが、必ずしも和服だけでなく、洋服も陳列されていた。しかし他の陳列されている服とは異なり、かなり不自然な陳列のされかたであり、いかにもつい先ほどそこに陳列配置されたばかりの様に見えた。
 晃一らが店の中に足を踏み入れた瞬間は、中の薄暗さのせいで気がつかなかったが、その洋服は、晃一にとって見覚えのある形、柄であり、濃い紫色のビロード地のロングスカートであり、その上に真っ黒な色をした山高帽がこれも無造作に置いてあった。
 それを目にした時の晃一の驚き様に、石井女史は一体何事があったかと、晃一のことを怪しむのであった。
 まもなく、店の奥から七、八十のおばあさんが出て来て、「おいでやす」という代わりに、
「何か、御用でっしゃろか。」と晃一達に話しかけてきた。 
 晃一は、「箕面まで歩いて行きたいのですが、そこの十字路を直進したら良いのか右折したら良いのか分からなくなって教えていただこうと思っているのです。」
 その老婆はそれを聞き、「本当に、あの子の言ってた通りや。ということは神社の方へ行く道を教えてあげろ、ということやな」と晃一らには聞えないような声で呟いてから、「そこの十字路は直進して、直進して行くと阪急電車の鉄橋が見えるので、その直前の道を左折して、くれは神社まで行くんや。そこの境内に詳しい地図があるので、それを見て行きなはれ」
「分かりました。有難うございました。」と晃一は礼を言い、その店を後にした。
 店から外に出て、残りのメンバーの方をみて、晃一は「直進して、阪急電車の鉄橋の直前の十字路を左折して、神社を目指すらしい。そして、神社をめざせだとさ。・・・・・あっ、しまった神社の名前を忘れてしまった」
と、石井女史を振り返り、頭をかきながら報告した。
 ところが驚いたことには、待っていたメンバーのうち尾崎が代表して、「くれは神社やろ、次の次の十字路左折や、じゃいこうか」と全員同じ方向へ歩きはじめた。
「えっ、どうして知っているの?」
「薄たちが戻ってくるのを待っていると、近所の人らしい女の人が通りかかって、教えてくれたんや。」と尾崎が教えてくれた。そして、「さっきの人、変わった雰囲気していたで。それに話かたがたどたどしい日本語で、少なくとも関西弁ではなかったで。」と、橋田英子が続いた。
 さらに戸津が、「さっきの人は、薄達がさっきの店に入ったのと同時にその店から出てきたように見えたけどな。」と晃一が持っていた黒いナップザックを眺めまわしながら言った。
 そして、最後に斉田が「さっきの女の人赤いナップザックだったけど、薄という文字が書かれていたで。あれは絶対地元の人間ではないで。とにかく、くれは神社に向かおう」と言っている間に、左折すべきと思われる十字路にきていた。
 それほど広く無い境内にたどりつくと、最初に目に飛び込んだ案内板は、くれは神社の由緒が書かれたものであったが、晃一にとってそんなことはどうでも良いことであり、地図を探すことが先決であった。
 結局、神社の建物の陰のあたりに東西一キロメートル、南北五百メートルの地域の地図が表示されていた。
 六人はその地図を思い思いの形で頭にたたきこみ、その神社を後にした。
 ところがそうは行かず、晃一のみがそこで足止めをくらってしまったのであった。晃一の網膜に残像したのは地図ではなく、
飛天の姿であった。
 しかも、那智で目にした壁絵に吸い込まれていった飛天の動画像であった。
 そして飛天が身につけている衣の絵柄が残像したのであった。
 紫色の半透明でノースリーブの衣を着けていた。
 その衣には李の花が腰部あたりをぐるっと一周り模様づけされ、両腕は四輪づつの、両足は二輪づつのリングに通されており、首には青紫色のラビスラズリを貫通したネックレスをつけ、頭には宝冠を被り宙を遊泳している。
 両腕にはまった四輪のリングには、亀、龍、虎、鳳の姿が彫られていた。また、ラビスラズリから発せられる怪しい光は、晃一の網膜を貫通し、直接脳裏に届く強烈な刺激を与え、自分の存在を忘れさせる催眠状態を誘起させる様だった。
 飛天はさらに楽器を手にしていて、奏でる曲は心に滲みる極めて心地良いものであった。
 首から胸、腰、足へとからまりついた青地のショールがたなびいて、晃一自身、澄んだ気流の中に身を任せているような錯覚に陥った。
 そして飛天がその画面から飛びだし、晃一の肩越しに飛び去って消えて行った。
 そのとき飛天の素足のつま先が晃一の右肩に触れたのだったが、その時のタッピングの感覚が何時までも持続していた。同時に「薄、薄、大丈夫か?」
という何人かの声が聞えてきた。
「薄、何やってんや。いつのまにか居なくなったりして。」
「ずーっとここに居てはった? 顔色が良くないみたいや。大丈夫?」
 尾崎とさざえの声が背後から聞えた。
 五月山方面に向かうと箕面に至る。
 しかし、その五月山公園入り口の僅か手前のところで晃一のことを気遣った彼らは箕面の紅葉狩を断念することになった。
 戸津が、晃一を気遣って、「俺、今日は大事な用事があったのを忘れていた。帰らんといかんわ。」
 そして今度は尾崎が、「俺もや。」と続け、斉田が「薄、悪いけどそういう訳や。
 今日はこれにて退却としよう。」とこの日最後の提案をした。
 帰途、例の和装店のあった十字路に差し掛かった時に、石井女史が、「あの店で、冷たい飲み物買ってくるので待っててや。」と小走りに去って行った。
 まだ少し朦朧さが残っていた晃一は、その後ろ姿が向かう先にけだるく目を向けた。そして独りこちた。
「おかしい。確かあそこには和装店があったはず。なくなって代わりに酒屋が。しかも一緒にそこへ道を尋ねに行った石井女史は平然としている。自分は夢を見ていたのか。連中が自分を見る目つきがおかしい。一体自分に何が起こったのだろう。」

  <<< つづく >>>







2007/12/09 22:33:57|物語
西方流雲(4)
  西方流雲(4)
  
   <<< 6.神護寺 >>>

 天井の木目を見つめながら、晃一は生まれ育った東京を離れ、それまでの晃一の人生とはまったく脈絡のない環境に旅立つ時のことを思い出していた。
 親戚、大学時代の友人、親兄弟、不思議なくらい多くの人が見送りに来てくれた。両手にとりあえず必要なものを押し込んだバッグ四つを両手にもち、新幹線に乗り込んだら、席に就く間もなく発車してしまい、見送りに来てくれた人に頭を下げる暇もなかった。
 新幹線の中では「自分の可能性を試すのだ。誰に遠慮することなく、気兼ねすることなく自分を試してみよう。赤い荒野に自分の軌跡を残してみよう。」と念じ続けた。
それから早一年と八ヶ月、今年もあと二ヶ月で終わる。色々なことがあったが、何故か質量感に乏しい感じがしてならなかった。
 あの時の熱い思いは一体どこに行ったのか。同期に入社した友人たちと色々な所へ出かけたり、仕事もある程度順調なのだが何か物足りない感じがするのであった。
その理由の一つに、那智の滝でのこと、そして梅田の古書市でのこと、京都峰定寺行きでの出来事があることは確かだったが、それだけでは無いような感じがしてならなかった。
 天井の木目は終わりがなく何度も何度も輪を描くようにつながっていて、所々、虫が食ったような跡があるのに気がついた。
 そこへ、
「薄さん入っていいですか?」という別所の声がした。
晃一は、体を起こしながら、「いいよ。どうぞ」と返事をし、部屋に散らかっていた中学時代の親友である鈴村の結婚式の案内状をかたづけた。
「薄さん今日は久しぶりにテニスをして疲れたでしょう」といいながら入ってきた。
「汗をかいたので風邪が治ったみたいだよ。またやろう。ところで何?」
「明日も休みだし、明日京都へ行きませんか? まだ紅葉は早いかも知れへんけど、尾崎さんに便乗、いや、誘ってどうです? 風邪が治ったんだから行きましょうよ。」
「その相談か。そうだね、紅葉は早いかも知れないけど、かえって混んでなくていいかもしれないね。ところで、尾崎行くって言っていた?」
「誘えば絶対行きますよ。ところで、おいしいつまみをもろうてきたので一緒に食べません? 今持ってきますから少し待ってくれはる?」
「つまみはいいけど、肝心な飲み物が無いんだよ。」と晃一が言うと、
「尾崎さんが持ってきますさかい大丈夫です。」と別所が言う間に、
「薄、一杯やろうぜ。」と言って両手に二本づつビールをぶらさげて、別所と入れ替わりにはいってきた。
「なんだ、最初からそういう筋書きだったのか。」と言いながらも晃一は嬉しかった。
「京都にするか、箕面にするか迷ったんだけど、薄イコール京都だから、それに最近行ってないやろし。ところで、コップくらいある? いやね、さっき、例の産業道路のホルモン屋行って飯食っていたら、別所も食いに来たんよ。他に客も居なかったから、あの店の韓国人の娘、李香さんて言ったっけ、彼女入れて三人でしゃべっていたら、薄の話になったんよ。最近、薄は元気が無いけどどうしたんだと言う話になってな、李香さんがこれ食わせれば元気になると言ってキムチを渡してくれたんだ。そして帰りにビールを買って薄の部屋押しかけようと言う事になったんだ。」と言っている所に別所が入ってきて、
「はいっ、李香さんからのプレゼント。特製キムチ、店で出すのとは違って、もっと辛い香辛料が入っているらしいですよ。薄さんはいいですね、名前が変わっているからすぐ誰にでも覚えてもらって。」とからんできた。
「自分の名前を言ったことは無いんだけどね。」と言い訳しようとしたら、その前に、尾崎が、
「薄は名前が珍しいからじゃないよ。なんとなく謎めいたところがあって、それが人の気を引き付けるところが有るんじゃないの。ところで明日は高雄方面にしようよ。」と話題を本題に変えた。
「そうだね。神護寺、高山寺いいね。明日は月曜日だからすいているだろうね。」
「集合時間は九時でいいですか?」と別所が提案し、残りの二人がうなずいて計画が決まった。
「ところで」、と尾崎がまじめな顔になって続けた。
「沢田教一という報道カメラマン知っている? 先週プノンペンで射殺されてしまったらしい。アメリカもどこまでやるつもりかな?」
 晃一が「今年は色々暗いニュースが多かったけど、その第一がベトナム戦争だよね。我々は戦後世代で戦争なんて親から聞く話だけだけど、無い方がいいに決まっているのが戦争だよね。こんな平和な日本にいると、何故戦争が起こるのか分からないけど、ベトナム戦争でもっと分からないのは、何故アメリカがこれほど前面に出てくるかだよね。」と話を引き継いだ。さらに、
「我々の親の世代は親兄弟友達を戦争でなくした人が多く、なくして見ると、その原因となった戦争を憎んだり相手方を憎んだり果てしがなくなるよね。我々は、まだ親が戦争体験者で、時々話を聞かされるものだから、体質的戦争拒絶者だけど我々の何代か後の世代になってしまえば分からないよな。ところで、最近、倉井はべ平連に足つっこんでいるんと違う?」と同期の別所に向かって言った。別所は、
「かも知れへん。でも戦争に反対する気持ちをそのような形でも他人に表わせて羨ましいですよ。俺なんかそんなことしたら会社からマークされるのではないかと気になってどうしても踏み切れないですよ。」と、
倉井をかばった。
「資本主義と共産主義の対立、すなわちソ連とアメリカのイデオロギー対立がそもそもの原因だよね。それにそれぞれの国の権力主義が掛け算されて起こるんじゃないの。」、
と尾崎が言うと、晃一は、
「それはコントロールする側の論理だよな。さっき言ったように、実際の地元の兵士たちは肉親を殺傷した相手方を憎んだり、復讐心は並大抵のものじゃないと思うよ。
うちのお袋が自分が小さい時、よく、戦争で亡くなったお袋の兄のことを思い出しては涙を流すの覚えている。肉親を失った時の怒りは経験しないと分からないのだろうな。それが敵愾心となった所を利用する国家権力者のモラルが問題なんだよな。大体戦争なんてそんなものじゃないかな。その国家権力者がイデオロギーにおぼれた他国と結びついて二手に分かれて戦っているというのが今のヴェトナム戦争の構図じゃないのかな。イデオロギーにおぼれたその国にも良心を持ったイデオロギーにおぼれない人たちも必ずいるし、良くも悪くも、極端な方向に走れば必ず対極を求める集団が発生するという力学があり、必ずヴェトナム戦争を批判する勢力が台頭し、審判が下されることになるのじゃないかな。火の粉が日本に舞い散ってきたらどうなるのだろうかな。」と、普段は口にしないようなことを言ってしまった。
しかしあとになってみると、晃一にとって、この日熱く平和について語り合ったことが、その翌年、労働組合活動をするきっかけの一つになったとも言えるかも知れない。また、後、晃一が尾崎、別所の結婚式の司会をすることになるのだが頼む方も頼まれる方もこの日の語らいが頭に残っていたことは確かであるが、それは何年か先のことである。
更に夜が更けていったが、次の日が振替休日と言うこともあり、寮のどの部屋からも遅くまで声が聞こえていて、晃一の部屋からも明け方四時頃まで話声が聞こえていた。
翌朝、三人とも予定の時刻に集合したが、尾崎が、
「車の運転、今日は自信無いよ。」ということで、歩いてゆくことにした。
 三条京阪から京阪バスで八十円、妙心寺、御室仁和寺、竜安寺を通り過ぎて、三十分程度で着いた。初めて来た寺だが、肩透かしを食わされた、と感じるほど俗化した感じがした。
 紅葉には予想通り早く、バスから降りて、すぐ側にあった茶屋というより食堂という俗名の方がふさわしいと思えるその店で肉うどんを食べた。
 観光客相手の土産物屋兼食堂で、来週位から始まる紅葉シーズンに備えて準備が忙しく、今の客など構っていられないと言う感じだった。      
寺の門前の店の料理にしては味が濃すぎる感じがした。

 店を出るとすぐ下り坂に出会った。その通りの両側にはすさまじいほどの数の露店が並んでいて、こぞって紅葉てんぷらを売っていた。
 そしてその通りが終点となる川縁まで来ると、今度は川の両側には、ずらり旅館が立ち並び、まさに完全な観光地といった風であった。
 鬱蒼と茂る紅葉に薄陽がさし、そのベールの向こうに荘重な構えの高雄神護寺がその姿を誇示するという光景を頭に描いていた晃一にとって、肩透かしをくらった感じだったが、石段を登るうちに少しづつ気持ちが変わってきた。
 少しづつ木々の濃さとともに山寺の厳かさが感じられてきた。
神護寺の楼門までの途中、硯石という大きな石が蛙の様に高雄の山腹に這いつくばって訪問者の足音を聞いているようだった。
 一体誰がいつどのような理由でこの石をここに備えたのか、と悠久の昔に思いを馳せながら歩いているうちに楼門にたどりついた。
楼門をくぐって、すぐ右手に書院があった。朱塗りの簡素な門とその前のさっぱりとした紅葉の木が一本、それに十一月の深い青空の協奏曲、いにしえの美というより時を超越した自然の美しさを感じた。
更に奥に進むと、錆びた銅緑青を屋根に葺き、五大堂、毘沙門堂、大師堂が佇んでいた。この寺は平安京造営の頃、794年以降、空海、即ち弘法大師にゆかりの深い寺で、以降二度の火災で跡形なく焼けたが、文覚上人が白河上皇の勅許を得て、頼朝の援助もあって再興したとのことである。
楼門でもらった入場券の裏にはその様な神護寺の由緒が書かれていたが。その中に弘法大師の宗教即ち真言密教について簡単に紹介されていた。「真言陀羅尼には神秘の力が有り、その一字一句には百千の義趣を含蔵している。よってこれを念誦し、観修することによって災いを避け、福を招くことができるし、凡夫の身でも速やかに仏になることが出来る。」と書かれていた。
 この時の晃一には何を言っているのかさっぱり分からなかったが三十年後、この空海に魅かれて空海に関する色々な書物を読むことになるとは当の本人にもまったく想像ができないことで有り、人生の伏線を感じる能力を、もし晃一が持っていたら、この時何かを感じなくてはいけないのだったが、晃一は、この日付けの日記に、この宗義に対する感想として、この宗義は仏道に限らず、現在における努力をすれば必ず報われる。古今東西を問わず人間界に通ずる一つの道理となる考え方であろうと、とんちんかんなことを書いている。
 しかし、晃一の日記に宗教の事を書いたのは、後にも先にも他に無いことを思えば、やはり伏線として天が啓示していたのかも知れない。
 この日を境に神護寺に毎年足を運ぶことになることを考えると、伏線に近いものを感じたのかもしれない。
 おまけにこんな詩を日記に記している。

何かを取り返しに古都の吐息をひたりに行く
紅く染まり始めた楓の葉に降りかかる十一月の陽光
かの高雄山寺以来、一体どのくらいこの山を
            繰り返し照らし続けてきたか
あの応仁の乱、平安の大火
その度に崩れ、再興したこの姿を
歴史を見てきたこの秋の陽光のもとで
神護と、楓と、空と自分の四重奏曲
しかし、結局は雑踏、いや根無し草の足りなさによって
       終いには曲が乱れるのである
 乱曲の原点にある現実と愁想のギャップ
 そして、そのギャップを埋める弦と共鳴箱
白河上皇に勅許を願い出た文覚上人の様に、
            当て射る的を見つけねば

 他の二人は信じられない程口数が少なかった。昨夜の熱弁で疲れていたのかも知れない。
 しかし本当はそうではなく、二人とも示しあわせて故意に口数を少なくしていたと言うことが後で分かったが、その理由が分かったのは更に二週間あとの事で箕面に紅葉を見に行ったときのことだった。

  <<< つづく >>>








2007/12/07 0:00:59|物語
西方流雲(3)
 西方流雲(3)

 <<< 5.見知らぬ女(ひと) >>>

 そこで晃一は奇妙な古書を見つけた。というより古書群を見つけたと言う方が正確だろうか。その古書はA5サイズの「薄家の系譜」と、その横に置いて有ったB5サイズの「飛天の故郷」と言う二冊の本であった。
 視力の良い晃一には深紫色の表紙に金色の活字で書かれた「薄家の系譜」という書名が三メートル程手前から見えていたのだが、その本の真ん前を一人の三十才前後と思われる痩身(そうしん)の女性がしばらく立ち止まっていたので近づき難かった。
 その女性は、古代紫色のロングの服をまとい、真っ黒の縁の広い帽子を深くかぶり、色の薄いサングラスをかけていたが、晃一のいる位置から写るその後ろ姿は何かエキゾチックな感じがして、ふと去年、今回と同じメンバーで出かけた、神戸六甲山の見晴らし台で見かけた女性を思いだした。
 場所は全く異なるものの、時季、服装、印象とも全く同じであった。但し帽子は被っていなかったかもしれない。
 その女性が長い睫毛の間から、まばたきもせずに神戸港の遥か彼方をじっと見つめながら、何か思索している姿は、赤く染まった夕焼けを背景として極めて叙情的であり、晃一の胸に、しまいこまれていた。
 無断で、その女性の斜め後ろからの姿を写真に納め、後で現像した写真を見て、
「これがカラー写真だったらどんなに傑作だったかも知れないね。」と、写真を撮ることが趣味の尾崎に見せたら、
「薄の被写体を見つけだすのが上手なことには感心するよ。写真と言うのは写真技術が40パーセント、被写体を見つけだすことと、最適な撮影角度を見つけだすことが併せて60パーセントなんだよ。だけど、これはカラーで無くて良かったよ。俺だったら拡大して額縁に入れて飾っておくけれどな。」
と褒めてくれたが、そこまでの趣味はなく、と言うより晃一にとって価値があると思っているのは、写真そのものより被写体になっているその女性の叙情的な姿であった。晃一はその写真を納めたアルバムの余白に「見知らぬ女」と一編の詩を添えておいた。

         見知らぬ女(ひと)
     
    見知らぬ女は見つめていた
        瞳まで届かぬ波打ちの音を。
    誰も見つめていない
        しぶきの一滴で心の床を湿らし、
    誰も見つめていない
        沖に浮かぶ一隻で心の港に
    たどり着こうとしているのか。

    見知らぬ女は何を見つめているのだろう。


 ここでは余談だが、晃一がその後の彼の人生において、彼の出会う女性を、悉くこの時のその女性の、叙情的な斜め後ろ姿の輪郭に重ねてみて、その輪郭の中に収まる女性か、外にはみ出る女性かと言うような見方をしたことからも、その女性から受けた印象が如何に強かったかが分かる。
 
 しかるに、その本の真ん前に立ち止まっていた痩身の女性はその輪郭に完全に一致している様に思えた。或いはその為にこの「輪郭」の記憶がいつまでも残ることになったのかも知れない。
 だから、その下に重なって置かれていた「飛天の故郷」という古本は気がつかなかった。その女性が立ち去ってから、そこへ近づき、「薄家の系譜」という古書の方を見た時に本のサイズが異なっていたために、その下に置かれた「飛天の故郷」と書かれた本に気がついたのだった。古書の値段は「薄家の系譜」が五千円、「飛天の故郷」が七千八百円だった。その当時の晃一のサラリーは月三万五千円程度で、とても買える値段では無かった。
 社会人になって一年少し、少しはサラリーの使い方に慣れてきたが、それでも月半ばとなると残り一万円残っていれば良い方だった。
 それなら中身だけ見ておこうと思い、その本を手にしようとした所に、
 「何か、面白そうなの有った?」と尾崎がのぞき込む様に背後から語りかけて来た。
「なんと「薄家の系譜」なんて本があったよ。」と晃一が答え、更に、
「値段が高くて買えないんだよ。持ち合わせが有ったら貸してくれない?」
と言おうとして、言葉を呑み込んだ。
「ほんま? 以外としっかりしてんやな薄は」と、尾崎はかなりとんちんかんなことを言っている。背後の方から他の四人ががやがやと近づいてきた感じがしたので、
 晃一は自分自身に、
「しかし、ここで下手に拘ると、那智でのことを尾崎に思い出させることになるし、他の四人にも知られてしまう。変なわだかまりは捨てよう。」
と、自分に言い聞かせ、
「皆、集まった事だし昼飯でも食べに上がろう」と、早く、全員がその場から離れられる様、皆に提案した。

 阪急デパートの十階にあるレストランに向かう途中、
「どうせだったら、もっと大きなゴムボートにしはったら良かったのに。」
「四人乗れればいいんよ。大きすぎると値段が高いし、持ち運びが大変や、」
「海に使うん?」
「海だけやなく、川下りもしようと思うとる。海釣りにも使えるしな。持ち運びは尾崎に期待や、車持っとるやさかい」
「色が少し派手とちやうか?」
「派手な方がいいんや、いざと言う時の為に」
「うちらも連れてってくれはる?」
「いいけど、そうすると二対二やな、何が起こっても知らんぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」、
「ところで、結局交渉していくらになりはった?」、
「最初五万て言われたけど、給料三万五千円しかもろてへんのに無理や、て言うたらそれならボーナス月一回払いで三万五千円でどないするて言うから、それで手を打った。」
「斉田はん、金持ちやなー。ボーナス全部はたいてしまうなんて」
・・・・・・・・・・・・・、
と四人の会話ははずんでいた。

 晃一は彼らの会話を聞いてて胸を撫でおろした。少なくとも、今日、自分が目にした光景は誰が演出した訳でもなく、単なる偶然であることが分かったからだった。

 寮に帰りついたのは結局四時を少し回っていた。晃一は、自分の部屋に戻ってから古書市でのことを思い出してみた。

 何故「薄家の系譜」なんて本があったのだろう。
又、那智に行った時に、飛天となって壁に消えたあの女性を思い出させる「飛天の故郷」と言う本が、よりによって何故「薄家の系譜」なる本の下に重ねてあったのだろうか。
 そして、その本の真ん前に立ち止まっていた例の女性は一体誰だったのだろう。
 その女性の輪郭がそっくりだった神戸での「見知らぬ女」はその後一体どうしているのだろう。
 そんなことをぼやっと考えている内に、瞼が重くなってきた。そして瞼の間から先程まで見えていた部屋の天井が乳白色となり、次第に青みがかってくるのに気がついた。そして耳には潮騒が聞こえる様だ。「見知らぬ女」の輪郭が次第にはっきりしてきた。そして斜め後ろだった角度が次第に斜め前方となり柔和な澄んだ眼と深紅の口紅を塗った薄い唇が晃一の目に見えた。彼女のその唇が動いていると気がついた瞬間彼女の発する言葉が聞こえてきた。
   「I am going to sail on the wild sea.」
そして、今度は晃一自身がなにやら唱えているのが分かった。

  赤い荒野にさす水の
    冷たさしみる根無し草
  大地踏み行く大自然
    冠にせんと意気込めど
    姿無きもの手に取れずや

  根無し草よ
   風に吹かれて、西へ東に、風上から風下へ?
   川面へ全く根を下ろさず、
   ただ風のながれに乗ってゆく?

 風上から心地よいバイオリンの響きが聞こえてきた。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だ。この曲を聞いている内に疲労が解消してゆく感じがした。そして晃一が社会人になって、初めてこの地を熱い気持ちで踏んだことを思い出した。
「I am going to sail on the wild sea.」
 赤い荒野を踏む
その気概がまた心に漲ってくる快感を覚えることが出来た。

  〜〜〜 つづく 〜〜〜







2007/12/04 23:18:46|物語
西方流雲(2)
    西方流雲(2)

  〜〜〜 3.花背峰定寺 〜〜〜
それから三ヶ月程たった晩夏と初秋が入り交じった九月十二日の良く晴れた日曜日、念願の京都を訪問した。
紅葉には未だ早かったが、日陰にいると肌に触れる風に秋の気配が感じられ、逆に日当たりの良い場所ではまだ十分残暑の気配がした。
朝七時頃、寮を出て、阪急電車で京都に向かった。
四条河原町で降り、最初に来た鞍馬行き京都市バスに乗り込んだ。
もともと計画的な旅が好きでなかった晃一にしては珍しく行き先を決めていたのだ。
四条河原町から乗り込んだバスの行き先は「鞍馬」だった。目指すは、そのずっと先の花背峰定寺だった。
京都の山奥に佇む峰定寺の姿を観てみたいと以前から思っていたのだ。
鞍馬からは歩くことにしていた。

夏を僅かに過ぎた陽光を浴び北山杉が道の両側に迫る。
道は左に右に曲がりくねり、時折、車が横を通り過ぎる。そのたびごとに土埃が上がり、路端に佇む背丈の低い広葉樹の葉に堆積し、葉の色を白っぽく染めているのである。
――――ここ数日雨が降っていないからな、
と独りこちた晃一が視線を上の方に転ずると、夏の光を十分浴び、濃度の濃い葉緑素をたっぷり貯えた北山杉の緑が目に入った。
更に上に目を遣ると、少し秋空の気配を交え、濃さを増した青空に真っ白な雲が浮かんでいる。雲の色といい、形といい、北山杉がつくる山の輪郭に調和して美しかった。
思わず晃一が学生時代に造った歌を口ずさんだ。

青い空に白い雲で出来た舟が
風に吹かれてゆく西に向かって
あの舟に乗る人は誰か
僕の心の人だろうか

――――時空に拘束されない、とはこの一瞬であろう。
心が洗われる様だった。


 花背峠を過ぎて道は下り坂になり、しばらくして、いかにも里という感じがする村落にたどりついた。
道が交叉した所にバスの停留所があった。停留所の名前をみると
別所という地名が表示されていた。
 交叉点の一角に山菜料理の店があるのをみつけた。店の入口にはこげ茶色の暖簾が掛けられていた。
 既に正午をとっくに廻っていたので、そこで昼食をとることにした。
 中に入るとテーブルは三つしかなく、それぞれに椅子が四つづつ配置されていた。あとはカウンターで、その向こうに厨房があるらしく、そちらから、
「おいでやす。」
と中年女性と思われる人の声がした。
椅子の上に眠っていた猫が起き上がり、大きく伸びをしてから、日差しが落ちている椅子に身軽に一跳びで移動していった。そして、晃一の方を一瞥してまた気持ちよさそうに居眠りを始めた。
山菜うどんを頼んだ。
日差しを取り入れている窓は大きく開かれ、その窓の外に畑が見えた。
会社の二階の踊り場にある窓から見えるのは猪名川の滔々と流れる川の流れであるが、この窓の外に流れるのは誰にもどうする事も出来ない時の流れだと思うと、何故かけだるくなるような感じであった。
うどんは腰が強く、添えられたしめじ、ぜんまい、ふきのとう、竹の子等の山菜がマッチしておいしかった。

 峰定寺(ぶじょうじ)のことについて店の人に尋ねる為に、お品書きの隅に申し訳無さそうに書かれていたコーヒーを頼み、コーヒーを運んで来た時に、
「すいません。峰定寺まで歩いてあとどの位かかりますか?」
と聞いてみた。すると、
「そうやな、歩きかいな。日が暮れる迄には着きまっしゃろ。
僧坊での泊りですか?」
との返事だった。そして頭を少し傾け、間を置いて、
「そう言えば先日もここまで鞍馬から歩いて来はって、ここで食事しはって峰定寺に向かって行った人がいはったしー。おなごさんどしたけどなー。」と京言葉で教えてくれた。
―――だとすると往復したら真夜中になってしまう。どうしようかな。
と考えていたら、ちょうど京都方面からきたバスがとまり、数人の客を降ろし、すぐ発車してまった。
間もなく、二人の小原女風のもんぺをまとった中年女性がどかどかと店に入ってきた。そして、厨房の方に向かって、
「綾(あや)ちゃん居てはる?」
と、二人同時に呼びかけた。
晃一に気がつくと、急に仕草が丁寧になった。
奥の方から、
「由(よし)ちゃんと
富(とみ)ちゃんやろ。少し待ってや。」との声が奥から聞こえた。
奥から出てきてその二人の客を見るやいなや、
「まあ、その格好で町まででかけはったんか?何しに行きはった?」
「知らんかった? 例の駐在さんに頼まれて図書館行って読み方を調べにいったんや。」
大きな声で話しているので、晃一の耳に話が聞こえてしまっていた。
晃一は、もんぺ姿で図書館で調べ物をしている二人の姿を想像して吹き出しそうになってしまった。その笑ってしまいそうな晃一の表情をみて、綾ちゃんと呼ばれた店のおかみさんが、
「お客さん、これから峰定さんへ行くんやったな。先週の水曜日にとても不思議なことが起こったんえ、あそこで。」となれなれしく話かけてきた。
すると由ちゃんと富ちゃんと呼ばれた二人の客は急に晃一の顔をじろじろと眺め始め、テーブルに置いたナップザックやカメラを眺めまわすのであった。
猫が更に日当たりの良い場所に移った。
「何があったんですか?」
と晃一は聞いてみた。
―――今からでは峰定寺まで往復出来ないのであれば峰定寺に因んだ話に触れるだけでいいや。
と思い、話の仲間に入ってしまうことにした。少し時間潰しをすることにした。
「さっき、うちが、先日もここまで鞍馬から歩いて来はって、ここで食事しはって峰定寺に向かって行ったおなごさんがいたと言いましたやろ。」
「服装が一致しているので、多分その人やろと思うんやけど、濃い紫色のロングスカートと真っ黒の山高帽とサングラスのいでたちだったえ。」
「その人がどうしたんですか?」
「そーや、その人がな、峰定寺の舞台から急に消えたと言う訳や。お寺の人が直前までその女の人を見ていて、一瞬目を離したらもうそこにはおらんようになって、さあ大変。舞台から飛び降りたかと思うて、すぐ舞台の足元を探したらしいんや。ところがやで、誰も落ちとらんかったらしいのや、不思議な話やで、全く。」
「それだけやないで。」
と、富ちゃんとやらが後を引き継いだ。
「その人が抱えていた紫色の風呂敷き包みがその舞台に置き去りにしてあってなー、そりゃびっくりしますがな。お寺はん気味悪いさかい交番へ届けよったんや。そして、おまわりさんが調べたら、もう一人目撃者いたんやて。
ところが、その目撃者は、その女の人は飛び降りたけどその直後浮上して、空を飛んでいったと言い張るんやて。」
そして更に由ちゃんとやらが後を引き継いだ。
「その目撃者というのは年取ったお爺さんでな、殆ど毎日この舞台にきて四、五時間時間を潰してゆく人で、時折訳の分からない事つぶやいているので、峰定寺の人は皆顔馴染みだそうなんや。変人と言う事で通っているらしい。」
「そんな人の証言あてになるの?」
と、綾ちゃんと呼ばれているこの店のおかみさんが呟いた。
ここまで来ると、もう近所の奥さん同志の井戸端会議であった。
「ところが、このお爺さん意外とインテリらしいんよ。だって、その四、五時間の間に時々本を開いて読んでいるんやて。何の本読んでんやろと思った、お寺の人が後ろから覗き込んだら全部漢字で書かれていて、見た事も無い漢字がびっしり書いてあったんやて。住職さんがそう言っているくらいやからそのお爺さんの出鱈目とも言えないのや。」
「でもそのお爺さんかて、なんや得体の知れない人と思わんとあかんと違う?」

 峰定寺は正確には大悲山峰定寺と呼ばれ、平安時代末期に鳥羽法王の勅願で観空上人によって創建され、その後本堂や仁王門は同じく勅により、藤原信西入道が造営奉行、平清盛が工事雑掌に任ぜられ建立された。清盛はその後、この寺に仏舎利を奉納するなど平家にとって縁の深い寺となった。
 平家が源氏に敗れ、落人たちがここまで逃げ延びて、隠れ棲むようになり、再起を期したという言い伝えはあるが、発覚するのを恐れ、この寺の縁起にも書き残されていない。

落人の何人かは、再起に絶望し、生活にも困窮し、この舞台から幼子を道連れに、身を投げて命を絶ったということがあり、その晩、笹薮から無数の蛍が飛びたち、群れをなし月に向かって消えていった、という伝説が細やかに伝わっていて、その話を聞いた人を紹介する記事が新聞の片隅にのっていたのを、晃一がまだ東京にいて学生生活を送っている頃、目にしたのを記憶していた。

また、それから五百年程後、この寺が修繕された夏、この舞台の下に密生する熊笹の上をゆらゆらと移動する小さな点滅虫が異常に多く見られ、その時に尚住み着いていた平家落人の十代近くの子孫達は平家末裔の、時空にはかなく漂う姿をなぞらえて、これまでこの地で命を落としてきた先祖を偲び、人の子孫がその虫達を平家蛍と呼び、この舞台の上から鑑賞した、という話も一部に伝えられているのを晃一はどこかで読んだことが有る様な気がしていた。

しかし、この寺は春には桜が咲き誇り、秋には全山紅葉し、絵も及ばぬ華麗な景趣が見られ、春の新緑の中に石楠花(しゃくなげ)やつつじの花が錦を織り成す様な姿になると言う事も、観光案内で読んだことがあった。
―――それが歴史の中で何度も何度も繰り返されてきた。だからこそ落人の子孫達はこの地にひっそりと生きてこられたのだろう。
と、晃一は思っていた。

また、晃一は、
―――この寺が創建時は大日山寺と呼ばれたがその後、大悲山と呼び替えたのも平家の落人がこの地へやってきてからのことではないだろうか。
などと勝手な推理を働かせたこともあった。

相変わらず綾ちゃん、富ちゃん、由ちゃんの3人の井戸端会議はやかましく続き、晃一も時々相槌をうたされていた。しかし、その間、何度か山菜を混ぜた形の良い饅頭(まんじゅう)とお茶が出され、面白い話が聞けた。

突然、綾ちゃんが、
「由ちゃん、富ちゃん、次のバスが最終やで。」
と言った。すかさず由ちゃんが、
「ほなら、あと5分ほどで京都行きの最終やな。」
と、言った。晃一は
「それなら、僕はそれで帰ります。お勘定お願いします。」
勘定を払いその店を後にした。

晃一を乗せた京都行きバスが停留所から発車したあと停留所に降車人が誰もいないのを確認してから、綾ちゃんは店の扉を閉め、他の二人に、
「峰定(ぶじょう)さんまで車で送るからゆっくりしてゆきよし、おいしいものあるでー」
と言いながら、電灯をつけ、奥にいた主人に、
「もう、店閉めたでー、あんたも来よし、今から同窓会や。ついでにこの間のあれ持ってきてくれへん? つまみもなー。」
と猫を抱きかかえながら言った。
「由ちゃん、富ちゃん元気そうやな。これ、去年あんたらが持ってきてくれた葡萄を皮ごと潰してジンにつけて、角砂糖と紫蘇で味付けした紫蘇風味赤ワインや、こういうの好きやろ二人とも」
と、片手にお猪口を4つ指と指の間にはさみ、片手にその葡萄酒を抱えて、彼女たちに加わった。先ほどからの話を聞いていたらしく、
「先程の客なー、例の峰定さんで消えた女と何か関係があるとちゃうんか?」
と言った。
「どないして?」
と、誰かしら聞き返すのが普通だが、他の女性は三人とも「そうかも知れへんなー」 と、うなずく肯定派であった。そして、富ちゃんが、
「薄紅という名前だったらしいえ、その女のひと。駐在はんが来はった時にナ、 紙に書かれたその読み方が分からへんで、それであんたら調べに行きはったんよね、駐在さんに頼まれて。」
「そうや、駐在さんたら、うちらに公費で昼飯つきで町行かしてやるから、ついでにこれ調べて来い言わはって『薄紅』と書かれた紙を渡されたんよ。」
と答えた富ちゃんの後を継いで、由ちゃんが、
「ついでの話やったし、おいしい簡単な話や思って引き受けたんや、うちら。そやけど、意外と難かったで、あまり目にする名前ではないしー。
結局、中国人説 と東北系日本人説と分かれて、中国人説だと薄が姓でボウと読み、名が紅でホンと読むんやて、日本人説だと、うすきと言う苗字があるらしいんや。」
「でも苗字はそれでいいけど、名はくれないと読むの?」と綾ちゃんが言うと、「それならウスクレナイと言うのはどうや、芸妓さんの名前に丁度ええで。」と店の主人が茶化しながら言った。「結局、ボウホンと言う中国人説が有力となったんよ。」
「じゃ、さっきのお客さんも持ってたナップザックに『薄』と書かれていたの気がついた?」
「勿論」
と、その場にいた全員が相槌を打った。
その後、本格的な同窓会となり、紫蘇風味赤ワインの底がつき、お開きになったのは 夜九時を回っていた。
その頃、晃一はとっくに伊丹の寮に帰り着いていて、今日あったことを噛み締めていた。
そこに尾崎がビール瓶片手に部屋に入ってきて、「今日は何処か行きはった?」
「京都の峰定寺へ行く積もりだったが時間切れで途中で引き返した。尾崎は?」
「写真を撮りに猪名川沿いに川を上って川の土手の片隅に建てられている御地蔵さんを撮ってきた。京都へ行くんだったら誘ってくれればいいのに冷たいな、最近付き合い悪いぞ。最近何かあったのか?」
「いや、特にないよ。今日は歩き疲れたよ。」
「悪かった。邪魔した。じゃまた明日。」
晃一は尾崎がついでくれたコップ一杯のビールを一気に飲み干し、横になった。
そのうちに目の前は乳白色となり、乳白色が晴れるにつれて自分の前を一人の陰が歩いているのに気がついた。
そしてその輪郭は次第にはっきりとしてきて、紫色のロングの服をまとって、真っ黒の縁の広い帽子を深くかぶり、色の薄いサングラスをかけているのが分かってきた。
自分の母親のようでもあり、神戸で見かけた女性のようでもあり、那智で壁に消えて絵の中の飛天となった巫女さんの様でもあった。
「もしもし」
と、声を掛けようとしたが声が出なかった。しかしその気配を感じたのか振り返えるどころか歩を早め、いつの間にか晃一も急ぎ足になった。
その女性は更にものすごい急ぎ足になり、いつしか乳白色の空の中を飛んでいるのだった。着ていた衣服もいつの間にかピンク色の薄絹となり、肩から腰にかけては空色の薄い帯をたすきに掛けてなびかせていた。
晃一は、自分ももの凄い速度で空を飛んでいることに気がついたが何時になっても追いつかない。
この感覚は子どもの時から何度と無く夢で見た光景だった。
何故空を飛ぶ夢をみるのか分からなかったが、翌朝は必ずと言って良いほど気持ちよく起きられるのだった。

  〜〜〜 4.技術の壁 〜〜〜

 炉の温度は1250℃で赤々とともり、その中に吸い込まれて行くサヤの中になかば遊びで作ろうとしている成形品が入っている。
晃一は炉から出てくるサヤの蓋を開ける瞬間が好きだった。
 アルミナ敷粉の上の焼結体は真っ黒であったり、時にコバルトブルー に変色し、幻想的である。
 晃一の仕事はサーミスタという電子部品を新しい製法で作るというものであり、素原料としてニッケル、コバルト、銅の酸化物を特定の比率で混ぜて、プレス機でディスク状に成形し、焼成し、焼結体とする。その酸化物の素原料を炭酸塩の素原料に変更し、歩留まりの向上を図るというものである。それは表向きで 、渡辺技術部長の発案による、厚膜ペースト用の原料酸化物を作製することを目的とした共沈法と呼ばれる製法を試みているのだった。それが完成するまでの予行演習的な検討、と晃一は見做していた。
 晃一は、このとき、表向きの仕事に対して裏の仕事がある事を知り、自分も似たような気持ちになってPZT圧電素子を作ってみたくなった。
 Pは鉛の元素記号PbのP、ZはZnのZ、TはTiのT・・・積もりで調合し、焼成まで行ってみた。すると焼き上がったセラミクスは翡翠色の非常にきれいな色になっていた。そして電極をつけて抵抗を測定すると、湿度に非常に敏感なことが分かり、感湿素子になりうるのではないかと言う期待を持った。これは後に勘違いによって出きたことが分かるのだったが、晃一はその先どうして良いのか分からなかった。
 
  晃一にとって、これが最初の、技術の壁を感じた瞬間であったと言えるかもしれない。

 そんな会社人間としての順調さもあったが、その頃晃一が会社人間として少しづつ変ってゆく以上に、社会情勢や会社の状況は急激に変わっていた。


   <<< つづく >>>







2007/11/25 18:26:04|物語
西方流雲(1)

  〜〜〜 1.那智の滝 〜〜〜

 落下の途中でその飛沫(しぶき)を少しづつ受け、心地良さそうに小刻みにふるえる。その若葉の表面に薄く広がった水膜がプリズムとなって5月の陽光を回折し、手元に置いた白い紙片に小さな虹斑(こうはん)を映し出している。次の一滴の飛沫の到来で、表面張力の均衡が破られ、折角の虹斑も消えてしまう。そして、暫くすると、紙片の同じ位置に再び虹斑が現れ、虹の彩色が鮮やかになってゆく。更に彩色が鮮やかになるのを待っていると、次の瞬間新たな一滴の飛沫の到来でまた振り出しに戻る。その様な繰り返しが妙に規則正しいので、「こんな時計を何時計と名付けたら良いのだろう。虹斑時計(こうはんとけい)とでも言うのだろうか?」もし、古代、此処を訪れた修験者がこの時期、この時刻、この場所に来て、この様な白い紙を同じ場所に置いたら、同じ様な観察をしていたかも知れない。
更に小さな飛沫となって空気中に漂い、心地よい湿り気が晃一の頬を塗布する。 
何故自分がこの様な場所にいるのかと不思議な気持ちになることが誰でもよくあるが、滝の落ちる音を背に受け、またその様な光景を浴びながら、大きな黒々とした石台に腰をかけながら晃一は先ほど来の不思議な感覚にひたっていた。

「那智」と言う地名は彼にとって何故か妖しい物語の世界であった。小さい時に見た東映の「新諸国物語、笛吹き童子」の那智の小太郎」は幼年時代の自分をなつかしむ格好の題材に違いなかった。
 しかし、それもあるが先程来の不思議な感覚の本当の理由は他にもある様に思えてならなかった。それを具体的な言葉や情景に置き換えることが出来ないことが、もどかしくて仕方なかった。
 
 晃一は彼が親元を離れ、伊丹にある小さな無名の会社に就職して間もなく一年あまりになるが、この関西の地に来てから、何故か、ちょっとしたことが頭からはなれず、もやっとした気分を持ちながらその日一日を過ごしてしまうことが時々あることが気になっていた。
 何かが自分に迫ってくると言う感じにとらわれてしまうのだ。
ただ、必ずしも不安や脅迫感と言った負の感覚ではなく、むしろ好奇心を誘発する奇妙な陽性の感覚であった。

 滝が落ち込む鉢の底のあたりは少し暗くなってきたので、此処まで一緒にドライブをしてきた尾崎を促して帰途につくことにした。 尾崎の趣味は写真をとることで、滝の水しぶきがかかった葉や蜘蛛の巣や石をカラーフィルタ越しに撮影することが特に好きで、今回も彼の提案で此処まで来ることにしたのだった。
 その尾崎が鉢の底から駐車場のある中腹の道まで歩いて戻って行く途中、妙なことを言った。
 「さっきの寺の巫女(みこ)さん知っている人か? 
お前のことじっと見ていたぞ。」
「お前に気があるんとちがうんか?」と決して言われない所に薄晃一(うすきこういち)の容貌が伺い知れる。
 しかし晃一は驚いた。寺が有り、滝への行きすがり、そこへ寄ったなどと言う記憶が全く無かったのである。
 そう言われてみれば晃一ならずとも気になる。
「先ず、寺を見損なわない、それからその巫女さんもな〜。」と念じつつ上り坂を葉っぱ踏み踏み歩いていった。
 当然、尾崎には「帰りがてらまた立ち寄ってみないか」と軽い足どりをさと悟られないように告げたつもりだったが聞こえただろうか?

 しかし、このことが晃一にとって数奇な運命の始まりになろうとは一体誰が予想しただろう。その帰りに寄ったその寺で一体何が待ち受けていたのだろうか?

十分程歩いてその寺にたどりついたが、その色彩からはとても寺とは言えない様な感じがした。
 もともと晃一は寺めぐりが好きで、この一年の間に何度京都の古寺に足を運んだか分からない。とりわけ、岩倉実相院(じっそういん)と山科勧修寺(かんしゅうじ)はお気に入りであったが、それが寺の標準的な佇まいとするなら、その寺は余りにも派手で、きらびやかすぎるという感じがした。  赤、青、黄色の3色を基調にしたこの建物を晃一がみやげ店と思ってしまったのも無理からぬことだったかも知れない。
 尾崎が最初からこれを寺と認めたのはその様な先入観を持っていない為だろう。
と勝手ないいわけ考えながら、その建物の直前まで来た。
 しかし、やはり晃一にとって寺と認めることが出来るのは、漂っている線香のの香りと中国風の音楽であって、視覚に入ってくるものはどうしても観光地のみやげもの屋だった。とすれば尾崎が言っていた例の巫女もみやげ物屋の娘として見ていたに違いない。
 その建物に足を踏み込んで意外だったのは、内観は外観とうって変わって、きらびやかさや派手さはなく、むしろ荘重さを感じるほどだった。中国風の音楽も先程よりいっそう澄み切って、心の底に眠ったなつかしい古代の響きと調和する様な気がした。
 不思議なのは岩倉実相院でも山科勧修寺でもこの様な気分に浸ったことはなく、何故か京都の寺々に求めていたものの答えがここに有るような感じがしてならなかった。
 晃一は黒谷金戒光明寺での「土ほじくり」の風景を思いだした。
 別名真如堂(しんにょどう)といわれるその寺を初めて訪れたのは寺の山門側からではなく、寺の東側にあって、会津藩士が眠っているとされる墓側の方からだった。墓といっても晃一にとっては単に寺の境内の一部であり、じめじめとした寂莫さは全く感じなかった。
 それより四条河原町駅から歩き続き、疲れた足裏に優しい弾力性のある土が有り難かった。
 いつのまにか迷い込んだその墓を通り抜け、現れた本堂の軒下に置かれた三十センチ程の高さの石台に腰を下ろし、ひと休みすることにした。
 見上げると本堂の屋根に、今にも届きそうな木々の若葉が陽光を浴び、眼にまぶしい。手元を見ると三十センチ程の長さの梢(こずえ)が落ちていた、いや、置いて有ったのかもしれない。
 その梢を左手に持ち、地面に線や円などの幾何学模様を無意識に描いていた。同じ軌跡をほじ繰り返していると、軌跡の深さが五センチほどになった。この五センチの深さにある土をなす無数の無機質の粒子、法然が生きていた昔には地表にあり、その時代の出来事を眺めていたに違いない。
「土ほじくり」をすると、なんとなく小脳の最上層を刺激し、晃一が経験もしたことのない昔の時代に誘われるのだった。晃一にとって「土ほじくり」はこの様に経験もしたことのない過去を描く非現実的なしぐさであり、風景であった。

 晃一がみつめているその寺の床は部分部分に石畳が敷いてあるが、それ以外は土間であり、その土間の土が真如堂での「土ほじくり」を想い出させるのだった。
 しかし、背後に柔らかい人の気配を感じ「土ほじくり」の記憶をしまい、おもむろに背後を振り向いた。わずかに微笑みながら浅くこちらに向かってお辞儀をした。
「いらっしゃいませ」でもなく、「はじめまして。」でもなく「お待ちしていました。」という目つきであった。まわりを見まわしても五、六メートル先でこちらを眺めている尾崎以外には誰もいず、この巫女さんと思われる女性が自分に微笑みを送っていることは確かだった。
 「どうぞこちらへ」と振り返り歩いてゆく後ろ姿は身長百六十センチ程度で、髪は長い髪を巻いて頭の上でとめ、そのため現れたうなじは肌は透き通り、香しかった。
 晃一は尾崎のことを忘れてその後に従った。
 伽藍(がらん)を支える大きな柱の角を右に曲がり、やや薄暗がりの土廊下を案内されて行くうち、正面の突き当たりに縦長の白く浮き上がる壁紙又は壁布が目に見え、次第に大きくなってくる。
 そして巫女の足どりが急に早くなり、いつのまにか、その白く浮き上がる壁紙の中に吸い込まれ飛天となり、天翔る姿図(あまかけるすがたず)となったのである。
 晃一は壁紙のすぐそばまで小走りで近づき、描かれた飛天をじっくりとみた。土廊下の両側壁に配置された蝋燭の炎の揺れが、飛天のまとっている衣装を本当にたなびかせている様に見せた。
 振り返って見ると尾崎が手を挙げて何か叫んでいる。
「どうしたんだよー。」と晃一が言うと、
「トイレにでも行っていたのか?一人で急に走っていって」と尾崎が妙なことを言った。
「一人で?」
 そして追い打ちをかけるように「残念ながらあの巫女さん居なかったな」と尾崎はつぶやいた。
 晃一は自分の身に何かが起こっていることが分かったが、那智のことは忘れることにした。

 那智から伊丹までの帰り道は二日がかりであったが、その日の夕飯と翌日の朝食、昼食の時、何を食べるかと言う相談以外二人とも寡黙で言いたいことを言いかねている様子だった。

 〜〜〜 2.猪名川 〜〜〜

晃一は最近その窓の外を滔々と流れる猪名川(いながわ)の流れに目をやることが多くなった。
その流れは一年前と全く変っていない。
仕事中であれ、その場を通り掛かると、歩を止め、流れの行く先に目を遣るのだった。

――――この地に来て、一年たった。

 東京駅には多くの人が見送りに来てくれた。親兄弟、親戚、大学の友人、中学時代の友人、併せて三十人位はいただろうか、自分のためによくこれだけの人が来てくれたものだ。
両手に二つづつのボストンバッグを抱え、新幹線に乗り込んで、自分の座席を探しているうちに、新幹線は発車してしまった。
 目を窓の外に遣った時はホームの先端で、見送りに来てくれた人達に会釈する暇もなかった。
まだ三月八日で卒業式も終わっていないのである。大学に求人があった訳ではなかった。
晃一にしては冒険だ、と本人よりも周りの殆どの人間が考える程、晃一は温室育ちに見られることが多かった。
東京駅を出て三十分くらいたっても、自分自身のことをどこか高い所から眺めているような気分で、とてもこれから社会人生活が始まるという感じはしなかった。
不安と期待が入り混じり、足が地についていない実感がした。
しかし、新大阪駅に着くまでの三時間十分は今までの自分の人生を振り替えるには十分であった。
 車窓の景色を見ながら、自分の人生に関わってきてくれた多くの人を一人一人思い出し、
「有り難う。」
と心に念じた。
新大阪からは福知山線で伊丹へ、すすけたチョコレート色をしたローカル電車だった。
伊丹駅を降りて最初に五感を刺激したのは蒸した毛糸の香りと薬品の香りが交じり合った臭いで、空気全体がその様な臭いで晃一に覆い被さってきた。
駅改札口を出て、駅前を線路と平行に走っている道路を歩いてゆくと、線路を見下ろす様な高台があり、小さな公園が目に入った。その前を通り過ぎ線路にそって歩いてゆくと、道は下り坂になり、間もなく踏切に出た。
踏切を渡ると倉毛紡績と言う看板がかかった、こじんまりとした会社の門前に出くわした。
晃一が社会人の第一歩を歩み始めるのはこの会社の子会社でクラケ電工と言う更に小さな会社なのである。
その会社の工場の外壁に沿って横たわっている細い路地を歩いてゆけば、その突き当たりに目指すその会社があるはずだった。
駅に降り立った時に晃一の臭覚を刺激した臭いが一層きつく感じられた。
蒸した毛糸の香りは紡績工場からのもので、薬品の臭いは前方に見える上野薬品からのものであることが、高くそびえた煙突に取り付いている看板から分かった。
更に右手には白雪酒造の工場が見えた。
間もなく目指す工場に着いたが、あまりにも小規模の会社だった。
 恥ずかしいので親会社の紡績会社が、奥まった一角に隠し育てている、といった風体の二階建の工場であった。
正面玄関と言うには奥ゆかしいような門をくぐった。
 建屋のすぐ近くまで近づいてみると、総務課・人事課は二階という表示だけが分かり易く目に留まった。
土曜日で半ドンの為、社員の姿は見えなかった。時刻は三時になろうとするところだった。
―――約束の集合時間にぴったりだ。まずまずの滑り出しだ。
と思ったためか、少し気持ちにゆとりが出てきた。
階段を登って、踊り場で一息いれると、大きく開け広げた窓が目に入った。
窓の外には川幅が広く、滔々と流れる川が目に入った。それが最初に見た猪名川の流れであった。
曲がりくねった川でなく、ゆったりと直線状に流れ、晃一の、のんびりとした性格にはぴったりの流れの様に感じた。三月初頭にしては、のどかな風で、
―――東京に比べるとさすが南の地なんだな、
と、独りこちた。
会議室があり、新入社員集合場所と書いた貼り紙が貼ってあった。
 ノックをしてドアを開けたら、既に先客が七人着席していた。
人事課の人と思われる人が、
「薄(うすき)君でっしゃろか?」
と笑顔で迎えてくれた。もう一人人事の人と思われる人がいた。仁田(にった)課長であった。
「これで全員そろたんやな。今日は顔合わせということで集合していただきました。私は人事課長の仁田です。今日は遠い所からようおいで下さいました。今日は顔合わせだけで、詳しいオリエンテーションは月曜日からです。それからこちらは見須(みす)係長です。今後、皆さんの身の回りの面倒をみてもらう事になっています。それから総務の橋本君です。僕はこれで失礼するけど、今日のこれからの予定は見須君から聞いて、それに従って下さい。では見須君いいかね。では月曜日元気に出社して下さい。」
と言って、仁田人事課長は部屋を出ていった。
見須係長が、
「橋本君、皆さんにお茶をもってきてくれはるか?」
と向いた視線の先にいたのは、小柄で、えくぼと八重歯が可愛い若い女性であった。
晃一にとっては伊丹に降り立って最初に目にした若き関西人女性で、窓の外に滔々と流れる猪名川とともに伊丹の象徴でもあるかの様に脳裏に焼き付いた。
「では、今日のこれからの予定を簡単に説明します。これから共同生活を始める事になるのでお互いに名前位は知っておいた方が良いでしょう。
私が最初に自己紹介した後、あいうえお順に自己紹介してください。
「えー、私は未婚の女性でもないし、ミスばかりしているわけでは有りませんが名前は見須(みす)です。出身は大阪府です。これから皆さんのお世話をさせて頂きます。よろしくお願いします。皆さんの自己紹介の後は今日はタクシーで寮に行って、部屋の割り振りや、食事や風呂等の生活全般の説明をします。では、あいうえお順で言うと一番バッターは薄くんやな。」
晃一は立ち上がり自己紹介を始めた。
「薄晃一(うすきこういち)です。出身は東京、趣味はテニスをすることです。出身大学は電気通信大学の通信材料工学科という学科です。関西に住むのは生まれて始めてです。どうか宜しくお願いします。」
橋本女史の拍手に誘われて全員が拍手をした。
「次は尾崎君やな。ではどーぞ。」
「私は福岡県水俣市から来た尾崎繁利(おざきしげとし)です。趣味は自分もテニスをすることです。それと写真を撮ることも好きです。出身大学は福岡工業大学です。よろしくお願いします。」
今度は晃一が最初に拍手をした。
「次は織田君やろか。ほな頼んます。」
「私は地元伊丹市出身の織田伸一です。趣味はバンドでギターを弾くことです。出身大学は大阪工業大学です。よろしくお願いします。」
「次は栗原君やな。ほなよろしく。」
「私は栗原利夫と言います。出身は大阪府です。家はコーヒーを売っています。出身大学は愛媛大学です。趣味はなんやろ。誘われればなんでもやりますさかい色々誘って下さい。ふけて見えますが皆さんと同じ年です。よろしく。」
「次、斉田君。」
「私は広島県出身の斉田正和です。大学は宇都宮大学です。趣味は音楽を聞く事です。宜しくお願いします。」
「有り難う、では次は寺西君。」
「私は隣町の川西市出身の寺西善行です。大学は織田君と同じ大阪工業大学です。趣味は特にありません。宜しくお願いします。」
「あと二人やな。次は戸津君、お願いします。」
「名古屋出身の戸津敏一です。大学は名古屋工業大学窯業学科です。趣味はクラシックギターを弾くことです。よろしくお願いします。」
「はい、では、、、とりやな。藤田君。」
「私は藤田和己と言います。出身は地元伊丹で、家は駅前の八百屋です。大学は関西学院大学です。趣味は特にありませんが、クリスチャンです。どうぞ宜しくお願いします。」
「はい、これで全員終わったね。あ、そーや。橋本君、君も自己紹介しなはれ。」
「うち、恥ずかしいわア。皆かっこええ人ばかりで。 」
と、えくぼを造って微笑んだ。すかさず見須係長が、「橋本君も成長したな、そんな事言えるなんて。」

その踊り場を通るたびに晃一は、
――――この景色が自分の出発点だ、
と思うのだった。
 時には両腕を窓の桟に置き、その上に顔をのせて猪名川の流れを眺め遣るのだった。
その日の猪名川は初めてその景色を見た時と異なり、目に映る若葉とその香りが心地良くしてくれた 。既に五月中旬である。

過ぎ去った五月の連休は晃一にとって、その様な不可思議な経験をする結果になったが、また平穏な毎日に戻っている。
しかし連休前の様には晴れ晴れしい気分にはなれなかった。

尾崎も晃一の身に那智で何かが起こったことを感じとっていて、その一因に自分がなっていると思うと気が重かった。
那智に出掛ける二、三日前に、晃一の親戚と名乗る人から尾崎に「今度の連休に晃一を那智に誘ってくれないか、会わせたい人がいるから。但しこの電話のことは黙っておいて。」という電話がかかってきた、。
以前から那智の滝を写真に撮りたい、と言う気持ちもあったが、そもそもそれがきっかけだった。
そのことを晃一に話して良いのか躊躇していた。
―――薄の様な学歴と性格であれば、もっと良い就職口があるのに、どうして名もないこんな小さな会社の就職先で納得したのだろう。謎の部分があるな、この男には。
と、日頃思っていた。
それだけに迂闊(うかつ)な事は話せなかった。

晃一はそんな記憶を追いやろうと伊丹の町を独りでぶらついた。
伊丹の町は実に古めかしい家が並んでいる。戦災に会わなかったためであろう。古い家の白い外壁はその表面の一部が剥がれ、そこから壁土をつなぎとめる藁の先が僅かに突き出ている。
黒い瓦は隣家とのつなぎめに、卯立(うだつ)が作られ、瓦の亀裂にはそこにしっかり根を下ろしている小さな草が見られる。その先端に咲いた小さなピンク色の花が初夏の青空に点々としている姿があちこちに見られた。
そのピンクの点を結んだ面に沿って、それをみたらどんなに良い景色だろう。
 人工物の上に自然が共生している。
そんな光景に出会うのがなんとも嬉しいことだった。
―――こういう自然はその気になって観察しないと気がつかないものだ。詩的感受性がある自分だからこそ、この新鮮な光景に触れられるのだ。
と、晃一は少し気持ちよくなるのだった。
この様な感受性は仕事に役立つとは思えないが、鬱した気分になった時は格好の精神安定剤になった。

―――そうだ、京都や奈良に行けば、もっとこの様な光景に出会えるはずだ。
もっと積極的にこの様な光景を尋ねてみよう。
そう思うと趣味が一つ増えたようで、何故か心が浮き浮きしてきた。

しかし、そう思って京都を頻繁に訪れる様になったのはこの年の初秋になってからであった。
 その間の行楽シーズンは親しさを増している同期の友人である尾崎、戸津、斉田、それに橋本、石井女史らと三田、神戸、明石にハイキングへ行ったり、夏には香住、竹野方面に海水浴やつりに出掛けることで忙しかったからであった。

仕事の方は順調であった。
入社して二年目の社員に大きな責任が生じる仕事が与えられるはずはなく、
 与えられた実験を良い結果が得られるように、こまめにデータをとり、結果を上司に報告すれば良いだけであった。
 素子開発課という部署に配属され二年目であるが、素子と言うのは焼結体素子のことであり、後にセラミクスというハイカラな名前で呼ばれることになった材料であるが、この頃はまだその様な言葉で呼ばれていた。

「焼成温度が少し低かったかも知れません。」
「組成は間違いなかったかい?少しコバルトが多すぎたのではないだろか。」
「組成は間違いないと思います。自分で秤量しましたから。」
「そうか。それなら降温速度はどうだった? P型酸化物の焼結半導体だから降温時たっぷり酸素を吸わせないといかんよ。」
「分かりました。そしたらもう一度同じ組成で秤量し、今夜再度焼成パターンを見直して焼成してみます。結果が出たらまた報告します。」
晃一と晃一の面倒をよく見てくれる渡辺部長との仕事上での会話は殆どがこの様なものであった。
晃一の仕事は晃一の能力でやっていけないと感じるものは一つもなかった。
しかし、一つだけつらいことがあった。
焼結温度が、設定したパターン通りに行くように夜通し制御しなくてはならない時だ。温度が上昇し始めて千三百℃まで上昇し、その温度で二時間キープし、温度を落とす。
「降温時、電源を切って自然冷却させると降温速度が速すぎるので、降温時は電源電圧をこまめにタップ切り替えをして設定温度パターンからはずれない様にしなくてはいけないよ。」
と言われているのだった。
焼成温度が降温に差し掛かるのは真夜中の一時から三時の間であり、最も眠い時間帯だ。誰か話相手がいる訳ではなく、睡魔との戦いだった。

その夜はやや疲れていたこともあり、睡魔に負けてしまいそうな気分であったので、自動的に1300℃に保たれる二時間の間、少し気分を楽にしようと思ってリラックスし、焼成炉のあるコンクリートで囲まれた部屋の隅に置いてあった椅子に浅く腰掛け、うとうとしていた。
普段はその様な真夜中、しかもコンクリートで囲まれたそんな部屋に誰も来ないのであったが、その日はどういう風の吹き回しか分からなかったが、渡辺部長がその時刻、その場所へ現れたのだった。
晃一は慌てて椅子から立ち上がり炉の制御盤の前に行って温度の状態を確認に行った。
渡辺部長も、
「ご苦労さんだね、遅くまで。今夜は徹夜かい?」
「多分そうなると思います。とにかく降温パターンが重要なので仕方がないのです。降温も自動でやってくれるといいんですけど。」
「そのうちそうなるだろうけどね。五年先だな。」
笑うと額のしわと口の両側のしわが幾重にも出来、いかにも暖かみのある人の様に見える。顔は赤黒く焼け、しわが深いのでとっくに六十才を超えて見えるが、実際には五十才を少し過ぎただけであり、気持ちは四十も超えない様な若さを持っていた。
尾崎が晃一のことを、薄の様な学歴と性格であれば、もっと良い就職口があるのに、どうして名もないこんな小さな会社の就職先で納得したのだろう。
と、感じていたのと同様、晃一は渡辺部長に対し、
―――博士号という立派な称号を持ち、人を包み込んでしまう様な大きな度量を持っているこの人がどうして名もないこんな小さな会社の部長で納得しているのだろう。
しかも東京出身で、単身赴任とのことだ。
と常々思っていた。
その渡辺部長が、
「薄君、焼成パターンというのは人生の一サイクルのパターンと同じなんだよ。
 最高温度に達したあとは徐々に温度が下がるだけだ。
この温度が下がる時が重要で、ここで手を抜くとろくなものが出来ん。
後悔する形で人生を終えなくてはならなくなる。
自然冷却なんてのは僕は嫌いだな。
何歳になっても夢を持っていなくてはね。君たちはまだ昇温過程で、焼結過程にも入っていない。
喩えるとすると、やっとバインダーが飛散し、焼結が始まる前の膨張段階かな。
バインダーと言うのは成型には不可欠だが、焼結には邪魔ものだ。かっては必要だったものが、次のステップに移る時に障害となることがある。
人生も同じだよ。
そのものとは時には環境であり、時には人であり、時には物品であったり、様々だがターニングポイントを境にそういうことがあるんだよね。
平地では重要でそれが無いとやって行けないと思った環境や経験も、登り坂では逆にそれが重荷となり、それを廃棄したり否定してかからなくてはならなくなる。
そんなことが山ほどあるんだよ人生には。P型半導体のPはポジティブと言う意味だよ。我々が製造販売しているのはポジティブタイプの焼結半導体だよ。わははは。所でキープ時間はあとどのくらい残っているのかね?」
「あと五分位です。後は頑張りますのでお帰りになって結構ですが。」
とは言ったが、
「部長はどうしてこの会社で働くことになったのですか?」
とは聞かなかった。
 それを聞いていたら、降温パターンに入ってしまうだろう、と思ったからだ。
「邪魔かな?」
「いえ、そんなこと有りませんけど。」
「それならもう少しつきあってあげよう。」
「薄君、焼結体を顕微鏡でみたことがあるかな。実に見飽きない姿をしているよ。」
「ありません。一度見たいと思っていますが顕微鏡が無い様なので、…、どの様な形しているのでしょうか?」
「ひとつが数ミクロンの大きさの結晶がぎっしり詰まっているんだよ。その計算でゆくと十ミリ径、厚さ一ミリの円板に詰まっている数は百億個に達するんだよ。それらが単に詰まっているだけでなく、隣同志強く結合しているんだな。その結合の仕方や結晶粒子の大きさによって特性が決まってくるんだよ。」
「凄い数ですね。………、アッ、ちょっと温度パターンが順調にいっているか見てみます。」
と、晃一は記録計を覗きにいった。
「あっ、外れている。しまった。調整しなくてはいけないな。」
と言いながら、電源盤の扉を開いてタップを切り替え始めた。
そして数分様子を見ていたが、
「しまった、もっとずれちゃった。」
何度も何度も操作を繰り返していたが、どうもうまく行かないようであった。
 見かねた渡辺部長は、
「薄君こういう時は落ち着かんといけないよ。ほら夜食だよ。食べておいで部屋で。誰もいないから大丈夫だよ。炉は僕が見ておくから。」
といった。晃一は、
―――ここは素直に従うしかない、
と思い、
「いいんですか? 本当にすみません。」
と言い残し居室へ行って、部長差し入れの夜食をほーばった。そして十分もたたないうちに、炉室に戻り、
「元気が出ました。有り難うございました。温度パターンはどうですか?」
と言いながら温度記録計を覗いた。
完全に設定した温度パターンにのっていた。
「さあ、これで大丈夫だろう。じゃ、僕はこれで帰るよ。頑張ってくれよ。」
と、涼しい顔をしていた。
―――この人は単なる管理職ではないな。
そんな感じを受け、一層尊敬の念が深まった様に感じた。

   〜〜〜 つづく 〜〜〜