西方流雲(5) <<< 7.根無し草 >>>
天井の木目を見つめる度に、木目が何故平行でないのか不思議になる。 板が最も効率よく沢山取れるようにするには丸太を長さ方向に沿って、切って行くのが最も良いはずで、そうだとすれば木目は平行になるはずで、木目同士が会合し、一本になっているなんてことは無いはずなのに、晃一が見つめている天井の木目は大きな半楕円軌跡を描いている。 枝の出ていた部分であれば閉じた円や楕円になるはずだし、その場合は長径でも板幅に比べかなり小さいはずである。 そんな脱線もしながら思いを巡らすものだから何時になっても考えがまとまらない。 そのうち穴があいてしまうのではないかと思うほど天井の木目の軌跡を繰り返し繰り返し追い回している。 会社から帰ってから何かしら黙考しているこのごろである。畳の上に横たわり、腕枕をしながらである。 ふと、「里」という言葉がどこからか現れて木目の一部に引っかかって止まった。 鞍馬寺を過ぎて花背を通り過ぎて、出会った村落は俗っぽさの微塵もない絵にもなりそうな光景であった。 薄くセピア色に染まった光景となって晃一の胸に格納されたようだ。 そのセピア色に染まった光景の中に閉じ込められた、例の出来事も考えがまとまらない一つであったが、それ以上に考えがふらふらしているのは、自分の今の状態に対する物足りなさの打破に対する具体策であった。 自分がこの会社で何が出来るのか、という自問に対する解が見つからないのだ。 自分のこれからの行動を導いてくれるガイドが欲しいと最近特に感じている。 晃一にとってはアクションガイドの内容を問題にする前に、アクションガイドを持っていないことが自分ながら情けないと思っていた。
十一月第二、第三の日曜日は、関西地方、特に京都、箕面等の紅葉シーズン真っ只中の休日で、人で溢れんばかりの雑踏となる。しかし、その紅葉の鮮やかさは、その雑踏を忘れさせるもの、として有名であった。 その第二週が今度の日曜日で、晃一等は今回は、箕面に行くことにした。女性軍はさざえと石井さんが一緒に行くことになっていた。 会社からの帰りに本屋で買ってきた25万分の1の東海道地方道路地図を買ってきた。 その地図の西南端に伊丹市があり、西北端には若狭舞鶴、東北端には長野県恵那郡、東南端には豊橋、二十五万倍にこの地図を引き伸ばすと実際にそこまでいくのであるが、晃一は、どうして、片隅のごく狭い領域にのみしか、相談の対象とする地域が載っていない地図を買ってきてしまったのか、不思議で仕方なかった。 その地図を畳の上に広げ、尾崎、戸津、斎田との四人で相談していたが、不思議なことに、誰もそのことにけちをつけなかった。 むしろ、戸津などはその視線を彼の出身地である名古屋の方に向けたりして気を散らしていた。 ところが、突然尾崎が、畳の上に広げられた地図の一点を指差しながら、「やっと分かったよ、薄がこの地図を買ってきた理由が。」 と、如何にも納得した顔つきで晃一の方をみながら、その理由について、解説し始めた。 戸津が、「尾崎が指差している地点を見つめながら、「なんや、京都やないか、それがなんやて?」と興味なげに言った。 それを制する様に、「よく見ろよ、京都のどこと書いてある?」と今度は斉田の方を向いて言った。 斉田の口から、「花背、大布施だって」の言葉に晃一は驚いた。 事情の知らない斉田は「それがどうしたんや?」 とまるで興味の無い返事。 しかし晃一は尾崎に向かって「その地図は今度の正月の帰省は、十二月初めに免許証がとれるので、その地図を便りに今度の正月ドライブをして東京に帰ろうと思っているんだよ。」と、とぼけた。 すると、尾崎は晃一のそんな言い訳には全く無関心に、「伊丹市と箕面市を結んだ直線上に例の花背があるなんてなんだか謎めいているな」と今度は半分独り言のようにつぶやいたのが聞こえた。 「全く尾崎は考えすぎなんだから」と言った当の晃一こそ、考えすぎにならざるを得なくなるのは箕面から帰ったあとの話になるのだが、またまた不可解な出来事が晃一の身に起こるのだろうか?
<<< 8.池田市呉服町 >>>
晃一は東京の人間だったので知らなかったが、箕面は紅葉のシーズンになると、紅葉狩りをする観光客で溢れかえる、ということをシーズン間近になった十一月の初めに知った。 「皆で箕面に紅葉狩りに行かないか。」と提案したのは斉田だった。そして、 「全行程歩きにしよう。」と提案したのは尾崎で、「猪名川の土手を歩いてゆこう。」と追加提案も忘れなかった。 晃一が、「どうして?」と聞くと、「こないだ猪名川べりの土手に祀られていたお地蔵さんの中に、見事な格好をしたもみじの木が、そのお地蔵さんに被さる様に植えられていたのだけれど、あれが紅葉したところを写真に撮りたいんや。」とのことだった。 猪名川の土手に、何体かのお地蔵さんが祀られていることは晃一も知っていた。 晃一が入社した年の最初の春四月、晃一は一人で猪名川の土手沿いを散策したことがあった。その時、お地蔵さんに気がつき、土手が出来る前、河が氾濫し、小さな子が濁流に飲み込まれ、幼い命が犠牲になったのかもしれない、などと思ったのだった。 晃一はその散策を猪名川に沿って北上し、北伊丹の側を過ぎ軍行橋(ぐんこうばし)までいったのだが、その橋を過ぎて更に北上すると池田市に入り、さらに五月山方面に向かうと箕面に至るということを帰ってから地図を見て知っていた。 斉田は歩いてゆくことに賛成することは間違いないが、誘う予定にしている橋田、石井の女性軍がなんと言うかだ。 しかし、結局彼女等も大賛成し、しかもサンドイッチまで作って来てくれることになった。 そして朝七時に出発することになり、その朝がやってきた。
会社の建物から最も近いところに、土手に上がる石段があった。土手の斜面に緩やかな傾斜で作られた階段を上がったところに、彼らの集合場所があった。 最初に現れたのは斉田であった。そして斉田が手をかざして北の方に目を遣っているところへ次に現れたのは尾崎であった。 手にはカメラと三脚を持っていた。 そしてカメラのキャップを外して何かを撮影しようとしているところへ現れたのは女性二名だった。 彼女らの三十メートルあとを歩いていた晃一の目には、如何にも尾崎が彼女等の写真を撮るように見えたが、斉田が、 「未だに咲いている紫陽花は珍しいな」というのが聞え、そうか、あの紫陽花を撮っているのか、と合点が行った。 晃一も前年四月に猪名川べりを散策した時に気がついていたのである。紫陽花は晃一が昔から好きな花の一つであった。 なんとも言えない青紫の色が神秘的で良いのであるが、それだけではないような感じもしていた。 晃一が子供の時に住んでいた吉祥寺の自宅の庭に、植えてあったからかも知れない。 自宅の庭の前に大きな二階建ての建物が建てられ、急に陽があたらなくなったときにも、紫陽花だけが何事もなかったかの様に例年と同様に綺麗な花を咲かせていたのを覚えていた。 また、晃一の父が、「紫陽花ほど増やすのが簡単な花はない。挿し木でいくらでも増やすことが出来、この庭一杯紫陽花の花で埋め尽くしてしまうことも可能なんだ。」 というのを何度も聞いているうちに、いつか自分の家の庭は紫陽花畑になるのかも知れないという幻想を抱いていた。 そんな子供の頃の思い出があったためかも知れない。 その様な思い入れがあり、晃一もそこに紫陽花があることを覚えていたのだった。 それにしても十一月中旬になっても花を咲かせている紫陽花を晃一も目にしたことはなかった。 晃一が丁度石段を登り始めたときに、今日のもう一人のメンバーである戸津が小走りにやってきて、晃一に追いつき、今日の全メンバーが揃った。
猪名川は、兵庫県川辺郡猪名川町にある大野山の山中を源流とし、ここから流れ出した水はまわりの水を集め、やがて川となり、渓谷を下っていき、北から南へと、兵庫県・大阪府の市や町を流れ、箕面川や千里川などのいくつもの支川と合流しながら、淀川河口に流れ着き大阪湾に流れ出る河で、南下するにつれて汚い河となって行くが、土手から見た猪名川はあくまでも滔々と流れていて、汚濁してゆく前途を持っているとは、晃一には思えなかった。また思いたくなかった。
尾崎が、早速カメラを三脚に据えて、 「さあ、皆揃ったし、出発点で写真を撮ろうや。」 とその日の最初の提案をした。 すると、斉田が、「そういえば、入社式の日には写真撮らへんかったな。」 と言ったが、その心を晃一は分からないでいたが、次のさざえこと橋田英子の言葉で意味が分かった。 「うち、仁田課長に言ったんよ。記念写真は撮らんでええの?と、そうしたら、桜の季節になったら三田の千刈水源地で歓迎会開くつもりや、その時で良いやろ、と言わはったんよ。」 ここに集った六人の内、五人が、あの二階の事務所ではじめて顔をあわせたんだっけな、と晃一は独りごちた。 その猪名川の流れに逆行する様に、彼らは北に向かって歩き始めた。 土手には様々な低木や草が生えていたが、いずれも、その葉を黄や赤に染めていた。 途中尾崎が気にしていたお地蔵さんのところで、写真を撮ったり、一服した以外は単調に一路北に歩を進め、午前九時頃には軍行橋に辿りつき、その橋を渡り、猪名川の東側の土手に沿った道を歩くことになった。 この軍行橋(ぐんこうばし)を渡る直前の猪名川の西側の土手と、軍行橋と、軍行橋を渡りきった橋の袂にあった茶屋とのワンセットの光景は、何故か晃一の胸に焼きつき、その後数十年経っても夢にも現れる光景となるのだが、そのようなことは、実際に時を経て気がつくことであり、同僚たちと箕面へ紅葉見物に行こうとしているこの時の晃一には予想が出来ることではなかった。
軍行橋は、1911年(明治四四)年11月19九日に猪名川を挟んで約一万人規模の陸軍大演習が行われ、この演習のために橋を架けたのが橋の名の由来という話があったが、丁度晃一が軍行橋を渡ったその日も不思議なことに、丁度60年後の同月同日だった。 そのことを知っていた斉田が、 「この橋を渡る時は全員一列になって、行進するように整然と渡ろうや」と、この日第二の提案が出され、全員がふざけ半分でそのようにして橋を渡ったのだった。 そして、その橋を渡って五百メートルほど北に歩いていったところに呉服町という地名表示があり、それを見た晃一は、 「こんなところに呉服町というのがあるとは面白いね、少し手前には神田町というのがあったし」と呟いた。 それを近くを歩いていたさざえが耳にして、 「神田、呉服町なんていうと、なんか東京に居るみたいやろ。」 と晃一に向かって話しかけた。 そして、石井女史が、「呉服屋も沢山あるんやろか?」 などと全員が「呉服」という言葉を発していたところに、すこし後ろを自転車に乗ってゆっくり近づいてきた中年の女性が、追い抜きざま、晃一らに、 「ここは、『ごふく町』ではなく、『くれは町』と言うんよ」といって通りすぎていった。 「呉服と書いて、なんで『くれは』と読むんや。『くれ』とは読めても服を『は』と読むなんて無茶やわ」と石井女史が晃一に同意を得るような目つきつぶやいた。 その地名の謂れは後に呉春という池田市産の日本酒との関係で知りえることになる。 そして更に少し歩くと、十字路があり、そこを右折すべきか、直進すべきか全員が迷い、右折賛成三名、直進賛成三名と割れてしまった。丁度十字路の角に和装店があるのに気づき、そこで聞いてみることに全員が賛成した。普通であれば、呉服屋という感じの店であったが、しかし『くれは』という読み方を知り、『ごふくや』とは発音しにくかった。 晃一と石井女史とで聞きに行くことになった。 店に近づいて行くと、店は横開きの扉が半開きになっていて、ガラス戸越しに、やや薄暗い中の様子が少しづつ見えるようになってきた。 店内に陳列されている品物は確かに和服が多かったが、必ずしも和服だけでなく、洋服も陳列されていた。しかし他の陳列されている服とは異なり、かなり不自然な陳列のされかたであり、いかにもつい先ほどそこに陳列配置されたばかりの様に見えた。 晃一らが店の中に足を踏み入れた瞬間は、中の薄暗さのせいで気がつかなかったが、その洋服は、晃一にとって見覚えのある形、柄であり、濃い紫色のビロード地のロングスカートであり、その上に真っ黒な色をした山高帽がこれも無造作に置いてあった。 それを目にした時の晃一の驚き様に、石井女史は一体何事があったかと、晃一のことを怪しむのであった。 まもなく、店の奥から七、八十のおばあさんが出て来て、「おいでやす」という代わりに、 「何か、御用でっしゃろか。」と晃一達に話しかけてきた。 晃一は、「箕面まで歩いて行きたいのですが、そこの十字路を直進したら良いのか右折したら良いのか分からなくなって教えていただこうと思っているのです。」 その老婆はそれを聞き、「本当に、あの子の言ってた通りや。ということは神社の方へ行く道を教えてあげろ、ということやな」と晃一らには聞えないような声で呟いてから、「そこの十字路は直進して、直進して行くと阪急電車の鉄橋が見えるので、その直前の道を左折して、くれは神社まで行くんや。そこの境内に詳しい地図があるので、それを見て行きなはれ」 「分かりました。有難うございました。」と晃一は礼を言い、その店を後にした。 店から外に出て、残りのメンバーの方をみて、晃一は「直進して、阪急電車の鉄橋の直前の十字路を左折して、神社を目指すらしい。そして、神社をめざせだとさ。・・・・・あっ、しまった神社の名前を忘れてしまった」 と、石井女史を振り返り、頭をかきながら報告した。 ところが驚いたことには、待っていたメンバーのうち尾崎が代表して、「くれは神社やろ、次の次の十字路左折や、じゃいこうか」と全員同じ方向へ歩きはじめた。 「えっ、どうして知っているの?」 「薄たちが戻ってくるのを待っていると、近所の人らしい女の人が通りかかって、教えてくれたんや。」と尾崎が教えてくれた。そして、「さっきの人、変わった雰囲気していたで。それに話かたがたどたどしい日本語で、少なくとも関西弁ではなかったで。」と、橋田英子が続いた。 さらに戸津が、「さっきの人は、薄達がさっきの店に入ったのと同時にその店から出てきたように見えたけどな。」と晃一が持っていた黒いナップザックを眺めまわしながら言った。 そして、最後に斉田が「さっきの女の人赤いナップザックだったけど、薄という文字が書かれていたで。あれは絶対地元の人間ではないで。とにかく、くれは神社に向かおう」と言っている間に、左折すべきと思われる十字路にきていた。 それほど広く無い境内にたどりつくと、最初に目に飛び込んだ案内板は、くれは神社の由緒が書かれたものであったが、晃一にとってそんなことはどうでも良いことであり、地図を探すことが先決であった。 結局、神社の建物の陰のあたりに東西一キロメートル、南北五百メートルの地域の地図が表示されていた。 六人はその地図を思い思いの形で頭にたたきこみ、その神社を後にした。 ところがそうは行かず、晃一のみがそこで足止めをくらってしまったのであった。晃一の網膜に残像したのは地図ではなく、 飛天の姿であった。 しかも、那智で目にした壁絵に吸い込まれていった飛天の動画像であった。 そして飛天が身につけている衣の絵柄が残像したのであった。 紫色の半透明でノースリーブの衣を着けていた。 その衣には李の花が腰部あたりをぐるっと一周り模様づけされ、両腕は四輪づつの、両足は二輪づつのリングに通されており、首には青紫色のラビスラズリを貫通したネックレスをつけ、頭には宝冠を被り宙を遊泳している。 両腕にはまった四輪のリングには、亀、龍、虎、鳳の姿が彫られていた。また、ラビスラズリから発せられる怪しい光は、晃一の網膜を貫通し、直接脳裏に届く強烈な刺激を与え、自分の存在を忘れさせる催眠状態を誘起させる様だった。 飛天はさらに楽器を手にしていて、奏でる曲は心に滲みる極めて心地良いものであった。 首から胸、腰、足へとからまりついた青地のショールがたなびいて、晃一自身、澄んだ気流の中に身を任せているような錯覚に陥った。 そして飛天がその画面から飛びだし、晃一の肩越しに飛び去って消えて行った。 そのとき飛天の素足のつま先が晃一の右肩に触れたのだったが、その時のタッピングの感覚が何時までも持続していた。同時に「薄、薄、大丈夫か?」 という何人かの声が聞えてきた。 「薄、何やってんや。いつのまにか居なくなったりして。」 「ずーっとここに居てはった? 顔色が良くないみたいや。大丈夫?」 尾崎とさざえの声が背後から聞えた。 五月山方面に向かうと箕面に至る。 しかし、その五月山公園入り口の僅か手前のところで晃一のことを気遣った彼らは箕面の紅葉狩を断念することになった。 戸津が、晃一を気遣って、「俺、今日は大事な用事があったのを忘れていた。帰らんといかんわ。」 そして今度は尾崎が、「俺もや。」と続け、斉田が「薄、悪いけどそういう訳や。 今日はこれにて退却としよう。」とこの日最後の提案をした。 帰途、例の和装店のあった十字路に差し掛かった時に、石井女史が、「あの店で、冷たい飲み物買ってくるので待っててや。」と小走りに去って行った。 まだ少し朦朧さが残っていた晃一は、その後ろ姿が向かう先にけだるく目を向けた。そして独りこちた。 「おかしい。確かあそこには和装店があったはず。なくなって代わりに酒屋が。しかも一緒にそこへ道を尋ねに行った石井女史は平然としている。自分は夢を見ていたのか。連中が自分を見る目つきがおかしい。一体自分に何が起こったのだろう。」
<<< つづく >>>
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