槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2007/12/13 22:39:37|物語
西方流雲(10)
   
         西方流雲(10)

     <<< 13. 戸津君の退職  >>>

 高橋課長の存在は晃一にとって追い風である。しかし、だからといって他の人にとっても追い風になるとは限らない。むしろ、逆風になる場合の方が多いかもしれない。
 晃一は最近、職場での戸津と高橋課長のやりとりで、戸津が、
「課長!僕はそうは思いませんけど」
とか
「課長!それは違うんじゃないですか?」
と言っている事が多い様に感じ、気になっていた。
 晃一は高橋課長より戸津との付き合いの方が長いことや、常々、戸津の優秀さを認めていたので、戸津の言っている事の方が正しいように思えて仕方ないのだが、見方によっては、唯物論と唯心論の違いの様でもあり、性善説と性悪説との違いのようでもあるようで、アクションガイド を持たない晃一には、話に割り込むきっかけがつかめず、戸津に加勢したくてもどうしようもなかった。
しかし一方では高橋課長から仕事以外のいろんな話を聞くにつれて高橋課長の言っていることも、一理有るように思えることがあり、しっかりした自分の考え方を持てない自分が情けなくなるのだった。

 2月25日木曜日であった。
会社から戻って給料袋をあけてみたら、28000円の手取りであった。
ドアをノックする音が聞こえた。尾崎かなと思ったら、戸津の声で、
「薄、外に食事に行きへん?」
との誘いだった。晃一は、
「いいよ、連中にも声かける?」
といったが、
「連中は何時に帰ってくるかわからないし、帰る途中何処かによってくるか分からないから、今日は二人だけでいいよ。」
 戸津にしては珍しい事だった。薄がどちらかと言うと小人数で密度の高い話をする方が味があると思っている傾向があるのに対し、戸津は逆に大勢で、がやがややるのが良いとするタイプだった。
それだけに、なにか特別の話があるな、と感じた。

寮を出ると、何故かオリオン座だけが雲に邪魔されず頭上にはっきりと見えた。
 はく息は白く、ジャンパーに腕を突っ込み前かがみ気味に、寒さをかき分けて坂道を上り、産業通りを突っ切り、路地みたいな細い道をぬけてアーケードとなった商店街に出た。
 給料日とあって、福よかな顔をした人たちが同じような格好をして行き交った。
 その中に、石井さんら女子寮に住む人たちの姿もあったが、戸津は軽くうなずくような格好をして、
「又ね。」
と言って、すれ違った。これも戸津にしては非常に珍しいことで、いつもだったら、
「付き合わない?」
と言うはずなのだ。この様子をみた晃一は何か思いつめているな、と確信した。
 アーケードが終わる少し手前に、向かって右手に小さな路地があり、そのつきあたり近くに、小さなお好み焼き屋があり、二人の足はそちらに向かっていた。
その店は前の年の11月、戸津と晃一が二人で偶然見つけた店で、他の連中には教えないことにしていた。
 後で、その店を切り盛りしているおばさんが、晃一らの会社に勤めている女子社員のお母さんということが分かったのだが、そんなことは知らなかったその時はその娘(こ)もごく普通に晃一らのテーブルで手際よくお好み焼きを焼いてくれたのだった。
会社では作業服と作業帽を着ている為、また晃一らの職場からは事業部も異なり、普段は全くと言ってよいほど交流が無いので目立たず、晃一らの仲間がふざけて、女子社員の品定めをする時にも一度も話題に上がった事の無い娘(こ)だった。
その店に初めて入って、お好み焼きをつくってもらった時は、同じ会社の社員だと言う事はお互いに分からなかった。
ところが、ある日、仕事で、ある治具を作る為に必要な工作装置が手元になく、その装置があると聞いた紡績事業部に足を運んだ。
 思ったより屋根が高く、沢山並んでいる機械が、同期して動いているわけではないので、全体としてザーっという音がするのだが、機械のそばを通り過ぎる時は、かたかたと早いリズムで糸を送る音が聞こえる。
 また紡績の独特の、もやっとした頬をなでるような香りのする中をくぐり抜けて、薄暗いその建屋のすみまでくると、事務机の前に座っていた、めがねをかけた初老の社員が、晃一の方に向いて、
「薄はんかいな?」
とにこやかに声をかけてきた。
 めがねの奥のまなざしはやさしげであった。晃一は、
「はい。先ほど電話させていただいた薄です。お忙しいところすいません。沢井さんですね。」
「そや。あの機械は、最近いれたばかりだけど、まだ殆ど使ってないんや。沢山つかってやってや。」
「何に使う予定なんですか?」
「言って良いのか、分からへんけど、社長の話では、もう、繊維事業をやめるんやて。それで旋盤の扱いくらい勉強しておきと社長に言われ買うたんや。わしはこの工場の責任者だから、わしが先ず率先して新しい機械を操作しているところを若い者に見せ、意識の改革を促せと言うんや。あんたみたいに新しい技術持ってる者はいいけど、うちらみたいに繊維しか知らん者にはしんどいことや。
あそこの間仕切りしてある一角に置いてあるんや。あとで使いかた教えてや。」
と寂しそうに言った。
晃一は学生時代に工作実験で旋盤は扱ったことがあるので、その機械を使う作業は難なく終わり、沢井工場長にお礼を言いに行った。工場長は何故か一点をじっと見たままで、晃一が近づいたのに気が付かなかった。
「どうも、有り難うございました。終わりました。」
と声をかけると、
「さよか、うまくいきはったかいな?」
と、言い終わる頃やっと、晃一の方をむいた。そして先ほどと同じまなこで、
「薄はん、あそこで立ち働いている若い女子工員みえるやろ。あの子を、色で喩えるとどんな色だと思うやろか。」
 晃一は、なるほどじっとみていたのはあの娘か、とわかり、
「少し遠いのと薄暗いのとでよく見えません。」
と正直にいった。
 沢井工場長は「そうやな。」で会話は終わるかと思ったが、
「ほんなら、近くによって何気なく見てきなはれ。」
と言った。
 晃一はそろそろ自分の職場に戻らなくてはいけないと思いつつも、興味にかられ、
「それなら、戻るついでに、なにげなく見て、後で報告します。だけど大切なことなんですか、これは?」
「多分そうやな。そう思っときなはれ。」
 晃一はもう一度、沢井工場長にお礼を言い、自分の職場へ戻るついでに、まじまじとその子の顔をみて驚いた。なんと、例のお好み焼き屋さんの娘だったのである。その娘も気が付いたらしく、一瞬視線があった時、相手も微笑んだ様な気がした。職場に戻った晃一は沢井工場長に電話をかけ、「先ほどは大変有り難う御座いました。ところで色の話ですが藍色でどうでしょうか。ところで彼女、名前はなんと言う人ですか?」
「そうか、藍色か、それもいいな。あの子は坂本幸子というんだよ。夕鶴みたいな子でな、時々ふわっといなくなる様な気がする時があるんや、ほんまに。…・暇なときにまたこちらに来なはれ。」

そんなことがあり、お好み焼き屋のその娘(こ)の名が坂本幸子ということが分かったのである。
その店の暖簾を二人でくぐり、狭い店内を見回してみたが、彼女の姿は見えず、お母さんの方が忙しそうに立ち働いていた。
 六つある四人がけで、調理台に最も近いテーブルに晃一と戸津は対向するように座った。
「おいでやす。」
「すみません、ビール中ビン二本」と晃一が注文すると、
「さっちゃん。こちらのお客さんに、おビール二本お願いね。」と奥に向かって呼びかけた。
 いつもであれば、このへんでウキウキしてくるのだが、戸津の様子が少しおかしいので少し抑えて、戸津の方を正視し、晃一から切り出した。
「さざえが帰ってしまって寂しくなったよな。」
「…………………」
「さっちゃん、毎日ここで手伝ってんのかな。」
「…………………」
「戸津、どうしたんだよ、元気ないぜ」
「……・・、会社辞めようと思うんだよ。」
「突然、驚かすなよ。冗談だろ、決心しちゃったわけではないだろうな。」
「薄はあの課長と気が合うようだけど、俺はだめだ。うまくやっていけそうにないよ。」
「なんだ、そんな単純な理由か。戸津らしくないな。」
 そこへビールを運んできたさっちゃんが、にこやかに、
「いらっしゃいませ。何か他にご注文はあります?」と聞いた。
「さっちゃん、て言うんだよね。ほら、こいつも同じ会社だよ。戸津って言うんだよ。なんか今日元気ないんだよこいつ。だから、こいつの元気が出るものならなんでもいいよ。何かある?」
「うちはあまり品数がないんです。この中から選んでくれはる? ほな戸津はんの為にうちのおごりにしますから。他にまだお客さんいないから大丈夫やわ。」
「いいんだよ、そんなに気をつかわなくて。」
「折角だよ。何か頼めよ。戸津」
戸津は、思いつめた様な形相で、
「そう、そしたら、さっちゃん握手してくれへん? それを伊丹の思い出にするよ。」
そっと差し出したさっちゃんの透き通る様な肌の左手を戸津は両手で包むようにして握った。二人はどんな気持ちで握手をしているのだろう、と考えていると、
一部始終を 見ていた彼女のお母さんは、
「あらまー、戸津はん。その子気に入ったら、お嫁さんにしてやっておくれやす。」
と冷やかした。
「いややわ。お母さん。助けて薄さん。」と晃一の方を見つめて助けを求める様な声を出した。しかし、
「でも戸津さんの手は温かくてやさしい。元気だして戸津さん。」と付け加えることを忘れなかった。その一言で、戸津はすっかり明るさを取り戻し、会社をやめることなど忘れてくれたかなと思わせるような冗談を言い合った。
 お好み焼きを二人で五枚、ビールも二人で五本あけた頃には店も混んできたので帰ることにした。
 さっちゃんは店のそとまで見送ってくれて、
「おおきに、また来てね。それに戸津さん、元気出してね。」
と、今度は彼女から握手を二人に求めてきた。
冬の夜空は出掛ける時より、はるかに晴れていて、オリオン座だけでなく、それを取り囲む多くの星達もはっきりと見えていた。
 身震いをしながらその下をくぐりぬけて早足だったが、寮に着いたのは夜十一時半を過ぎていた。
晃一は早速布団を敷き、掛け布団を頭まで被って、先ず戸津が考えを撤回したかどうか、自分の胸に問いただしてみた。
そして次にさっちゃんの透き通る様な肌の左手を思い出していた。
 何故左手だったのだろう。
 自分と同じ左利きだったのだろうか。
 それより薄という自分の名前を何故知っていたのだろう。
 戸津は一度もあそこでは自分の名前を呼んでいなかったはずだ。 沢井工場長から聞いたのだろうか。
 そう言えば彼女がエプロンの下に着ていた服の色は藍色だったような気がする。いや、それとも古代紫色だったかな。
等と自分の胸に問うのであった。
しかし、それ以上に胸に深く刻まれたのは、紡糸工場で働く姿と、今日の晃一らに対応する俊敏な機転の効いた対応をする彼女の姿のギャップの大きい事に驚かざるをえないことだった。
 まるで目立たない様に黙々と作業をこなしている会社での彼女と、店の看板娘とでも言える、明るく、機転が効く明るい声で晃一等に応対する彼女が同一人物とはとても思えなかった。
 きっと何かしっかりとした生き方の指針を持っているのだろう。
 それに比べ自分はどうだろうとまともや情けなくなる晃一であった。

 しかし、戸津は翌日辞表を高橋課長に出したらしいのであった。

何かを求めていると一見して見えても
当の本人にしてみれば細い糸をたぐりたぐり、
その糸の端にたどり着こうとしているのだ
糸の端など人生にはあろうはずも無いのに

 戸津の決心は固く、撤回の余地など全くない事が分かってきた。晃一は説得不可能とみて、戸津の為に同期の仲の良い仲間で送別会を開く事にし、尾崎、斉田と打ち合わせ始めた。
 一年後輩の別所と倉井、更に一緒に京都や神戸に出掛けた石井さんや内村さんも誘うことにした。

         <<< つづき >>>







2007/12/13 22:12:21|物語
西方流雲(9)
          西方流雲(9)

    <<< 12.もーれつ課長  故高橋素基課長に捧ぐ >>>

 晃一の仕事はサーミスタの開発へとテーマが変わった。それまではフェライトメモリコアの開発で、その頃、フェライトメモリコアの製造経験のある高橋課長が単身で赴任し、晃一の直接の上司となった。
 この高橋課長はフェライト材料メーカから電子顕微鏡メーカを経て、東京に家族を残し単身で中途入社でやってきた人で、従って、晃一達と同じ寮にいる。
 年齢は良く分からないが、戦争中の体験談をよく聞かされることを考えると五十前後の人と思われる。
 単身で赴任と言うのは実はそれほど正しくなく、愛車のグレイのカローラを持ってきているのである。

晃一にとってやりきれないのは、戦争に駆り出され、満州では強奪、強姦を平気でやったと言う話を聞かされることだ。
 戦争でいつ死ぬか分からないという状況の異常な精神状態では、ついつい人間の本能が出てしまうものかもしれないが、その様な規律さえも守れないのでは、もともと勝つ資格も無かったのだ。
 宮本武蔵は厳流島の決闘で、小次郎が刀を抜いたあとの鞘を、戦う前にすててしまったのを見て、「小次郎敗れたり」と言ったそうだ。
 もし勝つ自信があれば戦った後に使った刀を収める鞘が無くては格好が付かないし、武士の作法としても問題である。それと同じで、もし本気で戦争に勝つつもりで、戦争後、その地域を統治しようと思うならその地域に根差す民衆に慕われなくてはならない。強奪、強姦などもってのほかと言える。

そうかと思うと、時たま毛沢東語録が出てきたりする。
晃一が昨年末に落ち込んでいる時、
「青年は八時、九時の太陽である。」と言って励ましたりする。かと言って、前居た会社で労働組合から糾弾されたときのビラを大切にとっていたりする人でもある。仕事のやり方も独特のがむしゃらなやりかたをする。
無茶なやり方をすると言った方が良いかもしれない。
 ある時、仕事で使う大型乾燥機が動作しないことがあった。その装置のコードがコンセントに差し込んであるのだが、もしかしたらコンセントまで電気が来ていないのかもしれない。
ということになり、晃一が
「テスター探して来ますから」
と言うと、
「いいよ、それより、そこにある針金とってくれないか」
と高橋課長が言うので、何をするか分からないと想った晃一は、
「それで、ショートさせて調べてみるなんて駄目ですよ、課長」
と言った。すると高橋課長は、
「まあ、似たようなものだが、そんなことやったら全体が停電しちゃうかも知れないよ。」
と言いながら、受け取った針金を二つに繰り返し折り曲げて2本に切った。そしてその二本の針金を箸を持つようにしてもち、その先をコンセントの穴に突っ込みながら、
「人間テスターだよ。これなら停電しないだろう。....」
と言って一息おいてから、
「うん、ちゃんと来ているよ。そうしたらここまでは大丈夫だ」
と、けろっとしているのである。更に、
「二百ボルトだったらもっとはっきり分かるのだけどな」
と言ったものだった。こんなことは朝飯前だよ、と言いたげな感じであった。

 若い女の子に対するPRも抜け目がない。どういう風に話をつけたのか分からないが、会社で使う自分のユニホームを洗濯してもらうことになったのだそうだ。
 晃一らのいる寮と同じ敷地内に、接する様に、社外の女子寮がある。そのせいか男子寮の住人に双眼鏡を持っている人が多いと言う噂である。
 晃一の部屋からは女子寮の出窓が見えないが、廊下を挟んだ反対側の部屋からは出窓が良く見え、干される洗濯物も見えるのだそうだ。
それほど近いところに有りながら、男子寮と女子寮の交流は年にたったの一回あるだけで、その他は禁止されていないのに交流がないのである。それが勿体無いと感じた高橋課長は、その女子寮に住んでいる職場の女子(こ)に声を掛けて、
「あんた達、職場の男子が汚いユニフォーム着ているのを見ていてどう感じる?」
と何気なく聞いたらしいのである。
すると、その女子(こ)は、
「洗濯するのが面倒なんだと思います。仕方がないんやないやろか。」
また、その側にいた他の女子は、
「不潔やわ、うちはそう人いややわ。」
と言ったらしい。
 高橋課長はある日、寮の自分の部屋に晃一や尾崎らを招待し、レッドをご馳走してくれながら、この話をしてくれたものだった。そして、その時、更に、
「君たちどちらの女子がいい? 自分の嫁さんにするなら。どちらの答えをするかで、思いやりのある娘か、自分中心の娘か分かるんだよ。」
と続けた。これに対し、少し酔った尾崎が、
「でも、困るのは、えてして美人に限って、だいたい、その自分中心なんだよな」
と少しからんできた。それを受けて晃一は、
「ということは思いやりのある娘(こ)は逆にブスだというのかい?天は二物を与えずか。」
と、いつもは使わないブスという言葉を使ってしまった。
 高橋課長は、その娘らに次の様に続けたのだそうだ。
「それなら、その汚いユニフォームを着た男子がハンサムだったらどうする?」
と続けて聞いてみたと言うことである。
そうしたら、おもいやりに欠けているとレッテルをはられた方の娘は、
「すぐ脱がせて、黙って洗濯してあげて、アイロンかけてまた黙って返します。」
と言ったらしい。
 またもう一人の娘は、恥ずかしそうに、
「うちの彼氏やったら、曜日を決めて毎週洗濯してあげます。彼氏いないけど」
と言ったのだそうだ。高橋課長は
「そういうことは彼氏が出来てからやっても、すぐうまく出来るかわからないから、今から練習しなさい。丁度良い相手がいるよ。君たち知っていると思うけど薄君と尾崎君だよ。いかにもずぼらそうだろ。」
と言ってくれたらしい。そうしたらその二人の娘は、
「あのヨンヨン組? そんなことしたらさざえねーさんにおこられるわ、課長。」
といったらしい。今度は晃一の方を向いて、
「君たちヨンヨン組と言うらしいね。聞いてみたら、女子寮では君たち昭和44年に入社した君たちのグループをそう呼んでるんだってね。」
尾崎が、
「それで課長どう言ったんですか? さざえねーさん、もう会社やめているから気にすることないんですけどね。」
と期待をこめて高橋課長に聞いてみた。
 それに対し高橋課長はうれしそうに、
「「それなら僕のユニフォームが試験台になるから是非練習してみなさい。」
と言うことになり、今週の土曜日にユニフォームを渡すことになったんだよ。君たちの分は他の娘に頼んでみるよ。」
とけろっとして言った。
 しかし、程なく、高橋課長は他の女子寮の子達に話をつけ、晃一たちのユニフォームも洗濯してもらえることになったのだ。
この課長はどうもそのことが良い悪いは問題外、とにかく前向きに果敢に挑戦する姿勢が好きらしく、それを一生懸命やろうとしている人間が好きでしょうがないようである。
 変革というのは、複数のそのような人間の行動の結果による出来事であり、そのような形を見るのが好きらしい。
こういう課長が晃一の上司だったから、晃一が労働組合活動をするのに思いがけない追い風が吹いているように感じた。

晃一は、高橋課長が見せてくれた、片手に収まる程度のサイズの表紙が赤い、あの「毛沢東語録」を何故高橋課長が持っているのか不思議で仕方なかった。
 その毛沢東語録を全ての紅衛兵が手にして、村村、町々に標語額をかけてゆき、下放(かほう)を行うことによって三大差別を解消すべく中国全土を駆け巡っているのだそうだ。
 晃一はある日、高橋課長の部屋を訪れ
「三大差別って何ですか?」
と聞いてみた。高橋課長は、小さな白い茶碗にレッドを注ぎ、晃一に差し出しながら、
「まあ、飲みなさいよ。文革の狙いが何かから話さないと分からないし、本当は時代背景から話さないと良く分からないと思うけど、それはさておき、文革の狙いというのは固定した権力に伴う必然的な腐敗、堕落を防止し、平等な社会を如何に実現するかということなんだよ。平等な社会を実現すると言うことは裏返して言えば、差別をなくすと言うことなんだよ。」
「素晴らしいことじゃないですか、それで、その三大差別というのは具体的に何なのですか?」
「何か分かるかな?」
「いや、僕は中国のことは殆ど何も知りません。ただよく母が満州族と言うのは古代から中国を統治してきた漢民族ではなく、凶奴の様な非漢民族で、古代から漢民族に軽視されてきた、といっていたので、少数民族に対する差別ですか?」
「うん、それも含まれているだろうね。三大差別というのは、都市と農村、肉体労働と頭脳労働、農民と労働者の間の差別のことなんだよ。」
「それじゃ、中国共産党の幹部が労働に参加したり、労働者が企業管理に参加するというようなことなんですかね。」
「その通りだよ。薄君。この毛沢東語録はね、読みかたにもよるかも知れないが、生き方の指針、アクションガイドとして使ってみるといいと思うよ。薄君は何か人生のアクションガイドというものを持っているかね?」
「いえ、今のところそういうものは何も持っていません。でも自分にあったものを欲しいと思います。正直言うと、なにか場あたり的な行動パターンしか持っていないように思い、いやになることがあります。」と、晃一は答えた。そして質問を付け加えた。
「課長は満州で戦争をして、強奪、強姦を平気でやってきた人なのに今何故毛沢東語録なのですか?」
「私は、反省していないわけではないんだよ。一時間後にも命がなくなるかも知れない。また、ついさっきまで、仲良く話をしていた戦友が敵の砲弾で、目の前で死んでゆく。そんな場面を目にすると、何か自分の精神を制御する神経が麻痺してゆくんだね。
でも中国人には詫びなくてはいけないと常々思っているんだよ。こうして、自分の精神を制御する神経が麻痺していない状態で、あの時のことを思い出すとぞっとするんだよ。それに薄君は「残留孤児」と言う言葉知っているかな。今、丁度君と同じくらいの年じゃないかな?」
「知りません。何ですかそれ?」
「満州は戦地では有るんだけど、一時は軍人以外にも、そこで生計していた日本人は沢山いて、戦況が思わしくなくなると、満州を去る日本人が沢山出てきたのだが、家族全員が一緒に帰国出来るケースは希で、現地に幼い自分の子を現地の中国人に預けて帰国したり、戦地から急いで逃げ去る必要のある場合は逃げ惑う内に離れ離れになって、結果として現地の中国人に育てられ生きることになった幼い子も沢山いたと言う話なんだよ。
 その様な子ども達を「残留孤児」と言うのだが、そのような残虐なしうちをした日本人の子なのに、預かった中国人は結構大切にしてくれて、成人してきているとの話なんだよ。
 残虐行為をした方が自分の精神を制御する神経が麻痺していて、残虐行為を受けた方が自分の精神を制御する神経が麻痺していないと言うことは無いと思うんだけど、そこがちがうんだよね、中国人は。なにか哲学を持っている感じがするんだよね。そしてその哲学ってのは、一体何なんだろうという興味が湧いてきて、前の会社辞めて失業保険もらっていた時、色々中国の昔の本を読んでみたんだよ。それでも良く分からなかったけれど、たまたま本屋さんの店頭で毛沢東語録を見つけて開いてみると、いい事書いてあるんだな、これだと思ってすぐそれを買って、ほら、こうしてここにある訳なんだよ。」
「だけど、自分が残留孤児と言う事をどのくらいの人が知っているのでしょうね?」
「多分、養父や養母から聞かされていて殆どの残留孤児は知っているのではないかな。」
「文革の例の三大差別をなくそう、という運動も追い風になったんでしょうね。」
「ところが、その逆らしいんだよね。詳しい事は分からないけど。」
「えっ?、それではその養父母はどのような気持ちで残留孤児を引き取って育てたのでしょうね。中国人というのは分からない人種ですね。」
「そこだよ、我々日本人はもっと中国の哲学や歴史を学ぶ必要が有るんだと思うよ。」
「良く分かりました。僕は学生時代にパールバックの「大地」を読みましたが、纏足(てんそく)という変な風習が残っていることと、主人公の梨華、王龍と言う名前を覚えているくらいですよ。」
「そういうのもいいけど、本当は、もっと身近なところに有るんだよ。たとえば、
青は藍より出でて藍より青し、
という故事があるのを知らないかな。あるいは矛盾という言葉があるけど、これなんかももとは古代中国で生まれた言葉なんだよ。」

晃一はこの時点でも、京都峰定寺行きの途中の茶屋での出来事の内、晃一が、その店を後にした後、その店で話題に上った女性が、薄紅と言われる中国人女性らしいということはまだ知らない。
ましてや、この薄紅と言われる中国人女性が30年後、晃一が行かざるを得ない地へ旅する時のガイドになるなどとは予測もつかないことであった。
したがって高橋課長とのこの中国に関する話も、特に身をいれて聞いたと言うほどではなく、翌日、会社での仕事が終わる頃には殆ど忘れているほどだった。

   <<< つづく >>>







2007/12/13 21:45:40|物語
西方流雲(8)
   
       西方流雲(8)

      <<< 10.沖縄のひと >>>

 一月の陽が暮れるのは当然ながら早い。会社から寮へ戻る途中、すれちがう車のヘッドライトが眩しかった。
 寮に着いていつもの様に郵便受けを見ると二通の晃一宛ての手紙が来ていた。一通は「伊達 晃」という宛名になっていて、差し出し主は京都創作詩の会。昨年の11月「京都」という月刊小雑誌を購入した。その中に、創作詩の募集というのがあった。晃一は小さいとき、正確には小学生の頃から、詩を作ることと、絵を書くことが大好きで、たまたま京都高雄神護寺とそこに関わった文覚上人のことを、自分の心境になぞらえて書いた詩があったので、これを2回に亘って投稿していた。
 晃一が作った詩は親が誉めてくれたことはあったが、他人に批評をしてもらったことは無いので、ここらで誰かに批評してもらいたい気持ちもあった。
 投稿者の名前を晃一の本籍地仙台の大名の名、伊達正宗の伊達と晃一の晃をとって、格好をつけてペンネームとして「伊達 晃」を用いたのだった。その二回目の批評がきたのだろう。
 開封して批評を読んでみると、気持ちが強く出過ぎて書き手はよいかも知れないが、読み手はつらいということだった。
晃一は今まで読み手を意識して詩を作ったということなんか全く無かったし、今でもなく、反論したい気持ちがした。しかし、何度もその批評を見ているうちに、
「結局は使う語彙がよろしくない」
ということを言いたいんだなということが分かり、
「やーめた」という気持ちが、晃一の胸の底に沈殿してきた。

他の一通は差出人が田中 勇となった封書だった。
 小学生の時に仲の良かった同じ名前の友達がいたが、それは東京のしかも小学校卒業後全く音信がなく、晃一がここ伊丹にいることなど知る由もない筈だけど、と思いながら封を切ってみたが、三枚ほどの便箋にかかれていた字は女性文字で、
「突然ご迷惑かも知れませんが、私の思いを書かせて下さい。」と書き始められていた。
 どうやら尾崎と同じ職場の沖縄出身の女の子らしい。お父さんは、米軍基地で仕事をしているとのことで、沖縄に関する知識も当然ながら豊富で、新聞やテレビでしか触れる事が無かった沖縄の風情が、文面から生々しく伝わってくる感じがした。
 書き始めは字体が踊っていたが、行が進むにつれて字体が整ってきて、会社との約束で二十才になったので、この三月には会社から退職を勧告されて辞めねばならないとのことだった。

晃一の勤務する会社には多くの沖縄出身の女の子が勤務している。高校卒業後“本土”で集団就職し、希望次第で近くの短大にも行かせてもらっていた。
 晃一の職場には沖縄出身の娘が一人もいないということも有り、晃一は沖縄には変わった名前が多いというくらいの知識しかなかった。しかし、こうして手紙を手にしていると急に沖縄が近くなった気持ちがした。
文面では辞めた後、沖縄に帰るという感じもなく、どう暮らして行くのだろう。
 もし、会社を辞めたあと、彼女が不幸になったら会社はどのように責任を取るのだろう。会社の彼女に与えた仕打ちはどんなに大きいか、
「社員の心をつなぐ労働組合が必要なんだよな。」とつぶやいた。
 しかし、文面を読み進んでいくと、言いたいことはそんなことではなく、晃一に対する想いが綴られていた。
しかし、相手のことは全く心当たりがなく、どの様に返事を出して良いか分からなかった。
 その時、ドアをノックしながら、
「薄、いる?」
との尾崎の声。いることを確認すると、にやにやしながら部屋に入ってきた。
「女の子から手紙もろたやろ。」
「知っている娘?」
と晃一は聞いてみた。
「良く知っているよ。素直ないい子だよ。都会育ちの薄には素直過ぎてもの足りないと思うけどな。つきあってあげてくれへん? 頼まれたんや、よろしく言ってくれ、と。」
「そういうこと? だけど、こう言う対応は極めてへたくそだから傷つけることになっても知らないよ。」
「いいよ、無視しないだけで嬉しいんだと思うわ。…・ところで今年はもう京都行った?」
「行きたいんだけど、まだなんだよ。行きたい所はあるんだけどね。給料もらってからだよ。からっけつだもん。尾崎は具体的に行きたい寺あるの。」
「いや、特にないよ。俺の写真の撮りかたは用意周到型ではなく、場当たり型というのを薄も良く知っているやろ。それに、……」
と突然尾崎はしまったというような顔をして言いよどんだ。
「それになんだよ。途中で止めるなんて穏やかじゃないぜ。」
尾崎は話題を変えねばと焦った。

それは、昨年末、晃一の顔色の悪さを心配したのは尾崎らの友人達だけでなく、会社の仁田人事課長も心配し、もっとも仲が良いと察知していた尾崎を呼び、思い当たることを聞いたのだった。
 尾崎は那智の滝でのことと、晃一から聞いていた京都花背峰定寺へ向かう途中の茶屋でのことを話した。そうしたら、仁田人事課長は尾崎に、
「そうか、じつは会社にも女性の声で、薄君のことについて生年月日やら、出身地やら、へんな話でな、彼の利き手を聞かれたことがあったんや。自分の名前を名乗らないので、そう言う名の社員はいるが、個人のプライバシーを勝手に教えることは出来ない、と断ったんや。そこで君に頼みがあるんや。…・」
「そうでしたか。そんなことがあったなんて知りませんでした。それで頼みというのは何ですか?」
「僕の推理では、京都に何か薄君に関する謎があるような感じがするんや。この間、橋田君に聞いたら毎月三、四回は京都にいっているようやないか。」
「さざえがそんなこと言ってましたか。仁田課長考えすぎですよ。彼は単純に歴史のある京都の風情が好きなんですよ。その内の何回かは私や、さざえだって同行しているし、私から薄を誘ったことだってあるんですから。」
「それにな、寮の舎監さんの話では寮におるはずの無い名が宛先になっていた封書が来ていて、それを薄君が持っていったと言っていたぞ。」
「え,そんなことまで寮生は監視されてるんですか? まあいいです。そして頼みというのは何なのですか、仁田課長。」
「薄君が京都に出掛けようとするときはなるべくついて行って欲しいんや。彼の身に何か起こりそうな気がして仕方がないんや。頼むよ、親友やろ。」
そんな会話があったのを思い出して、尾崎はつい「薄についていかなくてはいけないのや」と言いそうになったのだった。

 晃一は尾崎に、
「それなら今度の日曜日に行こうや。北の方はどう?寒いかも知れないけど、運が良ければ雪を被った庭園が拝めるかも知れないぞ。」
と希望を述べた。尾崎はそんな光景を前から写真に撮りたいと思っていたので、
「いいよ。大歓迎さ。車で行くやろ。」
 尾崎はそう言ったあと、晃一の部屋を出ていった。しかし晃一はその前日風邪をひいてしまい、結局京都へは行けなかった。
 そして、結局行ったのはその年の五月で労働組合の委員長になってからの時期であった。

     <<< 11.さざえさんの退職 >>>

晃一達は飛び立った銀色の機体の窓からこちらを見つめている人がいないか、手を振っている人がいないか、目を凝らして機体の跡を追った。
 晃一は考えてみるとあの時は、とっくに決心していたんだなという想いがした。

ボーリングは晃一の得意科目とは言えない。それは晃一の手首はスナップスローに都合が良く。従って、野球の投球や、テニスのスピンサービス、小さい頃はベーゴマまわしには都合が良かった。
 また、ギターを弾くのも利き手で手首をきかせて弦を押さえるのに都合良かった。これらはいずれも手首の柔らかさとバネ性が必要で、もともと手首が柔らかだったので、これらの科目が得意になったのか、これらの科目を趣味とし、繰り返し訓練することによって、柔らかくなったのかどちらが先か分からない。

学生時代はテニスの対外試合がある前日は、にんにく料理を食べて、ギターを弾くと試合に勝てるというジンクスがあった。手首がうまく回ってスピンサービスが順調になるからである。
しかし、手首の柔らかさが逆に重いボールをコントロールするのには不都合であり、その為、ボーリングは学生時代から不得意だった。そんな不得意科目にも拘わらずボーリングに付き合うことになったのは、珍しくさざえさんからの誘いがあり、他のメンバーは嫌いじゃないこともあり、その場で「OK」の返事をしたそうだ。
戸津は、
「薄にも来るように誘ってくれ、と言われたよ、断るなよ。」
と言ってくれたが、尾崎は、
「一人にしておくと何処にいってしまうか分からへんからな。」
と気になることを言った。
 しかし、晃一は深く詮索しなかった。そんな会話があったのは、昨夜のことで、晃一は、今は「たかがボーリングをする程度でこんなに早く起きなくてはいけないのか。」と思いながら、皆とボーリング場に向かっている。
 そんな中で、さざえさんだけは呼びかけ人だけあって、冴えた顔をしている。晃一はその横顔をまじまじと見つめていると、今まで気がつかなかったけれど、
「結構整った顔をしたかわいい人だな。」と一人呟いた。
ゲームを開始した。最初は110程度だったが、その後は105、110、111と惨澹たるものだった。それを知ったさざえさんは、
「そろそろ本気を出して利き手でやりはったら」
とがっくりする様なことを浴びせてきた。
 左手でプレイしていたのでそう言ったのだろうが、晃一の利き手は左なのである。
 世の中過激な程のボーリングブームで、中山律子と言うスーパーボーラーが活躍している様で、テレビコマーシャルにもよく出ているそうだ。

そのさざえさんこと橋田さんが会社を辞めて田舎へ帰った。
総務課に所属していたこともあろうが、個性が強く、存在感の強い女性だった。急にいなくなり、皆寂しくなるだろう。と他人事の様に言う晃一こそ寂しいのだった。

  ひとそれぞれの道がある。
  進んで自ら決めた道、仕方なくそうなってしまった道、
  彼女の場合どちらだったのだろうか。

 空港の搭乗ゲートから消えた彼女の背は、「どちらか当ててみなはれ。」と、言っているようだった。
 誰でも環境が一生変わらないなんてことはある筈が無い。環境の変化の表裏、一片の紙片の裏側に刻まれている彼女に与えられた運命が何であるかは誰にも分からない。だけど、素晴らしい人生を送ることを祈ろう、と思いつつ機体から目を離した。

   何かを求めていると一見みえても、
  当の本人にしてみれば細い糸をたぐりたぐり
    その糸の端にたどり着こうとしているのだ
   糸の端など人生にあろう筈がないのに。

 しかし、糸を見出しただけでもうらやましいではないか。
 糸は人生のガイドだ。
 そのガイドを自分はいまだに持っていないと感じ、
晃一は暗くなった。

      <<< つづく >>>







2007/12/10 22:40:56|物語
西方流雲(7)
   西方流雲(7)

 <<< これまでのあらすじ >>>

 この物語の主人公の一人は薄晃一(うすきこういち)。
大学を卒業し、就職試験で第一志望の会社が駄目で、兵庫県伊丹市にある、小さな無名の会社に就職する。ここで出会った同期入社の仲間、尾崎、戸津、斉田、そして総務課の女性、さざえさん、石井さん達とはよく遊びにゆく。
そんなある日、晃一は尾崎とドライブで那智の滝に行った。晃一はここで不思議な体験をする。中国風の寺院の巫女さんに奥の方に導かれてついて行くと、寺院の廊下のつきあたりにきたところで、その巫女さんは、つきあたりの壁に掛かっていた飛天の絵の中に吸い込まれるようにして消えたのである。
 これを契機に似たような体験を何度かするようになった。中でも大阪梅田阪急百貨店の古書市、京都花背峰定寺に向かう途中、大布施の茶屋で耳にした出来事は特に晃一の胸に深いしわを残す結果となった。
それは蛍舞う峰定寺の舞台から舞い上がる様に消えた古代紫色のロングドレスを着た女性の噂であり、その茶屋を訪れたほかの客の噂によると「薄紅(ボウファン)」と言う名前の中国人ではないかと言うことだったが、その名前が出たのは、晃一がその茶屋を出た後だった。
そのことを読者は知っているが、晃一はまだ知らない。
 また、紅葉狩で箕面に行く途中、道を尋ねに入った池田市呉服(くれは)町の呉服屋に、なんとその古代紫色のドレスが店の奥の方に外からは見えない様に掛けてあった。
 その呉服屋のおばあさんは聞きもしないのに、数年前から、その店で住み込みで働いている中国人女性のものだということを教えてくれた。一緒に箕面に行ったさざえさん(橋田さんのニックネーム)の話では、晃一がその呉服屋から出てきたとき、晃一の後ろ姿を呉服屋の戸口から見ていた女性がいたとのことである。
 
 それ以来、晃一は不思議な夢を繰り返し見る様になった。
それは、細く一直線に地平線まで伸びている黄土道を古代紫色の服を着こなし、そのロングドレスのすそと、長い黒髪をなびかせて音もなく、地平線に向かって歩いてゆく女性の後ろ姿が見える。
 何故か曵かれる晃一は、近づこうとして歩を早めると、その女性も歩を早め追いつかない、更に歩を早めても、その繰り返しで、いつになっても追いつかない。それどころか、何時の間にか白い雲のなかを飛んでいる。
 気がつくと、晃一の手はピンクの羽衣を着た二人の飛天にいざなわれている。一体どこに連れていかれるのか全く分からない。
そんな夢から覚めた時は、本当に何処かで運動をしてきたかの様に汗ぐっしょりで、そんな日の会社での晃一は何か疲れたようであり、顔色も冴えなかった。
 晃一を取り巻く友人達はそんな晃一を見て心配するがどうにもならない。
その年の暮れの忘年会の帰り、晃一は課長に頼まれて戸津とともに未成年のかわいい女の子を会社の中にある女子寮まで送ってゆくことになった。そして一服しようと腰掛けたベンチ、戸津がコーラを買いに行っている間に、晃一は満天の星と月の下で、その女の子に唇を重ねてしまった。
 晃一はそれを後悔し、どのようにその子(北山さん)に謝ろうか、気にしていた。しかし一服の清涼剤にはなった。
年が明け、実家から戻った晃一達は一年後輩の別所、倉井を交えて晃一の部屋で新年会を開いた。友人達は晃一に以前のような血色が戻り、ともにうれしい気持ちになった。なにがそうさせたか勘繰ろうとしたが、それ以上に新年の抱負を語りあう場となった。
 前日の社長の年頭説示を肴に語り合うのだが、晃一の口からは「労働組合」というキーワードが何度となく発せられた。友人たちはその様子から、晃一が労働組合活動を通して何かをやりたがっているということを感じ取り、一同、その時は晃一に協力するよということになった。
*****************************
ここで、ついでに時代背景(おおげさかな)を紹介しましょう。
 この新年と言うのは1971年(昭和46年)のことで、まだ学園紛争の事後の煙があちこちに漂っているころで、海外ではベトナム戦争真っ只中、また、国内ではドルショック、別名ニクソンショックのあった年で、1ドル=360円時代が終焉した年でした。
 これを期に繊維業界はこぞってエレクトロニクス業界への転換を模索し始め、晃一が勤務する会社はエレクトロニクスが本業の会社であったが、親会社が繊維会社であった為、吸収合併という荒波をかぶることになる。
 晃一が助走無しに、いきなり労働組合の委員長になるのは、その様な世相の激変が始まる直前のことである。
また気になる中国では、1959年来の文革の嵐も吹き止み、毛沢東後の後継者とされる林滮(リンピョウ)の飛行機墜落事件のあった年で、周恩来のもと日中、米中の国交回復の気運が盛り上がり始め、それまで日本語放送でアメリカのことを「はりこの虎」と宣伝していた口調もすこしづつ穏やかになりはじめる。
また、この年はやった歌は「私の城下町」と「またあう日まで」「京都慕情」

  <<< つづく >>>







2007/12/10 22:30:13|物語
西方流雲(6)
  
   西方流雲(6)

  <<< 9.新年会 >>>

 紅葉の季節が終わると一気に冬に向かう。そして、すでに師走も十五日、忘年会の季節である。晃一にとって、二十四回目の誕生日が二週間前に通り過ぎた。本当に通り過ぎたと言う感じで何も無かったのである。
と思っていたところへ、とんでも無い話が飛び込んできたのである。

会社で、昼食を済まし、昼休みも終わり、仕事を始めた時、焼結一課の高橋課長が突然、
「薄、先ほどな、警察から電話があってな、こういう人間いるかという身分紹介があったで。何か悪いことやりよったんか?」
全く心得の無い晃一は、
「何があったんですか? ぜんぜん身に覚えがありませんけど。」と答えた。
課長は声を落として
「実はな、先週の金曜日のことや、忘年会やったろ、うちの課で。その帰り警官に取り囲まれて調書を取られたやろが、警官の話では、通行人から、両側から肩を抱きかかえられて連れてゆかれる若い女の子がいるという通報が入り、坂上の公園にいたところを捕まえた、と言っていたで。」といった。
晃一は思わず、
「冗談じゃありませんよ。課長が送って行ってくれって言ったじゃないですか。
 北野さんが未成年だったのにお酒を飲ませたからでしょ。一人じゃ無理だと思って戸津に手伝ってもらって両肩を支えながら寮まで送って行こうとしてたんですよ。」
と、言いそうになったが、止めておいた。
 何故なら、そのあと女子寮がある会社の構内にたどり着いたあとの、破廉恥と思えることを思い出し、もしかしたら、これも課長は知っているかも知れないと思ったからである。
 また、この課長に芋掘りに連れて行ってもらったことを思い出し、困らせたくなかったからかもしれなかった。
会社の正門を入ると右手に総務部を始めとした事務部門や社長室等がある平屋棟があり、その棟と繊維部門の工場棟との間の広場にテニスコートがある。
 そしてそのテニスコートを囲む様にいくつかベンチが置いてあり、あの夜は、
「ちょっと休憩しよう。」と言ってそのベンチに腰掛け、しばらく休憩していたら、戸津が、
「喉がからからや。ちょっとコーラ買ってくるからそのまま待っててや。」と言ってまた正門を出ていった。
 しかし、なかなか帰って来ない。そのうち、彼女は気持ちよさそうによりかかってきた。やや上向き加減のほんのり赤く染まった顔に月の光が射し、長い睫毛の影を頬に落としている。薄く形の良い唇はやや微笑んでいるようだった。
 晃一はこれほど、まじまじと女性の顔をみつめるのは生まれて初めてだった。まだ十八才なので、女性というより女の子というような感じのみずみずしさの中に大人の女性の香しさを感じた。
 居眠りしてしまっているのか、目を閉じているだけなのか分からなかったが、今にもずり落ちそうになってきたので右腕を背中にまわし抱き留める様な姿勢になってしまった。
 そうなった瞬間吸い込まれるように晃一は彼の唇を彼女の唇に重ねてしまった。
 舌も少し絡めた様な気がした。
 唇を離す時、落とした晃一の視線の先に二つのふくよかな膨らみが小刻みに揺れているのが分かった。
 突然、彼女は目を開き、にこっと微笑み、月の光がえくぼの影を造った。しばらく十二月の月を二人で見上げていた。
彼女はどの程度酔いが覚めていたか分からないが、晃一はまだ相当酔いが残っていたらしく、戸津が持ってきてくれたコーラを飲んだまでは覚えていたが、その後のことは殆ど覚えていなかったのである。
 晃一は、翌朝、そのことだけははっきり覚えていて、自分を悔いていたのである。今度北野さんにあったらなんと言って謝ろうかと一人悔いていたのであった。
そんな訳で課長に言い訳出来なかったのだ。
そんなことも有り、晃一の精神は揺れ動いていたとも言える。

根無し草
風に吹かれて西へ東へ
風上から風下へ
そして川面へ
全く根を下ろさず、ただ風の流れに任せ移動する
何処へ

未来の予測をすることは易い、間違っても良いと思うなら
だから現在を処するのは難しい、間違っていけないと思うなら
不確実さの中では楽
現実の中では苦
事を記すのは楽
事を行動するのは難しい。

晃一は、自分を、根無し草、と呼ぶことが多い。その根無し草も根の無い理由が分かりはじめて来た。

 世間に否応無しに浮かぶ自分と、自分こそが世に浮かぼうと考える自分とのギャップが何を意味し、そのギャップをうめる努力が今の晃一に必要なことが。

 伊丹の地を踏んで21ヶ月経った。猪名川の流れは全く変わっていないが、晃一の心象は少しづつ変わってきた。


年が明けたばかりの七日。すでに正月休みも終わり、また東京の実家から伊丹の地での生活が始まった。
 晃一は、先々日の夜十時頃国鉄伊丹駅に降り立ち、満天の星空のもとで大きく深呼吸したときの、気が張った気分を思い出していた。
それにしても携帯ラジオから流れていたここち良いメロディーは何という歌だっけ、確かなんとか旅情と言ったけと、そのメロディーを頭の中で反芻していると、そのメロディーの中にドアをノックする音が混じっていることに気がついた。
「薄、いる?」尾崎の声である。
 尾崎だけでなく、斉田、戸津も晃一の部屋に入ってきた。それぞれ片手にコップとみやげを持っていた。
「いま、別所にビールを買いに行かせた。新年会やろうや。」
と尾崎が部屋の中をじろじろ見回しながら窓側を背に座りはじめた。座るやいなや戸津が、
「薄は何か良いことがあったみたいやな、昨年末の薄の顔に比べたら、晴れやかすぎる顔だよ。」
と勘ぐった。
「気分一新できたことは確かだよ、去年は不可解なことが沢山あって、気が滅入ったこともあったからな。特に良いことがあった訳ではないんだよ。だけど、皆だって晴れ晴れとした顔しているじゃないの。お互いに正月休みでリフレッシュ出来て良かったよな。ところで皆さんの様に土産をもって帰るの忘れてしまったよ。ごめん。」
「いいよ、いいよ。東京のは土の香りが全くしない土産やし、どこでも買えるようなものやさかい気にすんな。こっちは辛し明太子を持って帰ってきたで、酒のつまみに絶好や。」
そこへ別所が、
「薄さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしゅう。手が足りないので倉井にも手伝ってもらいました。」といいながらビールを抱えながら入ってきた。そして倉井が続いて入ってきた。
 そして全員が座ったところで、尾崎が、
「今年も、または、今年こそ良いことがありますように。」
と音頭をとり、
「乾杯」
と大きな声で叫んだ。斉田が、別所、倉井の方を見ながら、
「君達は家に帰って何かいいことあったか?」と、話の間を持たせるために聞いていた。
「うちは何もあらしませんでした。それより薄さん随分晴れがましい顔してますね。何か良いことあったんと違いますか?」
「別所にもそう見えたか? だけど何も無かったんやて。別所と倉井は来年のことだけど、われわれは三日、三ヶ月、我慢の最後の年の三年目の年だよ。俺は、今年は何か良い写真がとれる予感がするなー。頑張らなくては。」
と尾崎が最初に今年の抱負を述べた。
「今年はいい娘見つけんとなア。」
と斉田が次に抱負というより期待を述べた。
「斉田はんはどんなタイプの娘がええんですか?」
と別所が半分冷やかし気味に聞いた。それに対し斉田は真面目な顔をして、
「尻が大きくて、働き者がいいんや。」と田舎臭い答えを返した。それを聞いた倉井が、
「知性とか、教養、容姿はいらんとですか?」
「そーか、倉井はプラス知性、教養、容姿か、欲張りやなー。」
 晃一は、斉田と倉井の体格をみて
「二人の好みの共通項はグラマータイプの娘だな」
と彼らをからかった。
 晃一は結婚というものをまだ具体的に考えたことはないが、それでも一般論として、人生の伴侶に求めるものが、自分に無いものを求めるタイプと、自分と似たものを持っていることを求めるタイプと二通りあるような気がしている。
 しかし、どうしてその様な必要があるのかとなると皆目分からない晃一であった。

 ちなみに、ここに集まった仲間で最初に結婚したのは斉田で、仲間内でやった結婚披露宴は晃一が司会を買って出て、最初から最後までビートルズの歌をバックに進められた質素な手作りのものだった。出席したのは寮の舎監の老夫妻と両方の会社の友人達、先輩達であった。
しかし、このささやかな結婚披露宴があったのは新年会をやっているこの時から更に1年半後のことである。

「今年は、英会話でもやってみようかと思うてるんや。」
と今度は戸津が抱負を語り始めた。
「何故かオーストラリアへ行ってみたくてしかたがないんや。そして現地の人たちと仲良く出来たらどんなに素晴らしいことやろ。そのためには英語が話せんとあかん。」
「当然ギターも持っていきはるんでしょ。」と別所がくちばしを入れた。
晃一の目からみた戸津は、仕事の仕方から寮の自分の部屋の整理整頓まで感心する所が多く、こんな無名の会社によくこんな人材がきたものだと思っていた。
晃一の寮には二人のギターの名手がいて、秋の夜更けにギターの音色が心地よく聞こえる時がある。二人ともトレモロがうまく。城ケ島の雨、桜、アルハンブラの思い出等聞き惚れるほどの腕前だった。戸津はそのうちの一人で、時に戸津の部屋を覗くと、ギターを片手に左手で弦を押さえる練習をしていて、音は出していないという光景を目にすることがあった。

もう一つ因む話をするなら、この戸津は何年か後、この会社を辞め、更に何年か後に結婚し、その直後夫婦でオーストラリアに赴任し、二年間滞在することになる。
またこの時、くちばしを入れた別所は後のことになるのだが、テニスのラケットを片手に世界一周旅行をする。しかし、これもこの時からはるか後三十年近く先のことで、その頃にはこの新年会に集った全員が今いる会社をそれぞれの思いを胸に退職しており、居住地も九州、広島、滋賀、名古屋、東京(埼玉)となるのである。

「薄の今年の抱負はなんや?」
と尾崎が聞いてきた。
「それより昨日の社長の話どう思った?」
「社長の現在の心境を吐露しただけのもので、特にどうってことなかった様に感じた けどね。」
と、尾崎は興味なさそうに言った。それにお構いなく、
「結局は我社のいろいろな面での体制の弱さを物語っているのじゃないかな。現在の不況は殆どが外的要因によるもので。組合が二つあることなんか関係無いんじゃないかな。」
晃一は続けた。
「不況になると、アセンブリメーカは今まで大目に見ていた部品のクレームを部品メーカに押し付け、資金不足で購入出来ないのに部品のクレームに結びつけ、当初予定していた購入を差し止めてしまう。それと同じで、景気の好いときは、経営者はすべての要因が景気の良さに寄与してる様に見えるので、ある程度なら組合が経営に口出しすることに文句を言わないが、一度不況の波を被ると、今まで見逃していたものや好況時には好況に寄与していると思われていたことさえ不況の原因と考えられてしまう。」
別所が、急に真面目な顔になって、
「つまり、労働組合というのは会社にとっては、景気の良いときは有り難い存在なのに、不況になり始めると一転してお荷物と取られてしまう、ということですかね。当然の様に思えますけど。」
「そういえば、昨日の社長の話では、社員は会社に奉仕することを期待している様な話ぶりだったね。」と、
戸津が言うと、今度は倉井が、
「うちの組合は御用組合ですよ。何の見栄えもしませんよ。それに、……」
と言いよどんだのをみて、晃一は、
「その先言いたいことはわかるよ。もっと社会に貢献すべき活動をすべき、と言いたいんだろう。」
「薄さん、なんで分かるんですか。」
「俺だってそう思うもん。ただ貢献の仕方は色々あって、なんとか連という団体に入って、なんとか連のトップの人が言うことに従って行動するというやり方は自分には合わない。それより一番身近な労働組合を通して先ずは社員の幸福に貢献するというのがもっともやりがいのあることではないかな。」
と、言葉が尻切れとんぼだなと思いつつ、そこで言葉をきった。
「確かに俺なんかも自分のしたことで誰かが喜んでくれるとうれしい気持ちになるよな。ただ俺の場合は、そういうことではなく自分のとった写真を見てくれて、何かを感じてくれて、それが明日への希望につながるような結果につながれば、ささやかだけど社会に貢献していることになると思うんやけどね。戸津もそう思わへん?」
と、尾崎の写真が単なる軽い趣味ではないんだとばかりに戸津に視線を向けながら同意を求めた。
それに対し戸津が、
「そう、薄が言うような、社員と言うか多くの人の幸福に貢献する手段をいうなら、俺は確かに尾崎に見透かされたけど真っ先に芸術をあげたいね。音楽、絵画、彫刻、勿論写真もある。歌手だって、小説家だって、映画監督だって、野球の選手だってそうだよね。あげたらきりがないよね。俺も、時々ギター弾いているとき、この音色を聞いて一人でも幸せな気分になってくれる人がいればいいなと思う時があるよ。」
「なんや、結局、自分の仕事の成果を通して社会に貢献しようなんてやつは一人もいないのか。と言うことはこの会社は我々にとって仮の宿ということですか? 今頃社長、くしゃみしてまっせ。」
と斉田がおどけながら口出しした。そして、
「だけど、会社に奉仕しろなんて考え方は社員を不幸にするな、絶対。」
と本音を漏らした。
「多分、社会というべきところを、ついつい本音が出て、原稿には社会と書いてあるのに会社と言ってしまったんじゃないかな。いくらなんでも会社に奉仕しろなんていったら、社員が非協力的になるなんてことが分からないはずが無いよ。」
と続けた。

「ところで、薄さん、まだ今年の抱負を聞かせていただいておりませんけど。」
と、別所が真面目な顔をして晃一に尋ねた。晃一が口をモグモグさせているうちに、尾崎が
「馬鹿、さっきの真面目な話、誰が火付け役だと思う?」
と、じれったさそうに別所に聞くと、別所は
「そのくらい分かりますよ。薄さんじゃないですか。」
「そこまで分かって、その先が分からないのか?」
「あ、そうか。そこまで言われて分かりました。その決心がついたらすぐ教えて下さいね。出来ることはなんでも協力させていただきますから」

夜もふけて、皆自分の部屋に引き返し、晃一の部屋にはアルコールの匂いがまだ残っていた。今まで何度となく、先ほどのメンバーが集まったことがあったが、今回ほど、真面目な話をしたことは記憶にないという充足した余韻が晃一の胸に残った。
晃一は彼の胸に次の様な散文詩を刻んだ。

紅の坂道と思って登りはじめて既に三年目
峠から見える周境の素晴らしさを求めて
・・・・…、しかし途中の道筋に時に現れ消えてゆく
俗塵の誘惑

陽光にに照らされて現れ、風に吹かれ消えてゆく
その俗塵が自分に対して意味するもの
誰にとっての俗塵? と、問う間もなく訪れて来る俗塵
   の一粒一粒は何の気にもならないが、
集合し、現れた時にこそ、その存在が気になる。

時には参ってしまう
その時には何処からか、そよいでくる風に任そう
  人生に一つの志を立てた時、
     俗塵の訪問は波の様なさざめきをもって起こる
   この砂地を這って自分の胸岩に押し寄せる波、
 これが長い間続くと時には激波となって、
     岩の表面を削り、いつしか、いつしか、
          岩の存在すら無に帰してしまう

晃一の心構えを託したこの散文詩を胸に刻みつけながら、その日、何故こうも労働組合という言葉を多発したのか不思議であったが人生に伏線ということを考えるのなら、その夜の晃一の気持ちもそれであったと言えよう。

晃一にとって初めての大きな社会的な経験が始まるのはこの年の四月から。これによって、彼を取り巻く環境も大きく変わってゆく。例の古代紫色の服を身につけた女性のこともしばし忘れ、組合活動に熱中してゆくことになるのだが、その代わり、晃一の前に菟新明初子(うしめはつこ)という女性が現れてくるのである。

  <<< つづく >>>