西方流雲(25)
<<< 25.古都定住 >>>
既に年もあけ二十日前後過ぎた。 いつもは年明け早々は、希望にあふれ、その年の抱負で満載された前向きの気持ちで一杯なのだが、何故か正反対の気分であった。 例年、年初には、同期の連中や、一期後輩の別所、倉井らが集まって新年会がてら、皆でその年の抱負を語りあうのだが、寮は離ればなれになり、集まる機会もない。 この頃の晃一には、その機会を自分で作ろうという気概も湧き出て来なかった。 休日の夕食も独りで食べに行くことが多くなった。
人生の重みをひしひしと感じる様になっていた。 その夜はなかなか眠りに着けなかった。 いつしか、真冬の寒気漂う闇夜の舞台に、自分に似た役者が、パントマイムを演じる姿が見えてきた。その役者が手振り、身振りで晃一に語りかけてきた。 「少しは人生というものが分かってきたかね?しかし、まだまだ序の口さ。人生における曖昧さを受け入れられそうかね?複雑な仕組みの社会という舞台で演ずる演技は、ある程度のごまかし、ある程度の正直、ある程度の強さ、ある程度の情緒が丁度良い。もし、この”ある程度”の中に含まれる曖昧さを追求しようしたら、忽ち社会の孤児になってしまうよ。そんなことを追求したって、何の役にも立たないよ。」 晃一は闇に向かって尋ねた。 「昨日、いこいという食堂で夕飯を食べたんだ。料理が運ばれてくるまでの一時は楽しかった。何故って?店の自動ドアがまるでカメラのシャッタの様に、そとを歩く人達をくっきりと映し出し、完全には暮れていない明るさがその人達を照らし、表情が思いがけなくはっきり見えたんだ。 仕事が終わり、ほっとした感じでゆったりした気分で歩く人、買い物中の母親に前後になってまとわりつく子供、足早にせかせか歩いている人、いろんな人が見えたんだ。そういう人達も皆、曖昧さを演じていると言うのかい?」 闇の中の役者は晃一に語りかけた。 「百パーセントはとは言えないが九十パーセントはと言う自信はある。この九十パーセントの人達がこの世の中を動かしている。とすれば、曖昧さのある世界が正常で、曖昧さのない世界は異常なんだと思わないかね、晃一君。ただし問題が一つある。この曖昧さが故意に造られたものか、仕方なく出来てしまったのかということだ。故意に造られた曖昧さは異常だ。異常じゃない、といっているのは止むを得ない曖昧さのことだよ。」 「それならいいよ。人間だれにだって限界がある。記憶力、行動力、運、そう言う限界を超えたところに正確さを期待したって無理な話しだ。しかしその限界を少しでも高く引き上げる努力をするというのが望ましい姿なのではないか?」 「そこが君の考え方の危険なところだ。曖昧さを認めているのに何故努力なんて必要なのかね?人間の固有の特性とは何だと思う? 連想、夢、希望なんてものは、どんなに進化したロボットやコンピュータだってこれらを持てと言ったって不可能だよ。しかし、見方によっては、これほど曖昧さを背負った言葉は無いだろう。曖昧さだらけでも人間どもは、これらの言葉をこよなく大切にするではないか。」 「だけど、曖昧だから連想や、夢や、希望を大切にするのではない。それはこれから歩もうとする路を照らす街路灯だからで、将来に位置するものだからだよ。現在に位置する現実に曖昧さが含まれていたら、人間は身動きがとれなくなってしまうよ。 だから曖昧さがあることが正常か異常かは、いつの時点のことを言っているかはっきりさせてからのことだよね。」 それ以上闇からの語り掛けはなくなってしまった。
もう旅に出てから何年たっただろうか 人はよく3日、3ヶ月、3年という しかし、自分は4年も経った
今、私はあてのない、 旅費ももたない旅をしている感じがする 落ち着く宿もなかなかみつからない だけど、もう少し旅を続けてみようか 野垂れ死にさえしなければ、 大胆に旅を続けるのも良いのではないか、 しかし、この旅が自分にとってむしろロスならば 続ける必要もないかも知れない 揺れる振り子の様だ。
昭和48年はすでに春になろうとしている。晃一にとってまる4年が経過し、5年目に入る年である。 この季節には自然界、人間界いずれにも転換があるようだ。 昨日の倉井の嬉しそうな言葉がいまだ耳に残っていた。 「薄さん、やりましたよ。ベトナム和平が調印されましたよ。」 と息せきついて晃一のところに報告しに来たのが一月末で、 「薄さん、本当でしたよ。ベトナム駐留米軍が撤退完了したらしいです。」 がその一月後の2月末のことだった。晃一は嬉しそうに晃一にそのことを報告する倉井の顔を見ているだけでなんとなく明るくなった。 一方で、ベ平連の矛先はどうなるのだろう、と気になりもした。また武器製造メーカーの矛先はどうなるのだろう、などと連想をめぐらした。 しかし、世界情勢としては大きな転換となったことは否めない。
もう一つの転換は日中関係に訪れようとしていた。 1月初めに北京に日本大使館が開設され、先月には東京に中国大使館が開設され、さらに来月には中国各界を代表する大型訪日団が来日するとのことである。 大相撲北京場所なんてのも催されるらしい。 晃一は昨年初秋万福寺を訪れた時以来、中国に興味を持ち始めていた。 一方、晃一本人は、この頃、既に転職を決意していて、京都にある会社の採用試験を受けている。結果は順調で、あと健康診断の結果を待つのみとのことだった。 もし健康診断結果がNGであれば、健康を理由に退職しよう。 「晃一よ、社会人になったばかりの時に持ったあの気持ちを何処に忘れてしまったんだ?熱意、希望、決断、この3つを蘇返えらす方法として転職を選らんだのは懸命だ。 熱意、希望、決断を失った人間程、惨めで他から見られたものではない。それを取り戻しに行け。インドの賢者が日本人に言ったそうだ。『人間の危機とは、まわりがあなたを非人間化した時だ。あなたが自分の時間が持てずロボットになった時だ。自分の自由な時間も取れず、ただ黙々と働く人間は愚者だ。』と。だから晃一よ、もう後に戻るな。」 その様に天の声がささやきかけている様に感じている。 「そうだ、手を引っ込めることはない。ここは自分本位で決めれば良いんだ。」 この自問自答を何回やっただろうか。
そして、京都の住人になった。 長岡京市調子大縄という所にある寮に入ることになった。 寮といっても借り上げアパートで、住み心地は悪くはなかった。
転職して2ヶ月程たったある日、その寮に前の会社で一年後輩だった別所が遊びに来た。 彼の興味は、今度の会社はどのような会社という所にあった。 「もう慣れましたか?前の会社とは大分違うでしょう。」 「そうだね。技術開発要員がえらく多いんだよ。一人一人の資質は分からないが、一人一人の力がうまく結合されて、組織化されているんだよ。最初に驚いたのは社是の唱和というのがあって、毎朝、朝礼の時に、順番に皆の前で社是の唱和の音頭取りをするんだよ。これが最初のカルチュアショックだったね。もう慣れたけれどね。」 「社長の感じはどうですか?」 「すごく姿勢の低い人で、無茶は絶対しないという感じだね。社是というのはこんな感じだよ。 ――――――技術を練磨し、科学的管理を実践し、独自の製品を供給するとによって、文化の発展と協力者の共栄をはかり、これを喜び、感謝する人々と共に運営する。――――― これは今の社長が創業する時に創案した文章らしいけど、どう思う?」 「良くわからへんけど、…・、労働組合はどうです?」 「予想したほど過激ではないようだよ。執行委員も若そうだしね。ところで、これから山科の方へ行かない?この間いい寺みつけたんだよ。ここからだと1時間もかからないと思うよ。」 「土地感が全く分からないんやけど、山科って大津の方やなかったですか?遠そう。でもいいですよ。行きましょう。」 「大津までは行かないよ、昔、何人かで醍醐寺に行った事あったよね。そこより近いよ。 勧修寺という寺と随心院という寺で、ひっそりとしたいい寺だよ。」 それが京都に転居して最初の京都寺院めぐりにあった。
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