西方流雲(35)
<<< 36. 対闇閑話 >>>
そしてその年は大晦日を迎え、年が改まった。晃一は例年の如く東京東久留米の実家で年末年始を過ごした。
昭和49年即ち1974年が明けたのである。そして既に七日が過ぎていた。
年末年始を例年の如く実家で過ごしたが、多くの友人と会う機会があった。 その年末年始を振り返ってみた。 12月28日は仕事の後、南井さん、藤波さん、坂戸さんとの四人で、また藤波家をお邪魔して、麻雀をした。ふと、測定器室での出来事を思い出したが、そのことを口外はしなかった。 12月29日に東京に帰った。 年明け最初の出勤日は何事も無く始まった。 寮の自室に戻り、畳を背に横たわり、天井の木目をながめながら黙想していた。 木目が晃一に語りかけてくる。 「晃一君、今年はどのような年にするつもりかい?」 「何も考えていないけど、例年になく多くのことが起こる気がするんだ。それに対して腹構えしておくこと。それが第一にすることだろうね。」 「第二は?」 「第二は身の回りに起こることを十分吟味、分析すること。」 「例の職場の組織変更とか勤務地変更だね。」 「そう。グループの殆どのメンバーがともに転勤になるので、違和感を感じないかも知れないが、やはり転勤ともなると、環境も変わるし、気候も変わる。何が起こるか分からないから気にはなるね。」 「しかし、秋頃の話ではないの? まあいいや。では第三は?」 「チャンスを利用すること。」 「何か良いことが起こるのかな?まあいいや。まだあるの」 「何事も一生懸命実行すること。」 「なんだか対象が皆ぼけているね。もっと具体的な目標は無いの?」 「ないことも無い。先ず、本を大量に読むこと。『徳川家康』、 『坂之上の雲』、『新書太平記』の完読、そして、テニスを通して京都社会に溶け込むことかな」 「そんなところかね。ところで、一つ教えておいてあげるが世の中の景気の退潮がもたらすものは大きいよ。八日市への組織ぐるみの転勤も景気の退潮がトリガーになっているのだよ。歴史的な景気退潮が起こるかも知れないね。晃一君はドルショックを経験しているから分かるだろうが、また希望退職募集ブームみたいなものが起こるかもしれないよ。」 晃一は、「十分ありうる。」と天井に向かって頷き返した。そして、晃一なりの分析を天井に向けて投げかけた。 「それにしても物価上昇がひどい。特に砂糖のような生活必需品の上昇が目立つ。老人等年金以外に収入手段を持たない人々にとってはたまったものではないだろうな。」 「人々、特にマスコミが争って、物価上昇の被害者をスクープする。 それが輪をかけて、景気退潮の加速を人々にイメージさせる。実際はそれほど加速がひどくなくても、ジャーナリストの一生懸命さが実相を過大に見せ付ける。 それにうろたえる民衆が更に自己防衛的な過敏とも思える行動に走る。そしてそれをマスコミが追いかける。これを繰り返せば正帰還的破滅に至る。この様なヒート・アップを牽制するのは適度な熱放散しかない。 この熱放散を民族レベルできるのはやはりマスコミである。 多々あるその日のニュースを紙面にレイアウトするのは、その新聞の編集長であり、一人の人間である。そのレイアウトの匙加減でニュースの注目度が変わってくる。それによって熱放散の程度が変わってくるものだ。今こそジャーナリストの見識が重要になってくる。」
その様な天井との会話が何日か続いた。 そして冬は益々厳しくなってきた。 そんな1月のある日、八日市工場への出張があった。そして奥山寮なるところで、一泊した。 積雪が三十センチ程あった。次の日は日曜日だったので、近くにある国際スケートリンクというアイス・スケートリンクで何年か振りのスケートをした。 その出費があったせいもあるが、経済状態は薄氷を踏む思いであった。あと一週間を五百円でやって行かねばならない。その様な状態になると、情緒は不安定になるし、神経質にもなる。 神経質と言っても二通りある。身の周りが常に整理整頓されていないと承知できないタイプ。他は、整理整頓には無頓着でも、ものごとの成り行き、心象が気になって仕方のないタイプ。 晃一は最近の自分が後者のタイプに近づいているように感じていた。 というような気分の晃一の耳に、東京に大雪注意報が出ているというニュースが飛び込んで来た。東京の雪は何故か郷愁を誘う。 晃一が親元を離れ、初めて伊丹にやってきたときも東京は大雪で、なにか忘れ物をしたような気持ちをもったことを思い出した。 翌年に「なごり雪」というフォークソングがはやったが、そこで歌われている歌詞がぴったりだったといえるが、時間が逆転するはずはないので、その忘れ物をした様な気持ちを表現出来なくて悶々としていたのであった。
そしてこの年も春を迎えた。 この頃の晃一はテニス一色であった。テニスをしないで一日を過ごすと体調の不調さを感じることが多々あり、雨をも恨むことがあった。
<<< つづき >>>
|