西方流雲(45)
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そして師走も早二十日を過ぎようとした金曜日の午後、五月に見合いをした滝内康子から会社に電話がかかってきた。近くまで来たので、会ってくれないか、という内容であった。 突然のことで大変驚いたが、結局二十二日の日曜日まで相手をした。 五月の連休の時にテニスの帰りに、断れない状況下で見合い、と言っても事前に名前も、顔も家庭環境も、学歴も全くしらずに会い、そのまま相性を見出せず、記憶の彼方に去っていた人であった。 しかし、電話口で名前を告げられた時、すぐに顔を思い出せたので、全く記憶の彼方に去っていたのでもなかったのだろう。 丁度半年が立っていたが、彼女の方は、記憶の正面に晃一のことがぶら下がっていたのかも知れない。形としては晃一の方が再会を拒んでいた形なので、頭に来ての行動だったかも知れない。 または、彼女自身の複雑な気持ちを年内に整理する目的で八日市までやって来たのかも知れなかった。その様な詮索をすることが極めて苦手な晃一は、近くの名所を案内することで時をやり過ごそうとした。 車で、近くの永源寺、また京都は清水寺を案内した。殆ど車の中での会話だったが、冬であり、車の窓は閉めているので、騒音は行き交う車の音と、自分が運転する車のエンジンだけであった。 したがって話をするのには最高の環境であったが、もともと口が重い晃一だったので、それほど多くのおしゃべりはしなかった。 その会話の中でも、彼女がどちらかと言うと我儘な性格であることと、人生を力強く生き抜くというパワーに欠けているという第一印象を拭い去ることは出来なかった。 しかし、こんな遠いところまで、意を決してやってくるという一途さはそれらのマイナスの印象を少しでも減らす効果があったことは確かであった。 永源寺には永源寺ダムと呼ばれる人工の貯水池がある。そこには、水をせき止めるための高さのある堰水壁があり、その底部には、せき止めた水を水位に合わせて放流するための水門がある。その水門を見おろすと、十メートルほどの直下に見える。高所恐怖症の人間だとひとたまりのも無い高さであり、晃一も、こういうところは苦手であった。 堰水壁の上辺部には、車がやっとすれ違うことが出来る幅の車道と転落防止の為の幅一メートル足らずの壁が、高さ一m程度の高さの柵が両側に作られていた。片側の柵の向こうは蓄えられた水、他の柵の向こうは深さ十メートル余りの谷が見えた。 その一メートル足らずの幅しかないコンクリート製の柵の上に彼女がぴょんと跳びあがり、足を滑らす様に歩き始めたのである。晃一は心穏やかでなかった。もし突然突風が谷に向かって吹いたら彼女はどうなってしまうか。バランスを崩して谷底に転落してしまうかも知れない。 そんなうろたえた表情の晃一の顔つきを楽しむ様に平然と歩を進めている。晃一から見ると、その姿は晃一を責めているようでもあり、自分のことをじっくり見てくれと言っている様でもあった。パンタロンの裾が大きくそよぐ度にどきっとすることを何度か繰り返すうちに、やっとその行為が終わり晃一の靴裏が乗っている地面に着地した。
京都では洛北正伝寺を案内した。血天井で有名な寺で、比叡山の山容を借景した庭園が晃一は好きで、それまでに何度もそこを訪れていて、古都の懐に抱かれるような感慨を行くたびに持っていた。 そこへ彼女を案内する気になったのは、自分の奥のところを見せるということであり、そういう気になったことは、その年の五月に初めて会ったときに比べ、彼女に対する気持ちに多少の変化が現れていることを意味しているように意識できた。
正伝寺は、何年か前に尾崎と一緒に訪れたことのある光悦寺から距離にして一キロメートルもない小さな寺院であり、山道を歩くと左手にゴルフ場が見えるところである。 ここを訪れ、借景の比叡山を眺めた後、大きな背伸びをして廊下に背をして上を見ると血天井が眼前に現れる。 徳川側の忠臣鳥居元忠らの最後の場所となった、伏見城での修羅場での声が耳をつんざ劈く様な感じがする。そしてそれが鎮まると、次には光悦寺での出来事が頭をよぎるのであった。
光悦寺で晃一が倒れたとき、近くの医者が駆けつけてくれ、晃一の容態を診てくれた。更に、崇徳院の怨霊の話を聞いたことを思いだした。その怨霊は人に認められたい、認められたい、と一生懸命になっている人の心に住み着き、それがかなわないということが分かった時に活動を開始するということなんや、という話が晃一の心の襞にしっかりと残っていた。 光悦寺、源光庵、三千院(寂光院)ともに、晃一が奇妙な体験や卒倒したりしたところであり、其の度に、何かの霊片が晃一の精神のどこかに入り込み、住み着き堆積して行くような感懐をここに来る度に感じるのであった。しかし、それは晃一の気分に危害を与えるものではなくそっとしておいた。
三十年も後に、このころのことを思い出す機会があり、正伝寺のことを思い出し調べてみると、この寺は、別名下御霊神社と呼ばれることがあるらしい。寺院でありながら神社とも呼ばれるのは神仏混交で、違和感を感じさせるが、歴史の長い京都には多くの怨霊が存在し、それらを鎮める祠もまた数多い。 この下御霊神社の祭神は、そうした御霊を祭ったもので、京都の中でも特に強い怨霊を八つ祭る神社として知られ、この八霊を指して八所御霊とも呼ばれているという話を発掘している。 このような怨霊が晃一と相性が良さそうというのは、晃一の足が自然にこの地域に向くことからもがてんの行くことであった。 物語が進行しているこの時点では、そんなことは知らなかったので、単に気持ちを安らかに出来る寺という位置づけしかしていなかった。 彼女は晃一の隣に座り、晃一と同じ様に無言で借景の比叡の方を眺めていた。晃一から彼女のそうしている面貌をみる角度は、かって神戸六甲山の見晴らし台からじっと神戸港を見つめていた女性を見た角度と同じであり、長い睫毛、肩まで降りた長い髪は同じであった、無言の姿が晃一に語りかける内容は全く違うように感じたが、一瞬、この人は自分の妻になる人かも知れないという気持ちを持ち、それを温めている自分の姿が見えた。 正伝寺を後にして京都駅の方に向かった。新幹線の時間に少し時間があったので、駅近くの喫茶店で三十分ほど過ごし、彼女を送り返した。 <<< つづく >>>
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