大同・北京の旅
(十七)孔廟・槐2
10月26日、帰国の日、その午前中に孔廟と民族村を観光することになっていた。北京では最初の晩と昨夜の二回このホテル北京香江戴斯酒店に宿泊した。 三ツ星ホテルなので、バスタブはなかったが、部屋のきれいさ、水周りの清潔さ、朝食のおいしさありがたかった。超お勧めホテルと言えるほど気に入った。 中庭には槐ではないが、柿の木、その他どっしりと構えた貫禄のある樹が植えられていた。あるいは楡の木かも知れない。 また、ホテルのすぐ周囲にも歴史的な建造物かと思ってしまうほどの極めて中国的な屋根が見えた(写真1-1)。 ガイドの于さんに代理でチェックアウトを済ませてもらい、朝八時頃ホテルを後にした。車の運転手さんは、北京初日に飛行場とホテルの間を運転してくれた人の兄とのことだった。 先ず、孔廟であるが、そこに到着するまで通行する道路の両側は槐ばかりである。13年前はじめて北京を観光したときはポプラの樹しか目に入らなかったし、記憶にもそれしか残らなかった。 同じ様な道を通っているし、幹の太さから、13年前から同じように植えられていたはずなのにである。逆に言うと、自分の心象が13年の間に激変していることを痛感した。 孔廟に着いたときはまだ時間が早すぎて開門されていなかった。その分、孔廟に接した通りの槐並木(写真1-2、1-3)やその下を通勤で通りすぎる人達の吐息を感じることが出来た。 また孔廟を囲っている外壁に屋根がついていて、その屋根に動物達が複数頭鎮座している飾りがあるのが目に入った(写真1-4)。 前日の故宮博物院の建造物の屋根にはどこを見ても必ず見られたあの屋根飾りである。これまでで一番接近して見られる状況だが、この様な屋根飾りをなんと呼んで良いのか分からず、ウェブであとで調べてみると、「北京の故宮の太和殿などには、瑠璃瓦の魔除けとされる走獣の屋根飾りがあり、清の時代に定型化したという。これは降棟の飾りで、先頭(左)の仙人が龍・鳳凰・獅子など想像上の神獣を従えており、数が多いほうが重要な建物とされている」という説明が見当たった。先頭が仙人でそれに従っているのが想像上の神獣というわけである。 太和殿の屋根では最大九頭の神獣が並んでいた屋根があった。また同じウェブには、「湯島聖堂の大成殿には、棟に鬼\頭(きぎんとう)と呼ばれる魔除けの屋根飾りがある。 鬼\頭は、一種の鯱で、龍頭魚尾の姿をして頭から潮を吹き上げている想像上の動物で水の神とされ、火災から建物を守るとされる。 また、降棟には、鬼龍子(きりゅうし)と呼ばれる牙を持つ猫型龍腹の想像上の動物が飾られている。鬼龍子は、狛犬と同じように悪鬼や邪神が入ってこないように守る飾り。」とも書いてある。 湯島聖堂も孔子を祀っているので、共通の飾りがあるかも知れない。そういうことかと思って見ると確かに鬼\頭が控えているのが分かる。 またあれが頭から潮を吹き上げている姿か、と合点が行く。湯島聖堂の孔子廟の大棟には鬼\頭(きぎんとう)がのせられ、降り棟の四隅には鬼龍子がおかれている。 鬼\頭は、龍頭魚尾で一種の鯱(しゃち)である。鬼龍子は、形が猫に似ているが、”すう虞(すうぐ)”を象ったものといわれている。 ”すう虞”は虎に似た霊獣で、聖人の徳に感じて現れる一種の儀獣といわれており、生物を食せず至信の徳があるものとされている。 写真1-4では鬼\頭が一番後ろに控え、その前に5頭のすう虞が一列に並んでいることになる。 清<>瑠璃瓦<>鬼\頭/鬼龍子 という関係がはっきりしてきた。しかし、同じ「すう虞」でもこの五匹それぞれ形相が異なることがはっきり判る。 間もなく開門時刻となり、大きな朱門が開かれた。全体の案内図が先ず目に入った(写真2-1左)。孔子を祀っているので孔廟であり伽藍と呼ぶのはおかしいかも知れないが、この案内図を見ると一番南に配置する先師門から大成門(写真2-1右、2-2左)、大成殿、崇圣祠と、北に向かって一直線に配置し、大成門から東西、更に南北に回廊(展庁)が展開した仏教寺院と似た配置となり、それらで囲まれた内庭(境内?)には、11の、外庭には3つの計14の碑亭と呼ばれる石碑(写真2-2右)が配置し、外庭には科挙に合格した人の名を刻んだ石碑(写真2-4)が4箇所に建てられていた。 この碑亭の屋根(天蓋)の部分の彩色はブルーを基調として美しく、きれいな模様であった(写真2-3)。 孔廟は元の時代1302年に建立され、明、清と手厚く保護されてきて国家の祭礼や典礼に使われてきた、と案内図と共に文章で紹介されている。 大成門の手前にどこかで見たことがあるような孔子の石像が立っていた(写真2-1右)が、恐らくこれは更に新しい時代のものであろう。 大成殿(写真3-1)の瑠璃瓦屋根の軒下には「大成殿」、さらにその下には「萬世師表」と書かれた扁額が懸かっていた。「 萬世師表」とは「永遠に人々の模範を示す先生」という意味で儒教を開いた孔子のことさす言葉となっている。 大成殿内に入ると、孔子の弟子達の名前と姿の絵と簡単な説明がしてあった(写真3-2)。 事前に徳間文庫刊の「論語」と「孔子物語」を読んでいたのでいずれも名前は覚えていたが、それぞれのエピソードまでは思い出せなかった。 そして内部は朱色が基調でややけばけばしかったが、入室して左手に行くと琴等の楽器が置かれ(写真3-3)、その奥には孔子と、孔子の弟子の中では最も優秀とされた顔子の位牌が並んで配置され(写真3-4)ていた。 大成殿から出ると、カジュマロの大木(写真4-1)、恐らく数百年は経っているだろう、が目に入った。きっとこの樹に巣を造っているのだろう、カケス(とガイドの于さんは言っていた)が忙しそうに這え刷り回っていた(写真4-2)。カケスはガイドさんが知っている位だから、北京では希少な鳥ではないのだろう。たった一文字違うだけのカラスは中国のどこでも見たことが無い。境内には槐の樹が至る所で見られ(写真4-3左、右)、カジュマロの大木ほどでないにしても孔廟の歴史をみてきたに違いない。孔廟を跡にして街路脇の花壇に咲いていたバラ(?)が妙にきれいだった(写真4-4)。
つづく
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