槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2009/05/08 21:36:28|旅日記
雲南省大理及び麗江、そして北京への旅(1.先ずは北京・法源寺)

1)法源寺
北京での最初の訪問先は、宿泊ホテルから車で20分前後のところにある法源寺である。車の運転手も迷うほどの分かりにくい路地内にあり、寺の外の通りを行き交い、たむろする人達は、いかにも下層階級あるいは恵まれない人達の服装、まなざしであった。北京で最も古い仏教寺院という紹介が観光案内書には書かれているが、それを目指して訪れる人は居ないに違いないと言える環境である。この寺に向かう途中、ガイドの李さんから、「仏教信者か研究者ですか?」と聞かれた。おそらくこの寺を訪れる殆どの人が観光目的ではなく、仏教を心から信奉するか、研究することが仕事という人達なのだろう。そんな気持ちで、法源寺の山門をくぐった(写真1)。境内には観光客は全く見られず、仏教信者と思える女性やボランティアと思える人達が地面を掃いていた。そして、正面に法源寺を象徴する「憫忠閣」という名の高閣が現れた。(写真2)

唐代貞観十九年、太祖李世民は東征中に殉難した将士を記念するため、幽州(現在の北京)に寺院を建立したが、完成前に李世民は世を去った。高宗李治、武則天が何度も勅書を下した後、武即天が亡くなった後の万歳通天元年に完成し、「憫忠寺」と命名された。のだそうだ。「憫忠寺」として建立以来、天災や人災で何度も破壊され、また何度も全面修復が行われ、清代順治年間に戒壇が増設され、康熙年間に藏経閣を修復した。雍正年間の大改修後に「法源寺」に改名して、律宗の寺に定められ、専司が戒めを伝え、法を授ける皇宮の古刹となった。

一歩境内に踏み込むと、寺院の雰囲気は厳かで、さすがに中国仏教協会が法源寺内に中国仏学院を設立し、63年にはアジア11カ国・地域の仏教会議がここで開催され、国際仏教交流の重要な場所となった寺院という雰囲気が滲み出ていた。活動中(読経中)の僧にガイドの李さんは果敢に話かけたり、寺院が用意した何冊ものお経を無料でもらってしまったり、僧ではないが一生懸命”佛”という字を書いている信者(多分)から筆を借りて自ら”佛”という字を書き始めた李さんの度胸には脱帽。しかし、李さんに見習って仏教パンフレットを5冊ももらったり、自分も”佛”という字を書いてみたのだから、法源寺を単に観光したのではなく、寺と多少交流できた感じになり、有意義であった。団体旅行では決して出来ない体験ができ、李さんに感謝。5冊のタイトルは次の通り(写真3)、
「一切如来心秘密全身舎利宝筺印陀羅尼経」
「仏説罪福報応経・仏説慢法経 抜粋本」
「地蔵菩薩本願経」
「仏頂尊○陀羅尼浄除業障呪経」○の文字は月へんに生の字
「仏陀対我們的慈悲」
お経には、漢字だけでなく、梵字やチベット文字も書かれていた(写真4)。中国仏教の多様さと、共存性が感じられた。
李さんが5冊もの冊子を抱えてタクシーに戻ってきたのを見て、運転手は、「本当にただでもらったのか?」と李さんの顔を見ながらあきれ返っていた。因みに自分も同じものをいただいてきている。裏表紙に「非売品」とあるので悪いことをしたのではない。

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2009/05/07 22:59:29|旅日記
雲南省大理及び麗江、そして北京の旅(0.序)
0.序
2009年4月23日〜4月30日の日程で、中国雲南省大理及び麗江、そして昨年11月に続いて再度雲南への乗り継ぎ地である北京で観光を行った。北京から大理への乗り継ぎ地である昆明は昨年3月の訪問に次いで二度目であり、そこで一泊するだけでなく、夜間の時間帯を利用して、民族舞踏ショーを観覧した。

 今回も家内からは同行を敬遠され一人旅となった。オーダーメードの旅日程とし、団体旅行では対象とならない訪問先を探すことにした。この様な場合、国内の観光代理店を利用するより、直接中国の観光会社とコンタクトして、日程を決めた方が有利だし、観光料金も元立てで見積もりを作成してもらい、現地(中国)の為替レートを使って円換算し、それを請求してもらい日本の銀行から円で振り込んだ方が有利、という経験から、三回連続でARACHINAと直接メールで折衝した。窓口の沈慧香さんはメールの日本文は上手で意志の疎通は全く問題なくこなすことが出来、旅費の割引についても応じてくれた。中国滞在中、沈慧香さんから電話をいただいたが、日本語を流暢に話し、日本人女性からと間違えるくらいの会話力と見受けた。

旅行前の楽しみは、メールで日程を調整するだけでなく、旅程とは全く関係のない話題、例えば、季節的に盛りとなっている花の話題、ここ数年愛読書となっている金庸の小説、中国で人気の民歌やシンガーの話題などを旅程折衝の傍らの話題として取り上げさせてもらう。これによって、旅程折衝では得られない中国の香を伺うことが出来る。

以下に旅行の中身概要を紹介する。
【宿泊H】
ホテルは三つ★ホテルを指定した。これで、北京での23日と29日の宿泊Hが、香江戴斯酒店★★★に、昆明での宿泊Hが、昆明宝善大酒店★★★に決まった。前者は昨年11月の大同旅行の時、後者は昨年3月の昆明旅行の時に利用していて、特に前者はこれまで中国旅行をしてきて気にいったホテルベスト3に入ると位置づけしていたところである。大理での二泊分の宿泊Hは大理蘭林閣酒店(ARACHINAからの連絡では★★★だが、日本の旅行ガイドブック「地球の歩き方、成都、九寨溝、麗江=以下”書籍1”と略」では★★★★になっている)そして麗江での二泊分の宿泊Hは麗江古雲杉酒店★★★であり、書籍1での紹介は無かった。
北京香江戴斯酒店 住所:北京市東城区南河沿大街南湾子胡同1号 電話: 010-65127788 (英語表記では Days Inn)
昆明宝善大酒店 住所:昆明宝善街52-54号 電話: 08713191988
大理蘭林閣酒店 住所:大理市古城玉洱路96号 電話: 0872-2666188(英語表記ではLandscape Hotel)
麗江古雲杉酒店 住所:丽江香格里拉大道 電話: 0888-3106666

【移動手段】
・成田→北京 フライト CA168(中国国際航空=ANAと提携航空会社)
・北京空港→ホテル タクシー(日本語ガイド付き)
・北京観光と北京空港見送り 専用車(日本語ガイド付き)
・北京空港→昆明空港 フライト HU7111(中国海南航空)
・昆明空港→夕食→ホテル タクシー(日本語ガイド付き)
・ホテル→昆明空港 タクシー(日本語ガイド付き)
・昆明空港→大理空港 フライト CZ3481(中国南方航空)
・大理空港→ホテル 専用車(日本語ガイド付き)大理古城 徒歩(日本語ガイド付き)
・大理観光 専用車(日本語ガイド付き)
・大理→麗江 専用車とガイド込み専用車(予定と異なり、実際は日本語ガイドなし)
・麗江観光 専用車(日本語ガイド付き)
・麗江空港→昆明 フライト MU5942 (中国東方航空) 乗り継ぎ→北京 フライトHU7166 (中国海南航空)
・北京空港→ホテル タクシー(日本語ガイド付き)
・ホテル→北京空港 タクシー(日本語ガイド付き)
・北京→成田 フライト CA167(中国国際航空=ANAと提携航空会社)
中国籍の航空会社4社の航空機内座席ごとに、設置されたエチケット袋を会社の仲間から頼まれていたので、収集した。

【日本語ガイド】
北京ガイド:李 伟艳 (女)さん  漢族 血液型A型
昆明ガイド:赵 咸涛(男)さん  漢族
大理ガイド:葛 红俊(女)さん 白族
麗江ガイド:郑 贵荣(男)さん  漢族 血液型B型
24時間緊急連絡先:ARACHINA 沈 慧香(女)さん
各観光地の上記ガイドさんは、ARACHINAの社員ではなく、現地国際観光会社の所属で、ARACHINAの下請け的存在

【訪問観光地】
北京:法源寺、雍和宮、国子監
昆明:吉鑫滇味城(民族舞踏ショー)
大理:大理古城、「崇聖寺三塔、感通寺」、「三塔倒影公園」、「胡蝶泉」、周城藍染、喜州白族の伝統建築、白族式茶道(三道茶,欣赏白族歌舞表演)
麗江:「玉泉公園」、「五鳳楼」、「トンバ文化館」、麗江古城、欣賞納西族歌舞「麗水金沙A」、以下は予定はしたが発熱のため中止:「玉龍雪山」氷河公園(海抜4500m)、「東巴万神园」

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2008/12/29 23:41:56|物語
西方流雲(78)この国の将来(日本編:2)成都空港出発ロビー 文化の違い
西方流雲(78)

65. この国の将来(日本編:2)成都空港出発ロビー 文化の違い

 成都、昆明を旅行したとき、成都空港出発ロビーでの光景は、その新聞記者にとって、極めて印象深いものであり、旅行目的を適える光景とも言えるものであった。
 とりあえず目的地を雲南省昆明として、四川省成都は通過地とした。
四川省成都で一日観光し、昆明に向かう為に、成都空港国内便出発ロビーにて、昆明行き航空便を待ってしていたときのことだ。
 ロビーには大型テレビが置いてあり、観光客のために、同じ番組が繰り返し放送されていた。TVの正面にある椅子には二組の欧米人観光客が陣取っていて、指を指しながら拍手喝采している。
 記者は気になってTVに視線を向けた。番組は欧米のTV局が製作したものであろう。番組に登場する人間は髪の色と目の色が違う。確かについつい噴き出してしまう。
 日本の番組でも「どっきりカメラ」という番組で、一時流行ったが、他人が失態を演じる様にTV局が演出し、失態するさまをおもしろおかしく映像にしたもので、批判が出て社会問題となり、途中で中止になった番組と構成は全く同じであることに気がついた。
 そして同時に、その番組に注がれている視線は少なからずあったが、中国人と思われる人々には笑いの表情が全く見られないのであった。
 記者はその光景を不思議な感覚でとらえざるを得なかった。記者は帰国後、この光景を一杯飲みながら同僚記者達に話題提供し、この光景が異常か正常かという意見を求めた。
 最初に発言したのは、先輩の同僚で、酔う度に日本の将来を憂う演説をする、北山記者で、この日も、開口一番、
「それは君、それこそ正常なのだよ。日本人だって昔はそうだったんだよ。そういうのを文化の違いというのだけれど、人の失態を笑う文化と、人の失態を気の毒がる文化とどちらが正常かい?」
 次に発言したのは、その場ではもっとも年少者で、最近結婚したばかりで、外回りの記者になったばかりの南村記者だった。
 「北山大先輩、僕はどちらが正常かと決め付ける見方自体について行けません。僕のところは新婚家庭ですが、バラエティ番組ばかり見ています。家内は、『緊張した結婚生活をリラックスさせるのに役立つ』というので僕も付き合っています。そのおかげで、記者でありながら、ニュース番組なんか家では殆ど見ることはないんです。」
 そして、次に、いつも状況分析に慧眼を示す東谷記者が口を開いた。
「南村君、それを狙いとするというか、都合が良いとする立場の人たちがいるということ知っているかい?ニュース番組から目を逸らさせ、人々を享楽の世界に追い込み、事態を批判する眼、事態を分析する眼、事態を憂う眼、そういうものを奪ってしまうと都合が良い人たちがいるのだよ。記者というのは、それを追求する眼を持ち続けなくてはいけない。だから僕は、正常か異常かという類別よりも、より主観的に善か悪かという類別をすべきと思っているんですよ。」
 「先程、僕は自分の家庭の例を出して視聴者の立場で考えてしまいましたけれど、もっと大きな立場で考えないといけない、ということですね。」
と南村記者は頭をかきかき弁解しはじめた。
 それまで、南村記者を憐れむような目つきで見ていた北山記者が、
「分かってくれたか。それに気がつかなければ君を叱りつけるところだったよ。まあ一次試験を通過できた様だな。」
 「えっ?何ですか、その一次試験というのは?」
 「我々の仲間になる為の試験だよ。」
 「なんとなく分かります。北山記者、東谷記者、西畑記者に僕を誘い込んで東西南北を全て揃えNEWSとする訳でしょ?その位分かりますよ。他の課の人たちが、『そのうち、あと白井、発田、中川という名の人たちを転属させて、東南西北白発中にするに違いない。』と噂していますよ。...ところで話を戻しますが、東谷先輩、そういうものを奪ってしまうと都合が良い人たちとはどの様な人たちのことでしょうか?」
 ここで、最初に話題を提供した記者、西畑記者が口を挟んだ。
 「そこが、今日の話題の核心となるところだね。今日は、こういう場だし、自由に言いたいこと言い合うことにしよう。四川省の成都空港で、その光景を眼にした時、二つの理由を考えた。ひとつは、文化の違いで、その放送されている光景は犬が吼えまくっている光景とさほど変わらない。滑稽な光景と映らないのですよ。あるいは、だれでも普通に示す表情が映し出されているだけ、と感じているのかも知れません。この様な感覚は一朝一夕に創られるものではなく、他人の失態を笑うという行動はしっぺ返しが必ず来るということで、とるべき行動としては淘汰され、反対に、他人の失態に無関心になるという感覚が淘汰されずに残ったのかも知れないですね。」
と途中まで言うと、また南村記者が、口を挟んだ。
 「自分には、分かったような、分からないような話ですが、何か例え話はありませんか?」
 「そうだね。たとえば、トマトに砂糖をかけてかけたり、夏みかんに塩をかけて食べるところを、そういう習慣が無い人たちから見ると奇妙に感じるが、それを食習慣としている人達にとっては奇妙と思うことはないし、その習慣に特に関心を示すことはない。おもしろおかしいと感じる文化がないことからきていると思うのだよね。」
 「なんとなく分かってきました。これは一種の民族文化で民族が長期にわたって養ってきたもの、あるいは歴史的教訓から学んだもの。だからどこかからか強制されているということでなく、中国人の心のなかから自然に湧き出す自然な感情ということになりますね。ところで、もうひとつの理由というのはどの様なものですか?」
 「もうひとつは君が言いかけた、中国政府や省の統治機関による規制で、中国では十分ありえる状況ではあると思うけど、そうだとしたら、飛行場の待合室の様な公的な場所で、その番組を放映すること自体させないと思うのだよね。だから、この理由は成り立たないと考えた方が良いだろうね。」
 西畑記者と南村記者との間の話が一区切りついたと看て、今度は、東山記者が口をはさんだ。
「南村君、中国人がどっきりカメラで放映されている光景を見て面白おかしいという感覚になれない理由は分かった。問題は先ほども言ったが、どちらが人間として善で、どちらが悪なのだろう。僕はこの様に思うのですよ。結論としては、面白おかしいという感覚になれない方を善と取りたいね。善であれば、そういう方向に向かうように舵取りをする必要があるが、そうすると、今度はその舵取りを言論統制だという輩が出てくるのは必定。だからなかなか舵取りをする人物や組織が現れないのだよね。」
 「西畑さんが、そちらの方を善としている理由が良く分からないが、僕も同じだね。」
と、今度は北山記者が続けた。
 「だいたいあれはやらせという要素が強かったよね。仕掛け人がターゲットを騙し、ターゲットが驚いたところに赤いヘルメットを被ったさくらが“どっきりカメラNTV”と書かれたプラカードを持って登場するというもので、このスタイルは首尾一貫していたね。騙されるターゲットは主に芸能人だったが、一般人の場合もあり、ネタとしては仕掛け人が単純に担ぐ(騙す)ものや、驚かせるもの、女性の水着が溶けるといったお色気ものなど様々だったね。番組初期に一般人を後ろから不意に蹴って逃げ、その後にプラカードを持って笑ってごまかすも、蹴られた一般人が本気で怒ってしまい、本気で怒った一般人に本気で蹴り返されたこともあったね。他にも日本テレビの幹部もターゲットとなったこともあったよね。それはさておき、僕は先ほどの西山記者と南村君との話の中で、「舵取りをする人物や組織が現れない」という興味深い話があったが、僕はこの点については、厳しい見方をしているのですね。『舵取りをする人物や組織が現れない』ということはなく、そういう人物や組織は、彼らにとって、僕たちが善と考えている方が悪で、僕たちが悪と考えている方が善である訳で、彼らにとって善となる方向へ舵取りをしていると考えているのですよ。」
 「それって、どういうことですか?北山さんらしくないですね。奥歯に物が挟まっているような物言いをして、はっきり言ってしまいましょうよ、その人物や組織が誰で、何かを。今日は、こういう場だし、自由に言いたいこと言い合うことにしようと西山さんも言っていたではないですか。」
 そう言った南村記者に対して、北山記者は、
「そう急くなよ。少しづつ話そうと思っているのだから。今日は金曜日だし、時間はたっぷりある筈だよ。」
と言って、先をつづけた。
 「南村君、君は話していて、自分に都合の悪い話になるとどうする?普通の人は話を逸らそうとするよね。政治家達も同じではないかな。一般の庶民と呼ばれる人達が過度に政治に敏感になってきて、政治に対する批判が強まったり、政治家に対する支持率が低下することは政治家にとって忌々しき事態で、その様なことが起こらない様に庶民の眼を他のものに向けさせることが肝要と考えて、目を逸らせる手段が必要と考えている政治家は多いのではないかと思うよ。その手段というのが、面白おかしく演出されるバラエティ番組やどっきりカメラと言っても良いのではないかと思っているのですよ。あるいは、各種お笑い番組と言っても良いのではないかと思いますね。他人をこけ落として喝采を求めたり、個人攻撃したり、全く下らないどっきりカメラと同じですよ。ああいう番組を蔓延させると、いずれは日本は中傷文化国になってしまいますよ。誰でも相手構わず中傷する。こきおろす。こんな社会が善のはず無いよ。中傷のターゲットは卑近な相手であり、政治や政治家からは眼が逸れる。政治や政治家達にとってはそれが善なのだろうね、きっと。」
「そして、このお笑い芸人達をとり纏める企業集団があれば、それを政治家が褒め上げたり、国との提携話をニュースにして持ち上げたりする。」
 「もし、政治家の中に、その様な社会システムを憂い、その企業集団を批判的に見る者が少なからずいて、その番組に異議を唱えることになれば、世の中変わってくると思うけど、政治家は大衆受けして支持者を増やすことが仕事のようなものだから、その様な善良な政治家なんて現れようがないよね。」
 「そうですよね。そんな政治家達へは振り向きもしたくない。かと言って何か振り返ってみたいものを持てるゆとりのある人達は、その対象を求めているのも確かで、その対象がスクリーンのヒーローだったりヒロインだったりする。」
 「南村君、いい線いっているではないか。ただ少し違うのは、その対象はスクリーンのヒーローだったりヒロインだけではないよ。自分達のまわりにもヒーローやヒロインは居るはずで、その人達を取り上げ、世の中に紹介し、その対象を求めるユーザーに答えるというのが僕達の仕事だと思うんだよ。」
 それまで、聞き役に回っていた、今回の話題提供者の西畑記者が口を開いた。
「僕もそう思うね。そのような街角のヒーローやヒロインが居ることは確かで、知れば知るほど魅力的な存在で、尾ひれの付いた感動的な物語を背負っている場合があるんですね。しかし、その内容を知れば知るほど、そっとそのままにしておきたいという気持ちが芽生えてしまうので困るのですよね。」
 そこで、もう一人の聞き役に回っていた東山記者が、訳知り顔に、
 「ああ、あの話ですね。あれは西畑記者のファインプレーとも言えるし、まるで現代版おとぎ話とも言えるけど、新聞が取り上げると、きっとあの苦学生は居場所を失い、この町から退去してしまうことになったかも知れないね。あの対処は西畑記者の素顔をみさせてもらった感じだったよ」と言ったところで、北山記者が口を挟んだ。
「一体何の話だい?僕の耳にまでは届いていないよ、その話。」  そこで、西畑記者は、
 「北山さんに隠していたわけではないのですが、」と断った上で、「ごろつき犬と苦学生」の話しをかいつまんで紹介した。それを聞いた北山記者は、「そうか、最近西畑さんが、通いつめている喫茶店があると、事務の女の子から聞いていたが、そこと関係あると読んだ。しかし、「ごろつき犬と苦学生」は一段落ついているはずなのに、最近も通いつめているということは、新たな特ダネを見つけつつあると読んだヨ。」
 「北山記者のご慧眼恐れいります。そうなんですよ。ですが今度のネタは起承転結で話しがまとまるには相当時間がかかると思います。今日皆さんに投げかけた話題も実はその一環なのですよ。私は今回はヒロインを見つけられそうなのですよ。」
「そうか、そうするとまた東西南北会が次回もあるわけだね。その時進捗を聞けそうだね。楽しみだナ。」
 「今日はお忙しいところ申し訳ありませんでした。とりとめも無い話に展開してしまいましたが、アフター・ファイブの会合なので、こんなもので良いと思います。ところで、次回は申し訳ないが、南村君幹事を頼めないかナ?」
  「勿論引き受けさせていただきます。こんな役にたつ会合の幹事を仰せつかうなんて光栄です。では西畑記者にそのタイミングになったら耳うちしてもらって、それから皆さんの都合をお聞きするようにしたいと思いますのでよろしくお願いします。」
の南村記者の言葉でお開きとなった。

つづき







2008/12/17 23:54:39|物語
西方流雲(77) ---65.この国の将来(日本編)1)四面聖獣銀甕 ---
西方流雲(77)

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 紅蓮は、また店の外をじーっと見つめていた。毎週一回だけこの店でアルバイトしている。その店の女店主から、この道を一人の学生が駅の方に向かって自転車で漕ぎ下ってゆき、その後を大きな獰猛そうな犬がハアハア言いながら追いかけて行く、その一人と一匹の間には感動的な物語があった、と聞いていて、一度その姿を見たいと思っていた。
 その光景もそうだが、どの様な光景を感動的と日本人が感じるか知ってみたいと思ったのだ。この感覚を理解することが、日本人を看護するときに必要に違いないと思ったからだ。
 紅蓮は、すでにこの頃、看護師の道を歩み始め、山の手にある大きな病院で看護実習と称して働いていた。
 その店で働く目的は来店する客との会話を通して、日本語力を向上させることであった。この店は常連客が多く、一元の客はほとんど居ないと言っても過言ではないほどであった。
 それは、ここの女主人が客を選ぶからと言える。心のひだを見せる人間が好きで、逆に、気取った人間は嫌いだった。店構えがハイカラで気取った客もよく訪れるが、その様な客には最初に水を出し、注文の品を出したあとは、ほとんど無関心にして何の構いもせず、知らん顔をして、あまり暖かいもてなしをしなかった。
 また、喫煙者が嫌いで、喫煙者には冷たい視線を送るのが常だった。
 あるとき喫煙客が怒り出し、
 「それだったら、禁煙席を設ければ良いのに。喫煙者を断るなら、その旨入り口に表示すべきだよ。」
と文句を言ったところ、この女主人は、
 「それをやるなら、逆に隔離した喫煙席を設けますよ。大体喫煙者というのは人に迷惑をかけていることに気がついていないのでいやなのよ。」
とやり返したことがある。
 そして、気にいった客には、コップのなかの水が底を打ちそうなところを見計らって、夏は冷えた麦茶、冬は暑いお茶のお代わりをこまめに出すのだった。
 客が口を開き、口外する一言を巧みにとらえ、その客の心の中を覗くチャンスを創ろうとするのであった。
 常連客の中に、一人の新聞記者がいた。女店主の話によると、この新聞記者は学生と犬の話を詳しく知っていて、感動的な話だと常々表明していたにもかかわらず、その話を記事にせず、心にしまいこんでしまったらしい。
 紅蓮は、この新聞記者の気持ちと、そのことを大事そうに話す女店主の気持ちを理解したいと思っていた。そのためには、直接自分の目で確かめるのが一番、ということで、学生とその後を追いかけてゆく犬が店の前を通りぬけてゆくのを待ち構えていたのであった。
 「紅蓮さん、そろそろ来るわよ。今朝は他にも例の新聞記者の方も見える筈よ。紅蓮さんと一緒に観戦したいんだって。そのあとも 紅蓮さんと少し話しをしたいんだって。時間取れる?」
と言いながら紅蓮の背後に皿を拭くキュッ、キュッという音を携えて近づいてきた。
 「私は時間は大丈夫です。でも他のお客さんが来たら中座しなくてはならないし、そうなると、新聞記者さん、落ち着けなくて嫌がるのではないでしょうか。それに新聞記者さんが何故私と話をしたいと思ったのかしら。」
 「他のお客さんが来たら私が対応するので、話しこんでいていいわよ。あの新聞記者は大事なお客さんだからいいのよ。マナーの良い紳士だから、きっと勉強になることがあるはずよ。」
 そう言って、カウンターの方へ消えていった。そしてコーヒーカップを拭き、コーヒーの豆を挽き、アルコールランプでフラスコの水を温めながら客の来るのを待っていた。そしてついでに紅蓮がこの店でアルバイトをすることになったきっかけを思い出していた。
 同時に、その視線の先には紅蓮から借り受けて、飾り物として店の目立つところに飾ってある四面聖獣銀甕があった。この置物はここの女店主が紅連に請うて、この店に飾らせてもらっていたのであった。
 この店にはもともと十八畳ほどの大きな洋室が隣接して配置していて、紅蓮がこの店に来るようになってからは、その部屋を十二畳と六畳とに間仕切りして、十二畳を女店主が自分で使い、六畳を紅蓮に使わせていた。そして女店主の使っていた十二畳の部屋は更に二分割され、一方を女主人が、他方を苦学生に使わせている。
 たまたま、ちょっとした話があり、紅連の部屋を訪れた時、紅連は、四面聖獣銀甕をバッグから取り出し、しげしげと眺めて、小声でなにやら呟いて居たときであった。紅蓮の異様な表情が気になり、その四面聖獣銀甕の謂れを聞き出しにかかったのだ。
 そして、それを聞けば聞く程、女店主は四面聖獣銀甕の虜になってしまい、無性にそれを店に飾りたくなってしまい、紅蓮に頼み込んだのだった。
 紅蓮にとって、この骨董品は特別な意味があり、文革の嵐から逃れ、迫害から逃れるために、蘇州の自宅を父母とともに後にする時に、父鉦溪が持たせてくれたもので、薄家にとって古くから伝えられてきた古物であった。しかし、その価値については、紅蓮は一切聞かされていなかったので、紅蓮にとっては古物以外の何物でもなかった。
 銀甕といっても、実際には銀ではなくて錫であろうと呉東伝は言っていたが、その銀甕は全体の高さが20cmほどで、鼎のような形になっている。甕の外側面には全面大小さまざまな花が隙間なく彫られ、直交した四面には白銅製、と思われている虎、龍、亀、鳳凰の立体像が嵌め込まれている。
 そして、それぞれの顔には同じサイズの両眼を供えているが、何故か、片目には目玉が入っているが、他の目は半眼で目玉が入っている聖獣と、そうでない聖獣がいて、目玉が入っているのは虎と龍のみであり、それぞれ、虎には赤い目、龍には青紫色の目が嵌め込まれていて亀と鳳凰には目が嵌め込まれていない。
 龍の半眼の方に嵌め込まれた青紫色の目はかって紅蓮が首にかけていたネックレスの飾り玉だったものであった。
 日本に渡る前日香港の浜で、突然ネックレスの糸が切れてしまい、大きな石の隙間に青紫色の玉を落としてしまい、必死になって探したが見つからず、宿泊していたホテルに戻り、四面聖獣銀甕を見てみたら、それまで目が無かった龍の半眼の方に、青紫色をした目が嵌め込まれて、きらきらと閃光していたのだった。  その様なことがあったので、紅蓮はなにかある度に、残りの二つの嵌め込まれていない半眼の状況に変わりがないか確認するのだった。
 またその出来事は紅蓮にとって中国脱出を思い出させる象徴的な出来事だったので、それが紅蓮自身の飛躍の一歩の象徴ともとらえていたのだった。そのことを紅蓮は女主人に話してあげた。
 女主人は、これまで多くの骨董品を見てきて、ある程度の鑑識眼を持っていたが、これほど造形美に優れ、神秘的な骨董品を見たのは初めてといってよかった。
 おまけに、紅蓮が四面聖獣銀甕と向き合っているときは、まるで、四面聖獣銀甕の龍の口が動いているように見えて紅蓮と話をしているようでもあったのだ。
 そして、いつかしらこの四匹の聖獣が、地上を徘徊し亀となり、空を飛翔する鳳凰となり、竹林を駆け回る虎となり、天地の間を往還する龍となるのではないかと想像してしまう程の無限の価値を感じたのだった。
 それだけの価値のあるものを、紅蓮は何の躊躇もなく女主人の申し出を引き受けたので、逆に女主人の方が盗難や傷をつけてしまうことを考えると躊躇してしまう一幕もあった。その展示に最初に気がついたのがその新聞記者だったのだ。それ以来、その新聞記者は頻繁に訪れる様になっていた。「ごろつき犬と苦学生」の出来事以来の頻繁な喫茶店参りとなっていた。
 女主人は、この新聞記者に出会うまでは、新聞記者というのは、社会や人のあらばかり発掘している人物集団と定義づけていたが、この新聞記者に限ってはその定義が当てはまらず、逆に、一般の人々が感動するネタを探している人物だということが分かっていたので、この新聞記者が、四面聖獣銀甕から何か感動できるネタを嗅ぎ出してくれることを期待していた。
 最初にこの四面聖獣銀甕を店内に見つけた時、当然のごとく、新聞記者は、
 「マダム、この置物をどこで手にいれたの?」
と質問を発した。それに対して、女店主は、
 「うちでアルバイトしている紅蓮という女性が本当の持ち主で、彼女から借りている。」
と答えた。 女店主は店内に展示すれば、必ず客からは、いろいろこの四面聖獣銀甕のことを質問されると思いQ&Aを考えていた。その答えに対する次の質問、さらにその答えに続く質問の答え、・・・、というように問答集を用意していた。
 しかし、次に続く新聞記者からの質問は、
 「その紅蓮という女性はどの様な人なのですか?」
だった。その新聞記者にとっての興味は、物ではなく、それをとりまく人そのものであり、その人の歴史であり、物語であった。
 最初は何回かに亘って女主人から聞き取りをしていたが、それでは物語の空白部分を多く残してしまい、
 「直接紅蓮さんと話をする機会を作ってもらえないだろうか。」
と頼み込んでいたのであった。
 その新聞記者はその頃、自身で大きなテーマを抱えていた。特に所属する新聞社からの指示ではなく、自身この道30年選手であり、記者として取材をしてきて世の中が少しづつ変化していることを実感していて、それが良い方向であれば良いが、必ずしもそうではなく、いずれ国として直面する大きな問題に成長すると予想していた。
 単なる犯罪や事件といった表在化する現象ではなく、もっと根深いところに潜在する現象というか、メカニズムといったものの様に感じていた。
 それは、ここのマダムが、新聞記者のことを、社会や人のあらばかり発掘している人物集団と定義づけていたのと同じ様に、社会を堕落させ、無気力化させる作用を及ぼすものとして具体的なものがあるに違いない。それが何か追求することであった。
 その作用を受容するのは、いつの時代、どこの国でも若者である。
 そこで、新聞記者は、先ずは近隣の国ということで、中国と韓国を照準として若者気質を取材しようと考えた。
 長期休暇を使って、先ずは中国を旅行することにした。どこをどの様に旅行すれば良いか皆目検討がつかなかったが、愛読書である司馬遼太郎の「街道を行く」を道案内にすることにした。
 先ず、「江南の道」、そして、「四川、雲南のみち」を道案内にして、それぞれ五年前に、江南、即ち杭州、蘇州を、そしてその翌年は成都、昆明を旅行したのだった。

つづく







2008/12/17 22:56:25|物語
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西方流雲(76)

<<< 64. ごろつき犬と苦学生 >>>

以下のリンクを参照(長いので、別の物語として掲載してある。)

<<< 64. ごろつき犬と苦学生(1) >>>http://ictv.easymyweb.jp/member/aa205783/default.asp?c_id=925

<<< 64. ごろつき犬と苦学生(2) >>>http://ictv.easymyweb.jp/member/aa205783/default.asp?c_id=928

<<< 64. ごろつき犬と苦学生(3) >>>http://ictv.easymyweb.jp/member/aa205783/default.asp?c_id=930

<<< 64. ごろつき犬と苦学生(4) >>>http://ictv.easymyweb.jp/member/aa205783/default.asp?c_id=931

つづく