D龍脊棚田と少数民族
前日から天気は崩れかけていたが、この日は更に雲は厚くなっていた。少なくとも出発時点では雨滴を肌に感じるところまでは至ってなかった。
龍脊は桂林の北約100kmにある龍勝という街の手前にある山間地である。標高が高くなるほど、霧が濃くなり、時折、雲間を車が走っているという感じになる。路上には山肌から崩れ落ちてきたと思われる10cm前後の岩石が、転がっていることもあり、運転する方は大変であろう。
対向車のフォッグ・ランプも数10mの近さになってやっと確認できる。そんなヒヤヒヤし通しの濃霧も山の峠を過ぎる頃からやっと和らぎ、蛇行する道路から直線状の道路の長さの方が多くなった頃、金竹杜寨という地点に差し掛かり、そこで入境票をもらった。
入境するのにお金を払ったかは分からないが、絵葉書と連結した龍脊観光案内パンフレットをもらった。ここはかつては宿場だったのだろう。道路の両側に木造の建物が連なり(写真1a)、建物には見慣れた赤い提灯が二段になって連なっていて、道幅が急に狭くなる。
ガイドの王さんが、やりとりをしている間、車から降り、背伸びをして、濃霧行の緊張をほぐした。傍らには名前は失念したが、幅30m程の川が流れていた。
来た道を振り返ると白壁の瓦屋根の建物があり、瓦屋根には山の方に向って伏せている龍の飾りものが見えた(写真1b)。色はくすんだ紫で鉄イオンの色である。
そして、王さんが戻ってきたので、また車に乗り込み、龍脊の棚田に向けて出発した。まもなく「平安杜族梯田游○区」という案内額がかる入場門は先端が反りあがった屋根ではなく、また派手な彩色も施されていない簡素な感じのもので、漢民族スタイルよりも日本人スタイルに近いものであった。
その入場門をくぐり、坂を上ってゆくと、木造の旅館らしい建物が目にはいってきた。景観によくマッチした建物で、建物の前には藤だろうか、紫色の花をつけた樹がアクセントとなっていた(写真1c)。
似た建物があちらこちらに見られたが、雰囲気のある建物(写真1d)は王さんに尋ねたところ殆どが旅館であった。そして、その建物の軒下には必ずと言って良いほど、赤い提灯が一列にぶら下げられていた(写真1e)。
後で聞いた話であるが、このあたりの少数民族の民家は3階建てが多く、1階を家畜、2階を住居、3階を穀物倉庫にする場合が多いのだそうだ。
時々その様な民家があり、その軒下の路地を、階段状の小道を通り抜け、どんどん上って行く。天気はパラパラという小雨であったり、雲がすぐ側を漂っていたり、雲の中を進んで行くという行進となってゆく。傘を差したり、すぼめたり忙しいことである。
最初の見晴らし台に来た時、棚田の様相はあっという間に変貌してゆく(写真2a1〜2a4)。この見晴らし台で見える景観を「七星伴月景観」といい、北斗七星+月に見えるのだそうだ。
ここには少数民族の若い女性がツーショット写真のモデルを有料で店開きしていて、日本人の団体観光客が値引き交渉をしていた。
更に上に登って行き、次の見晴らし台につくと、刻々と変貌する雲行きの向こうに見え隠れする少数民族チワン族の古寨(写真2b、2c)が見えた。
日本のどこかにもありそうな景観である。棚田(梯田)は「平安杜族梯田」と「金坑・大寨紅瑶梯田」に分かれていて、後者は瑶族の梯田であるが、この後、三江まで足を伸ばす予定でもあり、長髪の瑶族の土産物店で瑶族の長髪を見た(写真3b)後、来た道を引き返した。
聞きなれた
瑶族民歌(リンク)をそのあたりで耳にすることを期待したが、年齢42歳の姉妹おばさんとのスリーショットを撮って、来た道を引き返した。
写真3a〜3eは下りのとき立ち寄った見晴らし台で撮った少数民族とのツー・ショットまたはスリー・ショット集であり、上から、搖族(莫ト涵 18歳)、搖族(姉妹おばさん 42歳)苗族(何丹 20歳),杜族(陶雨胮 19歳)、三江鼓楼での侗族(氏名、年齢は聞き忘れた)。
そしてかなり下ったところの茶店(レストラン)での昼食となった。店の入り口から振り返ると建物の陰の向こうにピンクの花をつけた樹と更に遠方には杜族の寨(村落)とがきれいな構図を成していることに気がついた(写真4a)
その店で、もち米を竹につめて炊いた竹飯なるものを食べた。おかずも筍料理であった(写真4b)。その花を咲かせた樹を正面から撮った(写真4c)。
そして店を出て、山道を歩くうち、飾りをつけた筍が目に入った(写真4d)。王さんに、「これはなんのおまじないですか?」と聞いたら、「これは最初に自分が発見した自分のもの、という所有権を主張するための印です。」とのことだった。そして最初の入場門(写真4e)にたどり着き、龍脊棚田を後にした。