槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2010/07/12 9:46:27|旅日記
北東北をレンタカーで巡る三泊四日の旅 3)十和田湖 湖岸散策

3)十和田湖 湖岸散策
  八重桜が盛りである。途中の道の駅公園でも、見たが、十和田湖湖岸の八重桜は満開であった。少し雨がパラつく曇天の下なので、映えている、とはお世辞にも言えないが、肌寒く、無彩色の光景のなかで、暖色のピンクが僅かにアクセント、飾りとなって見えた。映画「シンドラーのリスト」の一場面、白黒画面のなかを赤い服を着た少女がさまよい歩いている場面を思い出した。

  桜の向こうに見える遊覧船は暇そうである。桟橋の入り口は閉じられていて、本日の予定は終了しました、と言っている(写真1a)。既に17;30を過ぎていて店じまいしたのだろう。

  桜はソメイヨシノが散り始め、八重桜が満開というところだろう。関東以南であれば、すでにつつじが満開または散り始めであるが、ここではやっと蕾の先が赤くなった程度のものが鉛直に
立っている(写真1b)。

  すぐ目の前のピンク色の八重桜から目をずらし、望遠しても湖面との境界がぼんやりと見える程度で、ましてや対岸にある山の輪郭など見えるはずが無かった(写真1c)。そして、また駐車場に戻り宿泊予定の十和田プリンスホテルに向った。

  時間が遅いためか、湖岸道路を走っていても対向車と行き交うことは少ない。天気が悪くても、ところどころで写真に撮るの絶好の景色に出逢うが、そういうところに限って車を停車させる路肩は殆どなく、カーナビと前方とを交互にみながらの運転になった。

  途中平屋または二階程度の学校の様な建屋が、向って右手にみ見えたが、カーナビに表示されたマークが高層ホテルだったのと、建屋を隠すように見事に咲いた枝垂れ桜にのみ気を取られ、ついやり過ごしてしまったが、それこそが、目指す十和田プリンスホテルだった。オーバーランして5分程行ってもそれらしきが現れないので、「右手に見えたのが、そうではないの?」と家内が言い始め、その言葉に頼らざるを得なくなり、Uターンして、そのあたりに戻った。はたして、確かにそれが十和田プリンスホテルだった。

4)十和田プリンスホテル
  広大な敷地を思わせる駐車場のある奥行きのあるロータリー広場の奥の方に、どっしり構えた木造二階建てのホテル出入り口があった。18:00を過ぎてはいたが、まだ写真を撮るには十分な明るさである。

  桜の花の向こうの景色は五月のみどり豊かな光景ではあった。さらにその向こうの山々は霞んで輪郭を確認するのが難しかった(写真2a)。その方向に向って写真を撮ろうとしても、その視野の少なくても片隅に桜の花が入る(写真2b、2c)。

  その入り口をその方向に向って立ち並んだ枝垂れ桜に沿って歩いて行くと、制服を着たホテルマンが現れ、「いらっしゃいませ」との挨拶。中に入り、モタモタしていると、後から来た団体客だろうか、自分たちと同年配の男女がツアーディレクターらしき人に誘導されてチェックインしてゆく。皆関西弁を使っているので、自分達より遠来のようだ。

  チェックイン・カウンターの向こう正面にロビー、左手にレストランがある。右手に客室があり、その終端に温泉がある、との説明があった。部屋に入ると、テーブルの上にてるてる坊主が置かれ、「ようこそ十和田湖へ、あした天気にな〜れ」と書いた短冊が置いてあった(写真2d左)。  おそらく、ここ数日雨つづきなのであろうということが、このもてなしで推測できた。

  ロビー前面には洋風庭園が開け、そのすぐむこうに十和田湖が接している(写真2d、写真2e)。全面芝生の庭園には白樺が埋まり、白いベンチもいくつか置かれている。これでチャペルがあれば、格好の結婚式場もしくは披露宴会場だろう。

  このホテルの温泉には2回入ったが、時刻が遅かったこともあり、人は少なく閑散としていて、露天ということもあり、少し寒かった。ヒートショックが厳しい老齢の人には厳しいのか、短時間で上がってしまう人が多いようであった。







2010/07/09 16:07:46|旅日記
北東北をレンタカーで巡る三泊四日の旅 2)八戸から奥入瀬経由で十和田湖へ
1)八戸から奥入瀬を抜けて十和田湖へ  前日の夕刻、飼い犬のチャピー(シェルティ メス4歳)をペットホテルに預け、朝9時過ぎに東飯能までタクシーでゆき、八高線、埼京線で大宮に行き、そこから11:22発の東北新幹線にのりこんだ。東北新幹線に限らず東海道新幹線もこの時間帯が最も空いていて乗車券を確保しやすいし、割引になりやすい。
  昼を跨って新幹線を利用すると日帰りが出来にくく、効率の悪いビジネス活動となる為であろう。

  八戸駅に予定通り14:03に到着した。八戸は魚介類が豊富な町、回転寿司もきっとうまい寿司ネタがあり安く旨い寿司が食べられるだろう、と考えが一致して新幹線内での昼食を我慢し、降車してから八戸で回転寿司屋を探すことにした。

  新幹線をおりるとさすが北東北、天気が悪いこともあり、空気はヒンヤリとした。駅前にはピンクの花をつけた花水木が数本植栽され(写真1)、遅い北国の晩春をかもし出していた。
  ウェブ検索では八戸駅すぐ近くに回転寿司屋があることになっていたので探して見ると駅と接続されたホテル内にあった。値段を見ると回転寿司屋らしからぬ値段で回転寿司とは名ばかりの店で、値段、味ともイマイチで、店から出た途端、家内と渋い顔で顔を見せ合って苦笑いしてしまった。

  予約してあるマツダレンタカー八戸は駅から歩いてすぐのところにあり、車種はデミオとなっている。乗り場所が八戸でも、乗り捨て地は盛岡のマツダレンタカー盛岡の予定になっている。
  通してこの車だったが、助手席に乗った家内は「揺れが少なく安定しているので乗り心地が良い。」と言っていた。最近はこの車種をどこでもよく見かけるので、値引き作戦が当たったのだろう、と推測していたが、それだけではない様だ。

  八戸から、県道20号、国道454号線、国道4号線、国道102号線を経由、奥入瀬渓流に沿って十和田湖に入る60km弱、時間にして約1.5時間と見積もられるコースである。八戸をでたのが15:00過ぎていたので、16:30頃十和田湖湖畔に到着することになる。

  途中、丁度1時間ほどドライブしたところに「道の駅」があったので、そこで一服することにした。その名称は記憶に無いが、植栽されていた八重桜にはまだ花をたっぷり残していた(写真2)。  また、花の名前は詳しくないので間違っているかもしれないが、トキワマンサクの白い花(写真3)も満開であった。観光客は閑散としていたが、土産物屋はオープンしていて、中は暖房がしてあった。

  家内は何か買いたげで店の中を動きまわり、店員とも何か話しているようだったが、まだ先は長い。ということで、出発を促し、また国道に戻り、奥入瀬経由で十和田湖を目指した







2010/07/08 22:35:20|旅日記
北東北をレンタカーで巡る三泊四日の旅 1)序
北東北をレンタカーで巡る三泊四日の旅
1)序
2008年9月の奈良・京都の二泊三日旅行以来の家内との旅行であり、そのときの旅同様、レンタカーの旅であった。東北新幹線で八戸まで行き、そこから奥入瀬を通って十和田湖、十和田湖から田沢湖、田沢湖から角館、角館から盛岡まで、十和田湖で二泊、田沢湖で一泊の青森県、秋田県、岩手県の北東北三県をレンタカーで回った。
当初は青森から南下して十和田湖まで出るコースを考えたが、迂闊なことにまだ青森までは新幹線が開通していないことを知らなかった。なので八戸から青森までかなりの時間がかかり、電車賃もアップするということで、八戸を基点とした先記コースとしたのだった。
先月の「山水絶景のまち桂林の旅」につづいて、この北東北の旅も風景を楽しむ旅と位置づけた。天候は雨が降り、寒く、晴れたのは最終日だけだったが、桜、雪、渓流浴、湖畔の日の出を観て、また、縄文遺跡や角館といった歴史風土にも多少は触れることの出来た旅行であった。
  そして何よりもすぐ横にいつも身内がいるという心安さもあり、国内旅行の良さ、家内との旅行の気楽さに触れる旅となった。旅行後、また秋には奈良へ行きたい、と言っていたので、家内にとっても楽しめた旅になったのだろう。







2010/07/08 21:25:04|旅日記
山水絶景のまち桂林 最終章 まいりましたね、この天気。予定便の欠航 なが〜い最後の三日間長〜い三日間
長〜い三日間

桂林−広州ZH9670(2340/0040=深釧航空)に乗る予定で、比較的霧が濃い中を桂林空港に向う。
「欠航にならなければ良いが。」と、そんなことが起こるとは夢にも思わず、軽い気持ちで口に出したことが現実になるとは、見送りのガイドの王さん、運転手さん、誰も思わなかったに違いない。
  少なくとも外面的にはそうであった。しかし、後で考えると広州/成田間航空券に、指定したわけでもないのに「帰国便変更可」となっていたり、中国南方航空の日程変更先の連絡先電話番号が記載されていたり、予約の再確認が必ず必要、と記載されていたことを振り返ると、この季節、そういうことが頻繁に起こる航路だったのかも知れない。

以下その顚末記である。
  国内便にしては、早めのチェックインであった。航空会社のチェックインカウンターでは、荷物(リュック・サック)が重量オーバーで、機内持ち込みできないことが分かり、荷物を預けた。

  国内便の重量制限が厳しくなったのは中国に限らずどこの国でもそうだ、ということを後で知ったのだ。容積が20×40×55cm以内で、重量が5kg以内のものを1個だけというのが機内持ち込みできる制限重量で、それ以上は貨物室預かりとなる。そのチェックが厳しくなったのだ。土産を詰め込み、その他、カメラ、三脚、携帯の充電器、PCなどを含めると5kg以内に治まるはずがない。
  かくして、これまで、機内持ち込みが問題なかったリュック・サックが貨物室預かりとなったのであった。危険物チェックはひっかかることなく通過出来、登場ゲートに向った。
  登場ゲートロビーには時間がまだ早いので、殆ど人がいない。重いリュックを持っていないので身軽である。時間経過とともに人が集まり始めた。中国語の声ばかりがして、日本語の声は全く聞こえない。おそらく中国人以外の搭乗予定客は自分とインド人らしき肌の色が異なる二人だけだろう。
  その状況はいくら時間が経っても変わらない。もう搭乗案内があっても良いはず、と思われる時刻になってもそのまま(案内がない)であった。時刻は日変わりしても案内は無い。そして搭乗予定時刻を一時間近く経過した頃だろうか、欠航の案内が中国語であったらしい。
  
  ゾロゾロと中国人客がある方向へ流れ出した。自分と、インド人らしきは状況が分からず、搭乗ロビーに立ち尽くしていたが、そこへ係員が現れ、「広州行きの予定だった人か?」と英語できかれ。「そうだ。」というと、「こちらへ」、とゾロゾロと移動しつつある中国人客の末尾に案内された。
  ついてゆくと飛行場出口まで案内され、そこには一台の旅客バスが待機していて、状況がよく分からないままに、中国人客について乗車した。
  自分が最後のバスへの乗客であり、通常の席では間に合わず、自分だけ観光バスのガイドが座ると思われる、最前列の補助イスに座ることになった。
  多分桂林市内の航空会社と関係の深いホテルに案内して一泊そこで過ごさせるのだろう、と推測したが、中国語が話せるわけではないので推測の域を出なかった。

  市内に向う途中濃霧で前方が見えない。視界は50m以下であっただろう。バスの運転手は、急に運転に狩り出され迷惑この上なかっただろう。
  もしかしたら、すでに就寝していたところを叩き起こされたのかも知れない。少なくとも機嫌が良い状態でない表情が読み取れた。その運転手が濃霧の中、スピードを緩めずセンターラインを目印に運転を続け、時折道路に転がっている石を発見すると急ハンドルを切ってそれを避ける。そんなことが何回あったかも知れない。

  それでもなんとか桂林市内のホテル「冠泰大酒店」に到着し、搭乗券と、パスポートを見せると一部屋二人づつで宛がわれた。部屋に入ったらまだ相棒は来ていなかった。早速、携帯電話を沈さんに電話して、状況の説明と、どうしたら良いかを相談した。
  明朝(と言っても既に日変わりしているが)一番の広州行きの便に間に合えば当初予定の広州/成田便(4/21 広州10:10発)に間に合うかも知れないので、それを利用するためにはこのホテルを朝5;00頃出なくてはいけない。
  タクシーの手配を沈さんからお願いしてもらうことにした。そのために携帯をホテルの人に渡して中国語で折衝してもらう必要があった。先ず沈さんに状況説明と対応策を相談し、対応策を実施するために、携帯を折衝相手に渡し、中国語で沈さんから話してもらい、その結果を日本語で自分に教えてもらう。
  この方法しか意思疎通の方法は無かった。しかし、これをやればやるほど、携帯の電池切れを加速することは必定であり、電池切れしたら意思疎通の手段は皆無となってしまう。万事窮することになる。

  充電器は預けっぱなしになっているリュックの中である。間もなく、合い部屋の人が入ってきた。学生風である。英語くらい通じるかも知れない、と僅かに期待したが、Can you speak English?が通じずあてに出来ない。それでも気を使ってくれてはいるようで、ベッドに横たわったら、それまでのPCのキー打ちの音が無くなった。

  3時間ほどまどろんだだろうか、時計をみると4:00を過ぎている。眠いが、ここで目を覚まさないと、とベッドから立ち上がり、顔を洗って、トイレを済まし、ホテルのカウンターに向った。  チェック・アウトを済まし、手配してくれていたタクシーに乗り込んだ、外は雨が降り続いていてまだ暗い。まだところどころ霧が立ち込めていて、その中を突っ切りながら飛行場へ到着した。
  タクシー代は80元であった。飛行場はまだ開場(錠)されていず、中へ入れない。旅客らしきも全くいない。20分ほど待っている内に、ようやく開場された。
  早速、静かそうな一画を探し、そこで沈さんに電話をいれた。まだ自宅で、「これから出社するので、それまで資料がなく、状況も掴めない。会社に着くまで待って欲しい。」とのことだった。

  まだ6:00を少し過ぎた程度である。広州/成田便(4/21 広州10:10発)に間に合う為には、チェックインを1.5時間前に済ます。そのためには8:20には広州に着き、そのためには7:20には桂林を飛び立たなくてはならない。
  そういう計算をすると、新たな航空便のチェックインをしなくてはいけないし、リュックも取り戻さなくてはならない。時計を見ると既に7:00近い、間に合わないだろうと、あきらめの気持ちが強くなってきた。早くリュックを取り戻さなければ、携帯の電池切れを起こし意思疎通手段がなくなる。

  間もなく出社した沈さんに連絡が取れたが、「午前桂林発の便は、濃霧のため、軒並み欠航、昨夜の欠航便の代替便が午後には出る模様」との情報を教えてくれた。また、「広州/成田便も一日遅くなっても同じ便であれば、席さえあれば、追加費用発生せずに利用できるはず」と有難い情報も聞くことができた。

  そうすると、@欠航便の代替便が出発する正確な時刻の確認、Aリュックの取り戻し、B広州での日本語ガイドへの連絡、代替便のチェックインが必要だが@とAは先の意志疎通方法に頼る他は無い。深釧航空のカウンターに行き、代替便の出発時間12:20を確認
また代替便のチェックインカウンターで搭乗手続きをして欲しいとのことが分かった。

  またAについても、例の意思疎通手段で、確認したところ、「地下に手荷物カウンターがあるので、そこに届いているはず」とのことだった。早速行ってみたが、それらしきがすぐには見つからず、うろちょろしていたら、階段近くでたむろしていた中年の男女が声をかけてきた。バゲッジタグを見せてこれを受け取るところを探していると手振り身振りで説明すると、それは階上にあるはずだという。おかしいな、と思いながら階上に上がり隅から隅とさがしたがやはりなく、再度地下の同じあたりをさがしたら、それらしき窓口があり、その窓口は閉じていたがその側に、わがリュックがおしゃべりしている人たちの足元においてあるのが見えたので、タッグを見せて、交換にリュックを受け取ったのである。

  次は携帯の充電器を取り出し、充電し、電池切れを心配せずに携帯を使える状態にして、沈さんや、広州のガイドさんに連絡することである。喫茶店にはコンセントがあるだろう、と考え、空港内の片隅にある客が一人もいない喫茶店に行き、コンセントを使わせてもらえないかと交渉した。勿論コーヒーを一杯注文したあとである。
  幸いコンセントがすぐ近くにある、空席があったので、そこに腰を下ろし、充電しながら、先ず沈さんに、次いで旅行直前に変更になった広州日本語ガイドの祝英○さんに電話をした。
  両者に共通する話は「今日の日本への便はないので、広州で一泊し、キャンセル待ちが取れれば22日に日本へ買えれるが取れなければ、更に広州で一泊することになる。
  また、「キャンセル待ちや広州での一泊も、「航班延誤証明信=航空便遅延証明書」があると優先してもらえる」、とのことで、それを桂林の飛行場で入手して欲しいとのことだった。それを発行してくれる案内所はまもなく見つかり、搭乗予定名簿をコンピュータで確認し、その結果、氏名、人数(壱)、フライトNo(ZH9670)、当初予定の出発年月日(2010年4月20日 2340時)遅延理由(桂林天気)、代替フライト出発予定時刻(2010年4が通21日)を記入した紙片を発行してくれた。
  あとはチェックインすれば、桂林両江国際飛行場でやらなくてはいけないことはおしまいで、あとは広州に着いてからのことを考えれば良い。
  ところがチェックインカウンターが二転三転したが、リュックを再び預け、危険物チェックも何事も無く通過し、搭乗ゲートにたどり着いた。空は相変わらずの天気で、時折強い雨が降って、降っている時は、すぐ頭上を飛行機が掠め飛ぶような轟音がする。あるいは浜辺で波が寄せては引いてゆく音を増幅した様な凄まじい音であった。
  
  そして、その搭乗ゲートも二転三転したが、とにかく機上の人になり桂林空港を離陸することが出来たのであった。
  広州に着くと日本語ガイドの祝英台さんの出迎えを受け、ホテルに行く前に、キャンセル待ちの確認をするためにはどのカウンターへ行けば良いのかなど情報を得る為、南方航空の案内所に入った。

  このガイドさんでよかったと安心できるガイドさんで、飛行場直近のノ尓曼機場大酒店(バルマン空港ホテル)に、明るいうちにチェックインできた。部屋、朝食とも申し分ないホテルで、60元にしてはリピーターになれるほど満足できた。但しLAN環境は整っているもののGoogle、MSNなどのHPにアクセスするにはホテルの専用回線にアクセス(有料)する必要があり、評判に影響する、と思った。

  翌22日、広州/成田便(広州10:10発)のキャセル待ちに並ぶため、早め(8時前)にホテルをチェックアウトして、キャセル待ちカウンター前の列に並んだ。うまく取れなかったら、更に帰国が一日遅れる。あちこちで、怒号が聞こえる。おりしもヨーロッパでの火山噴火で欠航になっている国際便もあるようで、観光会社やガイドさんは調整やキャセル待ちチケットの獲得に血眼になっている。
  そして、早めにキャセル待ちをしたおかげで、その日の広州/成田便(広州10:10発)のチケットを入手できた。ホテル代と22日分のガイド代を清算し、チェックイン、危険物チェックをすまし、CZ385(1020/1455)機上の人に無事なれた。

  しかし航空上空の天候状況は不安定で、搭乗してから離陸するまで1.5時間もかかり(1.5時間遅延)、なんと離陸する前に機内食が出た。機内を見渡すと殆どが日本人団体客である。皆順調に日程をこなした様な満足げな表情をしていた。

  自分は一人旅なので、かれらの席とは違う席で、隣席には新婚の米国人若夫婦が座った。片言の英語で、彼らの旅行スタイルやこれまでの旅で撮った写真をコンピュータ画面を使って見せてもらった。
  これまでにオーストラリア、タイ、ベトナム、ネパール、中国を3ヶ月かけて旅行し、これから日本に向かい、そのあと韓国に渡るらしい。この旅行資金をためる為に会社に勤務し、旅行後に
コンピュータ関連の仕事を見つける計画とのこと。
  名前を聞くとRudy AyaraさんとChnar Ayaraさんとのこと。初めて耳にしたファミリー・ネームだったが、それにしてもスケールの大きい旅だ。ヒスパニック系の雰囲気がする美男美女のカップルであった。

その他いろいろな話を彼らとするうちに間もなく成田空港という機内アナウンスがあった。そして気温が6℃、半そで姿の彼らは寒くないかと思ったが、寒ければ着込めば良いという感じで全く気にしていないようだ。ともかくも長い最後の三日間であったが、無事、山水絶景のまち 桂林の旅が終わった。

 4/19の懇親会から4/20、4/21の間AraChinaの沈さんには散々世話になった。夜遅くから、早朝まで、必至な思いの一日本人に対し、よくフォローしてくれました。旅行前の不穏な気持ちも消えうせました。次の中国旅行がいつになるか分からないが、よくよく天候調査をして日程を決めねばならない。







2010/07/08 21:22:54|旅日記
山水絶景のまち  まいりましたね、この天気。予定便の欠航 なが〜い最後の三日間
【4/20〜4/22】まいりましたね、この天気。予定便の欠航 なが〜い最後の三日間 4/20の飛行場に向うまで

 昨夜の激しい降雨でホテルの前の漓江は氾濫し、道路は冠水し、一部交通止めになっている(写真上左)。この日は桂林最終日で、夜遅くの便で、乗り継ぎ地の広州に向かい、そこで一泊し、翌日広州から日本に戻る予定になっていた。このたっぷりある時間を何に使ったかというと、
@撮った写真のまとめ(後で分からなくならない様に撮った場面の再確認し、PCに記録)
A昼食(水餃子等(写真上右))
B茶技館(お土産のお茶の買い物、特に普洱茶系の健康茶)ついでに羅漢果(写真下右)を購入
C郵便局から絵葉書を国内の友人、知人に出すこと(写真下左)
次回、その長い最後の三日間の内訳メモを記す。