槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2011/04/30 14:52:40|写真つれづれ
桜と種子(シュジ) 1)彩の森公園
桜と種子(シュジ) 1)彩の森公園

東日本大震災の話題によって、桜前線、開花情報など例年今頃は話題一色となるこれらのニュースが、耳目に入ってくることはなく、入ってきたと思ったら、すでに満開情報となっていた。
  時々起る余震、計画停電、買占め等による品薄。落ち着かない気分を払拭するために、ここ数年遠ざかっていた"花撮り"に出かけることにした。
  この近辺では稲荷山公園が最も有名で、そこを目指したが、狭山博物館脇の駐車場は満杯のため、目標を変更した先が彩の森公園であった。
  普段はこの時分に行くことはなく、せいぜい犬の散歩で出かける程度で、桜情報を聞いたこともなかったが、ダメモトで寄ってみることにした。
  駐車場にはすでに多くの車で埋められていて、皆行き先変更組の様に映った。平日ではあったが、多くの人が見物したり、桜の下でビニールシートの上で戯れていた。
  ソメイヨシノも良いが、ここでは濃いピンクの花弁をつけた枝垂れ桜が目立つ。
  すでに満開を過ぎていると見え、一吹きくるごとに花ビラが舞い落ちる。小さな子が片手に小枝を持ち舞い落ちる花ビラに打ち当てようと、前後左右に動き回っていた。

 >>> 桜(はな)舞うを 小枝で触れんと 童舞う <<<








2011/02/27 0:59:11|物語
西方流雲 66-3)日本人と中国人(16)= 天知る地知る =
  66-3)日本人と中国人(16)= 天知る地知る =

  部屋に入ると、部屋には、牡丹の鉢植えとともに、なんと日本人形や番傘が飾り置きされていて、壁には紅葉の季節の京都南禅寺のA1サイズのポスターが貼られていた。紅蓮の驚いた表情を察して、
「自分たちは京都の大学で勉強をしていたことがあるのです。その時に知り合って一緒になったのです。ですから多少は日本語が分かるのですよ。家内は日本の大ファンなのですよ。」
「そうでしたか。知りませんでした。私も現在日本の病院で看護学の勉強を続けているところです。まだまだ未熟ですが。言い遅れましたが、私は薄紅蓮と言います。この度は本当にお世話になり、ありがとうございました。」
「私は、張 琳伯(ちょうりんはく)と言います。こちらは家内の蔡 梅里(さいめいり)といいます。ところで鄭州にご両親が住んでいらっしゃると先ほど伺いましたが、連絡は取れていないのですか?」
「そうなのです。空港まで迎えに来てくれるものとばかり思っていたのですが、ゲートには居ませんでした。」
「おかしいですね。連絡先が分かっていれば、電話してみたら如何でしょうか?」
「そうですね。電話をお借りできますか?」
「勿論です。どうぞ。医院の窓口にあります。」

  周瑯に渡されたメモに書かれた番号に電話すると、最初は話中であり、3回目にやっと繋がった。電話の声は懐かしい蘇州訛りではあるが、両親ではなかった。楊さんに違いなかったが、慌ただしさを感じる声であった。紅蓮だと名乗ると急に安堵感に満ちた声に変わった。
声の主は、何度も何度も、
「本当に紅蓮さんなのですね。」
と確認の言葉を重ね、次いで、
「ず〜っと探していたんですよ。朝から一日中探し続けていたんですよ。今、どこから電話しているのですか?ご両親に代わりますので、待ってください。」
しばらくして、最初に母蕾蓮の声だろう。随分しわがれた声になっている。
「紅蓮かえ?本当に薄紅蓮なんだね。この瞬間をどれだけ待ったか分からないわ。25年ぶりだものね〜!元気だったかえ?」と涙声であった。
「一体今どこにいるんだい?自分たちが鄭州空港に着いたのが、途中交通事故があり、1時間も遅れてしまったのよ。空港に着いて呼び出しまでしてもらったのに現れなかったのはどうしてなの?きっと何かあったんだね、苦労をかけてしまってごめんね。日本に渡ってから辛い思いばかりして、きっと親を恨んでいるのではないかとお父さんと話していたんだよ。本当にごめんなさいね。今、お父さんに代わるからね。」
「そうか両親は、そういうことに気持ちを沈ませてきたのか」と紅蓮も思わず涙ぐまざるを得なかった。

  間もなく父鉦渓の声が電話口から聞こえた。やはり声はガラガラ声になっていて、苦労を重ねた声であった。
  「紅蓮、父さんだよ。お前の声を聴くのは25年ぶりだ。先ずは苦労をかけたことを親として詫びねばいけない。東伝さんが亡くなったことを昨夜周瑯君から初めて聞いたのだけど、さびしい思いをさせてしまったね。これからタクシーで迎えに行くので居場所を教えてくれないかな。積もった話はその後だ。鄭州まで来たことは航空会社に聞いて確認したのだが、そのあとが分かったんだ。」

  紅蓮は蔡 梅里に、ここの住所と近所の目印になる建物を聞き、父に伝えたが、両親のいるところとは空港の反対側になるらしい。しかし、父鉦渓は、
「同じ鄭州市内だ、どんなに遠くても、これから、母さんと、それに楊さんも一緒に迎えにゆくからね。2時間ほどかかってしまうかも知れないが、そこからどこへも行かずに待ってておくれ、
頼むよ。」
と言い、紅蓮は
「わかった。」
と言って電話をきった。

  張 琳伯らのいる部屋に戻り、
「これから両親が迎えにくると言っています。二時間程かかりそうと言ってましたが、それまでここでお邪魔していて良いですか?」
と尋ねてみた。
  すると、隣に座っていた蔡 梅里が、
「勿論いいですとも、では二時間たっぷりお話ができますね。先ほど25年間日本で生活していて、看護学を勉強していると言ってましたが、病院で働いていたのですか?」
と、訪ねて来た。
「そうです。今もそうですが、縁あって大きな病院で看護師として働いています。」
「では、日本と中国との病院ではどの様なところが違います?」
「病院よりも、まず人間の価値が違うのではないかと思います。25年の間に中国も大きく変わっているでしょうが、人間の価値と言う点ではいまだに大きな差があるように感じます。医療も結局は人間の価値の上に立っているので、違いが出て来ますよね。人間である患者に施す診断・治療も安全で安心でなくてはいけないという思想が貫かれています。
  安全で安心ということを追及すると診断治療が機械頼みのものになり、人間である医者の価値が薄れてきているかも知れませんネ。
  そういう傾向が大病院だけでなく個人病院にも忍び寄ってきて、高価な装置を導入するため、その投資を回収するため、多くの患者を囲いこむことになる。
  そうなると患者に医師が向き合う時間は減り、診断・治療にも齟齬が出てくる。そう感じていますし、同僚たちからもそういう感想をよく聞きます。それに対し、中国医療は漢方薬主体の薬剤治療で、診断のほうは医師による問診、聴診が主体で、顔色診断、声調診断、深層診断、動作診断などで、場合によると、こちらの方が正しい診断になることがあるようにも思えます。」
  「双方一長一短があると言う訳ね。私たちは先端医療にあこがれてしまっているけど、必ずしも良いことばかりではない、ということなのですね。」
と、張 琳伯が溜息混じりに声を発した。
  「それに、…」と言いかけて、紅蓮は声を呑み込んだ。すかさず蔡 梅里が、
「それになんですか?」
と問いかけてきた。
  「いえ、もしかしたら中国医療を軽蔑していると取られるとまずいと思って、言うのをためらいました。」
「そんなことは気にしないでください。中国医療はこれからです。変えてゆかなくてはいけないとしたら、西洋医学の導入ですが、抽象的には誰でもそう思っているのですが、我々の様な地方の開業医にとっては、具体的に何をしていったら良いか分からないのです。」
「そうですか、設備の整った大きな病院と地方の開業医の役割分担は重要で、また両者の連携がなければ成り立ちません。日本には紹介状システムというのがあります。法律的に決められている制度ではなく、慣習的に行われています。
  開業医医院で面倒が見きれない場合患者に大病院へ行くことを勧めるのですが、その時紹介状を持たせるのです。それがあるかないかで診療費が変わるのですよ。
  このシステムは患者が二度病院へ足を運ばなくてはいけないという欠点を除くと、患者にとっても、開業医にとっても、受け入れ側の医院にとっても好ましいシステムだと思っています。
  しかしそういうレベルではなくて、もっと卑近なところで中国医療は変わらなくてはいけない点が多々あります。その第一は病院の衛生環境です。病院の衛生環境は、常に地域の一般家庭の衛生環境の上を行ってなくてはいけないし、目標にならなくてはいけない訳ですが、その意識は日本に比べ中国は劣悪と言っても良いのではないかと思っています。
  中国旅行を経験した日本人の多くが二度と中国旅行をしたくない、と言うのを聞きますが、その大きな理由がトイレ事情です。」
  そこまで言って、これ以上言うことは助けてくれた張 琳伯夫妻に失礼となると思い、その話を切り上げたくなった。すると都合が良いことに、張 琳伯が話題を変え、
  「先ほど東洋医学の話題がでましたが、日本では漢方薬が医療の現場でどのくらい重用されているのですか?小柴胡湯や甘草などは使われているのですか?」
  「重用までは行かないですね。むしろ民間療法として医師の処方とは関係なく服用されていると言った方が良いと思います。たとえば、アガリスク、霊芝、夏草冬虫、…。
  日本には薬事法という法律があり、臨床評価で服用の効果がないと認可されないのですよ。
  人の体質は様々で、一般的には薬効が無い薬でも、ある人には効く場合がありうるのです。衣服でも店に吊るされているレディメードの服にはフィットしなくても、オーダーメードで服を注文すれば、体のサイズを測定して、サイズを合わせ、服地の模様、色も客の好みに合わせて作るのが、オーダーメードなので、当然フィットするわけです。
  抗がん剤でも副作用が強いというのが常識になっていますが、本当に、フィットした抗がん剤であれば、副作用とは無縁になるかも知れないのです。その様なオーダーメード医療という新時代の医療が脚光を浴び始めていますが、一般の医療場面に登場するのはまだまだ先のことでしょうね。」
  「そういう医療技術が脚光を浴びているのですか。でも人の体質を一人一人調べておかなくてはいけない、ということですね。そんなことができるのでしょうかね?」
と妻の、蔡 梅里がさらに突っ込んだ質問をしてきた。
  「そうですね。遺伝子検査をして、誰もが自分の遺伝子が分かっている状態にしておくのです。遺伝子構造と言うのは全く同じものを持っているのは二人といないのです。また、遺伝子というのは分子でできているのですが、癌というのは、この分子構造が破壊されている状態で、この分子の状態を画像化する技術、分子イメージングというのですが、研究がすすめられています。
  風邪をひいただけでも分子構造に異常を来すので、本人が全く症状を訴えていない時点でも、診断・治療して治してしまう、という夢のようなことが可能になるのです。」
と言いながら、紅蓮は時計を見た。
  それを見た張 琳伯は、
「そろそろご両親が見えるころですね。目が開かれる思いで聞かせていただきました。中国でも北京あたりでは、かなり先端医療技術が研究されていると思いますが、その他の地方では、その様な情報は全く届かないのですよ。
  まだまだお話を伺いたいたいと思いますが時間が無いので、この程度で我慢することにします。ありがとうございました。」
  「いいえ、どういたしまして。地方に先端医療情報が届かないのは日本も同じです。いずれにしても、抗がん剤物質の探索の対象として薬草に注目が集まるのは間違いなく、その点、薬草の自生が豊富で、紅豆杉の様な頑健な植物や樹木のある中国、多種多様な漢方薬が出回っている中国は、今後注目の的でしょうね。  この様な先端医療情報を中国語で私がノートしたメモがあるので、今回お世話になったお礼として日本に戻ったら送るようにしましょう。」

  それを聞いた張 琳伯と蔡 梅里は、目を輝かせて喜んだ。
ちょうどその時、電話のベルがなった。
蔡 梅里が電話口に出て、紅蓮の両親らがすぐそばまで来ていることが分かった。
「お疲れでしょうから、ここで30分ほど休憩していただきましょう。それでも今日中には自宅へ戻れるでしょう。運転手含めて4名
ということですので、この部屋で大丈夫でしょう。眠気さましのコーヒーでも啜っていってもらいましょう。」
  「何から何まで申し訳有りません。ありがとうございます。」
  紅蓮は、天も地も自分のことを知っていてくれて、このようになるように導いてくれたんだわ、と天と地に感謝した。
そして、ドアのチャイムが鳴った。
             つづく







2011/02/09 20:50:08|物語
西方流雲 66-3)日本人と中国人(15)= 中国医院 =
66-3)日本人と中国人(15)= 中国医院 =

  最初、紅蓮は千手観音が指差す方向を目指して歩き続けていたが、その速度は徐々に増し、次第に駆け足となり、いつしか空を飛んでいるような不思議な感覚になったが、全く疲れは感じないのであった。
  当然のことながら追跡の音は全くせず、サトウキビのザワザワした葉擦れの音も全くしない。駆け足ではあるが、蹴っているのは地面ではなくて、空気のようであった。

  「ドサッ!」
  突然大きな音が耳に入った。そして音の方へ眼を遣ると例の千手観音が手招きしているのであった。
「この日本人はどこに倒れていたのですか?」
と男の声がして、続いて、
「サトウキビ畑が終わるあたり、気を失っていたみたい。」
と女性の声が続く。勿論中国語である。
  紅蓮は意識が戻ってきたのだろう。薄目を開けると、白衣を身につけた二人が話をしているのが分かった。病院のベッドに横たわっていることに気がついたのである。おそらく、空腹と疲労で、失神してしまったのだろう。

  「人身売買どもに見つからなくて、運が良かったみたいだね。ところで日本人だったらパスポートを持っている筈だ。見つかったかい?」
  「まだです。他人の持ち物を探るのは気持ちの良いものではないので躊躇しているのです。」
  「相変わらず、君は潔癖というか誠心だね。まあいい、じきに目を覚ますだろう。それからで良いだろう。気がついたら先ず食事をさせて、それからで良いだろう。問題は多少なりとも中国語が話せるかだね。鄭州には日本領事館があったかな?」
  「私、調べてみます。こういうこと一つでも中日友好に役立つと良いのですけどね。」
  「君の日本びいきは相変わらずだね。もっとも僕もそれに染まってきてしまったけどね。まあ精一杯世話をしてあげることにしよう。」

  紅蓮は彼らの会話を全て聞き取ることができ、胸をなでおろした。地獄から天国への生還とはこのことである。薄目の視野には点滴の医療具なども目に入り、ここが病院であることは疑いもなく確信できることとなった。
  また自分の左腕に点滴の針が刺されていることにも気がついた。ここが安心できる場所であることが分かった途端に空腹が耐えられなくなってきた。目を全開させ、半起きになったところを医師の方が気がつき、日本語で、
  「気がつきましたか?」と話かけてきた。
紅蓮は中国語で、「ここはどこでしょうか?私は何故ここにいるのでしょうか?」と流暢に言った。
  「中国語が出来るのですね。それなら話してあげましょう。その前に彼女も呼びましょう。」と言って先ほどの看護婦らしき女性を呼びよせた。
  そして、紅蓮がここにいるいきさつを看護婦風女性とかわるがわる説明してくれた。

  そして、紅蓮も自分が中国人であること、文革の迫害から逃れるため親と離れ離れになって東伝に伴われて日本に亡命したこと、日本には約25年滞在し、5年ほど前に、結婚する予定だった中国ホータンに住む医師と、東伝に同時に先立たれたこと、気持ちが落ち着いてきたので、彼らを弔うためと、両親に会う為に、まず子供の時に住んでいた蘇州を訪れ、そこで両親が鄭州で生活しているということを聞き、空路蘇州から鄭州に来たのだが、空港で人買いに拉致されて、車に乗せられて来たが、隙を見て逃げ出したことを説明した。
  「その後は私たちが話したことに繋がるわけですね。おなかが空いたでしょう。今家内が食事を持ってきますので、それを食べてもらってからまた話をしましょう。」
  夫婦で医院を経営しているのだろう。
気持ちの良いカップルであり、信頼できそうだと胸を撫でおろした。
  意識がはっきりしてきたためか、紅蓮は尿意を感じ、
「厠所を借りたいのですが」
とトイレを借りた。
  日本の清潔なトイレに慣れた紅蓮から見ると、不潔極まりないトイレで、堆積した糞便の上をねずみが右往左往しているのが見えた。

  トイレの清潔度はその国の文化レベルを表している。トイレの清潔度ほど、中国が日本に劣るものはない。しかし、医師としての精神的清潔度は中国人の方が勝っているように思えてならない、と紅蓮は感じていた。
  中国医療は草の根医療、すなわち薬草を治療薬とした漢方医療が中心で、とくに地方の開業医はその傾向が強い。それプラス問診、聴診医療である。
  薬草には特異な土壌が必要で、糞便は土に還り、土壌の栄養となる。すなわち人の機能が自然のリサイクルに組み込まれている。そういう考え方に基づくと、糞便は決して不潔ということが出来ないかも知れない。

  一方日本の医療というのは画像診断による診断が重要視され、装置を導入するには莫大な金がかかる。開業医の経営は大変で、金がなくては高額の画像診断装置は導入できないのである。

  従って比較的資金のある大病院が装置を導入し、患者も集まり易くなり、大病院の寡占化が進むのである。病院は医師の質よりも先端診断・治療装置の方に目が向き、それによって医師の仁術の部分が疎かになってしまう。近くにいるたった一人でも良いから救おうというのが仁である。

 最も良いのは、普段の生活習慣の中に予防薬としての薬草成分が混じった茶やスープを喫飲する習慣を子供の時から定着させ、薬草に対する違和感をなくしておくことが必要なのである。

紅蓮は医療のあるべき姿をこの様に考えていたのである。しかし、その薬草採取をする目的のドライブで、東伝と婚約者という紅蓮にとってかけがえの無い人物二人を同時に失ってしまったことは皮肉としか言いようもない出来事であった。

  紅蓮は出された食事を満足げに摂り、医院の中を少し歩きまわっていたところに、その医師が呼びとめ、
「もう少し家内とともにいろいろお聞きしたいことがあるのですが、よろしければ、廊下の突き当たりの部屋、私たちの居間なのですが、そこで聞かせていただけませんか?日本での生活のことなどお聞きしたいのです。」

「結構ですが、その前に今回かかった医療費の支払いを済ませてしまいたいと思います。請求して下さい。」
「それは不要ですよ。でも、どうしてもと仰るのなら後程家内に請求書を作成させますが、...。」

  「今のところお金の被害はありませんので、どうか請求をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。」
と、紅蓮は懇願してから、その医師の後について廊下正面のつきあたりの部屋に向かった。
        続く







2011/01/31 23:22:03|物語
槐(えんじゅ)の気持ち(表紙==2011.1.25)
槐(えんじゅ)の気持ち(表紙==2011.1.25改訂)
NEW 2011年1月25日 カテゴリー「物語」を更新しました.

「西方流雲」第92回「92-3)日本人と中国人(14)=千手観音=
   < 今回までのあらすじ >
  

主人公二人のうちの一人 薄紅蓮 は文化大革命時に紅衛兵による組織的な迫害に耐えかねて、家族もろとも故郷の蘇州を捨て、両親を中国に残し、運命的な出会い以来、家族的交流を続け、なにかと精神的なよりどころとして世話になり続けていた 呉東伝 に伴われて神戸の地 に落ち着くことになった。

  以来25年の間、日本で様々な経験や出会い、別れをして、日本人と言ってもおかしくないほどの感性と情緒を身に着けてきた。
  多くの日本人知己の勧めによって医療の道を目指すことにした紅蓮は神戸から東京に単独居を移し、喫茶店にアルバイトをしながらそこに下宿し、喫茶店のマダムの甥が医長をしている 山の手医院 に看護婦見習いとして勤務できるようになり、本格的に看護学を勉強することになった。

  同時に、そこでも多くの日本人の生き様を見ることになった。そして30歳半ばになり、彼女の婚期を心配した 東伝 は、探し求めた結果、中国ホータンの青年医師が最適の伴侶になりうることを突き止める。
  婚約も整い、まじかに近づいた二人の結婚式の段取りのため、東伝はホータンを訪れた。そしてその青年医師と結婚式の引き出物用の超高級薬草茶獲りに崑崙山山奥深くまでドライブした時、不運にも交通事故に遇い急逝してしまった。

  かけがえの無い二人を失った紅蓮は、一時絶望感に襲われたが、次第に自分を取り戻し、ホータンを訪れることにした。
  ついでに、蘇州を捨てて以来、会っていない両親に会うために蘇州の住地を訪れた。
  その住地には、かつて紅衛兵として紅蓮一家への迫害に加担した 周瑯 が両親からその地を譲られ医院を開いていた。周瑯と文化大革命後の中国の変遷や 周瑯 の生き様を聞き、医の道に進み人間的に大きく成長した周瑯に目をみはった。

  紅蓮は周瑯が父から預かっていた千手観音の置物を受け取り、鄭州に向かった。両親が住地を太湖のほとりにある避難地から父 鉦渓 の夢だった夏王朝の遺跡発掘の仕事に就くため、そこに転居していたのだ。

  鄭州空港に両親に同行して鄭州に移住した 楊 さんとで迎えに来てくれる手筈になっていた。
  しかし現れたのは 楊 さんらしき男だけであり、両親は病院に入院しているので、そこに案内すると言う。車に乗せられ病院に向かうはずが、・・・。







2011/01/25 23:53:13|物語
西方流雲 92-3)日本人と中国人(14)= 千手観音 =
3)日本人と中国人(14)= 千手観音 =

  車に乗せられて、既に1時間以上経っている。道は細くなり、鄭州の郊外なのだろうか、細い道が地平線まで続く広大な砂糖キビ畑を分断していて、その細い道を紅蓮が乗せられた車は一路東に向っているのが、太陽の位置で分かる。
  その太陽が傾き始めているからである。そして四方八方視線を移しても砂糖キビ畑が続くだけで、とても病院らしきものは目に映らないのであった。

  そのうち、車は速度を落とし停車した。同じ程度の道幅の道路同士の交差点である。
そして、その交差点に沸き立つように一人の男が現れた。これまで車を運転してきた楊さんらしき男は、紅蓮のほうを振り返り、「ここから、運転手が変わらなくてはいけない」と日本語で書かれた紙片を見せた。同意を得る風を微塵も見せず運転手が変わった。
  その交替した運転手は紅蓮に向って、「ニーハオ」ではなく、「コンニチワ」と言ってきた。
これで、自分が中国人ではなく日本人と思われていることが、明確になると同時に、これまで運転手の横に座ってニヤニヤしていた男が楊さんではないことがはっきりしたのである。
そう認識した途端に、恐怖が芽生えてきた。

  どこかに、連れて行かれていることに気づいた。そして新たに運転手となった男と楊さんではないことがはっきりした男が話している内容も、それが早口であっても、彼らの中国語を容易に聞き取ることができた。
  彼らは人身売買屋らしいことが分かってきた。
「この女は一万元でどうか」
「何か特技とか価値のあるものを持っているのか」
「それは分からないが、下女としては申し分ない体格と耐久力を持っていそうだ。ある程度教養もありそうだし。」
「あと20分ほどで給油所なので、そこに着いたら、この女を車に
残し、我々は給油所で取引額を決めよう」
「そうだな。片言の中国語を話すようなので、本人のいないところで相談したほうがいいな。」
「その間に逃げられてしまう心配はないか?」
「日本人なので、地理は分からないし、助けの求め方も分からんだろう。心配は無い。」
「両親が入院している病院に向っている設定になっているらしいがまだバレていないのか?」
「その話は給油所でやろう。もうすぐだ。」

  紅蓮は話の一部始終を聞き取ることができた。あと20分のうちに逃亡する方法を考えねばならない。幸い僅かな荷物で、今、膝の上に載せている小さなバッグだけである。
  周瑯から受け取った千手観音も小さく、重さも1キロ少しでバッグの中ではないが持って逃げるのに不自由するほどではない。
どのタイミングで車の外に飛び出すかが問題だ。そんなことを算段しているうちに車は少しづつ速度を緩め、左に右に、時には同じ道を引き返しながら間もなく停車した。
  運転手も道には不慣れのようである。薄目をあけ、給油所を見ると、人の背丈以上の高さのさとうきび畑にポツンと立っていて、人の姿が全く見えない。
  さとうきびの収穫の時期には休憩所を兼ねるのだろう、小さい小屋が建っていて、その10mほど離れた傍らに給油タンクがある。 自称楊さんと新しく運転手となった人買いの男が共に小屋に入ったときが逃亡するチャンスである。
  そういう場面があるのかが問題であるが、一か八かでその場面に賭けることにした。車はその小屋からは2、30m離れた給油タンクに横づけされた。二人は車から降りるとき、紅蓮の膝に紙切れを置いた。
  薄目を開けてそれを読むと、「給油をする間、少し待っていてください。」と日本語で書かれていたが、それも最初から準備していたもので、明らかに計画的な悪事ということが分かった。
  そして小屋の方に歩きかけた時に、小屋から年取った老人が現れた。二言三言言葉を交わしてから、あくびをしながら紅蓮が残された車のほうへよたよたと近づいて来た。
  車の中を覗き込み、紅蓮の姿を認めながらニヤニヤするだけで給油タンクの給油ホースを手にとろうとした。
  その瞬間、その老人の目に3枚ほどの100元札が風に飛ばされて舞い散ってゆくのが見えたようで、それを拾おうと、よぼよぼと追いかけてゆく。風が強いせいか、100元札は道路を跨いで、サトウキビ畑に吸い込まれた。
老人も100元札とともにサトウキビ畑に吸い込まれ、姿が見えなくなった。勿論、紅蓮がばらまいたものである。
  またとないチャンスである。先ほどのわずかな瞬間に半開きとしていたドアを開け、荷物を片手に、風上に向かって一目散に走った。幸い、小屋とも遠ざかる方向なので、気が付くのに時間がかかるであろう。土道なので靴音が殆どしないのも好都合であった。
  しかしながら、全く土地勘のないところであり、たとえ逃げ切れても、誰か善良な人に遭遇しない限り、飢え死にの可能性だってある。
  すでに30分は走り続けただろう。相変わらずサトウキビ畑が途切れることがない。道路からサトウキビ畑に足を踏み入れた瞬間
サトウキビが倒れかけ、逃げ跡を露呈することになる。しかし道路を走っていても、土道に靴跡を残すことになり見つかってしまう。
  そう考えた紅蓮は思わず立ちすくんでしまった。遠方からかすかに車のエンジンの音が聞こえる彼らが追跡を始めたに違いない。

  走り回っていた時には気が付かなかったが、手にした荷物の中が動いているのに気がついた。荷物の中には周瑯から受け取った小さな千手観音が入っているのだ。中をのぞいてみると千手観音の何本かの手が特定の方向に向いている。いかにも指を指した方向へ逃げろとでも言っているようだった。
  紅蓮は千手観音に賭けることに決めた。またその方向へ走り始めた。ゴソゴソと荷物の中が騒がしくなるごとに中をのぞいた。そして、その指先の方向に合わせて、ある時は土道を、そしてある時はサトウキビ畑の中をサトウキビを踏み倒さないように走り続けた。
  右往左往はあっても、時折聞こえていた車の音が確実に遠くなっていることが分かった。
そして更に一時間ほど早足で逃げ回ったところで、車の音は完全に聞こえなくなり、聞こえるのはサトウキビ畑のざわざわという葉擦れの音だけになった。
  その音に混じって、また荷物の中からゴソゴソとした音が聞こえた。中を覗いてみると相変わらず千手観音は一方向を指差している。
  「千手観音が指差す動作をやめるまで歩き続けよう。」と、独りごちた紅蓮は再び千手観音が指差す方向を目指して歩き始めた。
             つづく