ホータンヘ その2
水餃子を10個ほど頬張った時、次第に目の前が暗くなってゆくことに気がついた。そして一人の白髪の男性の腕を取って、どこかへ案内している自分が見えた。その男性の5m程後ろには華奢で小柄で、こちらも白髪の老夫人が、その男性の分の荷物を肩にし、キャスター付きのサムソナイトを渾身の力を使って付き従っている。 その二人はおそらく夫婦だろうということが推測できても、この夫婦が誰で、自分はどこへ、どの様な理由で彼らを案内しようとしているのか皆目見当が着かない。 ただはっきりと目に映っているのは老婦人が運んでいるサムソナイトに大きくはっきりと紅蓮と同じ苗字の“薄”という文字である。 とすると彼らは自分の両親と言うことになるが、父親はこの白髪の老人の様に目が見えないということは無かったし、母親は白髪頭ではあったが、もっと大柄な筈であった。 不思議なのは、どんな時でもその老婦人は5mよりは近づこうとはせず、男性に気づかれない様にしている様で、男性の方は後ろから、老婦人が付いてきていることに気がついていないようなのである。 彼らは洛陽と西安の間を歩いている積りらしい。時折、槐の大樹に出会うが、そのたびごとに老人は、その大樹の太い幹に手の平を合わせ何かつぶやいたあと、懐から中国へきてから買ったと思われるカッターを取り出し、何かの印を切り刻んでいる。 すると槐の大樹はまるで生き物のようにザワザワザワと揺れて、「ジャーヨウ」と言っているようだった。 紅蓮が近づいた時に、その印をみると、いつぞや東伝とともに、京都の仁和寺の金堂を訪れた時に金堂の軒丸瓦に刻まれた文字と同じであることに気が付いた。 あの時、東伝は、 「あの軒丸瓦は大変珍しく、普通は菊紋とか卍紋とは巴紋と言った回転対称紋が普通なのだけれど、あの軒丸瓦に刻まれた文様は、ハスとその上に種子(シュジ)という梵字が刻まれていて日本の寺院では大変珍しいのだよ、あれはたった一文字で阿弥陀如来を意味し、キリークと読むのだそうだ。種子には干支との関係もあり、戌年が対応するのだそうだよ。大日如来、薬師如来から殆ど全ての菩薩、天、明王らの仏が対応する種子を持っていて、この金堂は阿弥陀三尊を祀っているので、キリークなる一文字梵字が来編まれているのだろうね。」 と言っていたのを思い出した。
その老人が槐の大樹に出会う毎に刻みこんでいるのは、そのキリークという一文字なのであった。 刻みをいれた槐の大樹から離れたあと、今度は老婦人がそこに近づいてはデジカメを取り出し写真を取る。その度に再度槐がザワザワザワとザワつくので、男性が紅蓮に手を引かれながら、「何故槐と言う樹は二度ザワつくのかね?」と紅蓮に尋ねたことがあった。しかし、紅蓮は、後ろから老婦人が付き従っていることを伝えず、「不思議ですね。」と答えるだけであった。 その老婦人の所作が、何かの償いをしている所作にしか見えなかったので、何か二人の間には触れてはならない事情があると察していたためにそういう言葉でしか答えられなかったのであろう。
49本目の槐の大樹が前方に確認できた時、その大樹の下になんとホータンで亡くなった筈の東伝が大きく手を振っているのが認められた。 老人の手を引いているので急ぐことは出来ず、近づいている筈なのに、何故か姿は小さくなってゆくのである。 そして49本目の槐に更に近づくと、今度は急に迫ってくるようになり、その人の輪郭がハッキリしてきたが、東伝ではなく、顔はシワがあ深く刻まれた赤銅色、白髪千丈、さらに白髭は地面まで達している。いつか夢に見た崑崙の仙人に間違いなかった。
しかし紅蓮は、このことだけは盲目の老人に伝えた。もしかしたらこの老人たちは、崑崙の仙人に会う目的で西方に旅をしているのかも知れないと、一瞬そう思ったからである。 紅蓮はいまだに彼らの西方に向かう目的が何であるか分からないでいた。ただこの老いた男性が不思議な感覚を持っていることが分かってきた。 歩いていて突然立ち止まり目が見えないはずなのに空を見上げるのであった。そして見上げた先には必ず西の方角に流れてゆく一片の流雲があるのである。 流雲は西方以外の方角にも流れてゆくが、そういう流雲には一切見上げることをしないのである。 西方流雲のみに関心があり、目に見える様である。見方によっては、手を曳いて導いているのは、紅蓮でありながら、実際にこの老いた男性を導いているのはあの西方流雲ではないかと感じるのであった。あの西方流雲には阿弥陀仏が載っていて、この老いた老人を導いている様な感覚に陥ることが多くなってきた。
遠くで、「シーシャマ、シーシャマ」という若い女性の中国語が耳に聞こえた。そして次の瞬間、ドスンと言う音がした。紅蓮は居眠りをしていて、その音によって、眠りから覚めたのであった。 今車輪が出たところで、間もなく着陸する模様である。 そういえば、この便は敦煌空港経由で、先ほどの女性の声が、そこに着陸する直前であることを告げる機内放送であることがすぐわかった。 敦煌空港経由は給油が目的の様で、2時間程待機し、また同じ航空機に搭乗してウルムチに向かうことになっていた。敦煌は日本人にとって人気の観光地の様で、多くの日本人観光客が降機した。給油だけが目的ではないことが分かった。
紅蓮は、中国が自分の生まれた国でも、知っているのは江南のみで、しかもそのうちの蘇州だけであり、今回の旅で、これほど広大な国とは思いもしなかった。
そして、紅蓮が世話になっている喫茶店に来た客が、「国の広さと人間の命の価値は反比例しているのです。」と言っていたことを思い出した。 その客が再訪したら、「どうしてですか?」と聞いてみたかったが、その客とは会えずに今日まで来てしまっている。 「それなら、アメリカやソ連、オーストラリアでも人間の命の価値は低いのだろうか」と聞いてみようと思っていたのである。 中国は果たして人間の命の価値は低いのだろうか。人間の命の価値はどの様な方法で評価するのであろうか?死亡率の高さだろうか、死刑の執行率の高さだろうか、平均寿命の低さだろうか、人為的に一方の論理で他方を安易に殺戮することが許されることの多さだろうか。 戦争はまさに、その通りで、戦争で敵を殺戮しても殺人とはされない。何故こんなことを考え込んでいるのか、そうしている自分を持て余しながら待機ロビーへの通路を航空会社の係員に導かれて歩いていた。待機ロビーに腰を掛けたら、今度は機中での夢の内容を反芻していた。
... 続く ・・・ |