| 「河姆渡遺跡と、貴州省の自然と少数民族に触れ合う旅」 + 「杭州〜貴州、中国高鐵(新幹線)往復15.5時間の旅」
5.第3日(2015.11.1) @「杭州東〜貴州(凱里南)中国高鐵(新幹線)往路7.5時間の旅」
今回は杭州東駅までは地下鉄を利用し、朝09:30発-17:12到着の新幹線に乗り込むことになっている。荷物は必要最小限のものを駱さんに借りたバッグに押し込み、残りはキャリーバッグごとホテルに預けた。杭州を起点に他の地域にでかける時は、必ずセカンドバッグが必要ということを肝に銘じなければいけない。正確には7時間42分の旅で、日本でもこれほど長い鉄道の旅をしたことは殆ど無い。しかも最高時速350km/hを出しての旅である。そこで、あらかじめ途中停車駅を駱さんに教えてもらい、ある程度の予習をして、停車するたびに駅の写真を撮ることにした。再度訪問することがあるかも知れないということで、その地域の代表的観光地(があれば)記憶に留め置くことにした。利用する高鐵番号はG1323で、停車駅、発着時刻、駅(地域)の特徴は以下の通りである。
⇒停車駅<着/発時刻>メモ(観光地など)⇒ 杭州東<9:27/9:30>乗車駅⇒诸暨(しょき)<9:52/9:54>浙江省紹興市に位置、農業のほか、真珠の特産地でもある。真珠、榧、茶は「諸曁三宝」と呼ばれる。⇒金华(浙江省)< 10:18/10:20>⇒衢州(くしゅう)<10:40/10:42>浙江省に位置、商・周代には人々が生活していた。衢州墙水门⇒江山(こうざん)<10:55/11:02>浙江省の衢州市、世界遺産の「中国丹霞」、市内の江郎山は丹霞地形の印象的な山並⇒ 上饶(じょうじょう)<11:22/11:24>江西省の北東部、鄱陽湖へ向かう信江が流れる。⇒鹰潭北(ようたん)<11:50/11:52>江西省に位置、福建省に接する。竜虎山⇒南昌西<12:31/12:34>江西省の省都。滕王閣、贛江、撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む江南の三大名楼。中国人民解放軍誕生の地。江西省最大の工業都市。全市の平均海抜は25メートル。⇒新余北(シンユー)<13:06/13:08>江西省に位置。三国時代、呉の宝鼎2年(267年)に新渝県が置かれる。隋の開皇9年(589年)に県を廃止し、呉平県に合併。開皇18年(598年)に新渝県が復活。⇒宜春(イーチュン)< 13:23/13:25>江西省の中西部に位置し湖南省と接する。⇒长沙南(ちょうさ)<14:07/14:11>湖南省の省都。古い歴史をもつ国家歴史文化名城であり、経済的にも湖南省の中心。屈原、関羽、毛沢東、麓山寺⇒韶山南(シャオシャン)<14:36/14:38> 湖南省湘潭市に位置 毛沢東旧居⇒娄底南(ロウディ)< 14:56/14:58> 湖南省の中央部に位置。湘江の支流の漣水が市域内を流れている。⇒邵阳北(シャオヤン)<15:14/15:16>湖南省の中西部に位置。広西チワン族自治区に接する。主な河川は資江。邵陽に初めて行政区域が設定されたのは漢初の昭陵県である。⇒怀化南懐化市<15:54/15:57> 湖南省の西部に位置し、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州、貴州省、広西チワン族自治区に接する。長江の支流で、洞庭湖へ注ぐ沅江が流れている。芷江和平城⇒铜仁南<16:26/16:37>貴州省西部の都市。人口 427万、トゥチャ族、漢、ミャオ族、ドン、コーラオ、族等29 の少数民族が住み、少数民族は総人口の 70.45% を占る。スマートシティは中国で最初の国のパイロット都市の五菱山周辺地域開発と貧困削減の実証地域⇒凯里南 <17:12>降車駅
各駅ごとに駅に近在する名所・観光地をWikipedia情報から拾い出した。
写真11.1-1-1:金华(浙江省) 写真11.1-1-2:衢州 衢州城墙水亭门 写真11.1-1-3:江山 世界遺産の「中国丹霞」 写真11.1-1-4:上饶 世界遺産の「三清山」 写真11.1-1-5:鹰潭北 竜虎山 写真11.1-1-6:南昌西 滕王閣 写真11.1-1-7:长沙南 麓山寺 写真11.1-1-8:怀化南 芷江和平城
以上は駱さんから情報を得た高鐵(新幹線)途中停車駅情報をもとに予習した内容であるが、駱さんはいずれも行ったことがないとのことだった。
さて貴州省の旅の始まりは杭州東駅から始まる。前回の安徽省合肥への高鐵利用と同様に安全チェックのあと、屋根が高く広々とした駅構内(写真11.1-2-1)の,行き先が該当する改札口(写真11.1-2-2)を見つけ、その近くのベンチに腰を落とし(写真11.1-2-3)、改札が開始されるのを待った。トイレに行きがてら、少しフロアを歩いてみた。広いフロアなので、ショーウィンドウ(写真11.1-2-4)、やブックショップもあった。
乗るのは上海虹橋駅発貴陽北行きの高鐵(新幹線)である。杭州東駅は9:30発となっている。入線少し前にホームに降り立ち、列をなし、入線を待つ。列に割り込む人はいない。日本の新幹線のホームと異なり、売店は無いし、待合室もない。昼食は車内で販売されるカップラーメンや弁当を利用するのだ。駅弁なんていうのは無いのである。 2列の座席の窓側を確保してくれていた。隣に駱さんが席を取っているので、これまで聞けなかった多くの話が聞ける。この7.5時間の駱さんとの会話は、今回の中国旅行の最大の楽しみの一つとしていたのである。杭州東駅を出発して、少し落ち着いたところで、お菓子が出てきた。碧根果というナッツ系のお菓子(写真11.1-3-3)と松の実系のお菓子であり、栗や胡桃の様に殻を割って中にある実を食べるタイプの食べ物である。どちらかと言うとこの種の食べ物は苦手である。味ではなく殻を割って中の実を取り出す作業が苦手なのである。
【今回の中国旅行のテーマについて】 本旅日記の冒頭に記した、1.はじめに に記載した文章は旅行前に既に作成済みでwordファイルとしてPCのデスクトップにアップしていたので、これを見てもらった。子供の頃から古代史ファンであることを知ってもらえることは、今後駱さんにガイドをしてもらう旅先を決める時に参考にしてもらえる筈という下心もあった。
【碧根果】 杭州東駅を出発して、少し落ち着いたところで、お菓子が出てきた。碧根果というナッツ系のお菓子(写真11.1-3-3)と松の実系のお菓子であり、栗や胡桃の様に殻を割って中にある実を食べるタイプの食べ物である。どちらかと言うとこの種の食べ物は苦手である。味ではなく殻を割って中の実を取り出す作業が苦手なのである。 この稿を書くにあたって、旅行後にウェブで調べると、碧根果はアメリカ原産のPECANに対する当て字で、健康食とされている。Ca、K、P、Mg、抗酸化材、が豊富に含まれていて、心臓病(冠状動脈心臓病)を予防、神経疾患、アルツハイマーの進行防止やコレステロールを下げ、栄養価の高い食べ物であることが分かった。狭心症が自分の持病であることを知っている駱さんの心遣いがったのかも知れないと思うと本当に嬉しいことであるが、後で分かったことであり、この稿で、時間遅れの感謝を駱さんに捧げたい。
【柚】 また、碧根果が出てきたのとどちらが先だったか記憶が定かではないが、柚(ユズ)が出てきた。これは10/31の稿の昼食のところにも話題にした(写真10.31-5-3)が、中国人が柚と呼ぶ果物が座席の前のテーブルに置かれた(写真11.1-3-2)。日本ではグレープ・フルーツ(ルビー)と呼んでいる果物の、直径が1.5倍、体積では3.4倍ほどの大型版である。果皮が厚いので切り込みが入っている。車内では安全チェックにひっかかるのでナイフ類は持ち込めないので、駱さんが予め切り込みを入れて持ってきたのだろう。ものの名称は“郷に入れば郷にしたがえ”である。拘らないことにした。
【喇叭華】 最近は中国旅行時にPC(レッツノート)を携帯している。また中国の訪問先で使用可能なWiFiも成田で借用して、中国で地図と自分のブログを閲覧できるようにしている。これまでの中国旅行で不明だったことを駱さんに教えてもらう為である。7.5時間の旅は格好の相談室である。その中に分からずじまいの花の名があり、それを自分のブログ掲載の写真を見てもらいながら明らかにしようという魂胆である。 その一つ河南省洛陽近郊にある献帝陵につつましく咲いていた野辺の花(写真5.3-4-9)の名前である。最初は駱さんも知らなかったらしいが、すぐスマホで調べてくれて、花の写真を見せてくれながら、「それは、喇叭花という名前の花です。」という。自分が見て、とても同じ花には見えないが、自信をもって言うのでそうなのかも知れないと思い、反論はひっこめた。ところが、他の写真を見せてくれながら、「これも、喇叭花という名前の花です。」という。見せてくれたのはアサガオや水仙の花、おしろい花であった。これには、驚いてしまい、「これはアサガオと言うのですよ、日本では。」と言っても妥協をしてくれない。そこで、後日、「喇叭花」で検索してみたら、確かにアサガオを筆頭に、水仙、ユリ、など、強いて言えば、喇叭に見える花は皆喇叭花であった。更に「小喇叭花」の分類を見るとかなり近い写真があった。「私の負けです。」。しかし、完全に花姿が一致しているものは無かったのも事実なのだ。
【中国人の爆買い】 中国人の爆買いは日本経済を活性化する原動力のひとつになっている一方、好ましからぬ行状が新聞やTVのニュースで揶揄的に報道されている。駱さんは、日本語が話すのも、聞くのも、書くのも、読むのも一流である。また、個人旅行のガイドもしてるが、浙江国際旅行社にも所属している。その縁でオファーがあるのだろうか、中国人の日本旅行のガイドさんもかなり頻繁にこなしている。 沖縄は何回か、そして本州にも既に来ていて、筆者が今回中国をガイドしてもらう直前にも、成田から関空まで全コースをバスで移動するツアーのガイドさんをし、10月22日(筆者が成田に前泊した日のちょうど一週間前)に関空発で杭州に着いたばかり、とのことであった。駱さんには事前のメールで、「杭州-貴州高鐵8時間の車内で日本ツアーの感想を聞かせて下さい。」とお願いしていたのである。 特に興味を持ったのはツアーのコースであり、成田から関空までの間、どの観光地に立ち寄ったかである。都内は、秋葉原、銀座、皇居で、その後、深大寺に寄り、富士山、浜名湖、浜松、名古屋、京都、大阪、関西空港とのことだが、意外なのは深大寺である。日本人でさえ深大寺を知っている人が多いとは言えない。筆者の勤務する大学から歩いて行ける距離である。東京都調布市ある古刹であり、そばで有名。また隣接して神代植物公園があることでも有名である。特に中国と接点があるとも思われない。 ただ、NHKの朝ドラの「ゲゲゲの女房」の舞台となっている。布多天神に至る天神通りには、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪像が通りの両側に据えられている。大学には大勢の中国人留学生がいるので、かれらの内の誰かが、「ここに来れば日本人の珍奇な精神文化に触れられる。」と思い、それを日本以上に進んでいる中国のSNSに情報発信し、それが日本の観光地情報として駈け廻っているのかも知れない。もし、そうだとしたら「爆買い」とは対極的な動機であり、揶揄すべきではない、といえる。 筆者は非常勤なので週に3日であるが、天神通りを通行しているが、時々妖怪像にカメラを向け中国語を話している旅行者風カップルの姿を見ることがある。筆者も、もし中国人の特異な精神文化に触れられる観光地があれば、是非行ってみたい、という気持ちになる。それと同じような気持ちで、日本を観光する中国人が居ても不思議ではない。 この稿を書いている最中に(2016.1.12)、駱さんにメールで「ゲゲゲの鬼太郎」を知っているか?」と尋ねたところ、「中国でも人気のある漫画だ。」と教えてくれた。
車中の7.5時間の中で以上の様な会話をしたのを覚えている。その他昼食の時間、停車時間待ち、車窓からの景色(写真11.1-3-1)を見る時間があったが、微々たるもので、殆どが駱さんとの会話に費やされた。従って、停車駅を写真にとる(写真11.1-3-4)ことは殆どできなかった。
そして、あっと言う間に、往きの降車駅の凱里南駅に17:12に着いた。予定到着時刻ピッタリであった。時間に正確なのは何も日本人だけのお家芸でないことが分かった。降りたホームには人影は少なかった(写真11.1-3-5)。少し遠方に目を移すと、曇天を背景に三つからなる小さな連山(写真11.1-3-6)が見えた。ホームから出て、駅を振り返ってみると、駅ができたばかりで利用客も少ない感じであった(写真11.1-3-7)。まだ駅の周囲は整備中(建築中)であることが正面に目を移すと分かった(写真11.1-3-8、3-9)。
階段をおり、車道につながっているタクシーが沢山待機する路面まで歩き。タクシーのたまり場の方に歩いていくと、タクシーを斡旋する仲介者の様な男が近づいてきて、駱さんと何やら交渉している。交渉がまとまったらしく、車に乗り込んだ。まもなく、この辺りが、凱里市の中心部に違いないという地点(写真11.1-3-10)を通り抜け、広い道を北へ向かう、途中、短い区間だったが、別の客を乗せる、という日本のタクシーであれば、考えられないこともして、車は更に北へ、北へ。そして道も次第に狭まり、山道へと入ってゆく。路はクネクネとカーブが多くなってくるが、運転手は緩急をつけたスピードで、ことも無げに目的地に向かっている。もう少し緩走してくれると揺れも少なく、周囲の景色を車の窓ガラス越しに写真を撮ることもできるのだが、暗くもなってきたこともあり、諦めた。
そして、約1時間後に、車を下車し、間もなく「西江千戸苗賽」と横書きされた苗賽(苗族の村)の入場門(写真11.1-4-1)に至った。少数民族の村として相応しくない光と音量で観光客を迎えてくれている。門には、銀製の苗族民族帽(写真11.1-4-2)や、民族飾り(写真11.1-4-3)が施された入場門を背景に写真を撮ってもらい(写真11.1-4-4)、入場した。この門の裏側には、民族帽や民族飾りは無いもののライトアップはされていた(写真11.1-4-5)。門の裏側も広場になっていて、その隅のあたりにバスが数台駐車していた。
入場門と苗賽中心部を結ぶシャトルバスの乗車停留所には夕闇が深くなっているこの時間にも観光客が多くいた。しばらくしてバスを降り、少し、そぞろ歩くと、民族色の深い種々の店が見えてきた。店の入り口には民族服を着た娘さんや縦笛を構えた民族服の男性が背を伸ばし、佇んでいる(写真11.1-4-6)娘さんの手にはスマホがあり、これさえあれば、長時間佇んでいても苦にならないのであろう。この夕闇の中を苗賽に住んでいると思われる子供が遊歩しているがどこにでもある子供の服装である。肉の燻製棒を販売している店も多かった(写真11.1-4-7)。苗賽中心部の観光は翌日である。
これから山の中腹にあるホテルに向かい、荷物を置いて、また降りてきて夕食である。 少し歩くと、山の中腹部に向かうための座席と屋根だけがついた電動カート(異動車)乗り場があり、そこに並んだ。これから山の中腹部を目指す観光客がまだ沢山いる証拠だ。カートはグングンと舗装され曲がりくねった山道を登ってゆく。そして間もなく、終点に到着し下車した。ここには見晴らし台があり、舞台には多くの観光客が夜景を見降ろし、シャッターを切っていた。ここへ宿泊予定のホテルの管理人が迎えに来る予定なので少し待って欲しいとの駱さんの話があり、その間に自分も舞台に上がり、シャッターを切った(写真11.1-4-8)。
やがて、駱さんが舞台に上がってきて、ホテルまで案内してくれる人が来たと告げてくれたので、その人について、足を踏み外したら転落の恐れがある細い山道を注意深く歩いて行く。100円ショップで買ったLED3灯式の懐中電灯が大いに役に立った。やがて、こじんまりとして、小ぎれいで見晴らしの良さそうなホテルに到着し、チェックインし、少し休んだ後、夕食の為、今度は徒歩で苗賽中心部に降りてゆくことになった。下りで、道幅も比較的広いので楽に歩くことが出来、間もなく苗賽中心部に至った。最初に目についたのは翌日見る予定の民族ショー開催場所の入り口に佇む民族衣装を着飾った苗族の4人の娘さん達(写真11.1-4-9)で、先ほど見た娘さんたちとは違う衣装である。民族衣装の前掛けの中に両手を突っ込み談笑している。3人寄ればカシマシは少数民族だろうが、漢族だろうが、また中国人だろうが、日本人だろうが変わらないのであろう。ましてや4人である。カシマシ度は加速するはず、アッというまに時間は過ぎるのだろう。
そして、夕食は辛味の効いた中華麺(写真11.1-4-10)を駱さんと二人で食し、先ほどと同じ経路でホテルに戻った。またまた100円懐中電灯が役にたったが、雨が降っていなくて幸いであった。それにしても駱さんの間違えないガイドには感心し、信頼感が増した。 本稿完 つづく |