「河姆渡遺跡と、貴州省の自然と少数民族に触れ合う旅」
+「杭州〜貴州、中国高鐵(新幹線)往復15.5時間の旅」
6.第4日(2015.11.2) 「西江千戸苗賽」その一
西江と言うのは、貴州省凱里市にある地名であり、千戸が密集して生活している苗族(ミャオ族)の村である。中国は漢民族と54の少数民族からなる多民族国家で、苗族はこれらの少数民族で最も歴史の古い民族の内の一つである。
苗族については、東洋文庫260「苗族民話集 中国の口承文学2」村松一弥 編訳 平凡社刊(昭和49年)の解説に詳述されている。
それによると、「彼らは、有史以来、主として中国南部に生活してきた原住民族であり、その全歴史を通じ、民族全体が西南方に移動を続けていて、現在は中国だけでなく、インドシナ半島の諸国のベトナム、ラオス、タイの山地にも分布して、そこでは、メオ族と呼ばれている。」また「彼らの源郷は、現在の住地より東方の、漢民族が進出する前の中国中部の温帯であった。彼らはそこに定住して、更に古代中国で東夷と呼ばれ、後に殷帝国を建てた華北の農耕原住民族の文化影響も受け、牛を使い、稲を創る湿潤アジア的農耕文化を築いていたらしい。」とある。
また、「村落を、丘陵上や山麓の要地につくるのも、戦術的配慮が働いている。漢族が苗族の村を賽(とりで)と呼ぶのもその故である。」ともある。今回訪問した貴州省凱里市にある「西江千戸苗賽」はまさにそういったところなのだろう。
たまたま前著P403に、『ミャオ族の村――貴州省東南の凱里県(「民族画報)1972年7月号』が写真に掲載されていている(写真11.2-0-2)。この写真の頃は、河姆渡遺跡の発見があった年で、日本では昭和48年、筆者にとっては、社会人5年目で、初めて転職をした年であった。
ミャオ族は中国東南部に広く分布している農耕を主とした少数民族で、日本と同じ照葉樹林帯(常緑性のカシ、シイ、クスなどの濃緑色の光る葉を持った木の茂った東南アジア独特の温帯林)に居住し、他民族との鬩ぎあいの中で、現在の居住地に移住し、定住しているのだ。
同じミャオ族でも移動するものもいれば、残るものもいる。従って、ミャオ族は、ここ貴州省だけでなく、四川省にも、湖北省にも、広西チワン族自治区にも、自治州をもって居住している(写真11.2-0-3)。前著『「苗族民話集 中国の口承文学2」村松一弥 編訳 平凡社刊(昭和49年)』の付録「ミャオ族民話集関係地図=中国におけるミャオ族分布図より)。
あるいは揚子江流域で農耕を営んできた民族をミャオ(苗)族と総称し、地域によって異なる方言を使ってきて、現在に至っているのかもしれない。
もう一つの特徴は、写真11.2-0-2(中国におけるミャオ族分布図)を見て分かる様に、殆どの自治州を、ミャオ族単独ではなく、他の少数民族、例えばトン族、チワン族、プイ族らと共存して自治州をおさめている場合や、より小さな単位の自治県を構成している場合が多いようだ。
多民族国家の中国に於いて、民族の融合/離散は国を運営する時の最大の関心事であろう。
民族の融合/離散のグループ・ダイナミクスに、外力としての誘導が如何に発揮されるかが極めて重要で、有害/有益な他国による干渉や、IT情報も意図しない外力であり、外力どうしの干渉にも対処が必要であろう。前著解説で、「中国は、ものすごいバライエティの集約された世界なのである。従って中国をより良く理解するには、中国を多元世界として捉える必要がある。」と記述されている。これは、旅行者や中国研究者だけでなく、国を統治する人達にとっても重要な認識となっているものと思われる。
民族単位を一つの分域(ドメイン)と考えた時、単分域(シングル・ドメイン)→多分域(マルチ・ドメイン)の変化と、その逆の多分域→単分域の変化と、いずれの向きが、内部エネルギーやエントロピーの観点で安定化の方向か、“神のみぞ知る”ところであろうか。
多分域→単分域の変化には分極(ポーリング)という人為的な操作が必要だが、単分域→多分域の変化は一定の温度(キューリー点)以上になると起こりやすくなるというのが、固体物性論、特に強誘電体や強磁性体などの材料分野では基本的な考え方である。
一定の温度(キューリー点)以上になるのが、自己加熱によるものか、環境温度の影響によるものかは重要な観点であるが、いづれにしても少数民族の平安と安全につながる演出が必要と言えるのではなかろうか。一方的で、歪の混じった観点からの民族の融合/離散は悲劇につながる可能性大で、そうさせない統治者の度量が必要であろう。そして、被統治側のリーダーの度量も重要だろう。
「西江千戸苗賽」その一に示した写真(写真11.1-4-1)の様に、夕刻の苗賽の入場門に立った時、光(ライトアップ)と音との共演に酔わされたが、この様な演出は、観光地化を加速させる為の有効なツールとして利用しているのは、どこの国でも同じだが、これによって漢民族観光客の来訪を促し、漢民族との融合が図られるのは言うまでもないだろう。
そして来訪した観光客がIT網に載せ、SNS等を通じて全世界に情報発信し、ミャオ族の通常の生活の場さえも、やがて、観光ツールになってゆく様な感じがした。
ミャオ族は古来、文字を持たなかったので、制度、歴史から英雄断や著名人のエピソードまで、全て、民間の口頭伝承によって、語り継がれてきた。従って、愛を伝えるラブレターなんてものは無い。その代わり歌がその手段となる。
今回、民族ショーを見ることが楽しみであった。
前著はミャオ族の民話集であり、計56編の民話を掲載している。虎、牛、鶏、羊等の動物が擬人化されていて楽しみだが、この書籍を読んだのは旅行が終わって一か月後のことだった。
この稿 完 つづく