高齢者による交通事故が話題となって久しい。昔と比較すれば長寿になったのだし,車が普及したのだから,多種の事故が発生するだろう。
報道によれば,警察庁は75歳以上の免許を制限付きとする検討に入った。自動ブレーキ装備,運転時間帯制限,高速道路走行禁止等が検討項目だ。
本質的には,年齢ではなく運転資質について論ずるべきなのだが,残念ながら表面的検討に終始するのは,諸々の理由があってのことだ。
高齢者も若者も事故を起こす。車は走る凶器とまで言われている。それを制御すべきドライバーの運転資質が欠落している場合でも,そうした者に免許を交付していることが問題なのだ。
限定免許を検討するのであれば,高速道路逆走のような例を除けば,最近よく報道される事故を防ぐために,マニュアルミッション車限定とするのが有効だ。多くの場合,アクセルとブレーキの踏み間違えが原因としてあげられているが,MTでそれをやるのはなかなか難しい。
原因の多くは,不完全なオートマチックトランスミッションに由来する。オートと聞いて,自動的に運転できるという錯覚があるのが現状だ。未熟なATより,ドライバーが介在せざるを得ないMTの方が,多くの事故を防げるだろう。
単車にもAT免許があるが,ATがMTと異なるのは,主にクラッチ操作だ。その程度の操作上の違いで免許の種類を変えるのは,表面的な行政の結果といえる。
事故減殺が,いわゆる安全装置によって達成できると思ったら,大間違いだ。安全装置といわれている装置は,人間の危機感を麻痺させる。良い例が単車のサイドスタンドスイッチだ。あれで安全と思ったら大間違い。高速道路の追い越し車線で,サイドスタンドスイッチの導通不良が発生したらどうなるか?装置に頼る安全など,簡単に吹っ飛んでしまう。
フェイルセーフやフールプルーフに頼ることはあるだろうが,肝心なのは個々の安全意識だ。年齢によらず,運転資質欠落者に運転免許を交付しないのが,本質的解決策だ。
しかし車は,今や生活必需品ともいえる。安全と利便性を天秤にかけ,資質欠落者をどうするかが課題だ。
考えられるのは,やはり教育だろう。教育によって資質を変えることはできないが,それでも能力を向上させることはできる。コストはかかるものの,高齢者だからという理由で免許を制約するのと比較すれば,コストをかけて教育を徹底する方が本質的対策であり,事故防止に役立つ。
アメリカからの圧力によって消滅してしまったが,過去存在した二輪免許の限定解除は相当難しかった。単に技能だけではなく,服装や行動に関してもチェックが厳しかったようである。あのような試験を設定できたのだから,車の免許も同様の厳しさでできないハズがない。
『資質欠落者』と決めつけられると,何だか悪いことをしているような気持ちになることがあるかもしれない。しかしそのような心配をすべきではない。運転資質が欠落しているだけであって,人格が欠落している訳ではないからだ。
人によって物事の得手不得手がある。子どもの頃から絵を描くのが上手い人は,下手な人からみると明らかに自分とは異なる才能の持ち主だ。どう頑張ってもそれより上手い絵を描くことはできない。
車の運転も同様であって,得手不得手がある。運転の上手い下手は,絵と違って分かり難い。運転資質が欠落しているのに,自分は上手いと思っている者は多い。それが分かるのは,事故をおこしてからだ。それでも気付かない者は,これまた多い。
資質と能力は別物だが,関連がない訳ではない。資質に優れる者が上手くなり易いのは事実だ。
全日本のレベルで上位にいるレーサーでも,世界レベルでは通用しないことが殆どだ。資質がイマイチだから,世界では通用しない。それでも国内で良いポジションにつけるのだから,能力は一定以上ある。練習によって,一流とまではいかなくても,そこそこのレベルには到達できる良い例だ。
そうしたことから考えると,運転資質欠落者に対し教育を徹底することによって一定の能力を付与し,安全を確保することに合理性があるだろう。
2017.7.1(土)
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