報道によれば,神戸市立東須磨小学校の教員間暴行・暴言問題を受け,職員を「分限休職処分」にした上で給与を差し止められる条例改正案が,本日の市会本会議で起立多数で可決,成立した。
それはそれで良いのだろうが,何とも遅い対応だ。規則上の制約はあるにしても,公務員の場合,組織内での処分は速やかに行えるだろう。それができない組織は自浄作用不十分といえる。
この事件について,『まさか先生が』と思う人が多いだろう。しかし私自身の経験からは,そういうことがあっても不思議ではない。以下,私の小学校時代の出来事を記述する。
私は小学6年になる時に転校した。出来事は転校先でのこと。
ホームルームの時間,私は太平洋戦争に関する質問をした。すると担任は,『そんな質問をすべきではない。そんな質問は,おかしい人間がすることだ』といった意味のことを全員の前で言った。
私はその時,変な担任だナと思っただけだったが,そのことはずっと印象に残っていた。
音楽の時間には教科書はあまり使わず,いつも『・・・ああ許すまじ原爆を・・・』という歌を唄わされた。校歌は全く覚えていないが,この歌を今でも覚えているということは,相当回数唄ったのだろう。
この担任は非常にえこひいきが強く,何人かの女子児童は非常に可愛がられていた。
私は鈍感な方なので,そんな一年間を何となく過ごしたのだが,後々思うのは,かなり偏った思想の担任だったのだということ。それはこの一人だけではなく,その後の中学校においても同様の状況があった。
その後,学校における国旗・国歌問題からも教員の資質及び能力に関する問題が大きいのだと認識するようになった。
今も残っているかどうか定かではないが,昔は『でもしか先生』という言葉があった。『先生にでもなるか。先生にしかなれない。』という意味だ。これではマズいだろう。
なぜデモシカなのか。現場で精いっぱい情熱を注いでいる先生も多く,そのような先生には失礼に当たることを承知の上で言えば,魅力が乏しいからだろう。
学校教育に必要な事項として,
1 児童生徒の意欲
2 先生の知識,技能,教育技術
3 教材,教具,教育施設
があげられる。
今回の事件は,2番に関することだ。これは資質と言い換えても良い。優れた人材は多数存在するのだろうが,教員が魅力的に見えず,集まらないのではないか。私自身の小学校,中学校時代を思い返せば,そのように思う。
2019.10.29(火)