まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
ハワイの満月
 ハワイは今日24日ですが、日本は25日である。満月の日を調べたら、日本時間で12月25日午後8時11分だそうだ。だから、24日(木)の午後8時11分が当地ハワイの満月かと思い、若干時間がずれたようだが、午後9時半に外へでた。綺麗な満月を見ることができた。やや雲がかかっていたが、その合間を見て撮影した。【2015年12月24日】
 
平成27年12月24日(木) イリカイ・ホテルにて記す







ハワイの「英語でお喋り会」に出席
  今年2月にハワイシニアライフ協会(HISLEA)員になる。会費は入会金$60、年会費夫婦会員で$120である。日本のロングステイクラブという会(LSC)の会員でもある。こちらは年会費5千円で夫婦会員だ。現役のころ機械学会、計測自動制御学会、バイオメカニクス学会、人間工学会など公の会にいくつも入会していた。これらの学会員であるためには、学会によって異なるが、年会費1万円を支払う。学会費は所属している研究機関の研究費から支払ってもらえるので助かる。ところが、定年退職後は、当然だが自腹で支払うので、そういくつもの会には入れず、人間工学ひとつだけ今でも会員になっている。
 
 退職後はのんびり海外旅行、ロングスティを夢見て、日本でロングステイクラブ(LSC)に入会し十数年が過ぎた。しかし、退職後も非常勤で看護大学や看護専門学校で、専門にしていた「人間工学」の講義依頼を受け、看護大学は75歳まで、看護専門学校は喜寿を迎えた現在まで続いている。人間工学はためになり、おもしろいと看護学生から評判がいい。そのためか、現在5校の看護専門学校より講義依頼があり月曜日から金曜日まで教壇に立っている。講義は1年の前半(4月〜7月)に集中しているので、この期間はロングスティも旅行もできない。学んだり研究したりしてきた成果が世のため人のためになるようなら、5体満足に動く間はお手伝いしたいと思っている。
 
 以上のような現状で結構忙しい思いをしているので、ロングスティクラブ会員と一緒に海外ロングスティを行う機会を失っていて、もっぱら個人で海外旅行を楽しんできた。行く先はヨーロッパが多い。まだ、訪れたいと思っているところは沢山ある。ヨーロッパやアメリカ本土は遠い、それに海外で車が運転できれば気楽に移動できるが、海外で車を運転しないことにしているので、どうしても列車かバスによる移動で結構その移動が大変だと感じる年頃になった。そのため、一箇所にとどまるロングスティを4年前からハワイで始め今日に至っている。去年まで、ハワイにきても個人行動であったので、観光スポットを自身で見つけでかけていた。幸いにも上記したように春4月になると教壇に立つことが決まっているので、寒い冬の一時期だが暖かいところにきて次年度の講義構想を練ることができるので都合がいい。半袖・半ズボン姿で新しい教科書の執筆および依頼原稿を海が見える部屋で書けるなんて、夢にも思っていなかったことが実現できている。今回のロングスティでも、介護や看護に役立つと信ずる教科書を執筆するためイリカイ・ホテルにとどまり、帰国までになんとか先が見えるよう頑張っている。その合間を見つけ、朝の気功体操、散歩、小旅行を楽しんでいる。
 
 ハワイシニアライフ協会に入会した理由は、以下の文が目にとまったことと、いくつかの参加したいイベントがあったからである。
 <緊急受付時間:午後5時〜午前9時。※怪我、急病、交通事故、盗難などの緊急時にHISLEAにスタッフが電話によるアドバイスおよび対処のお手伝いを致します。この間は緊急対応のみで、イベントのお申し込みやご相談などはお受けできませんのでご了承ください>
 
 海外旅行、ロングスティを行ったときに一番心配なのは怪我、急病、交通事故である。こうした緊急時に相談にのってくれるところ、それに月々変わるイベントもあるということを知り入会した。そのイベントに初めて参加したのが、「木曜午餐会」である。次はワイアラエ・カントリー・クラブ・レストランでの「NEHIC(ヒスレア新老人の会ハワイ支部部会)午餐会」、そして、昨日は「英語でお喋り会」に参加した。いずれも楽しく有益なイベントであった。なかでも毎週日曜日に開催される「英語でお喋り会」は、月4回あるうちの2回しか参加できない。初回は初めて参加するハワイ大学構内の集合場所がよく分からず、でかけてみたが参加する皆さんと合流できずに戻った。2回目はレースデーウォークに参加するため欠席、3回目の昨日(20日)にやっと念願であった「英語でお喋り会」に合流できた。
 
 英語でお喋り会はハワイ大学マノアキャンパス・ハミルトンライブラリー前で行われる。会場の図書館周辺は緑に囲まれ大変よい環境だ。毎回の学習者の数は異なるようで、今回はバイリンガルの女性の先生(コーディネーター)を含め7人であった。学習者は女性3人、男性3人のシニアである。参加した学習者の条件は一応の自己表現できる人向きサークルである。
 
 会員募集の案内には、<毎週テーマを決めて、英語でお喋り(Let's speak in English !)をする。コーディネーターから更に良い表現方法等のアドバイスあり。ある程度英語で自己表現ができる人向き。Donation歓迎。お申し込みは、電話もしくはメールで受付けつけます>とある。
 
 英語でお喋りといってもお互いによく知らないシニア同士であるから勝手な話しはできず、話題もない。英語でお喋り会進行表のような形にまとめた課題、問題のようなA4用紙が配布される。一例を挙げると、1.A)Conjugate the verb selected. B)Then make sentences using the verb[1.特定の動詞を選んで活用形を言いいなさい 2]次にその動詞を使って文章を作りなさい]です。この場合、例えばdrink、 drunk 、drunken(現在、過去、過去分詞)を言葉でいう。次に例えば「I drunk yesterday with my friend.」を発声する。このとき、不適切な文あるいは発音だと訂正してくれ、また、どうして訂正したかの理由も教えてくれる。学習者からの質問もその場で受け付け、皆もその回答に納得する。
 
 形容詞、名詞、副詞についても、同様に学習者が例を挙げ、その用語を使った会話文を声に出す。最後に隣り合う2人が対になって、自由会話をする。こうして、2時間があっという間に過ぎ去った。
 
 学習者の皆さん同じようなレベルで、思うように英語でものが言えないので英語でお喋り会に参加しているようだ。その言えない箇所を指摘、訂正してもらえるので、とてもよい貴重な2時間である。初めての参加で皆さんとは初顔あわせであったが、和やかに学習ができた。ハワイ滞在中に学習できるのは20日と次回27日だけ日曜日なので、次回も必ず出席し、頑張りたいと思っている。【2015年12月20日】
 
平成27年12月21日(月) イリカイ・ホテルにて記す







ハワイ真珠湾攻撃犠牲者追悼パレード
 1941年12月8日(ハワイ時間では7日)に旧日本軍は、アメリカ・ハワイの真珠湾攻撃をおこなった。日本が真珠湾攻撃を行った1941年12月7日から74年が過ぎた今日、犠牲者を追悼する式典がホノルルのヒッカム基地で開催された。報道によると、およそ2,400人のアメリカ軍兵士らが犠牲になり、その犠牲者追悼式典には日米の関係者に加え、攻撃をうけながらも生き延びた元兵士ら3,000人近くが参加した。
 
 夕方6時からホノルルのワイキキ・カラカウア・アヴェニューで3時間近くにわたる真珠湾攻撃犠牲者追悼パレードが行われたのでそのパレードを静かに見守った。パレードはワイキキのメイン道路カラカウア・アヴェニューで大がかりに行われた。パレードには真珠湾攻撃で生き残った90歳を過ぎた元気な姿で歩く元軍人、現役の女性兵士に支えられながらオープンカーに乗りパレードする元軍人の姿が印象に残る。戦死した軍人たちの写真を掲げてパレード、ローヤル・ハワイアン・バンドの行進、ガールスカート、軍用犬、ジェット戦闘機、クラシック自動車に乗った元軍人、ラグビー選手、日本人が和太鼓を鳴らしながら行進する自動車などエンドレスかと思われるほどの長時間パレードが開催された。
 
 1941年というとKoichiは6歳であり、ほとんど真珠湾攻撃の記憶はない。小学校3年生であった1944年に山形県小野川町へ学童疎開にいった。終戦を迎えた1945年まで学童疎開中の1年間、先輩や先生から真珠湾攻撃のことを聞かされ、轟沈とか撃沈などの言葉を知り、その様子を画用紙に描いていたことは覚えている。学童疎開から東京に戻ると、亀戸の自宅はB29爆撃機による焼夷弾で3月9日の夜の東京大空襲で焼失。両親と弟は水をかけた布団を頭に乗せ、焼け跡を逃げ惑い隅田川の言問橋まで逃げ、命が助かったということを聴かされている。
 
 戦争相手であったアメリカに1963年から2年間、そして2012年から毎年アメリカ・ハワイ州にロングスティで世話になっている。3時間あまり、真珠湾攻撃犠牲者追悼パレードを複雑な気持ちでワイキキの浜でMakikoと見守った。【2015年12月7日】
 
平成27年12月18日(金) イリカイ・ホテルにて記す







2015/12/14 12:27:03|その他
ホノルル・マラソン/レースデーウォーク完走の記録!
 今朝の気温20℃、快晴、日の出午前7時。朝5時マラソンスタート。マラソングループに遅れること25分、ウオーキング組出発。歩く仲間とお喋りしながら遅いペースで歩き出す。お年寄り夫婦、若夫婦、子供づれ、車椅子に乗る人押す人、赤ちゃんをおんぶして歩く人、仮装した若い人、医療関係職員団体の人々など多くの人が参加した。我々もその中の2人。
 
 昨日は寝過ぎるほど寝たので今朝は快調。10 kmを楽に歩けると自信をもって会場のアラモアナ・ショッピング・センター前に出向く。5時集合のところ午前4時40分に着く。すでに、マラソン組は先が見えないほど人人人で道路を埋め尽くしている。マラソン組参加者はおおよそ3万人、レースデーウォーク組はその1割で約3千人と聞く。このうち約3分の2は日本人のようだ。5時丁度に花火が打ち上げられ、一斉にマラソン組が出発、25分送れレースデーウォーク組が出発。まわりはまだ真っ暗だが、交通規制で車が走らない広い道路は、明るい照明で照らされているので懐中電灯はいらない。1時間半ほどあるいたころで空が明るくなり出す。
 
 コースは例年と同じで、アラモアナ・ショッピング・センター前道路の海側を出発点とし、チャイナタウンで折り返し、再びアラモアナ・ショッピング・センター前を通り、ワイキキでゴールだ。歩く距離は10 km、フルマラソンコースと同じ道を途中まで歩く。歩く人により所要時間は大幅に異なる。我々は10 kmをほぼ3時間かけて歩いた。イリカイ・ホテル前を通るので、トイレ休憩し、コーヒー飲んで飲みきれない紙コップを手に持って、再び歩き出す。お喋りしながら歩くのでペースは遅い。写真撮影もするなどで、なんだかんだと言って30分ぐらいは歩行以外に時間をとられたと思うので、実質2時間半ぐらいで歩いたことになる。10 kmを2時間半で歩いたということは、時速4 km/hの速度で歩いた。歩く平均速度が4〜5 km/hと言われるので、この速度で10 km歩けたということは、まだ元気な証拠だ。歩いた歩数は21,660歩だ。ホテルから会場へ移動するまでの歩数をさっ引くと約2万歩。1歩の歩幅を0.5mとすると、10,000mとなる。これは10 km相当するので、万歩計で1万歩計数すると5km、2万歩計数で10 kmということが大まかに分かる。
 
 広い道路は規制がかかり、マラソンコースには自動車は走れないようになっている。写真に示したように要所要所に警察官が見守ってくれている。集合地点やゴール地点には警察犬も動員されている。写真上段の右から3コマ目は、ものすごい数の簡易トイレである。トイレは済ませてきた人が多いと思うが、やや冷え込む朝方集合で3万人以上の参加者がいるので、結構多くの人が用足ししたくなる。そのためのトイレである。コースは市庁舎前を通る。そこには写真のような大きなツリー、大きなサンタクロースなどクリスマスの飾り付けがなされライトアップされている。沿道には、ボランティアの市民や高校生が水のサービス、あるいは吹奏楽などの音楽で応援してくれている。また、JTBやHISのような旅行業者職員の応援もある。マラソングループが通り過ぎた後を我々ウオーキンググループが歩く。先発のマラソン組が飲み終わり路上に投げ捨てたものすごい数の紙コップが道路一面に散らかっている。その通りを、ウオーキング組がのんびり遅れて歩いてくる頃、散らばった紙コップを一生懸命集め道路掃除しているボランティアの姿が印象的だ。こうした影の力があるからこそ、大会が運営できる。
 
 フィニッシュ地点にゴールゲートがある。それをくぐると、ゼッケンを付けている参加者に完走証明書が渡され、飲み水のサービスがある。一方、ウオーキング組には仮装コンテストもあり、ゴールに達した仮装参加者の審査が行われている。優勝者にはJALから往復航空券がプレゼントされるとか。ウオーキングゴール地点に近いところにマラソン組のゲートがある。そちらは42 km走ってきたランナーのゴールで、出発して3時間が経過しているが、続々とフィニッシュ地点にランナー達が到着している。こちらも上半身裸の人、仮装した人、親子連れの人、車椅子の人などいろいろな格好をしてゴールしている。今年は完走記念にメダルを首にかけてもらっている。我々の完走記念のうちわとA4用紙の証明書とはえらい違いである。この証明書を持って、ワイキキからイリカイ・ホテル前までTheBusで帰った。甘い物が食べたく、日本から持ってきた小城羊羹でお茶し、Makikoと無事を祝った。以上のように、ハワイロングスティの努力目標としていたレースデーウォークは終わった。【2015年12月13日】
 
平成27年12月13日(日) イリカイ・ホテルにて記す

 
 







ホノルル・マラソン/レースデーウォーク完走!
  今日、13日(日)はホノルル・マラソンの日。マラソンに続く10 kmレースデーウォークに参加した。 完走できるかどうか心配したが、ウオーキングを無事終えホテルにもどり、小城羊羹でお茶をしているところだ。今年は、$80という高額の参加料を払わなくてよい歳になったので、その資金で上の海鮮丼を食べ元気づけた。Makikoは、今年は歩けないかと思ったと言っていたのだが、完走でき達成感を味わっている。写真は完走証明書である。
 ウオーキング中の様子は次回に投稿する。【2015年12月13日】

平成27年12月13日(日) イリカイ・ホテルに記す