まず動く

「動く」と,ものごとが見えてきます。仕事や旅などで動きまわり、そこで経験したことや見聞したことについて述べたいと思っています。ここで、「動く」という意味は身体だけでなく、頭も口もです。  いつまでも元気でありたいと願い、「動き」を実践しています。
 
CATEGORY:2014.6: 3泊5日ハワイの旅

2014/07/19 11:35:52|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
ハワイ短期ツアーまとめ

 6月30日~7月4日まで3泊5日でホノルル観光を行った。なぜ、この時期にハワイかというと、安く行かれたからである。新聞広告でHISが上記日程で、航空運賃、3泊ホテル代、乗り放題トロリー代を含め1人10万円以下の格安ツアー広告を見た。このツアーで泊まるホテルがヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパであるというので、迷わず申し込んだ。以前にも格安ツアーの申し込みをしたことがあるが、直ぐに売り切れで実現できなかった。今回は、上記ヒルトンということで、広告を見て直ぐにインターネットで申し込みをしたところ、2人分の予約がとれたので行ってきた。
 
 ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパは、過去2年間ロングスティを行ったイリカイ・コンドミニアムの隣にある大きなホテルである。ヒルトンは大きなホテルなので、ホテル内の芝生ではストレッチだがヨガだか不明だが、なにやら講習会が開かれている。毎週金曜日になると夜7時からホテルのラグーン(潟)で花火も打ち上げる。その花火をお隣のイリカイからも部屋にいながらよく見える。それに、毎晩のように隣(ヒルトン)の屋上でフラダンスショウを行っていて、踊っている姿は遠くで見えにくいが音楽は良く聞こえ、音楽と拍手の音を毎晩聞いて1ヶ月を過ごした。ぜひ1度泊まってみたいと思っていたそのホテルに3泊できるというので出かけた。
 
 ツアー申し込みは全てインターネットで行った。最初は、どうしてよいか不明であったが、なんとか申し込みを完了させ、予約番号を手にいれた。紙のバウチャー(支出に対する証拠書類。領収書。引換券)を入手するのではなく、予約番号が与えられる。その番号を持って、成田へ行きデルタ航空のカウンタへ行けば飛行機の座席を確保でき、ハワイに着けば現地のスタッフが待っていて車でホテルまで案内してくれる。成田空港でも自動化が進み、前述の予約番号を入力すると飛行機の座席が書かれた搭乗券が出てくる。こうして、これまで都内の旅行業者へ出向き手続きをとっていたが、今回は自宅にいながら海外旅行の手配全てができたので、パソコンを操れることで大いに助かっている。
 
 ツアーは、安いだけあって現地での手配は全て自分で行う。ホノルルに着いて現地スタッフが本人確認をすると、他のホテルへ行く人と一緒に決められた車でホテルへ向かう。ヒルトンは大きいホテルなので、HIS専用の事務室がある。ここで、諸注意を受け、ホテル内の案内を聞く。荷物は部屋に入れてあるが、入室は午後3時ということで、それまで自由行動だ。この間、HISカウンタでオプションツアーの申し込みをする。その1つがすでに投稿した2日目の真珠湾ツアー(7月1日)、もう1つは3日目の潜水艦ツアー(7月2日)である。到着した第1日目(6月30日)は自由であるが、飛行機の中でよく眠れず時差ぼけで動きが鈍い。そこで、アラモアナ・センターへ行き、ほとんど乗る機会はないが1ヶ月有効バス・パスの手続きを$5支払い行った。これを持っていると、市内ならバスでどこへでも行ける。1回バスに乗ると$2.5だから往復すると$5だ。滞在期間中、1回だけアラモアナ・センターを往復しただけなので、損得無しだ。
 
 潜水艦ツアーは10時集合なので、その前の7時にアラワイ運河へ行ってみた。前回のロングスティで毎日、お世話になった体操を行っているかが気になったからだ。嬉しいことに今日もやっていた(写真3)。昨年、一緒に体操した仲間、とくに指導者の韓国女性とハワイ大学の元教授に挨拶したところ、時間はあるかと聞かれた。これから潜水艦ツアーに行く予定だと伝え、次回はゆっくりと会いたいといい、簡単な挨拶を交わしただけで別れた。
 
 今回のツアーで驚いたことがある。娘が2000年にホノルル郊外にある小さな教会で結婚式を挙げた。Makikoがハワイアンキルトの関係で知り合ったハワイ在住のHirokoさんが、昼食にとあるハワイアン・レストランに招待してくれた。その場所は郊外にある、大木に覆われた涼しい環境のレストランである。レストラン前の駐車場にHirokoさんが車を止め、下りたところなんとなく娘が14年前に結婚式を挙げたところのような気配がした。駐車場は教会とレストランが共同で使用しているようだ。教会前で写真を撮り(写真4)、帰国してから14年前の写真を捜し、見比べると正しくその教会であることが分かった。

 ホテルにチェックインする際、VISAやアメックスなどのカードを見せる。その番号をホテル側では控えておき、未払い防止の保証としている。もし、ホテル内で食事をし部屋に食事代をチャージすると、チェックアウト時に引かれる。今回は、ホテルでは物価が高いので、全てホテル外で済ませた。そのため、チェックアウト時の支払いはゼロであった。チェックアウトのカウンタ男性は「 Good job」といいながら親指を上に向けた。【2014.7.2】
 
写真1:ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾート&スパ内でヨガの講習会
写真2:いつも変わらないラグーンとダイヤモンド・ヘッド(良くみると遠くに船が見える。この船で沖に行き潜水艦に乗り移る)
写真3:アラワイ運河沿いで今日も行う体操会
写真4:娘が挙式した教会と偶然に出会う(Hirokoさん有り難う)
 
2014.7.19 自宅にて記す






2014/07/14 14:21:36|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
ウミガメが見えた

  潜水艦には船員服を身につけたアメリカ人のガイドが乗っている。日本が堪能なので、海中に沈みはじめると窓から見える魚の名前や海中の様子を冗談交えで巧みな日本語で説明してくれる。水深が深くなると共に視界は急に暗くなる。この潜水艦で到達できる深さは海面から33mということだ。海底近くをゆっくり移動するとなにやら沈んでいる物が見えはじめる。これらは、古くなった船、飛行機を沈め、魚の住みか(魚礁)にしているという。船ならある程度わかる。しかし、飛行機を沈めるというのはどんなものかと思う。ガイドの話によると、その飛行機は日本のYS-11であるという。船にしろ飛行機にしろ、その購入値段はただ同然に安いという。しかし、沈めるために油分を取り除き船体・機体を掃除するのに膨大な費用がかかっているという。それにしても日本の飛行機YS-11Sをここハワイに沈めてあるというのには驚きである。
 
 この沈めた船・飛行機を魚礁にしているという。その魚礁となっている沈めた構造物周辺には魚があまりいない。1度だけ大きなウミガメを見たが一瞬であった。潜水艦による観光料が1人$129(13000円)であるのでかなり期待していたが、期待外れの観光であった。真珠湾ツアーがとても素晴らしかったので、こちらも期待したが外れた。このような観光なら水族館に行った方が、種類の異なる沢山の魚を、しかも明るい水のなかで元気よく泳いでいる姿が見える。
 
 自由に泳ぎ回っているわずかしかいない魚たちから観光客60人が固まって座っている潜水艦内の人間達を横目で見られているようで不思議な印象を受けた。水族館とは逆の立場だ。【2014.7.3】
 
写真1(a) 潜水艦が浮上したところ
写真1(b) 潜水艦に乗り移ったところ
写真2(a) 海中に沈み始め皆興奮
写真2(b) 潜水艦ガイドが説明を始める
写真3(a) 海底に沈めた船
写真3(b) 海底に沈めた飛行機YS-11 
写真4(a) このように魚の遊泳が見える
写真4(b) 大型のウミガメが泳いでいるのが見えた
 
2014.7.14 自宅にて記す






2014/07/14 14:15:00|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
潜水艦による海中散歩 

 3泊5日のハワイツアーは、ツアーがつかない短期の自由ツアーである。そのため、ツアーに行くかどうかは自身で選んで決める必要がある。今回、真珠湾半日ツアーと潜水艦観光(40分)の2つのツアーをホノルル到着初日に選んで予約した。その予約ツアーである潜水艦に乗船する日が今日(7月3日)である。ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチリゾートの裏手には海岸が広がり、ホテル直ぐ側にヒルトン専用のような桟橋がある。この桟橋に朝10時に集合だ。この桟橋に潜水艦が接岸するのかと当初思った。普通の小型観光船が迎えに来て、それに乗って沖にでる。沖で潜水艦に乗り移るとのこと。
 
 まずは桟橋に観光船が接岸する。この船に乗り沖へでて、沖合で潜水艦に乗り換える。海上から見るワイキキの景色は陸から見る景色とまた異なり素晴らしい。沖合に到着したが潜水艦の姿は見当たらない。しばらくすると船はエンジンを止め、数十メートル先を見るようにアナウンスがある。何もない海上に注目していると、海中から白い泡が沢山登ってくるのがわかる。突然、小型潜水艦が姿を現す。これも潜水艦ツアーのショーの一環で、仕組まれた演出なのかもしれないと思った。しかし、よく考えると、先に潜水艦より大きな観光船が来て待っていないと客が乗っている小型潜水艦が浮上し波にゆられながら待っているのもおかしい。先に観光船が沖合に来て待機し、潜水艦を待つほうが正当な考えであろう。したがって、後者の理由で、沖に来ても潜水艦は見当たらなかったのだと思う。
 
 潜水艦が浮上すると、その中から大勢の観光客が出てくる。その人達は、我々の観光船が出発するひとつ前の時間に乗船したグループであることが分かった。沖合で先発グループと交代するのだ。こうして、先発グループは我々が乗ってきて沖合で停泊し待機していた観光船に乗り移る。潜水艦の客全員が観光船に乗り移ると彼らと交代するように我々のグループが潜水艦に乗り移る。こうして60名の観光客が潜水艦に乗り移ると、潜水開始となる。軍事用の潜水艦なら機械装置が沢山あってキャビンの中は狭い。観光用の潜水艦内部は両サイドに大きな窓がある筒のような形で、長さ方向に片側30人が座れる長い椅子が2列ある。したがって、一度に60人が座って窓越しに魚達を見ることができる。【2014.7.3】
 
写真1(a) この桟橋で観光船に乗り沖へ向かう
写真1(b) 海中に潜水するので少し不安だ
写真2(a) 桟橋を離れる
写真2(b) 沖からワイキキの浜が一望できる
写真3(a) 沖ではサーファーの講習会が行われている
写真3(b) ホノルルの高層ホテル街が見える
写真4(a)  先発の潜水艦が突然海面から現れる
写真4(b) 近くでみるとこんな格好の潜水艦である
 
2014.7.14 自宅にて記す






太平洋航空博物館パールハーバー

  戦艦ミズーリ見学の次は、アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)へ。この記念館は戦艦アリゾナが日本帝国海軍の真珠湾攻撃によって多くの犠牲者をだし、戦艦が沈没したその慰霊施設である。慰霊施設へは船でしか渡れない。この施設へはシャトルボートでしか行けない。
 
 シャトルボートで慰霊施設へ移動する前に、陸地にあるアリゾナ記念館内で戦争の悲劇を写した記録映画を観る。記念館には真珠湾攻撃の資料が展示されている。そこを見学した後、シャトルボートに乗ってアリゾナ記念館の慰霊施設へ渡る。この施設は、1941年12月7日(日本では8日)日本帝国海軍の真珠湾攻撃で、1102名の乗組員戦死者と撃沈された戦艦アリゾナを追悼する慰霊施設である。慰霊施設の真下海中には戦艦アリゾナが沈んでいる。この場所は海上にある大きな共同墓地で、上述の死亡した1102名の氏名が明記されている。アリゾナ記念館が建設されたのは1962年で、毎年100万人の人々が訪れているという。
 
 慰霊施設内は何もない空間でただ、戦艦アリゾナで亡くなって乗組員の氏名を記した慰霊碑があるだけである。しかし、この慰霊施設の真下には日本帝国海軍によって撃沈させた大きな戦艦アリゾナが沈んでいるかと思うと複雑な気持ちでこの場所に立つ。訪れた人達は、慰霊施設から周辺の海上を眺め直ぐに陸へ戻ることになる。シャトルボートは2隻で往復しているので、到着したボートの客が下船すると入れ替わるようにしてボートに乗って帰る。慰霊施設から帰るシャトルボートからは慰霊施設全容とその周辺に停泊している各国の軍艦がよく見える。航空母艦も停泊中で、このような近い距離で大きな航空母艦を見たのは初めてである。
 
 陸に上がるとこんどは、太平洋航空博物館パールハーバー見学である。アリゾナ記念博物館からこの太平洋航空博物館まではツアーバスで移動する。太平洋航空博物館は格納庫展示と博物館展示があり、両者に第二次世界大戦当時の航空機が保管されている。博物館には、最近観たばかりの映画「永遠の0」に出てくるゼロ戦他が展示されている。この飛行機は、きれいに保存されていて今でも飛べるということを聞いた。
 
 このようにして、ホテルを6時50分に出発し真珠湾ツアーを行い、12時半ツアー終了しホテルに戻った。4時間という短いツアーであったが、小学生低学年であった子供の頃の戦争の状況をほんのわずかだが思い出す。悲惨な戦争の一時期を子供ながらに体験した者にとって今回のツアーは有益であり、戦争は決して起こしてはいけないことを理解できるツアーであった。【2014.7.2】
 
写真1(a) 戦艦アリゾナが沈んでいる慰霊施設へはこの船で往復する
写真1(b) 前方の白い建物が慰霊施設
写真2(a) 戦艦アリゾナが沈んでいる真上に立てられた慰霊施設
写真2(b) 慰霊施設の内部。前方の幕ないに死亡した1102名の氏名が記されてある
写真3(a) ARIZONAと明記された真下に日本帝国海軍により撃沈されたアリゾナが沈んでいる
写真3(b) アリゾナ慰霊施設周辺には多くの軍艦が係留されている
写真4(a) 航空母艦
写真4(b) ゼロ式戦闘機
 
2014.7.10 自宅にて記す






2014/07/09 18:55:41|2014.6: 3泊5日ハワイの旅
戦艦ミズーリで見たもの

  戦艦ミズーリの長さは270m、幅は33m、排水量は満載で58,000トンとかなり大きく、乗員も士官、兵員合わせて1851名が乗船していたという。
 
 戦艦ミズーリは昭和19年1月に進水式を迎え、その後、第二次世界大戦では主に太平洋を中心に活動。昭和19年12月にパールハーバーに寄港、昭和20年2月には硫黄島上陸作戦を支援、3月には沖縄での攻撃作戦、4月には沖縄上陸作戦で海上から砲撃を行う。4月11日、初めて1機の特攻隊戦闘機の攻撃を受け、その戦闘機はミズーリ右舷甲板後部に衝突し機体は炎上しパイロットは死亡した。そのとき受けたという右舷甲板後部の破損痕跡が保存されている。この時死亡した特攻隊戦闘機のパイロットの葬儀が戦艦ミズーリ上で行われ、手厚く葬られた様子を示す写真を艦上で見ることができる。
 
 昭和20年8月に第二次世界大戦降伏文書調印式のため戦艦ミズーリは東京湾に入った。翌9月、艦上で連合軍側と重光葵(まもる)全権率いる日本政府代表との間で降伏文書調印式が行われた。降伏文書調印が行われる直前までマッカーサー元帥がいたという司令室、調印が始まるというので階段を下りたというその階段が今でもそのままになっていて戦艦ミズーリ見学者が自由に上り下りできる。また、調印が行われた甲板にも調印した場所を示す円形の印がつけられている。
 
 戦艦ミズーリ記念館に入ると、戦艦ミズーリのTour Mapが配布される。それには、上述の戦艦ミズーリの歴史、艦内のみどころとして艦首、主砲、セカンドデッキ、神風特攻機衝突跡、航海艦橋/装甲艦橋(司令塔)、降伏文書調印会場などの詳しい解説が載っている。
 
 ここに示す写真は戦艦ミズーリを見学すると、実際に入室できる航海司令塔、間近に見える巨砲、マッカーサー元帥が下りてきた階段の昇降、降伏文書調印式の場所、それに調印式の様子を示す様々な写真を見ることができるので撮影したものである。【2014.7.2】
 
写真1(a) 戦艦ミズーリ上で調印するマッカーサー元帥
写真1(b) 降伏文書調印が行われた場所
写真2(a) 調印が始まる直前にマッカーサー元帥が下りてきた階段を下りるMakiko
写真2(b) マッカーサー元帥が下りた階段と知りそこを下りると緊張を覚える
写真3(a) 司令塔内の海図を見るMakiko
写真3(b) 司令塔内の各種司令用計器
写真4(a) 戦艦ミズーリ上の日本政府代表団
写真4(b) 降伏文書調印式を見守る大勢の戦艦ミズーリ乗組員
 
2014.7.9 自宅にて記す






[ 1 - 5 件 / 7 件中 ] NEXT >>