樹木希林さんの遺作。そういえば、加藤剛さんの遺作が「今夜、ロマンス劇場で」でしたね・・・・・。
お茶をなんとなく習い始めて、なんとなく続いて、あらら、20年以上たっちゃった、というお話です。もちろん、その間に色々あるわけですが。
出てくる茶道は表千家の方。他の流派はまた、色々所作に違いもあるんだろうと思うんですが。お茶と言えば、入間市=お茶なので、入間市民は観たほうが得する映画のような感じがします。くそー、入間市の子供らは茶道を学校で習ってるんだよね。うらやましい・・・・。
茶道は四季折々の景色を汲んだ作法が多そうなんだけど、その景色がほぼ、お茶の先生のおうちの庭に限定されている、けど、それが非常に美しく撮られています。日本庭園(というところまでつくり込まれている庭ではないけど)の良さがよく分かる。最近流行りのイングリッシュガーデンじゃあ、こういう雰囲気はなかなか出せないよね。NHKとかが、もちっと日本庭園についての情報だのつくり方だの出してくれればいいのに、とも思う。
自分はヴァイオリンを大学生の時に始めて(オーケストラに入ったもんだから)、ずるずる〜〜、あれれ、30年たってまだ弾いてるわい、という人間なので(ブランク期間が20年くらいありますけど)こういう話は、分かる。続けたもん勝ちのところがあるんですよ。ブランクがあった理由は、最初に教わったヴァイオリンの先生というのがしょうもない奴で、今でいうパワハラにげんなりして、「わざわざ金払って怒鳴られに行くなんて、バカらしい」と思ってやめちゃった、というのと、それ以来、先生につくのが怖いし嫌だし、というのと、教わったことが、てんで間違ってたんじゃないか、という疑いと、まあ、そんなこんなで独りであれこれやってて、それにちょっと限界が来て、自分的にはかーなーりー思い切ってまた先生に習うことにして、ダメだと思ったら、即切ろう、とレッスンに行って、幸いそこから2年以上続いてて、弾けるわけないと思ってた曲に手が届きつつある。仕事じゃなくて、習い事として続けていると、無心でやってれば、それなりにどこかに到達するものなんじゃないかと思う。無心というのが難しいんですけどね。
で、上達とは何か、が語られてますが、結局上達=無駄な動きがなくなること、らしい。これは多分、どんなものにも通じることじゃないかと。茶道は、そこんとこを究極突き詰めて、型を叩き込む、んでしょう。で、型が入ったところで、その人なりのなにかが醸し出されてくる、ということか。なにか、に生きてりゃ色々あるさあ、というのが影響する、そういうお話なんです。
日本人は、型に当てはめて、そこから美を紡ぎだす、タイプの芸事に秀でる人が多いよねえ。ヴァイオリンみたいな楽器・バレエ・フィギュアスケートなんかもそうか。こういう映画を観るとなんとなく納得してしまう。
映画の中で、フェリーニの「道」の話が出てきます。この映画、自分も最初に見たのは中学生だったか、主人公と似ているので、共感しちゃいました。もっとも、「道」については、改めて観直した時、あまり感心しなかったんだけど。そこが違うか。
公式サイト P.S 茶道といえば、お茶道具。「なんでも鑑定団」」でおなじみですけど、この映画を観てて、うわ〜〜、金かかりそう、とつまんないことを考えてしまった。着物でも道具でも、季節ごとに揃えてとなると、えらいことになりそうだ・・・・。これ、茶道を習うにあたって、かなりハードルを上げてると思います。