雲南省昆明の旅 序 雲南省、特に昆明は、司馬遼太郎著「街道を行く 雲南のみち」を読んで以来、魅力を感じ続けてきた。多くの少数民族が住んでいるだけでなく、日本人のルーツ、原型と思わせる風情がその少数民族の佇まいの中に感じられるということである。そして、それに追いうちをかけたのが、葫芦絲という楽器による演奏と雲南のカラフルな花をバックにした少数民族の民族舞踏映像を納めたCDの入手であった。 07年12月から、現地旅行会社とメール交換しながら日程を詰めるとともに、航空チケットの入手手配を開始して、成田での前泊を含め五泊六日の旅となった。以下に写真を沿えながら旅物語として紹介する。
1. 旅行準備編 1) 観光日程・宿泊ホテルの決定 観光日程の作成、宿泊ホテルの予約をAraChina(桂林中国国際旅行社)と直接交渉し、日程の作成と、宿泊ホテルの予約を行った。電子メールで質問、希望等のQ&Aを行ったが、当日または、翌日には返信が貰え、スムーズな計画つくりが出来た。一週間で全日程を終えるという計画に対し、前泊、日本と現地との往復だけで、三日がかかってしまう。帰国時に最終電車に間に合わないと、更に一泊必要となり、結局正味の観光は3日しかとれないことになってしまう。以下の中国現地での観光費用は、現地の日本語ガイド、ホテル代、食事代で、合計73,485円となった。請求額は4,996元で、日本から中国銀行へ円で振り込むのだが、日本での換算レート(一元=15.052円)を使った場合は、75,200円となるので、中国での換算レート(一元=14.709円)を使って、支払う方が得なことが分かった。このことから、現金も、成田で元に交換するよりも、中国内で、交換する方が得ということになるので、成田での元への交換はやらなかった。オプションとして「雲南映像」という観劇があり、これには5,000円かかったが、これも予め日本から送金する場合は6,100円と割高となることが分かった。
2) 交通手段 往きは成田を出発して、その日のうちに現地に着く、帰りも現地を出発して、その日のうちに成田へ着くことが可能な航空便を探した。見つかったのは、 往き:3/18(火) 成田9:00−(北京 入国手続きのみ)−15:35成都<以上CA422> 成都19:05−20:15昆明<以上CA4459> 帰り:3/22(土) 昆明7:40−8:50成都<以上 CA4460> 成都13:20−(北京 出国手続きのみ)−21:00成田<以上CA421> しかし、帰りの便はCA4460のその日の便が急遽なくなり、その結果、 昆明11:55−15:00北京<以上CA1404> 北京16:40−21:00成田<以上CA421> に変更になった。 航空チケット取り扱いは、(株)ワールドトラベルサービスを使い、全て含めて123,240円の金額となった。
3) 自前の観光案内の作成 これを作成しておくということは、訪問先に対する興味を更に増長させるだけでなく、ガイドさんとの会話も活発となり、旅行の体感度が上昇し、記憶に残るものとなるため、インターネット情報や観光案内書をコピーしたりして、訪問順にまとめる。
4) 司馬遼太郎著「街道を行く 雲南のみち」再読とキーワード、キーセンテンスの抽出 もともと、この書物と西遊記に刺激されたのがきっかけだったので、それを再読するだけでなく、キーワード、キーセンテンスの抽出を行った。
ページ 司馬遼太郎 「街道を行く 雲南の道」 152 成都から雲南省昆明までは直線にして600km以上 「望蜀」心に貪りが生ずれば満ち足りることがない 153 雲南省 山も谷も湖もタイ語系やチベット系の人達の天国であった 154 雲南省という呼称は清朝になって使われた 155 武帝のころ 貴州省、雲南省一帯を「西南夷」と呼んでいた 魚を食べ、それも刺身で食べる 雲南省 長江の上流 江南まで下って勢力をつくったのが、呉と越 156 越人の遠い祖が、長江上流の稲作西南夷 武帝 水戦訓練用池を作らせ、「昆明池」と名づけた 昆明に住み、稲作をし、進んだ青銅器文化をもつ民族を「滇(てん)」 157 雲南省が中国の版図に入るのは元以降 西南夷は天性の戦闘者で外界から来る者を拒んでいた。特に苗族の精悍さ 161 雲南省は九州の10倍の面積 耕地は7% 162 古代から近世にかけて、雲南省は古タイ族の天地 滇には広大な湖、滇池、撫仙湖、洱海 163 漢の使者に対して、滇王嘗羌は「夜郎自大」 164 滇池の東岸(雲南省晋寧県)に「石賽山」 古墳群 166 四時如春 167 イ族 168 解放後、夷族を改め彝族という文字があてられた 170 沿道の並木 銀樺(インホウ) 生垣にブッソウゲに紅い花 171 昆明市は清朝時代には「雲南府」と呼ばれていた 172 サメ族 玀猓族 散蜜玀猓 撒梅族 176 赤い土 鉄分 177 睡美人(西山) 風景を比喩して文学化することは漢民族文化の特徴 178 南詔国(唐代) 非漢民族の国 雲南の力の根源 は洱海(大理付近)と滇池(昆明付近) 179 南詔文化は稲作と青銅冶金を基底とし、中国文化、中国仏教を摂取しつつ、チベット文化、タイ語系文化、インド文化の影響 唐代、南詔国は「吐蕃」の後押しを受け、唐にそむきかねない 181 雲南省に住む古い漢族の先祖は南京からきた 太祖朱元璋は南京の富豪たちを雲南に移民させた 屯田兵を移動 藍玉、傅友徳、沐英 が指揮 185 呈貢県 皇帝(明 恵帝)に貢物(宝珠梨:ほうじゅり) 187 西山に道観(道教の寺) 山岳信仰 東アジア古代に共通した信仰が根で、日本の原始神道とも血縁関係? 189 「羅漢崖」という扁額、「三清閣」という扁額のかかった閣 モンゴル人の王「梁王」 梁王山 192 「海不揚波」戦乱がおこらないことを言霊で祈念 193 華亭寺 泰山木 200 鄭和 滇池湖畔の昆陽生まれ 回族 イスラム教徒 燕王(永楽帝)に遣える 第一次建造船 150m長62m幅 202 8000tに匹敵、62艘に将士27800人 7次まで 208 近日楼 百貨店 昆明市街地中心 211 雲南の松茸 松蕈(ソンスン)、松蘑(ソンモ) キノコ=蘑、菌 松茸菌(スンロンジュン) 214 蒟蒻 雲南省が自生、栽培の本場 217 22の少数民族 日本稲作文化の祖 雲南民族博物館:耳杯 漆器の出土品 漆技術の源流は稲作少数民族か 雲南民族博物館:古い青銅器 石賽山古墳群からの出土 貝殻が通貨、それを貯える貯貝器を争う情景が鋳金されている 220 雲南民族博物館:奴隷主騎馬民族派 黒イ族、奴隷にされた側 白イ族[水田派」 明朝は黒イ族を保護、清朝は撃破 222 雲南民族博物館:雑技 蛇を踏まえて踊る二人 蛇信仰 「散楽」、「夷楽」 日本の「猿楽」に展開[奈良時代) 223 跪座(正座): 胡座(あぐら);北方、イラン系民族の座り方 その影響で、土間に椅子、テーブルを置く生活 225 漢の武帝の頃、大理あたりを昆明と呼んでいた 元代になって今の地が昆明となった 227 イ族 形象文字 漢字と無関係の文字を所有していた 西夏文字に近い 229 漢民族の素形を作った有力な要素として古代羌族があったのでは イ族は雲南省だけで300万人 その中にサメ族 232 高橋村 233 西南連合大学=北京大学+清華大学 疎開 日本侵略時 アーチ橋
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