| D5(11/6=土) 遂寧市⇒大足(約2時間22分) 大足石刻⇒重慶市 重慶散策 重慶泊
この朝も,これまでと同様ホテルで朝食を済ませ、8:30にホテルを出発した。15分ほどで高速道路G60に入り、一路大足を目指す。運転手の蒋さんは若干28歳、龍齢であり若さ溢れる好青年である。今回の旅の最初から最後までのスルーの運転手である。
これだけ長距離を走ってもミスが無いのは、結構予習をしてくれているのかも知れない。有難いことだ。そういう運転手を見つけてくれた駱さんにも感謝しなくてはならない。
9:56にG60は分岐して大足方向へ。次第に地面の色は赤さを増し、道路の造成によって現れた断層は赤茶というより赤色であった(写真11.5 -1-1)。途中、車を停めやすいところへ停車してもらい、赤土を採取させてもらった。
そして更に15分ほどして、目的地一帯に到着し、車から降り、園内に向かった。「世界遺産大足石刻世界文化遺産博覧園遊覧図」と書かれた案内図(写真11.5 -1-2)が目に入った。
案内図では、現在地から最初の橋を渡ると、先ず旅客センター地区が現れ、更に二つ目の橋を渡ったところから大足石刻寺院域に入り、広大寺や、圣寿寺及びそれらの焚香所が現れるようだ。石刻像が現れるのは圣寿寺側となっている。
旅客センター地区の一番北端の正面に寺の山門と思える建造物(写真11.5 -1-3)が現れた。20段ほどの石段を登りつめたところに、底部を象や獅子が支えた格好の8本の石柱に支えられた大きな屋根が現れた。
屋根の4稜線は中国風の反り返りを見せているが、彩色はけばけばしさがなく落ち着いたたたずまいを見せている。観光客の服装の方がはるかに彩色豊だ。門の額には天下大足と右から書かれていた。いわば、この建造物は山門というより観光ゾーンの呼び込み口なのだろう。
そして第二の川に架かる幅広で100m程の長さの石橋を渡ると、寺院(写真11.5 -1-4)が現れた。これが広大寺なのだろう。境内にあるすべての建造物が中国には珍しい入母屋づくりの屋根構造をしていて、色彩も派手ではなく、落ち着いた感じである。
屋根の四稜線は特徴的な反りはないが、中国寺社建造物の屋根の稜線に鎮座する小動物の姿は見られる。これら建造物の歴史は浅そうであった。
その寺院の一角から抜け出すあたりで進行方向右手を見ると、なんの像も彫られていない岸壁(写真11.5 -1-5)が見えた。大きな石が堆積しただけで、地層は現れていない。この大きな岩の凹凸を利用して昔の人たちは像を掘ったのであろう。
そしてさらに行くと、竹林の向こう数10m先に、岩石からなる庇の下に三層からなる石刻像群(写真11.5 -1-6)が現われた。最上層には10体以上の鎮座する仏像群が整然と並び、次の層は更に二層に分かれ、市井の町人や役人風情の人物像が立ち並ぶ、そして最下層には、何やら怖い面持で何かを手にしている人物像が見られた。
仏教で言う“三界”を表しているのかも知れない。「三界(さんがい)とは欲界・色界・無色界の三つの総称で凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたもの。
欲界(よくかい、skt:kaama-dhaatu कामधातु )とは、仏教における世界観のなかで欲望(色欲・貪欲・財欲など)にとらわれた生物が住む世界。三界の一つで、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人(にん)・天上(神)が住む世界のこと。
色界とは欲望を離れた清浄な物質の世界。無色界の下にあり、欲界の上にある。この色界には四禅の四地、初禅、第二禅、第三禅、第四禅があり、これを過ぎると無色界に入る。天界28天に属す。色は物質の義、あるいは変礙の義。
無色界(むしきかい、ārūpya-dhātu)は、天部の最高部に位置し、欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。上から非想非非想処・無所有処・識無辺処・空無辺処の4つがある。」とWikipediaに紹介されている。
更にもう少し歩くと、「大足石刻分布図」なる石壁に彫られた案内図(写真11.5 -1-7)が現れた。そこには、潼南県、銅梁県、永川県、〇(草冠に宋)昌県、安岳県に囲まれた大足県には宝頂山石刻、北山石刻、等、計5か所あることが書かれている。
以上の内、宝頂山石刻、北山石刻を見学することにした。
最初に現れたのが先ほど竹林の向こうに見えた石刻像群(写真11.5 -1-8)であり、岩石からなる庇の裏には「唐瑜伽部主揔持王」なる文字が彫られていた。「瑜伽」とはヨーガのことらしいが、文字の意味は分からなかった。
また、最上層(無色界)と第二層の色界に属する仏像、人像は空色と青色の顔料が服や冠に施されているが、最下層の欲界に属する像には色彩が施されていない。
各石刻像には、説明書きが石板に彫られているが、その解明はしないが、三界それぞれに於いて、遭遇する様々な場面を想定しているものと思われた(写真11.5 -1-9〜11.5 -2-9))。
そして更に進むと、釈迦涅槃像(写真11.5 -2-10)が現れたが、あいにく工事中だった。中国で涅槃像は何度か見たが、これほど大きいのは初めてであった。この涅槃像を過ぎると少し趣が変わる。
「華厳三経像」(写真11.5 -2-11、11.5 -2-12)の次は「六道輪廻」の世界(写真11.5 -2-14、11.5 -2-15、11.5 -2-16)であった。
「六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天という六つの迷界を指し、そして六道輪廻とは、衆生が六道の間を生まれ変わり死に変わりして迷妄の生を続けることを言います。
人間である私たちの寿命が尽きて赴くところは、生前において私たちが為したカルマ(行為)、すなわち善行、悪行によって決まるようです。
大罪を犯したり、悪事を重ねた人間が霊界における地獄や餓鬼や修羅の領域に落ち、凡庸なる生を終えた人間は人間界という領域に赴き、より多くの善行を為した人は天界という領域へと昇って、そして再び物理現象界での人間としての生を享けるまでの間、それぞれの霊性領域で迷妄の生を送るのでしょう」とWikipediaに紹介されている。
ここの「六道輪廻図(石刻)の大きさは、高さ、780cm、幅480cm、奥ゆき260cmという巨大な石刻像であり、90の人物像、24の動物像が、そして輪の中央にはアニッカ(無常)の長い手で支持されている。
輪は6つに分割されていて、各分割枠内には神が創造した生き物や物が彫り込まれ、霊魂が隣接した分割枠の間を移動する様を石刻していて、仏教の教義である“六趣唯心”、“因果応報”、“十二因縁”を表している」と石標に刻み込まれている。
“六趣唯心”とは、六道(仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のこと)のこと。
”唯心”とはすべての現象は心によって産出されたもので,本質的に実在するものではなく,心のみが一切の根源であり最高の実在であることを示す語である。
また、“十二因縁”とは苦しみの原因は無明より始まり、老死で終わるとされる、それぞれが順序として相互に関連する12の因果の理法とWikipediaに紹介されている。“因果応報”は言わずと知れた人間の業であるので省略する。
生活の行為が生老死を苦と感じさせるのはなぜかというと、常に執着をもった生活をしているからである。とくに、自分自身と自分の所有へのとらわれが、その理由であるといわれる。
まだ続きがあり、武器と甲冑に身をかためた強面の神将像(立像)が12体ほど横並びで石刻されている(写真11.5 -2-17)。
十二因縁をそれぞれ退治する神将達か、それとも因果応報を実施するエージェンシーか。よくわからないが、これらの神将像の前に佇んでいる観光客が多かったのが印象的であった。
そして岩肌を大きくくり抜き入り口に大きな獅子の石刻像が横たわった石窟が現れた(写真11.5 -2-19)。中には多くの石刻仏像が安置されていた(写真11.5 -2-20〜11.5 -2-23)。
石窟には外からの光が適度に入り込み、ストロボなしで、写真を撮ることが出来た。いずれも柔和な顔立ちをした仏像であった。直前まで、三界、六道、強面の神将像などを見て来たためかも知れない。
石窟から出ると、すぐのところに、それぞれ虎と牛に半跏の姿で乗っている山君と道祖神(写真11.5 -2-24)が現れた。山君は手が3対あり、2対で物を持ち、一対で合掌している姿であった。さしずめ、宝頂山の守り神というところか。
ここで、これまで中国語で現地ガイドをしてきてくれた中国人女性(写真11.5-2-25)とは別れであったが、駱さんの巧妙な日本語への通訳によって、この世界遺産の価値が分かった様な気がした。
宝頂山を下山する途中、珍しい八角(または六角)四重の塔(写真11.5-2-26)及び聖壽寺と書かれた二層のお堂(写真11.5-2-27)及び帝釈殿、そして線香の煙がたちこめる聖壽禅院と書かれたお堂(写真11.5-2-28)を目にした。
現地時間で12:00近くになっていたので境内の一角にあった露店で昼食(写真11.5-2-29)を摂った。相変わらずのワンタンであったが、予想以上においしかった。
そして、駐車場に戻り、車で北山石刻に向かい、現地時間14:00頃到着した。駐車場で車を下りるとすぐに観光案内図(写真11.5-3-1)が目に入った。
ほぼ南北に細く伸びた北山石刻景区を南端から北上してゆくコースであった。最初に目に入ったのはどこかの国の国王とその家族、更には背後に2体の仁王像が配置した石窟(写真11.5-3-2)であった。
そして、次に現れたのが、千体仏が壁面全体に彫り込まれた石窟(写真11.5-3-3)であり、これまで見たことのある石窟寺院の形式と同じであった。
石窟寺院の場合、石窟内にも入ることができ、内部から、像の背面を含めて仏像や飛天像を拝観できる場合が多いが、ここのは、それほどの広さは無く、窟の前面から窟内を眺めるだけであった。
“石刻”と“石窟”との差異はどの様なものか、宝頂山以上に差異が少ない様に感じた。
中央に天蓋と光背を備えた本尊としての仏像、それを囲む様に配置した飛天や脇を守る諸仏が一つの単位となった窟(写真11.5-3-4、11.5-3-6)が現れた。
そして青い彩色が残っている窟(写真11.5-3-5)は千手観音を中心に飛天像や、羅漢像が精緻に彫られていた。
青い彩色は既に多くの部分が剥げ落ちているが、剥げ落ちる前のこの石刻像を見て、どのような気持ちで拝仏したのだろうか。青い彩色用材料はラビスラズリかも知れない。
いずれにしても、ここ北山石刻は、宝頂山の“三界“、六道“と言った人の所業に対する戒めを表したものではなく、仏の佇まいを丁寧に刻んでいるようであり、安心して拝観できるのであった。
そして次に現れた石碑(写真11.5-3-7)は、仏教の教えを刻していることが、いくつかの知っている漢字から読み取れる。
小さな単位の石窟には、本尊仏があり、その脇を固める脇侍仏、そしてさらにその周囲の天蓋近くに飛天、石窟壁に地方神という構図が多いと感じていたら、そうではなく、本尊はなく、同じような複数の菩薩像が並設された単位の窟(写真11.5-3-8)や、本尊が二体という単位の窟(写真11.5-3-9)もあった。
恐らく窟を寄進した人物の仏への想いの違いが出ているのだろう。自分自身を、夫婦を、子、親等の家族全体を、一族をと、安寧を祈り、祀る単位の違いによって窟内の景色も変わってくるのだろう。
それと、寄進者の財産力の違いも勿論あったに違いない。天蓋にも、石窟壁にも飾り佛はなく、本尊には光背の代わりに椅子という極めてシンプルな窟(写真11.5-3-10)もいくつかあった。
そして後半の窟はほとんどが最初の窟同様、本尊がいて、それを周囲で守る脇侍としての仁王像、本尊の生活道具を持った召使仏など、天蓋、石窟壁とも隙間なく大小の仏像が石刻像として並んでいた。
窟内に入って拝仏することも可能なほど大きな窟(写真11.5-3-11〜11.5-3-20)もいくつかあった。無論、観光客がその様な空間に入って拝観することはできない。最後に180度振り返り、観光客用通路の写真(写真11.5-3-20)を撮った。
そして、北山石刻景区の北辺に至り、小さな池の南畔を東の方向に歩き駐車場に至った。
現地時間PM3:30頃であったが、今回の旅行の最終泊の地重慶市内に向かった。先ほどまで、観光していた大足石刻も同じ重慶市にあり、その中心部までは車で一時間程度であった。
大足の街なか(写真11.5-4-1)を通過する時は、まだ現地時間で、PM4:00近くだった。
重慶市街地に入ると高層ビルが立ち並んだ道路(写真11.5-4-2)を突き抜ける形となる。
時間的なゆとりがあったので、直接ホテルに向かう前に、重慶市郊外のやや高台にある“一棵樹“という重慶市街区を一望できる展望台に案内してくれた。
薄暮の時刻であり、少しづつ日が暮れて行き、街の明かりがチラホラと見え始めている。
遠方に眼をやると、うっすらと長江の流れを見ることが出来(写真11.5-4-3))、近景には小高い丘高層ビルが突き刺さっている様に見える(写真11.5-4-5)。
鮮明な光景を映し出してくれないのは、夕もやかスモッグなのかは不明である。いずれにしても点灯されたビルや高速道路だけは比較的鮮明に見えてきている(写真11.5-4-6)。
この夕暮れの重慶の街を背景とした写真をグループごとに順番に撮っているようだ。ライトアップされた高速道路が暗闇に浮かび上がっていた(写真11.5-4-7)。
一棵樹で一時間近く夕景と夜景を楽しませてもらったあと宿泊予定のホテルへ向かうことになった。
ホテルに着いたのは、現地時間の八時近くであった。大きなショッピングデパートの5Fに受付カウンター(写真11.5-4-8)があり、いつもの様に駱さんがチェックイン手続きをやってくれた。
龍鼎精品酒店というホテルであった。カウンターロビーの右手には3m四方ほどの板絵(写真11.5-4-9)がソファーの後ろに位置していたふが、何をモチーフに描かれたものかは皆目見当がつかなかった。30分ほど部屋で休憩した後、夕食を摂りにゆくことにした。
ホテルから階下に降りると大きなショッピングデパートビル内にいることが分かった。地下はレストラン街であり、その一角にあるレストラン(写真11.5-4-10)で夕食を摂った。
自分は相変わらずのワンタン(写真11.5-4-11)であった。味が薄いかもしれないということで、トウガラシと山椒を一緒にしたような調味料を添えてもらった。中国のワンタンはどこで食べてもおいしい。
いよいよ翌日は帰国日である。ホテルロビーで旅行費用の清算をして、翌日の朝の集合時間等を約して部屋に戻ることにした。 本稿 完 次稿へつづく
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