槐(えんじゅ)の気持ち

仏教伝来の頃に渡来。 中国では昔から尊貴の木としてあがめられており、学問のシンボルとされた。また止血・鎮痛や血圧降下剤ルチンの製造原料ともなる このサイトのキーワードは仏教、中国、私物語、健康つくり、先端科学技術、超音波、旅行など
 
2022/11/06 18:36:32|あのシルクロード
あのシルクロード第23回
あのシルクロード第23回
【D8-3:ウルムチ・楡の樹のある店】

1)楡の樹のある店で計5人の歓談
2)楡店の中庭には100年以上たっているの樹が
3)ビールの後は「古城」というアルコール度50%の高級酒 
4)本日のメイン料理、胡さんが、この店で一番美味しいと一押しの料理 羊肉の角煮
5)偶然だが全血液型が参集、漢民族の中で最も多い血液型がB型
6)オリンパスの知名度、カメラ・メーカーというのが強く、医療機器メーカとしての
  知名度は低い

7)李白の酒の飲み方
8)「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」
9)張さんの夢 シルクロードの東西間交易のようなもの
10)シルクロードの旅のまとめ
11)帰りは駱さんの運転 
12)翌日(正確には今日)はいよいよ帰国の日

 
1)計5人の歓談
ウルムチに予定通りの時刻に着き、迎えに来てくれていた張さんのパジェロに乗り込みウルムチの市街地に向かった。夕食は張さんの友人が美味しい店を知っているので、そこへ行くことになっているという話であった。最初の待ち合わせ場所で、その友人の胡玉軍(フー・ユエチェン)さんが乗り合わせてきて、その店まで運転してゆくことになった。そして暫くして、胡さんの知人の唐宏(タン・ホン=女性)さんが待ち合わせポイントから乗り合わせてきた。本日は、この5名がフルメンバーらしい。
 
2) 店の中庭には100年以上たっている楡の樹が
市街地から1時間ほど車にのり途中で幹線から外れ、道も舗装ではなくなり、さらに道を左折し、小径に入り込んだところに店があった。店の名前は聞き忘れたが、店の中庭には100年以上たっている楡の樹があり、これがこの店のシンボルとなっているらしい。この中庭でも食事は出来るらしいが、建物の中の部屋を使わせてもらうことになった。
 
3)ビールの後は「古城」というアルコール度50%の高級酒 
先ずは最初に自己紹介をしあった。自分は名刺を渡し、二人にはメモ用紙に氏名を書いてもらった。ビールで乾杯した後、料理が運ばれてきた。鯉料理や野菜(大根、セロリ)炒めなどが出てきた。飲み物はビールの後は「古城」というアルコール度50%の高級酒で、小さなウィスキーグラスに容れてストレートで飲む。自分も最初の一杯をゆっくり飲んだが本高級酒なのだろう、アルコール度を知らなければきっとぐいぐい行ってしまうだろうと思うほど舌触りが良く、またぴりぴりと喉を焼く様な喉越し感もない。昏倒してしまうとまずいので、最初の一杯を最後の一杯としたが、張さんと胡さんはどんどん進む。
 
4)本日のメイン料理、胡さんが、この店で一番美味しいと一押しの料理 羊肉の角煮
料理も本日のメイン料理、胡さんが、この店で一番美味しいと一押しの料理が運ばれてきた。豚の角煮に良く似た料理で、豚の代わりに羊という具合で、確かに羊肉が持っている癖を殺した豚の角煮にそっくりな味となっている。
 
5)偶然だが全血液型が参集、漢民族の中で最も多い血液型がB型
歓談の内容は、血液型の話になり、偶然だが全血液型が参集していることが分かった。
駱さんがA、自分と張さんがB、胡さんがAB、唐さんがO、そして中国で最も大きなシェアを示す漢民族の中で最も多い血液型がB型とのことであることが分かった。
 
6)オリンパスの知名度、カメラ・メーカーというのが強く、医療機器メーカとしての知名度は低い
またオリンパスの知名度についても質問してみたが、イメージとしてはカメラ・メーカーというのが強く、医療機器メーカとしての知名度は低いようだ。唐さんは医療関係の仕事に従事している検査技師ということだが、オリンパスの内視鏡は記憶しているほどでも無いようだ。内視鏡は国産(中国製)を使っているとのことである。
 
7)李白の酒の飲み方
また、「古城」に関して、かつて、安土城という「古城」の城跡で、酒を会社の仲間と飲み交わしたことがあるなどと話しているうちに、李白と酒の関係の話になった。これまで考えもしなかった李白と酒の関係を張さんが教えてくれた。これまでは酒を呑むことは興趣であり、酒を呑むこと自体が風情であると思ってきたが、張さん曰く、「酒を極限まで呑んで自分の意識をギリギリのところまで酔わせ、興奮させ。そこで思い浮かんだ言葉をつなぎ合わせて普通の人には思いつかない最高の詩を作るのだ、酒は最高の作詩のためのツールなのだ。」という。
 
 8)「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」
そして、どの様な話からそういう話になったのか記憶が無いのだが、「自分が飼っている鳥を鳴かそうとしても鳴かない時、どうするか」という話をして、「日本の現代につながる近代の歴史を造った3人の統治者がいて、それぞれ、「鳴かぬなら殺してしまおう不如帰」、「鳴かぬなら鳴かしてみよう不如帰」、「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」と言ったが、人間の本性を言い当てている。ちなみに最も長期に亘って日本の統治者となりえたのは、「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」と言った統治者で、この考え方が美徳とされている。
 
9)張さんの夢 シルクロードの東西間交易のようなもの
最後に、張さんの夢を聞かせてくれた。
張さんは現在、杭州でアパレル関係の仕事をしているが、将来は胡さんと組んで新しい仕事をする機会を狙っている。国をまたがる貿易の様な仕事で、中国と隣接した諸外国との間に同じ物資でも価格に大差があるものがある。その物資をそれらの国に売却することによって莫大な利益が得られるはずとのことである。
 
それを聞いて、この地域にはシルクロードを通って西のものを東へ、東のものを西へ流すことによって大きな利益を得た隊商の精神が残っている。ただし、絹や茶だったものが、現代的な物資に置き換わっているだけの話かも知れないと思った。あるいは、西からの隊商のメンバーのDNAや東からの隊商のメンバーのDNAが生きているといえる。
 
10)シルクロードの旅のまとめ
この日の中国人4人との歓談は、今回のシルクロードの旅のまとめにふさわしいもので、これを企画してくれた張さんに大いに感謝しているところであります。
 
11)帰りは駱さんの運転 
帰りはアルコールを一滴も飲まなかった駱さんがパジェロを運転して行くことになり、車の中では張さんが気持ち良さそうに、カー・ステレオから流れる吉幾三の「酒よ」に合わせて日本語で謳い続けている。時折、Y字路になると「湾右!ワンユー」と、言ったり、「湾左!ワンゾー」と、言ったり、「直進!ツーソン」と駱さんに指示したりしているうちにホテルに着いた。時刻は北京時間で翌日の2:00を回っていた。
 
 12)翌日(正確には今日)はいよいよ帰国の日
それから日本に帰る準備をして、寝付いたのは3:00をまわっていた。
    本稿 完   次稿に続く
 







2022/11/06 0:22:36|あのシルクロード
あのシルクロード(第22回)

あのシルクロード(第22回)
【D8-1:カシュガル・人民広場、公園】
カシュガルからウルムチに戻る日である。16:15発の便なので、15:00頃には空港に着いている必要がある。そこで、ホテルをチェックアウトする時刻を10:00頃として、その後は、ホテルから歩いてすぐの人民広場、人民公園をゆっくり散策することになりました。
1)人民広場には毛沢東の像とイスラム風の塔が
2)人民公園を散策 そこでは、いろいろなカシュガルの人達が金曜日の午前中という時を思い思いに過ごしている
3) カシュガル観光の起点となったエイティーガール寺院前の広場に
4)再び、職人街の楽器工房へ、身の丈が二階の高さほどもある弦楽器
5) エイティガール寺院広場近辺でコーラを飲んだためか下痢気味
6)飛行機に搭乗する直前カシュガルでの最後の写真
7)ウルムチまでの機内で駱さんとの会話の話題
8)お茶の呼び方、ティーかチャか

 
 
1)人民広場には毛沢東の像とイスラム風の塔が
人民広場には毛沢東の像があり、イスラム風の塔がありました(写真)。像と塔は共に色、模様は異なるが、広場の象徴の様に雲ひとつない空を背景に聳え立っていました。時刻は北京時間で10:00、新疆時間でまだ8:00を少しまわったところなので、広場には人影はまだ少ないのですが、この日は金曜日なので、一日に5度のイスラム教徒の礼拝があり、その時刻になれば人々でごったがえすことになるのでしょう。
 
2)人民公園を散策 そこでは、いろいろなカシュガルの人達が金曜日の午前中という時を思い思いに過ごしている
人民東路と解放南路が交差する位置にあった人民広場を、更に南に歩を進め、木々が多く、池や植物園やレストラン、立派な建物もある(写真)人民公園を散策し、時間つぶしをすることにしました。公園では気功をする人、二胡の演奏をバックに大声で歌の練習をしている中年の女性、そぞろ歩きをする人、先生に引率された幼稚園または小学校低学年の小さい子の群、いろいろなカシュガルの人達が金曜日の午前中という時を思い思いに過ごしているという感じでした。
 
公園の一角をゆっくりと散策して、また人民広場の方へ戻りました。今度は少し角度を変えて南面する毛沢東の像を写真に納めました。この写真を見ると毛沢東は国旗に向かって敬礼しているようにも見えます(写真)。
 
3)カシュガル観光の起点となったエイティーガール寺院前の広場に
4)再び、職人街の楽器工房へ、身の丈が二階の高さほどもある弦楽器
そして我々は解放路と人民路の交叉点を北に少し戻り、職人街を経てカシュガル観光の起点となったエイティーガール寺院前の広場にやってきました(写真)。職人街では、前々日寄った楽器工房ではないところに寄ったが、ここには、身の丈が二階の高さほどもある弦楽器が展示されていて、ど肝を抜かれました。まるで、弦を押さえる人は二階で、弦をつま弾く人は一階で、と二人で一つの楽器を弾くのかと思うほどの弦楽器でした。この楽器を弾く会場が二階建てであれば良いが、と要らぬ心配をしてしまいました。
 
【D8-2:カシュガル・カシュガル空港】
5) エイティガール寺院広場近辺でコーラを飲んだためか下痢気味
エイティガール寺院広場近辺でコーラを飲んだりして更に時間を潰し、タクシーに乗ってカシュガル空港に着いたのは14:30頃でした。下痢気味で空港のトイレにかけ込み、ズボンを汚してしまい、それを洗うなど余分な時間を食ってしまいましたが、洗った部分は搭乗時間を待っている間に乾いてしまい、改めて気温だけでなく、いかに乾燥しているかを実感させられました。飛行場は閑散としていて、かなたに低い丘が見えるのみで、他の飛行機も飛行場内の整備車も目に入りませんでした(写真)。北京時間16:00にチェックインがはじまり、ちょうどこれから飛行機に搭乗する直前カシュガルでの最後の写真を撮りました(写真左=自分、写真右=駱さん)。
6)飛行機に搭乗する直前カシュガルでの最後の写真
【D8-3:カシュガル→ウルムチ:機内】
 
7) ウルムチまでの機内で駱さんとの会話の話題
ウルムチまでの機内の1.5時間の間、駱さんとの間で話しをした話題を、メモを頼りに話しをした(と思われる)話題を記します。
イスラム系人民が豚肉を食べない理由
>>>ブタは汚らわしい動物と見なされているから。(神聖な動物と見なされているためかと思っていた。同じ中国人でも漢民族はそうでもないのであろう。漢民族は日本同様十二支が生きているが、猪ではなくブタである。西遊記に登場する猪八戒(=猪悟能)もブタ。駱さんだって。豚歳である。
 
似たような話題で、中国でカラスが見られない理由を駱さんから教えてもらったことがありますが、応えは縁起が悪いだけの鳥なので徹底的に駆逐されたから。日本では不吉プラスごみ荒しで嫌われる一方、鳥の中では最も賢い、童謡にも歌われるなど親しみを感じるところもあって、中国の様に徹底的に駆逐されえないものと思います。もっとも新疆・ウィグル地区の強い太陽光線を黒い羽が効率よく吸収し、熱対策が出来ずに淘汰されるに違いない
 
中国のお茶の種類
龍井茶に代表される緑茶、ウーロン茶に代表される紅茶、プーアル茶に代表される黒茶が日本人の殆どが知っている中国茶だが、この他、雲南の少数民族が啜る白茶、更にそのほかの少数民族が嗜好する黄茶がある、とのことでした。朝日新聞社刊「週刊シルクロード紀行No.8カシュガル」のなかで茶の呼び方について面白い話を宮下佐江子氏が寄せているので、この旅日記に引用したいと思います。
 
 8)お茶の呼び方、ティーかチャか
『・・・・、お茶をティーと呼ぶのは、英語、仏語、イタリア語、チャと呼ぶのは日本語、ペルシャ語、チベット語、トルコ語、アラビア語、ロシア語で、この差は、広東語のchaと福建語のtayの違いから来たもので、チャは広東から直接もたらされたか、陸のシルクロードによるものであり、ティーは福建から海路で運ばれた地域で使われている。』
 
福建省のお茶と言えば、思い出すのは、山西省の大同市を訪問した時の帰り、北京西駅行き中国鉄道快速のお茶商人夫婦との出会いであった。陳さんと言う名前で、福建省福州から杭州、南京、天津、北京を経て大同にやってきて、その帰りということであった。荷物からお茶を取り出してテーブルの上に置いた。楕円筒の缶に入った「牡丹綉球」と言う名のお茶で、ジャスミンのような良い香りがした。
 それをあげると言う。後で「牡丹綉球」をウェブ検索すると、「牡丹綉球は、花茶といい、緑茶ベースのジャスミン茶で、湯を注ぐと、花のように広がる」とあった。缶にはメーカー名も内容量も何も書いていなかったが、有難くいただくことにした。
 もう一人は35歳の旅を趣味とする独り旅の女性で、これまで旅行したことのある地名をメモしてくれた。軟臥、日本ならグリーン車に相当、に乗った時、4人乗りの相部屋だった内、二人が老(?)中国人夫婦。もう一人が中国中を旅行している35才の清楚な感じのする中国人女性 で、その中国人が「あなたは哥哥」というのだが、浅薄な自分は“哥哥”の意味が分からず、もたもたしていると。今度はカメラを見せてくれた。筆者が勤務していた会社製の当時最新最高級カメラである。通じないとみるや、食堂車へ行ってくるとの話。残った女性との筆談で判った。初めての中国鉄道の旅だったが。有意義な中国旅行の思い出であった。
 
B家内、息子達の中国語読み、中国人名前の付け方 木火土金水、風水の法則にしたがってつける場合が多い。
              本稿  完   次稿へ続く







2022/10/31 22:54:15|あのシルクロード
あのシルクロード(第21回)

あのシルクロード(第21回)
 
【D7-6:カシュガル・カラクリ湖E】
1)道路と雲をアクセントとした、仙境ともいえる素晴らしい光景
2)車の前をヤクが横切ったりする

 
1)道路と雲をアクセントとした、仙境ともいえる素晴らしい光景カラクリ湖から20〜30分の地点
カラクリ湖からの帰路は往路と同じだったが、道路と雲をアクセントとした、仙境ともいえる素晴らしい光景に遭遇したので、それを取り上げる。時刻は北京時間で13:30、カラクリ湖から20〜30分の地点で,いずれも車の中から補助席の駱さんが撮ったものを掲載させていただいている。
 
2)車の前をヤクが横切ったりする
車の前をヤクが横切ったりすることもあった(写真)。また、雲海が今いる地点より低く見えたり(写真)、あるいはかなたに雲間に冠雪したコングル峰(7719m)が認められた(写真)。
 
【D7-7:カシュガル・ブルンコル湖】
 
3)冠雪したコングル峰とブルンコル湖の景色、湖面近くまで降りる
時刻は北京時間で13:45頃、カラクリ湖を後にして、車で50分ほど戻った地点である。往きにも当然右手に目に入り、素晴らしい景色だと思いながら通り過ぎた観光地である。車を路肩にとめ、そこから冠雪したコングル峰を伺う(写真)のも良いが、反対側のブルンコル湖の景色はさらに素晴らしかった。路肩から湖面近くまで急斜面をズリ降りて草の生えている水際まで行き、駱さんのカメラで、自分と駱さんの写真を撮った(写真)。この辺では手に玉石をたくさん持ち歩き、観光客に売ろうとして動き回っているのはカザフ族であろうか。
 
【D7-8:カシュガル・カラクリ湖G】
 
4)鋼色で刃物を思わせる山々
ブルンクル湖から車でまだ20分ほどしか経っていない北京時間の14:00少し過ぎ、目に入った山は鋼色で刃物を思わせる。これまでこの近辺で見てきたベージュ肌の山でもなく、又断層が現れている山でもない。岩肌というのが正しいかもしれない。岩肌だから風食はされず、岩肌だから、斜面に堆積する土も、砂も、雪ですら堆積しえない。堆積するとしたら、山の頭頂部だけである。巨大な単結晶が転位部で、へき開した後の様である。
 
【D7-9:カシュガル・カラクリ湖からの帰り】
5)空が急に暗くなってきて、あちこちに土埃やつむじ風の帰り道
6)春先に偏西風に乗って日本の上空に漂ってくる黄砂のふるさとはこのあたり、カシュガルから65km程度のところ
7)日本語ガイドのグランベールさんと運転手のムハマットさんの話: @政府供給の集合住宅に関してのGさんの話
8)A Mさんのプライベートな話:彼はバツイチで離婚と再婚。その経験が生きた運転手人生

 
5)空が急に暗くなってきて、あちこちに土埃やつむじ風の帰り道
カラクリ湖へ行ったこの日の天気は本当にめまぐるしく変わった。快晴というのはついに無かったが、晴れから小雨へと刻々と変わり、帰り道では、北京時間で16:00頃空が急に暗くなってきて、あちこちに土埃やつむじ風が舞っている。ひどい時は100m先も見えないほどであった。
 
6)春先に偏西風に乗って日本の上空に漂ってくる黄砂のふるさとはこのあたり、カシュガルから65km程度のところ
往きに途中下車し市場を見学したカシュガルから65km程度のところにあるカシュガル市最南端にあるオパール村も、この土埃やつむじ風には形無しである。そういえば、春先に偏西風に乗って日本の上空に漂ってくる黄砂のふるさとはこのあたり(新疆。ウィグル地区の砂漠)だと言われているらしい。竜巻が起らないだけましだが実際には起るらしい。
 
7)日本語ガイドのグランベールさんと運転手のムハマットさんの話: @政府供給の集合住宅に関してのGさんの話
帰途車の中でしゃべりつづけたのは運転手のムハマットさんと日本語ガイドのグランベールさんであり、これまで披露していない話題をこのコラムで紹介しておく
 
政府供給の集合住宅の話:往きのカシュガルのホテルを出発して間もなく国道沿いに団地風の建物が見えたが、高価なので、入れないという理由もあろうが、今ある隣同士の付き合い、2〜3世代家族のもちつもたれつの共同生活、たとえ家がぼろでも、冷暖房、上下水道が整っていなくても、これまでの生活のよさを放棄してまで移りたくは無いというのが本音であろう。グランベールさんは資金がないからと言っていたが、それだけではないだろう。
 
8)A Mさんのプライベートな話:彼はバツイチで離婚と再婚。その経験が生きた運転手人生
モハマットさんのプライベートな話:彼はバツイチで離婚と再婚を経験している。かつて日本人母娘を車で観光案内したことがある。ふとそのプライベートな話を披露したところ、その娘の方が最近離婚したことなどの身の内話を始め、それによって、わだかまっていた気持ちの整理が出来感謝されたこと。彼は、お母さんのミキャラム・ムカラアプサタルさん、奥さんのアプトラヒムさん、3人の子供エミン、エト、ファイーの6人で生活しているとのこと
 
そのミキャラムさん手つくりのクッキーを車のなかでご馳走してくれた。
 
いよいよ、カシュガルでの観光イベントが全て終ろうとしている。今日一泊して身体を休め明日、再びウルムチに戻る。
          本稿   完  次稿へ続く







2022/10/26 18:08:01|あのシルクロード
あのシルクロード(第20回)

あのシルクロード(第20回)
【D7-3:カラクリ湖・B】
1)一日で眼まぐるしく変わる天気、それにつれて山肌の様相も頻繁に変わる
2)刃物を研いだ様な峻険な山肌から草木は全く無い不毛の地へと様相が変わる
3)カラクリ湖に到着、普段は青い湖水が、黒雲がかかり雨模様になると黒く変化する

 
 
1)一日で眼まぐるしく変わる天気、それにつれて山肌の様相も頻繁に変わる
北京時間で11:40頃、ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近(まぢか)の地点である。山肌がまるで砂で出来たような山々が道路に迫ってくる。また天気はめまぐるしく変わる。雨粒が車の窓ガラスを叩いていた(写真1)、かと思うと、いつの間にか晴れ間が出てくる(写真2)。雲の切れ目からの太陽光が妖しく山肌の色を変える。その変わった部分はベージュの毛布の様な色を呈し、目に安堵感を与える(写真3)
 
2)刃物を研いだ様な峻険な山肌から草木は全く無い不毛の地へと様相が変わる
それまでの山肌は断層が見えていたり、まるで刃物を研いだ様な峻険な山肌だっただけに余計そう感じたりしたのかも知れない。草木は全く無い不毛の地であるが、そういったものがあれば、高原とでも言いたいところである。
 
帰りに山間部を抜け出たあとに聞いた話では、前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがあるとのこと。そういう時は、その日のうちに帰ることは出来なくなるとのこと。クワバラ、クワバラ。
 
【D7-4:カシュガル・カラクリ湖C】
3)カラクリ湖に到着、普段は青い湖水が、黒雲がかかり雨模様になると黒く変化する
4)冠雪した峰が湖面にくっきりと逆さに映る

3)カラクリ湖に到着、普段は青い湖水が、黒雲がかかり雨模様になると黒く変化する
北京時間で13:15、カラクリ湖に到着した(写真4)。残念ながら旅行案内書の写真の様な快晴ではなく、曇りである。旅行案内書によると、「カラクリ湖」というのは「黒い湖」という意味で、普段は青い湖水が、黒雲がかかり雨模様になると黒く変化するのだそうだ。
 
晴れ間も見える曇りなので、観る角度によっては湖面や湖岸は無彩色になったり、有彩色になったりする。
 
門構えになった、「カラクリ湖」と書かれた立派な案内標が湖畔にあり、記念写真を撮った(写真4)。屋根瓦の被さった朱塗りの案内標に、唐草模様と共に鮮やかな青で「客拉庫勒(からくり)湖」と横書きされていて、屋根瓦には一対の対向した小さな竜が鎮座している。この様子からこの門標が少数民族によって立てられたのではなく、漢民族によるものとの推測がつく。尚、後述するが、カラクリ湖一帯はカザフ族が多く住み、湖畔に居住する場合が多いのだそうだ。
 
カシュガルには漢民族の人口が急速に増加しているらしい。

4)冠雪した峰が湖面にくっきりと逆さに映る
湖畔にはパオが点在していて(写真5)、少数民族が生活している。しかし生活の糧は観光客への土産物(綺麗な石の飾リ物)の売り上げが主ではないかということが、帰り道で売りに来る住人(?)の多さから推測できた。生活の厳しさは分からないが、天気の良い日に冠雪した峰が湖面にくっきりと逆さに映った光景を観ることが出来れば、それだけでも幸福に違いないと思うのは旅行者の楽観かも知れない。 
湖の水辺には、湖水の無いところは全て草が多い、そこだけ観るとどこにでもある風景といえそうだ(写真6)。ここに至るまでに道の両側に迫る様に見えた無毛の山肌とは余りにも違う光景で、緑が目に入ったり、対岸の山々が湖面に逆さに映る山々が映る光景が見えたりすると、安堵感を得られる。
 
緑を従えた湖面には不毛の山並が写っているが、冬になると、冠雪した山並みが写り、湖岸に生えた草々も枯れるか、雪に覆われるのだろうが、その頃はここのパオに住む人達もパオを畳んでこの地を離れるのだろう。
 
ちなみに、グランベールさんの話ではカラクリ湖を挟む一方の峰であるムスタガータ山は「氷河の父」と愛称され、雪の厚さが300mにもなるところがあるとのことである。カラクリ湖の最深部が35mとのことなので、なんとその10倍もあるのだ。自然の凄まじさを感じる。
 
しかし、最近の温暖化現象がここまでしのび寄っていれば、今は300mもなく、その分、湖の深さが増しているかも知れない。
 
【D7-5:カシュガル・カラクリ湖D】
5)パオ内部の様子を一覧しパオ内で一同暫し寛ぐ
6)カシュガル旅のクルーメンバーの紹介
昼間は良くても夜はかなり冷え込むことが推測できる。赤色の彩色で暖をとる?
7)新疆・ウィグル自治区に住む少数民族はウィグル族についでカザフ族が多い
8)パオではカザフ族の2家族五人(内1人は子供)が生活し、季節ごとに移住
9)ストーブで温められていたやかんの中の馬乳茶とナンをご馳走になる

 
4)パオ内部の様子を一覧し、パオ内で一同暫し寛(くつろ)ぐ
カラクリ湖の湖畔には幾つかのパオが散在している。そのうちの一つが、運転手のモハマッドさんの親戚のものらしく、いつのまにかパオに入ってゆき、暫くして我々にも入ってこないかというお誘いがあった。
 
 5)旅のクルーメンバーの紹介
パオは円錐状の天蓋の先から、煙か、湯気の様なものが出ている。喜んで中に入ってゆき、靴を脱いで、一同カーペットの上に座る(写真8)。右からカシュガルの日本語スルーガイドをしてくれたグランベールさん、運転手のムハマットさん、自分(筆者)、駱さん。
 
 6)昼間は良くても夜はかなり冷え込みそう。赤色の彩色で暖をとる?
パオの入り口に入ると三日月形の土間があり、土間には天井まで達している煙突がついたストーブが置いてあり、火のついたストーブの上にはやかんが置いてある。昼間は良くても夜はかなり冷え込むことが推測できる。円形の土間ではない残りの空間が床になっていて、赤地の模様入りカーペットが一杯に敷いてある。円筒の内壁には、やはり赤地の模様入り厚手の布地が貼られている。それでも寒さに我慢できない時はパオを畳んで、少しでも暖かい地に移動するのだろう。
 
7)新疆・ウィグル自治区に住む少数民族はウィグル族についでカザフ族が多い
新疆・ウィグル自治区に住む民族はウィグル人(814万人)が全体の47%を占め、残りを漢民族(570万人)とその他の少数民族が占めるが、なかでも多いのがカザフ族(128.7万人),回族(78万人)、キルギス族(16.4万人)、蒙古族(15.9万人)、タジク俗(4万人)、錫伯俗(4万人)とつづく。上記の如く人口内訳が書かれたホテル備え付けの観光案内パンフには、さらにカザフ族は季節によって居を移し、青々とした草が茂った水辺のみに住み、性格は素直で、親切で、如何なる旅人をも温かくもてなすことの出来る民族であることが記されている。観光宣伝がうまい。
 
8)パオではカザフ族の2家族五人(内1人は子供)が生活し、季節ごとに移住
そのカザフ族の人達が、このパオの住人のようだ。モハシモバロズさん(28)、ボハジャリさん(27)の夫婦と、息子(写真9&黄色枠内)の3人が住んでいるようだ。更に関係はよく分からないビニヤミエさん(25)とグズエリニュリさん(28)という人達も住んでいるとのこと。パオの中は、5人が十分に寛げる広さを持っている。息子はまだ6、7歳であろう。素直そうな男の子だった(写真9&黄線枠内)
 
 9)ストーブで温められていたやかんの中の馬乳茶とナンをご馳走になる 薬5元のお礼。
パオの中では、ストーブで温められていたやかんの中の馬乳茶とナンをご馳走になった。
お昼代わりとして十分だった。
お礼の代わりに、持っていた小銭全て(紙幣で合計5元程度)をその子にあ
げた。20年後に、この少年がどの様な大人になっているか見てみたい感じがした。
      本稿  完 次稿に続く
 
 







2022/10/23 23:50:24|あのシルクロード
あのシルクロード第19回

あのシルクロード第19回
D7-1:カシュガル・カラクリ湖@】
1)富士山の頂上より高い標高3600mのところにある湖を目指す。携帯用酸素ボンベと酸素封入バルーンを準備
2)スルーガイドの駱さん、カシュガル現地ガイドのグランベールさん、運転手のムハマットさんと自分の四人のクルー
3) 顕著に変化する山の形、色、樹木の種類、高さ等の風景、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が延々と続く。
4) 峰々のロケーションをグさんに教えてもらう。ヒンズー・クシ、カラコルム、パミール高原等、別世界の地名を聞く
5)通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める

 
南北に伸びる解放路と東西に伸びる人民路の交差点からみて解放北路を更に北に行くとカシュガル空港方面へ、解放南路を更に南に行くとホータン方面へ、人民東路を東にゆくと、南疆鉄路の終着駅、中国最西端の駅カシュガル駅に至り、人民西路を更に西に行くとカラコルム・ハイウェー方面へ行く。
 
 1)富士山の頂上より高い標高3600mのところにある湖を目指す。携帯用酸素ボンベと酸素封入バルーンを準備
カラクリ湖はカラコルム・ハイウェー方面へ200km足らずの、コングル山(標高7719m)とムスタガタ山(7546m)との間の標高3600mのところにある湖である。狭心症で冠動脈にステントを留置させているわが身にとって高山病が気になり、携帯用酸素ボンベ「酸素マニア」(純度99.5%の酸素12リットルを内容積60ccの耐圧ボンベに圧縮して詰め込んだ130g程度のもの、(株)オーツー・サプライズ販売)の携行だけでなく,更に200元で酸素ガスでパンパンに膨らませた枕大のビニール袋をガイドのグランベールさんに依頼して準備した。
 
2)スルーガイドの駱さん、カシュガル現地ガイドのグランベールさん、運転手のムハマットさんと自分の四人のクルー
そして、嵩張るそれを腹がかえにしてムハマットさん運転の車に乗り込んだ。助手席に駱さん、日本語の話せる現地ガイド、グランベールさんと自分が後部座席に乗り込んだ。
 
3) 顕著に変化する山の形、色、樹木の種類、高さ等の風景、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が延々と続く。
カシュガルの郊外になるほど,風景は顕著に変化し、山の形、色、樹木の種類、高さが変わって行く。民家もレンガつくりの住居や葡萄を干す高床の倉庫が目につき、それらも次第に数が少なくなってゆく。天気が良いとは言えないが、観光バス(?)に追いついたり、追い越されたりする。そして通行左手(=東側)に、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が目に入った(写1)。景色が良いので写真を撮るのに良いと言われているところに停車し、崑崙山脈の冠雪した峰々を背景に写真を撮った(写真2)。
 
4) 峰々のロケーションをグさんに教えてもらう。ヒンズー・クシ、カラコルム、パミール高原等、別世界の地名を聞く
車の中でグさんに教えを受けた峰々のロケーションをメモした(以下の通り);
カシュガル近傍には7つの峰や高原、砂漠がある。北から天山、タクラマカン砂漠を挟み、その西の果ての峰が天山山脈と最近接する崑崙山脈、その南西にヒンズー・クシ、南にカラコルム、更に、その南にパミール高原がある。コングル山もムスタガタ山も共に崑崙山脈にある。したがって、その両峰の間にあるカラクリ湖も崑崙山脈にある、ということになる。 
この道は三蔵法師一行が天竺からの帰りに通った道で、彼らは高山病にかかった形跡があるらしい。(陳瞬臣著:「天竺への道」)
 
5)通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める
その後、北京時間10:40頃、通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める(写真3)。そして、相変わらず奇妙な色の山々や川の流れに付き合いながら車は南下する(写真上4)
 
【D7-2:カシュガル・カラクリ湖A】
6)相変わらずえんじ色に近い山肌で、草木一つ生えていない山と、その麓を直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変え流れる川が続く
7)草木が目に入る 道路沿いの検問所で日本語を話す若い男に話しかけられる。

 
6)相変わらずえんじ色に近い山肌で、草木一つ生えていない山と、その麓を直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変え流れる川が続く
更にカラクリ湖を目指し、車に乗り続ける。写真はいづれも車の中から撮ったもので、画質が悪い。山は相変わらずえんじに近い山肌で、山には草木一つ生えていない。その麓を流れる川は直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変えて流れている。川幅が今は細くても河原全体は幅広く、雪解けが始まる頃は河原の幅一杯に水があるのであろう。
 
7)草木が目に入る 道路沿いの検問所で日本語を話す若い男に話しかけられる。
時折道路沿いには草木が目に入る(写真左列)。そこは検問所というのは大袈裟であるが、パスポートをチェックさせられるところであり、車からおりて河原の方を眺めていたら、日本語を話すスリムな若い男がニコニコと近づいてきて、話掛けてきた。
 
最初は「日本の何処から来たのか」などと話していたが、「この川は崑崙山脈から流れて来ているようだが、ホータンの白玉川の様に玉石が採れないか?」という話になり、「採れない。」とあっけない答え。検問所の建物の中には土産物も販売されていて、玉製の装飾品もあったので聞いてみたまでであったが、付け入る隙の無い答えであった。
日本人観光客が多いのでm専従係員なのかも知れない、
そして再び車上の人となり更に行くと、山と山の合間から川が流れ出している景色に出会うようになってきた。
 
【D7-3:カラクリ湖・B】
8) ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点まで来た。益々めまぐるしく変わる天気、曇りのち雨、のち晴と、目まぐるしい。
9)断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌から、草木が全く無い不毛の地へ
10)「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」危険な道路だった。

 
8) ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点まで来た。益々めまぐるしく変わる天気、曇りのち雨、のち晴間と、目まぐるしい。雲の切れ目からの太陽光が妖しく山肌の色を変える
北京時間で11:40頃、ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点である。山肌がまるで砂で出来たような山々が道路に迫ってくる。また天気はめまぐるしく変わる。雨粒が車の窓ガラスを叩いていた(写真上2)かと思うと、いつの間にか晴れ間が出てくる(写真上1)。雲の切れ目からの太陽光が妖しく山肌の色を変える。その変わった部分はベージュの毛布の様な色を呈し、目に安堵感を与える(写真上3)
 
9)断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌から、草木が全く無い不毛の地へ
それまでの山肌は断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌だっただけに余計そう感じたのかも知れない。草木は全く無い不毛の地であるが、そういったものがあれば、高原とでも言いたいところである。
 
10)「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」危険な道路だった。
帰りに山間部を抜け出たあとに聞いた話では、「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」とのこと。「そういう時は、その日のうちに帰ることは出来なくなる。」とのこと。帰りに山間部を抜け出たあとに聞いた話で良かった。
              本稿   完   次稿へ続く
 







[ 1 - 5 件 / 448 件中 ] 次の5件 >>