| あのシルクロード第19回 | | あのシルクロード第19回 D7-1:カシュガル・カラクリ湖@】 1)富士山の頂上より高い標高3600mのところにある湖を目指す。携帯用酸素ボンベと酸素封入バルーンを準備 2)スルーガイドの駱さん、カシュガル現地ガイドのグランベールさん、運転手のムハマットさんと自分の四人のクルー 3) 顕著に変化する山の形、色、樹木の種類、高さ等の風景、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が延々と続く。 4) 峰々のロケーションをグさんに教えてもらう。ヒンズー・クシ、カラコルム、パミール高原等、別世界の地名を聞く 5)通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める 南北に伸びる解放路と東西に伸びる人民路の交差点からみて解放北路を更に北に行くとカシュガル空港方面へ、解放南路を更に南に行くとホータン方面へ、人民東路を東にゆくと、南疆鉄路の終着駅、中国最西端の駅カシュガル駅に至り、人民西路を更に西に行くとカラコルム・ハイウェー方面へ行く。 1)富士山の頂上より高い標高3600mのところにある湖を目指す。携帯用酸素ボンベと酸素封入バルーンを準備 カラクリ湖はカラコルム・ハイウェー方面へ200km足らずの、コングル山(標高7719m)とムスタガタ山(7546m)との間の標高3600mのところにある湖である。狭心症で冠動脈にステントを留置させているわが身にとって高山病が気になり、携帯用酸素ボンベ「酸素マニア」(純度99.5%の酸素12リットルを内容積60ccの耐圧ボンベに圧縮して詰め込んだ130g程度のもの、(株)オーツー・サプライズ販売)の携行だけでなく,更に200元で酸素ガスでパンパンに膨らませた枕大のビニール袋をガイドのグランベールさんに依頼して準備した。 2)スルーガイドの駱さん、カシュガル現地ガイドのグランベールさん、運転手のムハマットさんと自分の四人のクルー そして、嵩張るそれを腹がかえにしてムハマットさん運転の車に乗り込んだ。助手席に駱さん、日本語の話せる現地ガイド、グランベールさんと自分が後部座席に乗り込んだ。 3) 顕著に変化する山の形、色、樹木の種類、高さ等の風景、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が延々と続く。 カシュガルの郊外になるほど,風景は顕著に変化し、山の形、色、樹木の種類、高さが変わって行く。民家もレンガつくりの住居や葡萄を干す高床の倉庫が目につき、それらも次第に数が少なくなってゆく。天気が良いとは言えないが、観光バス(?)に追いついたり、追い越されたりする。そして通行左手(=東側)に、えんじ色に染まった山並とその麓を滔滔と流れる川が目に入った(写1)。景色が良いので写真を撮るのに良いと言われているところに停車し、崑崙山脈の冠雪した峰々を背景に写真を撮った(写真2)。 4) 峰々のロケーションをグさんに教えてもらう。ヒンズー・クシ、カラコルム、パミール高原等、別世界の地名を聞く 車の中でグさんに教えを受けた峰々のロケーションをメモした(以下の通り); カシュガル近傍には7つの峰や高原、砂漠がある。北から天山、タクラマカン砂漠を挟み、その西の果ての峰が天山山脈と最近接する崑崙山脈、その南西にヒンズー・クシ、南にカラコルム、更に、その南にパミール高原がある。コングル山もムスタガタ山も共に崑崙山脈にある。したがって、その両峰の間にあるカラクリ湖も崑崙山脈にある、ということになる。 この道は三蔵法師一行が天竺からの帰りに通った道で、彼らは高山病にかかった形跡があるらしい。(陳瞬臣著:「天竺への道」) 5)通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める その後、北京時間10:40頃、通りがかった市場で車を降り、市場風景を写真に納める(写真3)。そして、相変わらず奇妙な色の山々や川の流れに付き合いながら車は南下する(写真上4) 【D7-2:カシュガル・カラクリ湖A】 6)相変わらずえんじ色に近い山肌で、草木一つ生えていない山と、その麓を直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変え流れる川が続く 7)草木が目に入る 道路沿いの検問所で日本語を話す若い男に話しかけられる。 6)相変わらずえんじ色に近い山肌で、草木一つ生えていない山と、その麓を直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変え流れる川が続く 更にカラクリ湖を目指し、車に乗り続ける。写真はいづれも車の中から撮ったもので、画質が悪い。山は相変わらずえんじに近い山肌で、山には草木一つ生えていない。その麓を流れる川は直線的にあるいは蛇行し、また川幅を変えて流れている。川幅が今は細くても河原全体は幅広く、雪解けが始まる頃は河原の幅一杯に水があるのであろう。 7)草木が目に入る 道路沿いの検問所で日本語を話す若い男に話しかけられる。 時折道路沿いには草木が目に入る(写真左列)。そこは検問所というのは大袈裟であるが、パスポートをチェックさせられるところであり、車からおりて河原の方を眺めていたら、日本語を話すスリムな若い男がニコニコと近づいてきて、話掛けてきた。 最初は「日本の何処から来たのか」などと話していたが、「この川は崑崙山脈から流れて来ているようだが、ホータンの白玉川の様に玉石が採れないか?」という話になり、「採れない。」とあっけない答え。検問所の建物の中には土産物も販売されていて、玉製の装飾品もあったので聞いてみたまでであったが、付け入る隙の無い答えであった。 日本人観光客が多いのでm専従係員なのかも知れない、 そして再び車上の人となり更に行くと、山と山の合間から川が流れ出している景色に出会うようになってきた。 【D7-3:カラクリ湖・B】 8) ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点まで来た。益々めまぐるしく変わる天気、曇りのち雨、のち晴と、目まぐるしい。 9)断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌から、草木が全く無い不毛の地へ 10)「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」危険な道路だった。 8) ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点まで来た。益々めまぐるしく変わる天気、曇りのち雨、のち晴間と、目まぐるしい。雲の切れ目からの太陽光が妖しく山肌の色を変える 北京時間で11:40頃、ホテルを出て約3時間、カラクリ湖に間近の地点である。山肌がまるで砂で出来たような山々が道路に迫ってくる。また天気はめまぐるしく変わる。雨粒が車の窓ガラスを叩いていた(写真上2)かと思うと、いつの間にか晴れ間が出てくる(写真上1)。雲の切れ目からの太陽光が妖しく山肌の色を変える。その変わった部分はベージュの毛布の様な色を呈し、目に安堵感を与える(写真上3) 9)断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌から、草木が全く無い不毛の地へ それまでの山肌は断層が見えていたり、まるで刃物の様に研いだ様な峻険な山肌だっただけに余計そう感じたのかも知れない。草木は全く無い不毛の地であるが、そういったものがあれば、高原とでも言いたいところである。 10)「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」危険な道路だった。 帰りに山間部を抜け出たあとに聞いた話では、「前日に快晴でも、翌日に豪雨で道路が寸断されてしまうことがある」とのこと。「そういう時は、その日のうちに帰ることは出来なくなる。」とのこと。帰りに山間部を抜け出たあとに聞いた話で良かった。 本稿 完 次稿へ続く |
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| あのシルクロード(第18回) | | あのシルクロード(第18回) 【D6-11:カシュガル・香妃墓】 1)カシュガルに関して、どんな観光案内書にも載っている香妃墓、別名アバク・ホージャ墓 2)清の乾隆帝に嫁ぎ、不幸な運命をたどった一族の娘「香妃」が祀られている 3)柱に彩色と彫刻を施した木造の建物群柱の彫刻は屋根の付け根のところが、派手に彫刻 4)むしろ仏教寺院的なイスラム寺院、中国最西端の仏教遺跡のモール仏塔行かず 5)ポプラと青い空が印象的な霊廟からの遠景 1)カシュガルに関して、どんな観光案内書にも載っている香妃墓、別名アバク・ホージャ墓 北京時間で17:40ころ、カシュガルに関しての、どんな観光案内書にも載っている香妃墓を見学した。空はまだ昼間の明るさである。カシュガル市街地から、北東方向に車で15分くらいのところにある。別名アバク・ホージャ墓と呼ばれるイスラム風霊廟である。(写真1)
2) 清の乾隆帝に嫁ぎ、不幸な運命をたどった一族の娘「香妃」が祀られている この地にイスラム教を布教しようとしたムハンマッド・ユースフとその息子アパク一族が埋葬されている。天井に直径約17mのドームを中心に、それを囲む4つのミナレット(尖塔)を冠し、高さ26mの霊廟内には、緑、青、黄色に彩られたタイルに囲まれて一族72人が大小の棺の下に眠っている。清の乾隆帝に嫁ぎ、不幸な運命をたどった一族の娘「香妃」が祀られていると伝えられていたことから香妃墓とも呼ばれるが、実際には北京の東にある清東稜や西安に埋葬されたという説があるようだ。 3)柱に彩色と彫刻を施した木造の建物群 柱の彫刻は屋根の付け根のところが、派手に彫刻 ここには、霊廟の他、朝拝室、礼拝寺、講経堂、加満清真寺、教経堂、果園、池などがあり、敷地は広大である。「週刊シルクロード紀行No.8カシュガル」朝日新聞社刊に香妃墓の創建時の配置想像図が掲載されていて参考になる。 霊廟から講経堂のほうへ行くと、柱に彩色と彫刻を施した木造の建物群が目に入る。彩色は緑、青、黄が主体で赤はない。柱の彫刻は屋根の付け根のところが、派手に彫刻されていた(写真2)。中国式仏教寺院や道教霊廟には、赤も 派手に使われるが、イスラム寺院に赤色が使われるのは珍しい。 4)むしろ仏教寺院的なイスラム寺院、中国最西端の仏教遺跡のモール仏塔はゆきそびれた イスラム寺院は、レンガ、タイル、ガラスつくりという先入観があったためか、この様な木造建築(写真3~6)を目にすると、むしろ仏教寺院的な印象を受けた。今回の旅では行けなかったが、香妃墓からさらに北東に30kmほど行ったところに中国最西端の仏教遺跡のモール仏塔というのがあるらしい。唐代のもので、トルファンの両古城と同様レンガや土で出来ていて現在は崩れ落ちた遺跡となっているらしい。ちょうど、三蔵法師が天竺からの帰り、カシュガルに立ち寄った頃であろうか。 5)ポプラと青い空が印象的な霊廟からの遠景 内部から外を眺めると、ポプラと青い空が印象的であった。(写真6) カシュガルには、いたるところにポプラが植えられている。 【D6-12:カシュガル・香妃果園】 6)香妃果園で西瓜を食べながらカシュガルの舞姫の歌舞を堪能 7)演舞者4人の歌舞は、音楽はラジカセ、舞踏は心を揺さぶるエキゾチックな舞踏 8)シルクロードを行き交う旅商人に随行する歌舞団も楽器とともに東に移動し、楽器だけは最後に正倉院に格納された楽器も。宗教でさえ同じルートで伝播した可能性も。 6)香妃果園で西瓜を食べながらカシュガルの舞姫の歌舞を堪能 香妃墓に入場するとき、10元余計に払うと、香妃果園(写真7,8)に入ることが出来る。カシュガル産果物が一堂に集められて見学、場合によっては味見出来るのかと思ったが、ベンチに座って西瓜を食べながら歌舞の実演を見学する、というものであった。 グランベールさんの話では、カシュガルの人の80%が農業に従事していて、農業とは果物(スイカ、メロン、ぶどう、ザクロ、イチジク、瓜)と綿花の栽培が殆どで、ザクロはカシュガルの市果となっているとのこと。ついでながら、農業以外は鉱業(石油、天然ガス、石炭)ということだったが、香妃果園の入場券には他に洋ナシ、りんご、キーウィ、さくらんぼまで印刷されている。 7)演舞者4人の歌舞は、音楽はラジカセに録音したもの 。心を揺さぶるエキゾチックな舞踏 香妃果園入り口が立派な門構え(写真7)なので、思わず門前で記念写真(写真8)。細い道を50mほど歩くと、小さな舞台があった。我々3人の他には2人ほど客がいたが、他には来そうにないことを確認して、ベンチに座るとスイカが運ばれてきて、これを食べながらの歌舞の観賞となった。 歌舞といっても歌(演奏)の方はラジカセに録音したものを使い、舞踏のみ、カラフルなウィグル服を着た舞姫が舞うのである(写真9A,B.C、)。舞姫は3人、ペアで踊る出し物が一つあり、相手をする男性の踊り手が一人。以上がここの歌舞団である。 この様なプロの舞姫は母娘の間で受け継がれてゆくのだろうか? 8)シルクロードを行き交う旅商人に随行する歌舞団も楽器とともに東に移動し、楽器だけは最後に正倉院に格納された楽器も。宗教でさえ同じルートで伝播した可能性も。 三蔵法師らが旅した悠久のシルクロードの時代にも、旅商人を慰めるため歌舞団が東に西に移動し、歌舞と楽器を東西に伝えたのではなかろうか。歌舞の中には時に曲芸的なものや幻術の様なものもあったのではなかろうか。宗教でさえ歌舞団と一緒に移動したかも知れない。中国各地にある千仏洞に刻まれた仏画には如来や菩薩の周りを、楽器を奏でる飛天の舞姿がある。 清の時代でも事情は同じ。乾隆帝は夢に現れたと言っているが、中国の英雄伝によく登場する常套的エピソードで、実は、カシュガルを通過点として、東西を旅する旅商人、あるいは旅行者から、「カシュガルにかぐわしい香りを発する美女がいる。単に美女であるだけではなく、知性も教養も身につけた王の妃にふさわしい女性である。」という情報が耳に入り、何がなんでも、ということで、部下が忖度し、北京まで強制的に連れて来られたのではないか。 舞を観ていてそんなことを夢想した。 そして、いろいろ考えると、香妃の悲話は、実は清朝に対するウィグル族の人達の抵抗心の象徴として今に生きているのではないか。 【D6-13:カシュガル・カシュガルの美女】 9)カシュガルの美女がいるレストランでの夕食 10)乾隆帝が恋焦がれた香妃は、こんな感じのトルコ系西洋人女性だったのかも知れない 11) シシカバブを焼いていた店員が、焼いている姿を撮ったらと、串を二本渡してくれた 9)カシュガルの美女がいるレストランでの夕食 香妃墓を見学後、ホテルにチェックインして1時間ほど休憩してから夕食をとることになった。約束の時間にロビーに下りてゆくと、駱さんと、張さんの弟さん夫婦の姿があった。彼らは一日前にカシュガルにきて、カシュガル観光を済ませ、夕食を摂った後、帰途に就くとのことで、一緒に食事をしようということになったらしい。 駱さんは、その旨伝えるべく部屋に電話した、とのことだったが、電話に誰も出なかった、とのこと。それもそのはず、駱さんからは、ウルムチでの一泊目から迂闊にホテル内の電話に出るなという話だったので、出なかっただけのこと。まさか駱さんとは思わなかった。 弟さん夫婦(写真10A)が昨夜食事したところが良かったというので、そこへ行くことになった。店は地元の人というより、旅行客を目当てにした、こじんまりとした店で、外観は写真10の様な感じである。写真のガラス張りの入り口を入り二階に店があった。料理の注文は弟さん夫婦にお任せした。料理は、シシカバブ、ラグ麺、野菜スープ、その他であったが、確かにこれまでのものよりも美味しかった(写真10B)。カシュガルに来て、シシカバブは毎日最低一回、ラグ麺は三食目、全く飽きがこない。 そして食事がおわり、勘定をしにレジへ行った弟さんの奥さんがなかなか戻ってこない。何かを交渉している様である。その交渉は予想も出来ないものであった。レジをしている女性が余りにも魅惑的なので、ツー・ショットをお願いしていたのだ。駱さんがカメラマンで、その女性(写真11)を挟んで弟さん夫婦が、ついで自分とのツー・ショットを駱さんが奨めてくれ、流れで遠慮することもならず、写真に納まった。 10)乾隆帝が恋焦がれた香妃は、こんな感じのトルコ系西洋人女性だったのかも知れない ひょっとして、乾隆帝が恋焦がれた香妃はこんな感じの女性だったのかも知れない。明らかにトルコ系西洋人の香りがする。これだけの美人が何故レジ係り以上の飛躍をしないのか不思議で仕方なかった。天は二物を与えずの好例か、とか、カシュガルの大富豪に囲われているとかの邪推をしてもみたが、そんなことより、ここカシュガルは今でも東西文化の陸上の交差点。文化だけでなく、人種の交配が何代かに亘って行われていても不思議では無いのだろう。 また同じ中国人ながら一緒に写真に納まりたい気分を起こさせたのは、単に美人ということではなくて、少数民族と漢族との境界線を彼女に意識させられ、それを写真に遺したということではなかったか、そんな風に、この場の出来事を捕らえ、店を出た。ちなみにここでの食事代は弟さん夫婦のおごりであった。ご馳走さまでした。
11) シシカバブを焼いていた店の人が、焼いている姿を撮ったらと、串を二本渡してくれた 表に出て時計を見ると、北京時間で、21:00をまわっていた。外ではヤキトリ屋の煙交じりのおいしそうな臭いではなくて、シシカバブの焼焦げる臭いと、煙が通りに幕を張っていた。その側に立って写真を撮ってもらおうとしたら、屋台を出して、シシカバブを焼いていたお兄さんが、「焼いている姿を撮ったら」と、串を二本渡してくれた(写真10C)。 本稿 完 次稿へ続く |
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| あのシルクロード第17回 | | あのシルクロード第17回 【D6-8:カシュガル・老城の人達(1)】 1)カシュガル老城の子供達は路地そのものが遊具 2)たまに一人でいる子供が目に入るが、大抵は、外では二人組、三人組 3)老城で、売れっ子のウィグル人の子供は愛想が良い 4)上空の空の青さの違いに匹敵する日本の子供達とここの子供達 5)二人組の仲良しの子供達ゲーム機を手にしている子は皆無 1)カシュガル老城の子供達は路地そのものが遊具 カシュガル老城には10000人以上の人が住んでいると、入場券の裏の説明に書いてある。子供達は日本の様なゲーム文化がなく、その為か、路地そのものを遊具として、のびのび遊んでいる(写真2)。 2)たまに一人でいる子供が目に入るが、大抵は、外では二人組、三人組 また子供同士仲がよく、たまに一人でいる子供が目に入るが(写真1)、大抵は、外では二人組、三人組で歩いていたり、路地でたむろしていたりする(写真4、5.6)。また物怖じしていず、カメラを向けると愛想の良い表情を浮かべてくれる。観光客に慣れているだけかも知れないが。 3)老城で、売れっ子のウィグル人の子供は愛想が良い 子供達の写真を撮っていたら、どのグループのなかにも共通に同じ衣装で被写体に納まっている子がいることに気がついた。民族衣装とイスラム帽を被った子で、いかにもウィグル人の子供という雰囲気を漂わせ、かつ愛想が良い(写真3)。 4)上空の空の青さの違いに匹敵する日本の子供達とここの子供達 知らなくても良いことを知っている日本の子供達と、知らなくてはいけないことだけを知っているここの子供達の違いは、上空の空の青さの違いに匹敵するように思えた。 すくなくとも携帯電話を持っていたり、使ったりしている子は見当たらなかった。 5)二人組の仲良しの子供達ゲーム機を手にしている子は皆無 写真4~6は二人組の仲良しの子供達を撮ったものである。服装も、仕草も、顔つきも違うが、向いている先は自分の家族、友達だろう。 【D6-9:カシュガル・老城の人達A】 6)詩人を思わす老城に住む乞食はTrラジオが友 7)グランベールさんの日本語ガイド仲間 8)膝の上にいる子供はまたしても例の子供 路地を歩いているうちに、トランジスタラジオから大きな音を出して道にたたずんでいた老人がいた(写真7)。黒いコート風の長袖服を身にまとい、微笑んでいる。何か世離れしているように感じたので、どの様な人間かと眺めていたら、何を思ったのか我々のあとをヨタヨタと、また相変わらず大きな音の音楽をトランジスタラジオから流しながらついてきたのである。自分の気に入った曲を観光客にも聞いてもらい喜んでもらおうと思ったのであろうか。 「この人間は誰か?」といった目つきをグランベールさんに送ると、「乞食!」というすげない言葉が返ってきた。やり過ごそうとして立ち止ったら、その老人も一瞬立ち止まったが、「あんた達とは何も関係ありませんヨ」と、我々には全く感心が無い、と言わんばかりの歩調で、相変わらず音楽を流しながら通り過ぎていった。 7)グランベールさんの日本語ガイド仲間 そのグランベールさん(写真8)、ここ老城内のことだけでなく、ここに住む人達のことも良く知っているようだ。老城内の木々が豊富なこの一角にある水飲み場で水を飲む様子は年季が入っている。ここは老城内のオアシスなのだろう。 そして、六角形のタイルの路地で出会ったこの人はグランベールさんの勤務する観光会社の同僚のガイドさんで、同じ日本部に所属している3人のうちの一人とのことだった(写真9)。なるほど、胸にガイド証明カードをぶら下げている。このガイドさんは、日本人中年夫婦を案内していたが、写真をとらせてもらっただけで、言葉を交わすことはしなかった。 しかし、このガイドさんとグさんの服装の違いは何を意味しているのか。本当はどうか分からないが、静と動の違いを感じたが、あるいは未婚と既婚の違いかも知れない。 ガイドさんは、このカードさえ持っていて観光客をたとえ一人でも従えていれば、中国本土であれば、どんな観光地、建造物にも自分の分は無料で一緒に入れる特典をもっている様である。駱さんにとっての自分も、そのような有り難い存在なのかも知れない。 8)膝の上にいる子供はまたしても例の子供 9)互いに父子のわだかまりを持つ父子の別離? そして、歳はそのガイドさんとさほど変わらないように見える女性の膝の上にいる子供はまたしても例の子供である(写真10)。きっとどの兄貴、姉貴分の子供からも可愛がられているのだろう、と思うことにした。 【D6-9:カシュガル・老城の人々A】 10)緑地公園は涼しそう 11) 二人の未亡人姉妹とスリー・ショットにVサイン 12)カシュガルでも有数のレストランで昼食、眉間に黒墨のウィトレスは未婚の女性 13)手拭用ティッシュには突瀾と表記、カシュガル特産の突瀾茶という黒茶 9)互いに父子のわだかまりを持つ父子の別離? 10000人も住んでいれば、住人の人生の一場面に遭遇できるはずである。写真11は三人三様のなんらかの想いを表情に出している。子供達の屈託のない表情とは異なり、心の底に、わだかまりを持ちながら多分父(左)、子(右)、父の友人(奥)、子の妻(手前腕だけ)だろうが挨拶しているようにみえる。 勝手に物語を作ってしまうと、 『子がこのたび意を決して、老城から老いた父親をここに残して近代化され、住環境が良いはずの公団住宅に居を移すことになった。一緒にゆくと想っていた息子の意に反して老父はここを動こうとせず、結局互いに離れて生活することになってしまった。息子は、「必ず迎えに来るから、それまでに気持ちを変えて欲しい」、と願い、老父は、「それは無理っていうものだ」と互いに平行線で溝が埋らない。その様子をみている老父の友人は、「ああ、困ったものだ」となげく。そこへ、息子の妻が、老夫の思いつめた表情を見て、「あなた、決心をもう少し先送りしてもう一度じっくり考えてみたら」という風になる。 10)緑地公園は涼しそう。緑茂れる憩いの場所 老城の門をくぐったばかりのところには、緑茂れる憩いの場所がある。緑は柳が多く、その下に人々が憩う(写真13)。あるいは集いの場かもしれない。あるいは、場外からバイクで遣ってきた人が、ここにバイクを置いて路地に向かうのかも知れない。 そして、路地では例のどこにでも登場する子供(中央の民族服と民族帽を被っている)達と一緒に写真に納まる。(写真12) 11)白いベールを被っている おばあさん二人にはビックリ、肌はつやつや 路地に接する家には色々な人が住んでいる。皆気楽に写真撮影に応じてくれるが、このおばあさん二人にはビックリした(写真14)。肌はつやつや、ただ、白いベールを被っているのは、未亡人を意味しているのかもしてない。そのことを聞いてよう思ったら、いきなりのVサイン。Vサインは完全な世界共通語、聞こうと思ったことを聞き忘れてしまった。 【D6-10:カシュガル・昼食】 12)カシュガルでも有数のレストランで昼食、眉間に黒墨のウィトレスは未婚の女性 13)手拭用ティッシュには突瀾と表記、カシュガル特産の突瀾茶という黒茶 14)店内で演奏されているウィグル音楽は、「オンシケ・モカム」という花の歌。タンボアール、ドタールという弦楽器とラブという太鼓による演奏 15)食事に同席してくれた運転手さんの名前はモハメット(MAHAMMAT)さん 16)料理はまたもやラグ麺、但し麺は、パスタ、トッピングは自分で載せる 17)モハメットさんの自宅の近所に住む家族の男の子。可愛げにポーズ 18)緑茂れる憩いの場所 時刻は北京時間13:30、新疆時間で11:30、昼食時である。持ち帰った両開き袋に入った手拭用ティッシュには漢字で解放北路、団結商場2階にある突瀾(TURAN)と書かれているが、カシュガル特産の突瀾茶という黒茶の販売会社がスポンサーになっているティッシュかも知れない。 店内は綺麗で、カシュガルでも有数のレストランであることが分かる。ウィトレスが注文を取りに来たのだが、不思議な顔貌にひきつけられた(写:15)。眉毛が濃く.はっきりと塗られているだけでなく、眉間も塗られ、まるで二つ目小僧なのである。グランベールさんの話では、未婚の女性の印なのだそうだ。少数民族の中に残っている風習らしい。 14)店内で演奏されているウィグル音楽は、「オンシケ・モカム」という花の歌。タンボアール、ドタールという弦楽器とラブという太鼓による演奏 料理が運ばれてくる間の時間、店内で演奏されているウィグル音楽の演奏(写真16)に暫し耳を傾けた。演奏はリズムが軽快であるが、じっくり音色を楽しむという趣ではない。花の歌で、1000年も前から伝えられている「オンシケ・モカム」という歌とのこと。昔は女性が歌う歌で、タンボアール、ドタールという弦楽器とラブという太鼓による演奏をバックに、1〜10の数にちなんだ数え歌(シイーム・マカム、マカム=歌)とのことであったが、個人的な印象だが、ウィグル音楽は、歌舞ワンセットで、舞踏を盛り立てる小道具という感が強い。 15)食事に同席してくれた運転手さんの名前はモハメット(MAHAMMAT)さん 食事には、運転手さんも同席してくれたので、名前はモハメット(MAHAMMAT)さん。誠実さ溢れる好漢で、身の上話は翌日のカラクリ湖への往復の車内で聞くことが出来た (写真上3左)。 16)料理はまたもやラグ麺、但し麺は、スパゲティ、トッピングは自分で載せる 料理は、またもやラグ麺(写:17)である。味はこれまで食べたラグ麺のうち最も食べやすく、日本人向けに味付けされているのではないかと思うほどであった。麺は、太さ、腰の強さ、味とも、日本で食される如何なる麺(うどん、そば、中華麺)とも異なり、むしろパスタだ。パスタは最初からトッピングが乗っているが、ラグ麺は自分で懸けるのと味が香辛料で辛いのが特徴と言える。麺もシルクロードをその終点のローマ(イタリア)に伝えられた味なのかも知れない。 そして、前記の突瀾茶が砂糖とともに出た。黒茶というより紅茶であった。 写真17には写っていないが、砂糖をトッピングしたトマトも出た。こういう食べ方は初めてであったが、塩をつけて美味しい果物は砂糖をつけても美味しいのかも知れない。 17)モハメットさんの自宅の近所に住む家族の男の子。可愛げにポーズ 帰り際、かわいい男の子が目に入った。偶然とのことだが、モハメットさんの自宅の近所に住む家族(父親)らしかった(写真18)。カメラを向けると可愛げにポーズをとってくれた。(写真19)。観光客慣れしているのか、全くもの怖気していない。 18)緑茂れる憩いの場所 老城の門をくぐったばかりのところには、緑茂れる憩いの場所がある。緑は柳が多く、その下に人々が憩う(写真上2)。あるいは集いの場かもしれない。あるいは、場外からバイクで遣ってきた人が、ここにバイクを置いて路地に向かうのかも知れない。 そして、路地では例のどこにでも登場する子供(中央の民族服と民族帽を被っている)達と一緒に写真に納まる。(写真上3) 19)白いベールを被っている おばあさん二人にはビックリ、肌はつやつや 路地に接する家には色々な人が住んでいる。皆気楽に写真撮影に応じてくれるが、このおばあさん二人にはビックリした(写真上4)。肌はつやつや、ただ、白いベールを被っているのは、未亡人を意味しているのかもしてない。そのことを聞いてよう思ったら、いきなりのVサイン。Vサインは完全な世界共通語、聞こうと思ったことを聞き忘れてしまった。 本稿 完 次稿に続く |
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| あのシルクロード(第16回) | | あのシルクロード(第16回) 【D6-4:カシュガル・職人街A】 1)職人街 パン、ナン職人の店 2)職人街の中で最も有名な店、楽器職人の店、「ウィグル楽器工房(五代目)モハマド イーミン・アババクリ」 3) その工房で製作された楽器を演奏 4)奥の工房(工場?)には製作中のものと、加工に必要な道具が散在 5)完成品の値段は梱包して、運送費込みで、日本円で16000円程度 6) 民族楽器だけでなく、バイオリンも?名刺には店には無かった管楽器の絵も 7)路上脇に金属を熔解している釜などを置き、金属製品を扱っている店 8)金属材料は殆どが、銅か、銅と錫の合金、白銅で、これに七宝焼きの様な七色の彩色 9) 最終製品は、水差し、花瓶、壷、やかん、スプーンなど多彩 10) カシュガル老城, その外観は土とレンガ、現役の老若男女、子供の生活空間 11)老城には電線が敷設され、野菜等の食料品の青空市場や、天山山脈の雪解け水を曳いた水道口も 12) 老城内路地はたしかに迷路、 13) 老城を覆う空の青さが、極めて印象的である。それにレンガ色が実にマッチ。 14)路面のタイル形状(長方形か六角形)で出口に至るか、老場内で終端かが分かる 1)職人街 パン、ナン職人の店 更に先にゆくと、パン、ナン職人の店があった(写真上1)。新疆・ウィグル地区はナンのメッカであるが、粉をこねて、成型して、焼き固め、場合によっては模様をつけるというのにも技術を要するので、職人街に店を出しているのであろう。但し、軒数は多くはなかった。 この職人が被っている帽子は殆ど白だった。 2)職人街の中で最も有名な店、楽器職人の店、「ウィグル楽器工房(五代目)モハマド イーミン・アババクリ」 次に足を運んだのが楽器職人の店で、グランベールさんが案内してくれた店は職人街の中では最も有名な店で、NHKの「新シルクロード紀行」の取材陣も来たことがあるとの話で、もらった名刺には、「ウィグル楽器工房(五代目)モハマド イーミン・アババクリ」と記され、メール・アドレスまで、Muhammad 998@china.com、と記載されている。 3) その工房で製作された楽器を演奏 店内では、その工房で製作された楽器を演奏していた(写真上2)。リズムが良いので、楽器の本当の音色が聞きとれない。しかしこうも多種類の楽器があって良いものか、と思うほど寸法、デザインの異なる楽器が所狭しと、壁に掛けられたり、建てかけられたりしている。 4)奥の工房(工場?)には製作中のものと、加工に必要な道具が散在 奥の工房(工場?)も見せてもらった(写真上3)。そこには作っている最中のものと、加工に必要な道具が散在していて、中に注射液という瓶も置かれていた。道具類は、ニッパー、ヤットコ、ハサミ、の類が多いようであった。挟んだり、締め付けたり、合わせる工具が重要なのだろう。 5)完成品の値段は梱包して、運送費込みで、日本円で16000円程度 おなじ工房の中に完成したばかりのピカピカの楽器が複数台置かれていた(写真上4)。 値段を聞いて見ると、梱包して、運送費込みで、日本円で16000円程度とのことだった。 6) 民族楽器だけでなく、バイオリンも?名刺には店には無かった管楽器の絵も、 この店は、民族楽器だけでなく、バイオリンも置いてあり、民族楽器の製造技術があれば、バイオリンなどお手の物とでも言いたげに陳列してあった(写真上2)。名刺には管楽器の絵もあったが、店の中には見あたらなかった。 【D6-5:カシュガル・職人街B】 7)路上脇に金属を熔解している釜などを置き、金属製品を扱っている店 次に訪れた職人街の店は金属製品を扱っている店で、軒数は多かったし、火を使って金属を熔解している釜なども路上脇に置かれていて実演しているところもあり、最も職人街らしい一角であった。カシュガルの産物は果物、野菜の農産物が80%を占めるが、残りの一部を、鉄、銅、錫、石炭などの鉱物が占める。金属は精錬までするようだが、銅、錫は融点が低く、一度精錬した金属を、もう一度溶解させ、硬化する時にいろいろな形状に加工することが容易で、加熱炉とそれを置く場所があれば最終製品までの加工が可能である。 8)金属材料は殆どが、銅か、銅と錫の合金、白銅で、これに七宝焼きの様な七色の彩色 写真上1の煙は、金属を溶解またはそれに近い塑性変形しやすい温度に加工するための加熱源として何かを燃やしている煙である。コークスでも使っているのであろうか。金属材料は殆どが、銅か、銅と錫の合金、白銅で、これに七宝焼きの様に七色に彩色を施す。これらの金属は加熱しなくても容易に変形できるので路頭で細工している職人を良く見かけた(写真上3)。 9) 最終製品は、水差し、花瓶、壷、やかん、スプーンなど多彩 最終製品は、水差し、花瓶、壷、やかん、スプーンなど多彩(写真上4)で、店頭には広告塔的な存在の巨大な水差しや花瓶が置いてある場合が多かった(写真上2)。ちなみに、余りにも美しく見える金属加工品の小さなやかんを買ってしまった。値切って70元(日本円で約1120円)で購入。 錫に鉛が加われば、低融点合金の”半田”であり、金属製品特に銅や白銅の接合に使える。ここの職人街で、この鉛-錫半田を使っていなければ良いが、と余計な心配をしてしまった。 帰宅後、熱湯を入れたら、子供の頃ぶりき加工している現場で臭ったのと同じ異臭がし、とてもやかんとしての実用には耐えない。そこで、装飾品として飾ることにして写真を撮ってみたら、博物館に陳列してもおかしくないほどの逸品と化した。これらは最後のセクション(補遺)で紹介する予定である。 時刻は北京時間で、12:30。 【D6-6:カシュガル・老城@】 10) カシュガル老城, その外観は土とレンガ、現役の老若男女、子供の生活空間 ここは、観光案内本にも、「シルクロード紀行No.8カシュガル」朝日新聞社刊にも地図にも掲載されていず、事前に知らなかったこともあり、最初の予定に入っていなかった。しかし、古きよき時代を遺しながら、現在も生活空間として使われていて、現役の老若男女、子供がいろいろな表情で生活している。 30元の入場料を払い、入口に「カシュガル老城」と書かれている看板の下をくぐり、中に入る(写真上1)。その外観は土とレンガからなり、「城」という漢字が、土から成る、と書く理由が頷ける。トルファンの交河故城、高昌古城の様な遺跡と同じ運命に陥る前駆状態に今あり、土から成る建物で囲まれた観光用地区という感じがしないでもない。 11)老城には電線が敷設され、野菜等の食料品の青空市場や、天山山脈の雪解け水を曳いた水道口も 老城には電線が張り巡らされていて生活に使われていることが分かる(写真上2)。そして城内では、野菜等の食料品の青空市場があった(写真上3)。城内に入ったばかりの所は柳を主体とした木々や、貯水池、天山山脈の行き解け水を曳いた水道口もあった。飲めると言うので、その水を手に掬い、一口手皿でのどを潤した。駱さん、グランベールさん、共にその様にしたのを真似ただけだが、これが日本に帰国直後から始まった猛烈な下痢の主因になったのではないかと反省至極の行動と言えた。 以下に、入場券の裏に書かれている説明書き(英文部)の和訳分を記す。 『カシュガル老城は二つの大きな路地と約20の小さな路地からなり、そこに10000以上の人が住んでいて、完全なイスラム文化が息づく迷宮となっている。この老城は10世紀に、カシュガル王朝が創建した王宮であり、王朝時代の全ての王が兵士を派遣し、王宮を守ってきた。ここには12の単位の神託と市街保護区があり、古い路地、古い形式の住居、9つの竜泉、その他の文化遺跡、ウィグルの歴史、文化、風俗を納めた素晴らしい建造物がある。20の住居を訪れれば、人々の生活スタイル、伝統工芸品、ここならではの地方色豊かな料理を見ることができる。』 有名な詩人、郭小川は次の様に書いた。「天山山脈に入らずして新疆馬が強いことを知ったとはいえない。同様に、カシュガルに至らずして、新疆の長い歴史が分かったとは言えない。この路地を歩いてみなければ、何も解らない(ところが、この路地を歩いて見れば全てがわかる。』 【D6-7:カシュガル・老城A】 12) 老城内路地はたしかに迷路、 2つあるメイン路地の一つ、老城を覆う空の青さが、極めて印象的、中央に歩道ともいえる石段があり、その両側に車道? 時に写真上1のような老城らしからぬ比較的こぎれいな建物にも遭遇する。老城の中の路地はたしかに迷路である。そして、車が横付けされている、喫茶店と見間違う建物もある。この路地は恐らく2つあるメイン路地の一つであろう(写真上2)。中央に歩道ともいえる石段があり、その両側に車道?が石段を挟む様に配置してある。日本の歩道と車道の配置とは根本的に異なるようだ。 13) 老城を覆う空の青さが、極めて印象的である。それにレンガ色が実にマッチ。 北京時間で、12:51、新疆時間10:51、老城を覆う空の青さが、極めて印象的である。(写真上2) レンガ色が実にマッチしている。 細い路地には生活臭漂う家々があり、建物に三方を囲まれている内庭には樹が植えてあるし、二階の窓辺には鉢植えの観葉植物や花々が飾られている。しかしこのような光景は路地に入り込んで、家の方に向かってみて初めて気がつくことであり、普通のそぞろ歩きでは、強い光がそのまま当たる家の外壁部分と、他の建物のシルエットが投影される外壁部分とが強い濃淡差をつくり出す(写真上3=4枚組)。 小道を挟んだ2軒の家が宙で連結している家も小さな路地には多かった(写真上3上2枚)。二世代住宅なのだろうか。 老城には10000人以上の人が住んでいる。殆どが熱心なイスラム教徒なので、モスクが必要である。写真上3の左下は清真寺、即ちモスクであり、ドーム状にくりぬいた門と、門の両角上に2本の塔がついているのが特徴で、多少の色(草いろ)のついた模様が施されているのが普通の様である。 14)路面のタイル形状(長方形か六角形)で出口に至るか、老場内で終端かが分かる カシュガル老城は迷宮である。路地が複雑で、十字、T字、L字という様に多様な路地同志の会合パターンがある。この路地に初めて迷い込んだ者は、出られなくなること必至である。建物やその外壁も似たものが多く益々である。敵に対してはそれでよいが、ここでの生活者やここに来た親類、知人がそれでは困る。 そこで考え出された工夫が路面のタイル形状である。路面に使われているタイルは長方形か六角形のいずれかで、六角形のタイルが張られている路地を辿って行くと出口に至る。(写真左:六角形タイル路面-右:長方形タイル路面) 本稿 完 次稿に続く |
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| あのシルクロード(第十五回) | | あのシルクロード(第十五回) 【D6-1:カシュガル・ウルムチからカシュガルへ】 ウルムチ空港まで張さんに車で送ってもらい、北京時間朝8:15発のカシュガル行き中国南方航空機(CZ6806)に搭乗した。早めに予約できたためディスカウントで、片道750元(日本円で、12,000円あまり)の運賃(=620元(運賃)+空港税50元+燃油付加費80元)であった。ここから、再びウルムチに戻るまでは、駱さんとの二人旅(航空機内)+現地ガイド+運転手の旅となる。 1)航空機の眼下に、北側には冠雪した天山山脈、南側に崑崙山脈 2)頂上部はのこぎりの刃の様にギザギザの冠雪した天山山脈 3)着陸直前の眼下に、ほぼ100%緑の平原、カシュガルの街路の佇まい 4)カシュガル空港に到着、地平線に接する空は真っ青 5)現地ガイドさん、グランベールさんと初対面、一児の母 6)カシュガル市街の街路配置 7)エイティー・ガール清真寺は新疆・ウィグル自治区で最大規模のイスラム寺院 8)モスクの中には、長い外廊下と鮮やかな青マット 9)外廊下から内側に入ると、仕切られた部屋。長老達の控室か。4000人収容できる礼拝堂 10)職人街には@)木製加工品、A)金属加工品、B)衣服・食品に大別、製造、即販 11) 最初に目に入った店は帽子職人の店、カウボーイ・ハットや紳士帽も 12)次に家具・調度品職人の店。赤ん坊のゆりかご、行李、そして棺桶も?! 13) 瓢箪細工職人の店、パンに模様づけをする道具、ゆりかごに連結できる赤ん坊用排尿管 1)航空機の眼下に、北側は冠雪した天山山脈、南側に崑崙山脈 搭乗して40分した頃、眼下を眺め見ると、並行した二つの山脈が認められた(写真)。北側は冠雪した天山山脈、そして南側が崑崙山脈、そして両者の間にタクラマカン砂漠、と思ったが、全く冠雪していない崑崙山脈というのもおかしいので自信の無いところである。 2)頂上部はのこぎりの刃の様にギザギザの冠雪した天山山脈 天山山脈の冠雪した頂上部はのこぎりの刃の様にギザギザであり、この中に、天池越しに見えたボゴタ峰もあるのかも知れない(写真)。 3)着陸直前の眼下に、ほぼ100%緑の平原、カシュガル街路の佇まい 北京時間で、10:11には既に着陸態勢にはいっていて、眼下にカシュガルの街路の佇まいが見えている(写真)。ポプラ並木や野菜畑、果物畑が見える。視野に入った領域はほぼ100%緑の平原である。太陽光一杯に浴び、葉緑素一杯の葉になっている。 4)カシュガル空港に到着、地平線に接する空は真っ青 そして、何のトラブルもなく、ほぼ予定通りの到着である。タラップから降りて、乗ってきた飛行機を背景に、写真を撮った(写真)。駱さんもカシュガルは初めてとのこと。駱さんと写真を撮り合って、そのまま徒歩で、到着ゲートへ、飛行場は広いが、駐機中の飛行機は殆ど見えない、そして地平線に接する空は真っ青であった。 この写真(写真)を後でみて気がついたのだが、乗ってきた飛行機に、中国新華航空とある。チケットには、中国南方航空とあり、南方航空の関連会社なのだろう(未確認)。 ウルムチから1300km余り西にある地なので、北京からの実質的な時差は3時間、日本から4時間という感覚でいるのが正しいのであろう。 5)現地ガイドさん、グランベールさん、一児の母 出迎える人の群の中から、カーキ色のTシャツに、ジーンズを着た女性が駱さんをみつけ出し、お互いにすぐ分かったようである。天池から、五彩湾に向かう車のなかで、携帯で現地ガイドさんと連絡を取り合っていたので、互いの服装など、目印を連絡しあっていたのだろう。 【D6-2:カシュガル・エイティーガール清真寺】 6)カシュガル市街の道路配置 カシュガル市街はトルファン、ウルムチと異なり、道路が碁盤の目の様に配置されていない。先ず、東西に伸びる”人民路”と南北に伸びる”開放路”が直交する配置になっていて、この交点より東か西か、南か北かによって、人民西路とか開放北路などと呼ばれる。そしてこの交点を円の中心とするように、4つの円弧をなす”雲木拉克夏路”、克孜都維路”、”帕依納甫路”が、北西、西南、南東、東北の位置にある。 7) エイティー・ガール清真寺は新疆・ウィグル自治区で最大規模のイスラム寺院 エイティー・ガール清真寺は、”開放北路”、”人民西路”、”雲木拉克夏路”に囲まれた地区にある、新疆・ウィグル地区で最大規模のイスラム寺院である。エイティー・ガールはそのまま訳すと、80才の少女となるが、実際には、”祝日に礼拝する場所”、という意味らしく、日に5回の礼拝を前の広場や建物の中を使って行うのだそうだ。礼拝の時は、観光客は中に入れない。 その広場で清真寺の全景写真を撮った(写真)。広場中央でこちらを向いている女性が駱さん、もっと向こうの黄緑色のパラソルの近くにいるジーンズとカーキ色のシャツを来ている女性が、カシュガルを案内してくれるグランベールさんである。彼女は西安大学で日本語を勉強した才女(?)で、漢字では古蘭拜尓と書き、一児の母とのことである。 8)モスクの中には、長い外廊下と鮮やかな青マット 彼女の案内でモスクの中に入った。長い外廊下があり(写真)、そこでも礼拝できる様に、マットが敷いてある(写真)。マットは鮮やかな青で、この清真寺の模様が織られている。イスラム教徒がひざまずき頭を床につけて礼拝する様を思い浮かべた。 9)外廊下から内側に入ると、仕切られた部屋。長老達の控室か。4000人収容できる礼拝堂 外廊下から内側に入ると、仕切られた部屋があり、時計が置いてあったり、壁かけ飾りが置いてあったりする。恐らく長老達が、礼拝が始まる前に待機する場所ではないだろうか。また、鮮やかなタイルばりのドームを頂く礼拝堂があり、一度に4000人もが入れるとのこと。天井を支える柱には彫刻が施され、天井には一面草花の模様が描かれている(写真)。 この清真寺は1442年に創建され、19世紀に、ある篤志家(女性)による寄進で拡張され現在の規模になった、とのこと。 【D6-3:カシュガル・職人街@】 10)職人街には@生活加工品、A金属加工品、B衣服・食品に大別、製造、即販売 エイティガール清真寺の左側の角を曲がると、職人街の通りとなる。職人街では多彩な製品が販売されているが、大別すると、@生活加工品、A金属加工品、B衣服・食品、に大別されると言える。@は、ゆりかご、行李等の家具調度品、Aは、新疆産の銅、錫、鉄を使った壷、花瓶、水差し等、Bは衣装、帽子などの衣服やナンやパンの食料品で、職人の手にかからない果物や花を販売しているところは無かった。それになんと言っても欠かせないのが楽器である。これらを、職人街@〜Bに分けて旅日記として紹介する。 11) @生活調度品最初に目に入った店は帽子職人の店、カウボーイ・ハットや紳士帽も 最初に目に入った店は、帽子職人の店である(写真)。ウィグル人の青年以降の男性は必ずといって良いほど、頭より小さい帽子を被っている(写真)。真っ白いのと、これでもか、これでもかと装飾を尽くした帽子で、観光客しか買わないのではないかというデザインの帽子である。良く観るとウィグル人の異端児が買うのであろか、カウボーイ・ハットや紳士帽も混じっている。斯く言う自分も、持っていった麦わら帽子が五彩湾での荒行でズタズタになってしまったので、前日カウボーイ・ハット風の帽子をウルムチのバザールに行った時に購入している。また、装飾を尽くした帽子は飾り置物に丁度良いと思って一品購入した。 12)次にA家具・調度を製造販売する職人の店。赤ん坊のゆりかご、行李、そして棺桶も⁉ そして、次にグランベールさんは、通り(写真)を更に5〜6分歩いたところの、家具・調度品職人の店に案内してくれた。ここには、赤ん坊のゆりかご、行李、などが所狭し、と陳列されている。もしかしたら奥のほうには棺桶も置いてあるかも知れない(写真)。 いずれも木製品であり、凝った透かし彫りと、種々の色を塗りつけた彩色を木板の表面に施している。これらを購入する外国人観光客は先ずいないだろう。風習や運搬の労の壁を乗り越えられないから。 13) 瓢箪細工職人の店、パンに模様づけをする道具、ゆりかごに連結できる赤ん坊用排尿管 そして、次に訪れたのは、瓢箪細工職人の店である(写真)。装飾品として細工されたものと、パンなどに飾りつけをする道具として細工されたものがあり、瓢箪の表面には精緻な彫や色彩を施したものが多い。また瓢箪の底部に剣山の様に金属製ピンを沢山模様になるように立てた、パンに模様づけをする道具はなるほどと思い、使い方も容易に連想できたが、赤ん坊用排尿管(ゆりかごに連結する?=写真の筒状のもの)は全く何か分からなかった。写真に写ったコーナーを約15分かけ、北京時間で12:07であった。 本稿 完 次稿へ続く |
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