今まで眼を向けることのなかったスクーターだが,昨年末ひょんなことからPCXが手元に来て,それについてアレコレ調べるようになった。
私が最初に乗ったのはカブだったが,その後ヒラノポペット,ラビットS301に乗り,スクーターに無縁だった訳ではない。
しかしながらその後はいわゆる単車しか縁がなく,ある時期乗ったDT1が,それ以降私のスタンダードとなった。
改めてPCXを含めたスクーターを考察すると,現代においてスクーターの二輪車に占める割合は随分多いように伺える。そのスクーターが,出勤退社時の新青梅街道や川越街道で爆走している姿は,異様という他ない。
今回PCXに乗るようになって,よくあのような乗り方ができるものだと感心するとともに,いつ事故を起こしても不思議ではないし,事故に至る直前のコントロールは,いわゆる単車と比較すれば殆ど不可能ではないかと思える。
一時期流行ったビグスクは,ほぼ例外なく爆音マフラーに替えられていて,うるさかったものだが,現在では随分衰退した。それでもその痕跡は125に受け継がれている。まあ,責任はスクーターにあるのではなく,ライダーにあるのだが。
スクーターといえば,オードリー・ヘプバーンのローマの休日が思い浮かべられる。軽い脇役としてベスパが登場し,一段と主役を引き立てた。あの映画では,ゴツゴツした外観のいわゆる単車ではないから,その役になりきれたのだろう。
現代社会において,なぜスクーターが受け入れられているのか不思議に感ずるとともに,ある種の見限り感も見えてくる。それは偏見かもしれないが,そもそも人の考えなどというものは偏見の塊なのだ。
2020.1.3(金)