『自転車で山道・峠道のツーリング記録』 『古き良き亜米利加音楽は心地よい』
 
2011/02/28 18:53:44|音  楽
結成40周年:その6
イーグルスブログ見てくれた同級生のTJ氏からメールを頂きました。見てくれてありがとうです。
今度、ジェイムズ・ギャング聞きながら語りましょう。
TJ氏は中3の時に私にギターを教えてくれた師匠でもあるのです。

さてイーグルス最後となります
あれから時は流れ、何度かニューリリースの噂はされていたが、ついに!2007年発売の新作「Long Road Out Of Eden」紙ジャケ使用(写真1)28年ぶりスタジオ録音、しかも2枚組。あ・の・時・のイーグルスの音・ボーカル・ハーモニーで完全ノックアウト状態。アルバムジャケットは砂丘を歩いているメンバー達。。あの時〜今日まで砂丘を彷徨っていたのか。。懐かしく温もりを感じ、全然衰えを感じないイカしたアルバムと思う。ジョン・デビッド・サウザーの1972年ファーストアルバム(このアルバム良い写真2)
に入っている「How Long」をやっていて本家サウザーも良いが、こちらイーグルスらしいカントリーロックとなっているのがこれまた嬉しい。

しかし、この砂丘にはドン・フェルダーの姿は無かった。フェルダーはメンバーと色々トラブルがあったようで、ここに居ないのはファンとしては非常に残念。
「ドン・フェルダー自伝、天国と地獄イーグルスという人生」と言う自伝を出している。読んで見たい気がするが、、タイトル文字だけでちょっと複雑な思いになってしまいそうです。

1月12日の読売新聞に現在のイーグルスのメンバーのカラー写真が2面に渡って載っていました(写真3)
この日NHK「SONGSイーグルス特集」でオーストラリア公演の模様、グレン&ドンのインタビュー等初期イーグルス秘蔵映像「Take It Easy」、またランディー・マイズナー在籍時「Hotel California」の映像。
(2月11日に再放送がありました)新聞・テレビでご覧になった方もいると思います。
1月22日TBS「エンプラ」でも特集をやっていたが私的にみてNHKの方が内容は濃かったような気がする。
(YouTubeで「Heartache Tonight」グレン・フライがシャウトするとカッコイイですな)
名曲「Desperado」あの時のようにドラムを叩きながら歌う姿を見たかった、、、です。

今回のライブは行こうか?あの頃の様に二人で行くか?と家族会議で話し合ったがドン・フェルダーがいないなら行かなと。。。簡単に言われた(ぁれドン・ヘンリーじゃなかったっけ?か)
結局チケット購入Enterキーを押すのに至らなかったのである。。。
まっ!あの時代のイーグルスを多分、連れは忘れてはいないだろうし、目の中でしっかり焼きついているのであろう、私もそうである、それで良いではないだろかっ、と自分に言い聞かせている。

さて70年代のイーグルスをリアルに体験してきた私だが、時の立つのは本当に早い、デビューから40年が経っている、既に60歳を越えているメンバー達、最近のステージ演奏する姿を見たりすると70年代の彼らの姿が浮かんでくる、同じ様に自分も年をとってきてるが、少しでも彼らのパワーを貰い、良いジィジにならないと!
なんつったてブルーズマン達は70歳代でも現役だからね!!まだまだ!

明日3月1日から大阪公演が始まります。う〜ん!生演奏・ボーカル・コーラスはたまらなく鳥肌が立つ素晴らしいライブになるだろう。。。と私は思います。

長くなりましたが、イーグルスブログを読んで下さった皆様、勝手に自分で納得している部分もありますがお付き合いくださいまして、ありがとうございました。次回、また機会をみて好きなミュージシャンの音楽ブログやります。終わり







2011/02/26 18:43:13|自転車
梅見ポタ
久しぶりの自転車ブログ。奥武蔵を適当に、梅を見にぐ〜るっと廻ってきた。紅梅は見ごろのようです。
場所によっては白梅はほぼ五分咲きくらいだろうか

奥武蔵あたりの民家の庭・畑に梅の木が沢山咲き出し、春を実感するこの感じがたまらく好きなんだよね








2011/02/25 20:08:07|音  楽
結成40周年:その5

またしても続きです
70年最後の年9月、2回目来日公演ニューアルバム(写真1)
のタイトルにもなっている「The Long Run Tour」となる。
まさしく、このアルバム制作で難航、不朽の名作「Hotel California」の後だけにアルバム「The Long Run」制作ではメンバー全員が相当なプレッシャーと体調不良になっていたのだろう。

そんな中での6月公演延期+体調不良+9月公演となったのだが、、、期待を胸に!当然ながら仲間+長い髪を切った自分とガールフレンドで行くのです。ドン・フェルダーのダブルネックギターのイントロから始まるオープニングはもちろん
「Hotel California」(12弦とは思えない完璧なチューニング?レコードとまったく同じじゃん)から始まり、ドン・ヘンリーのボーカル、コーラス・ハーモニーは素晴らしく、後半のギターバトル・ユニゾンはもう最高で言葉に出来ないほど。。。。
イーグルスメンバー全員が汗ふき用テニスリストバンドをしていたのが印象的だった。

東京公演の模様は1979年11月号ニューミュージック・マガジン誌に写真付きで載っていたのです(写真2)
でこのHotel Californiaはレコードではフェイドアウト(徐々に音が消えていく)していくのですがステージではどう終わる?と思っていたんです、、う〜ん〜エンディングはこうきたか!
(翌年1980年のイーグルスライブ(写真3)と同じエンディングでありやした)なんだかんだと体調不良とか巷では言われていたようですが、いや〜私は全体的に良かったと思います。。
イーグルス公演は私にとって独身最後のコンサート、その1週間後、私はガールフレンドと大事な行事をいたしました。

そして2年後「The Long Run」のアルバムを最後にイーグルスは1982年解散となる。メンバーはグループ存続自体が既に限界だったのかもしれない。当時、レコード盤に向かってお疲れ様と言った記憶がある。

私共二人は長年プレッシャーと体調不良もありましたが、どうにか解散せず現在に至っています。あと、、もう少し続く







2011/02/22 19:34:13|音  楽
結成40周年:その4

また続きです
アメリカ建国200年の1976年12月に待ってましたのニューアルバム「Hotel California」はあまりにも有名で世界中で約1100万枚のセールスしたのはびっくりです。
ようこそホテル・カルフォル二アへ
(写真1)
※ドン・フェルダーがフィンガーピッキングで何気なく弾いたコード進行が、「Hotel California」の原曲〜あのイントロとなる。
ドン・フェルダーは常にイーグルスに貢献していたのだ。

「Hotel California」の詩の一部にある「支配人に電話して」
「ワインを持ってきてくれ」と言う部分、すると支配人は「そのお酒(ワイン)は1969年からこちらにはありません」 と 。。
1969年とは伝説ロックコンサート 「ウッドストック・フェスティバル」が開かれた年。また「ワイン」は「魂」の意味が込められているらしく、「あれ以来(ウッドストック)、若者のお祭り騒ぎは終わりです」魂を失った空虚感をイーグルスは表現したようです。
※上記の「Hotel California」の詩は深いメッセージが隠され
 ているのは有名な話でもあります。

ウッドストック世代の時代は終わりを迎え、80年代に向けた新たな時代(ロック)に変わって行く時期でもあったのです。
(自分でも80年代以降のロックはほとんど興味がなくなったがストーンズは別ですょ)
そんな折、イーグルスは長いライブツアーも重なり、嫌気をさしたのかランディー・マイズナーは脱退。高音の魅力的なボーカルのランディー・マイズナーの脱退は私にとって非常に残念で仕方がなかった。脱退後ランディー・マイズナーのカムバックアルバム(写真2)を聞いたりすると素朴で音楽的個性を際立たせた感じでランディー・マイズナーらしいアルバムを感じる1枚である。そしてマイズナーに替わり、ポコにいたティモシー・B・シュミットがベーシストとして加入。ティモシーだったら良しとしよう。

1978年12月これは意表つかれたイーグルス唯一のシングル盤クリスマス・ソング(写真3)があった。50年代テキサスのブルーズマン、チャールズ・ブラウン&ジーン・レッドによる曲。A面「ふたりだけのクリスマス」ブルーズナンバーをイーグルスらしく演奏してます。何回も言ってしまうが、いつ聞いてもドン・ヘンリーの声は本当に魅力的である。B面「ファンキー・ニュー・イヤー」イーグルスとは思えないファンクなリズム、これでクリスマス&お正月が一緒に来たと言うシングル盤となり、1979年を迎えます。

さて1979年は2度目の来日のイーグルスとなるわけで、、当然チケットは手に入れたが有名になり過ぎてしまったイーグルスは
地階アリーナはとても無理。。で公演は6月の予定だったが、ドン・ヘンリーの体調不良の為、9月公演に延期となる。えっ9月?
チケットは6月26日のまま。(写真4)1979年7月号「ニューミュージック・マガジン」によると、「すでにチケットを持っている方は6月26日→9月18日に変更です。払い戻し希望者はプレイガイドへ」チケットも再発行するのでもなく、そのままとは。。
ま〜払い戻しなどは考えてもいなかったので、このチケットを9月まで盗まれぬよう大事に保管して公演日を間違えないよう待つのであった。しかしながら9月となると私は何かと忙しく大事な行事が押し迫っていたのです。 またしても続く







2011/02/21 20:15:06|音  楽
結成40周年:その3

まだまだ続きます
とうとう!この時が来た。1976年2月イーグルス新メンバーで
ついに初来日。仲間とコンサート会場の武道館へ!
チケットは地階アリーナ感激感激!(写真1)ステージにずらりと並んだギター群、そんなに使うの?みたいな。ステージ後ろには「One Of These Nights」のジャケット(写真2)と同じ写真?オブジェ?だったか今ではどちらか記憶にないが、4人横に並んで、派手な動きはせず、音はグイグイしたプレイ、まさにアメリカンロック、美しいコーラス・ハーモニーこれぞウェスト・コーストサウンドでレコード以上に感じ、生のイーグルスだった。
思い出したが、ジョー・ウォルシュは気を使っていたのか他4人の顔を見ながら弾いていたが完全溶け込んでいたのは間違いない。特にドン・ヘンリーのボーカルは本当に素晴らしいの一言。私のガールフレンドはイーグルス(ドン・ヘンリー)が大好きだったので〜アリーナでさぞかし感激したようです。

初来日は1976年2月なのだが、来日後すぐにアルバム制作に入ってたとは。。。イーグルスの記憶を自分で取り戻すため、
音楽誌「ニューミュージック・マガジン」1976年8月号を見ると
イーグルスのニューアルバム(タイトル未)記載してあった。
その2ヶ月後、10月号にはそろそろニューアルバム(タイトル未)予定と記載されていた。。(写真3)
そう言えばそうだったよな、、どんなアルバムなのか?ジョー・ウォルシュが加入しての新曲は?等々ヤキモキしていたのは確かです。そのニューアルバムとは12月リリース、、あの
「Hotel California」の事だったのです。
12月まで長く感じていたょ!本当に!

でねその前にリリースされたリンダ・ロンシュタットの新作「Hasten Down The Wind」(写真4)のジャケットに興奮(曲も)このアルバム聞けば聞く(見る)ほど興奮しっぱなし!
だったので12月まで我慢できたのかもしれない。

余談になりますが70年代のニューミュージック・マガジンを数十年ぶりに見てたりすると、この年代のロックシーンは勢いがあったな。。。と  でまだまだ続く