おもうことあり (7)沙羅双樹の花の色
この欄の筆者は、50年前に初めて社会人として勤務した企業で働いた仲間5名でウィークリーにメールをやり取りして、近況や想いを伝えあっています。その当時は全員兵庫県伊丹市在住でしたが、現在は熊本(水俣市)、滋賀(湖南市)、愛知(尾張旭市)、静岡(三島市)、埼玉(入間市)と分散しています。以前はもう一名広島県山県郡で陶磁器造りで素晴らしい仕事していた仲間がいたのですが残念ながらすでに他界しています。
最近、このうち愛知県在住のTさんからメール添付で
沙羅双樹の花の写真を送ってきてくれました。(冒頭写真)
この樹木は庭に植えている近所の家があったり、近くの園芸店でもこの季節になると大きな植木鉢に植えられたものが販売されていたりしますが、仏教三聖樹のうちの一つということもあり、以前から自分にとって気になっていた樹木でありました。しかし、Tさんからの添付写真でそのうちの一つが解けそうなのです。そのことについて自分の思うことを以下に記したいと思います。
それは、「平家物語」の冒頭に、誰でも知っている以下の文があります。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ
春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。・・・」
の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」のところであります。沙羅双樹をウェブで調べると、花の色は白、となっています。
この白い花の色がどうして「盛者必衰の理をあらはす」ことになるのか不思議で仕方なかったのです。
その答えともいえる花姿がTさんの写真にあったのです。即ち蕾の状態では紅く、花弁が開くと白くなるのです。また花弁がまだ白くなりきれず、花弁に淡い紅班が残っているのがわかります。
要は紅色が白色に変化する様を「盛者必衰」という言葉で表しているのだろうことに気がついたのです。
仏教では「朝(あした)に
紅顔、夕べに
白骨」という句が法事等の法話で用いられることが多くあります。無論、紅色は“
生”を、白色は“
死”を現しているのです。
そして、Tさんに後日聞いてみたら、花が落下する時の様子は、椿の様に首元からポトリと落ちるとのことでした。椿に関して言えば、この様な斬首を思わせる落花の仕方なので、あまり縁起の良い花樹ではないとみている国や地域があるようです。
ついでながら、続きを記すと「遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡きにし者どもなり。」と続きます。
いづれも中国の王朝にいて、傾国に強く影響した歴史上の人物が列挙されています。華流歴史ドラマに登場するもの達です。
現在の日本の状況がなんと似ているでしょうか。
尚、以下に平家物語の冒頭文の現代語訳を付したいと思います。
現代語訳(口語訳)manapedia
(https://manapedia.jp/text/2321)から引用させていただいています。
「祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。
沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。
遠く外国(の例)を探すと、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの者はみな、もとの主君や前の皇帝の政治にも従わず、享楽の限りを尽くし、(他人の)諌言も気にかけることなく、天下が乱れていることを理解せず、民衆が心を悩ましていることを認識しなかったので、(その栄華も)長く続くことはなく、滅んでいった者たちである。
近ごろの我が国(の例を)調べてみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらの者はおごり高ぶる心も勢いが盛んなことも、みなそれぞれに甚だしいものであったが、ごく最近で言えば、六波羅の入道で前の太政大臣平朝臣清盛公と申した人の有様は、伝え伺うにつけても、想像することも言い表すこともできないほどである。」
以上いつの世にも、どこの世界にも言えることと思えてなりません。
気になっていたもう一点は、沙羅双樹の“双樹”ですが、長くなるので別の機会としますが、この疑問に関してお察しがつくと思いますので省略させていただきます。