槐(えんじゅ)の気持ち

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2020/12/11 21:52:07|おもうことあり
おもうことあり  (12)司馬仲達と卑弥呼
おもうことあり  (12)司馬仲達と卑弥呼

Amazon Primeで「三国志 Secret of Three Kingdoms (字幕版)」全54巻を見終わった。この物語は、後漢崩壊のきっかけを作ったとされる霊帝の双子の息子の弟の方で後漢最後の皇帝献帝を諱とする劉平(影武者)と、それを取り巻く漢帝国に関係の深い司馬一族、とりわけ実の兄弟のような義兄の司馬懿仲達を中心とした物語りであった。
 
主役は劉平、脇役または准主役が劉平を取り巻く、あの司馬懿仲達、そして先帝の王妃伏寿、先帝の弘農王・劉弁(劉協の兄、従って劉平の兄でもある)の妃の唐瑛曹操、そして曹操の軍師で、劉平の類まれな才能を認め、いずれは曹操と劉平とが手を取り合う漢帝国の将来を夢見た郭祭酒(軍師の役職)こと郭嘉、そして、司馬懿仲達の才能を一目見た時から見抜き、自分が父曹操の跡継ぎになったら自分の軍師にしたいと曹操にねだる曹操の次男で、初代の魏の皇帝となる曹丕、その他荀ケ孔融等宮城谷昌光の三国志列伝に登場する人物は登場するが劉備、孫権、関羽、呂布は名前だけの登場となる。仲達が倒すことになる諸葛孔明や張飛、更には赤壁の戦いに登場する呉の周瑜は名前すら出てこない。

2.
この物語は双子の兄の劉協、献帝が死直前に残した詔勅に基づいて、その皇后伏寿と皇帝の兄の王妃唐瑛によって、それまで司馬家で隠育された双子の弟劉平を影武者に仕立てる策謀によるもので、宮廷育ちで、本当の愛を知らない伏寿は龍平によって、唐瑛は仲達によって目覚めてゆくことになる。

しかし、伏寿は曹操によって毒殺されることになった。その毒薬は服毒した直後は死に至った様相を示すが時間とともにもとに戻る毒薬で、それを飲ませたのはすでに曹操の臣下となっていた仲達だった。生還した伏寿は仲達や、曹操の娘で、伏寿の後の皇后となった曹節の手引きで王宮のある許都から山紫水明の地山陽県に移され、後に漢の皇帝の座を曹操に禅譲した劉平とともに余生を送ることになる。

一方、策謀に加わったもう一人の唐瑛は曹操の長男で、太子の座を曹操によってはく奪された曹健によって、曹操暗殺の刺客の疑いをかけられ、辱めを受けたとして、自害した。この唐瑛を演じた女優董潔 は名前も似ているが、顔貌や雰囲気は八千草薫似の中国の女優。広州軍区戦士歌舞団演員に属するダンサーでもあり、階級は中尉。身長160cm、は清楚で、仲達の思われ役をうまく演じている。

その仲達は、自分にとっては、むしろ諸葛孔明を倒した仲達としての方が有名で、「死せる孔明、生きる仲達を走らす」は有名である。また魏の滅亡後、即ち三国志時代の終焉後西晋を建て、中国全土を制覇したことでも名高い。

それはそうと、忘れてはいけない登場人物がもう一人いる。華佗である。「お屠蘇」という言葉の命名者としても知られている人物で、曹操の頭痛を鎮める曹操にとっては、必要不可欠な人物であるが、ズケズケ物をいう人物だったので、曹操に殺害される羽目になる。その曹操の従医として名医宦官の華佗は、劉平に医術の初歩を教えた。そのことで、劉平が本当に献帝なのか、曹操側の役人たちに怪しまれることになる。

3.Wikipedia 「遼隧の戦い - Wikipedia」を引用」
司馬仲達のエピソードに戻るが、そのひとつに、遼東の制圧がある。その当時遼東では、半独立政権を築いた公孫氏と魏が、遼隧(現在の遼寧省鞍山市海城市)で武力衝突し、結果、遼東公孫氏は滅亡した。その戦い「遼隧の戦い(りょうすいのたたかい)」で、司馬懿は魏の軍権を得ることになり、そのことが魏の皇帝曹叡との溝を作ることになり司馬懿による西晋樹立の端緒となったようである。

遼隧の戦いで司馬懿が行った、公孫氏一族に対する残虐非道な処置(戦後、司馬懿はこの地に魏へ反抗する勢力が再び生まれぬよう、当地の15歳以上の男子を皆殺しにし、夥しい数の亡骸で京観を作ったことが後世に伝わる。)は、この「三国志 Secret of Three Kingdoms (字幕版)」全55巻で司馬懿仲達が義弟である献帝となった劉平に幾度となく投げかける言葉「“やさしさ”は身(国)を亡ぼす。お前の欠点だ」が思い浮かぶ。

この物語の問い掛けの一つは、民を幸福にするには、劉平の様な考え方が望ましいのか、それとも、曹操や、司馬懿のやり方が良いのか視聴者に問いかけているように思う。ストーリー的には劉平の考え方を支持している様に感じている。この物語りは、Wikipediaによると、中国で動画再生数30億回を記録したとのこと。

視聴者はどの様に感じているのであろうか。
 
この遼隧の戦いの結果は日本にも関係した出来事があった。
それは、遼東公孫氏が滅亡した238年、倭国が魏に使節を派遣している。公孫氏の支配が遼東から消滅したことで、日本は中国大陸の文化に触れることが可能になったのだ。倭国はまだ卑弥呼の時代である。信長が登場するのは1350年ほど後のことである。
 
4. 筆者は過去洛陽を3回訪問したことがあり、その一回は後漢を創建した劉秀光武帝と最後の皇帝献帝の陵墓の見学だった。帰ってから書いたブログを以下に紹介する。(※    )は今回付記したものである。

漢献帝禅陵(ブログ:槐の気持ち「ものづくり文化の源流を求めて」より)

後漢の最後の皇帝が献帝である。漢を滅亡させたとして悪名高き霊帝の息子である。魏の曹操に庇護されたが、曹操の傀儡王朝の色彩が濃かった。しかし曹操の死後、跡を継いだ子の曹丕が魏王を襲位し、曹丕とそれを支持する朝臣の圧力で、同年の内に献帝は皇帝の位を譲る事を余儀なくされ、ここに後漢は滅亡した。

この時に用いられた譲位の形式は禅譲と呼ばれたため、献帝を祀った墓陵も“禅陵”と呼ばれているのだろう。死後、蜀からは献帝に対して独自に孝愍皇帝の諡を贈られ、魏からは、孝献皇帝の諡が贈られた。

献帝は皇帝の位を譲位後、曹丕(魏の文帝)から山陽公に封じられ、山陽公として山陽公夫人となった曹節(曹操の娘)と共に暮らし、青龍2年(234年)3月、54歳で死去した。ちなみに山陽は、河南省焦作市あたりであり、献帝に因む遺跡である山陽故城(写真5.3-3-1〜写真5.3-3-3)に立ち寄った。

この故城の創建は前漢の景帝の時、BC144年であり、代々漢皇帝の血縁者が封じられてきた。観光地としては、荒れ放題で、土が盛られその上に雑草が生えていて、とても故城とは思えない。荒城であった。そこを後にして、次に、車で30分足らずのところにある漢献帝禅陵に着いた。

陵内に足を踏み入れると、最初に目に触れるのは、「漢献帝陵寝」と縦書きして彫られ、周囲がレンガで枠どりされている石碑(写真5.3-4-1)で、右横に小さく「大清乾隆五十二年」の文字が見えた。

そのすぐ後ろに、城壁とその上に城楼が載ったような、模型の様な小さな建造物があり(写真5.3-4-2)、その前には深紅のバラの花が咲いていた。

中には、献帝(山陽公)と奥方の曹節であろう。塑像が二体祀られている。山陽公は黄色いマント(写真5.3-4-4)、曹節は赤いマント(写真5.3-4-3)を羽織っていて、ともに、黄色い幔幕に囲まれていて、それぞれ焼香台がその像の前に備えられている。(※もしかしたら曹節ではなく伏寿かも)

地元信仰に支えられて維持管理されているようであり、晩年は山陽公として地元に溶け込んでいたのではないか思うとホッとする。政略結婚で結ばれた二人であり、三国志時代の荒波に翻弄され続けた二人であったが、禅譲の選択をしてよかったのであろう。

その建造物を通過すると、黒い御影石に「漢献帝禅陵」と刻まれた標石(写真5.3-4-5)が現れ、そのすぐそばに献帝についての紹介文が刻まれた石碑があった(写真5.3-4-6)。

更に先に進むと、ドーム状に盛り土された円墳が現れた(写真5.3-4-7)。その手前にはささやかな墓碑の様なものがあるが、何が書かれているかわからなかった。

そして円墳の周りの他の場所には赤い布を被ったレンガ製の小さな祠(写真5.3-4-8)があった。奥方の曹節も合葬されているのだろうか、説明書きがどこにも無かったので真偽のほどは分からなかった。そして円墳の盛り土のふもとには可憐な名前知らずの花がつつましく咲いていた(写真5.3-4-9)。
(※もしかしたら曹節ではなく伏寿かも)

献帝や、その父霊帝の末裔に関して、日本に関係した興味深い伝説がある。

真偽は不明ながら、4世紀から6世紀にかけて日本列島に渡来した渡来人の中には、献帝の子孫を称するものが多く見られる、というものである。

東漢氏(あやうじ)の「漢」は後漢帝国に由来し、霊帝の末裔を称している。『続日本紀』延暦四年(785年)6月条は東漢氏の由来に関して、「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れ帯方郡へ移住したこと、氏族の多くが技能に優れていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきた事を記している。

系譜などから判断すれば、東漢氏は漢王朝との関係を創作したものと思われる。とウィキペディアに紹介されている。また東漢氏の後裔には坂之上田村麿がいて、東北遠征の時に、地元女性との間に多くの子を設けていて、子らは、新しい姓を名乗っている。

そうなると日本全国に霊帝や献帝の末裔がいることになる。この氏族の多くが技能に優れていたこと、すなわちモノづくり文化を持っていたとすると、日本のものづくり文化のルーツは、地域的には河南省北部、時代的には後漢末期ということになる。本稿のタイトルを「日本人のものづくり文化の源流を求めて(河南省2012)」としているのも、もしかしたらその説は本当かもしれないというロマンに満ちた憶測から名付けたのである。
 
5. 「三国志 Secret of Three Kingdoms (字幕版)」全54巻を見終わっての感想
この動画を全巻見て感じたことを以下に記します。
三国志登場人物の内、人気があるのは日本では諸葛孔明、劉備、関羽、趙雲で、曹操、呂布、司馬懿は人気が無いというより残虐者としてのイメージがあるが、中国では曹操は人気がある、と言うことをよく聞く。何故か。この動画を見た限りでは、「曹操や司馬懿のやり方は良くないよ。」と言いたげの様に見える。製作者の意図はどこにあったのだろうか。

本当は献帝(劉平)を支持したいのだけれど、「曹操や司馬懿のやり方は良くないヨ!」というと現習近平政権の非難に繋がることになるので、それをカモフラージュするために曹操人気であるように思えてならない。

この動画は中国で動画再生数30億回を記録したとのこと。登場人物の人気投票をしたら、どのような順位になるのであろうか。

今頃献帝陵を見学すると大分立派になっているかも知れない。

        完
 







2020/12/04 17:23:30|おもうことあり
おもうことあり (10) まさかの坂

おもうことあり  (10) まさかの坂

 

小椋佳の歌に「もう、と言い、まだ、と思う」という高齢者であれば共感が得られることまちがいがない曲がある。以下のURLからアクセスできる。
小椋佳 もうと言い、まだと思う 歌詞&動画視聴 - 歌ネット (uta-net.com)

「もう」、に続くフレーズと、「まだ」、に続くフレーズが交互に現れる。そして最後に「いのちの立ち位置 いつも坂道、」「もうと思えば下り坂、まだと思えば上り坂」で終わる。
 
だれもが口ずさむ言葉で、「もう」に続くフレーズはろくなものがない。
「もう、いやになった」、「もう、だめだ」、「もう、あきらめた」、・・・
「もう」の代わりに「まだ」を最初に唱えると不自然なフレーズになる。
「まだ、いやになった。」「まだ、だめだ。 」、「まだ、あきらめた。」と
は言えない。「まだ」につづくフレーズを変えてみたらどうだろう・
「まだ、頑張れる。」「まだ、大丈夫。」、「まだ、あきらめない。」が自然と出てくるフレーズだ。「まだ」に続く言葉は肯定文でも否定文でも上り坂なのである。「もう」と言いそうになった時、呪文の様に「まだ」と言い直すだけで。「上り坂」を臨む立ち位置に立てるのだ。

小椋圭のこの曲は本当に共感できる素晴らしい歌だと友人に言ったら、じつは「もう一つ大事な坂がある」と言ったのです。
それは、「まさかの坂」だというのです。

いつでも、どこにでも、誰の前にも突然現れる想定外の未知の坂といえるでしょう。これまで誰も経験したことのない坂、先が全く見えない坂。
今年はcovjd-19禍という「まさかの坂」に全世界の人が遭遇し、いまだ坂の終着点にたどりついていない。ワクチンが開発され、接種できるのは時間の問題だ。の前には「もう」をつけ、過去形の文章にしたいものだ。

しかし。「接種が開始されても、covjd-19禍が終焉しない。」、「副作用が予想以上に大きい」、「保険適用されず、国や市による補助が殆ど無く、高額の治療費自己負担が必要となれば、これらは、多くの人にとって「まさかの坂」になる。幸い最近のニュースではワクチン接種料は国の補助によって無料になるらしい。
 







2020/06/18 16:49:00|おもうことあり
  おもうことあり  (9)  紫陽花(アジサイ)と大和(ヤマト)朝廷
  おもうことあり  (9)  紫陽花(アジサイ)と大和(ヤマト)朝廷
東北地方を含めて全国的に入梅したようです。梅雨というと、天気が悪く鬱とした気分になりがちですが、その気分を癒してくれるのが紫陽花や紫ツユクサであることは誰も否定しないと思います。

ただ「紫陽花」と書いて「アジサイ」と読むのは、初めてこの漢字に出会ったときにそう読める人はほとんど居ないと思います。
今や、日本人全てに愛されているこの花について、wikipediaには以下の様に記されています。

「狭義のアジサイ(ホンアジサイ)は、日本で原種ガクアジサイから改良した園芸品種で、ガクアジサイに近い落葉低木。6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色のが大きく発達した装飾花をもつ。ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、園芸では「額咲き」と呼ばれる。ガクアジサイから変化し、花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは、「手まり咲き」と呼ばれる。」

更に名前の由来については「日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。」とのことです。

漢字としてはそうなったことは理解できますが、その読み方を「アジサイ」としたのはどうしてか。Wikipediaには「「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。」とあります。

この様に日本語漢字には難しい読み方が沢山あり、クイズ番組の恰好の題材になっていますが、漢字も難しいものが多いことに気が付く人は多いと思います。

一方、はなしの内容は全く異なりますが、「大和朝廷」の大和という二文字漢字の一つ一つの漢字は小学校一年生でも知っていると思うし、書くことも容易。しかし読み方というとそう簡単ではないはずで、初めてこの漢字に出くわした人は「ヤマト」と読める人はまずいないでしょう。

この「大和朝廷」は日本の歴史上最古の王朝で、九州北部の邪馬台国の卑弥呼率いる軍勢が奈良盆地に台頭してきた豪族を東征して滅ぼし、造り上げた王朝という説があるのです。

邪馬台国はもともと北九州に勢力を築いていた地元豪族と、渡来人によって築かれた原始国家であり、この朝鮮半島の百済から来た渡来人の中心は弓月君(ユズキのキミ)という秦の始皇帝の子孫で、古代イスラエル人が迫害から逃れ東方に新天地を求めて流浪してきた民を合流させて渡来人となって百済経由で倭国へやってきたものとされている様です。そして彼らは秦氏(ハタウジ)として日本各地に拡散し、持っている技術を各地に提供することによって日本各地で豪族化してゆくのです。

ここで注目すべきは、「ヤマト」という読みであります。先記した古代イスラエル人は「ヤマト」という言葉の類似ことばを沢山もっているらしいのです。そのことをもって、「日本人のルーツは古代イスラエル人だ。」という説が最近増えている様におもうのです。

更にはイスラエルの駐日大使がこのことに興味を持ち、その証拠になる地が四国徳島にあると言い、そこを訪ね歩くというYouTube番組があるくらいなのです。

所で奈良盆地に台頭してきた豪族とはどういう人たちであったか。新羅系渡来人ではなかったかと筆者は推測しているのです。彼らは日本海側を経由して越前敦賀に漂着し、そこを基盤として生活しているうちに力のある地方豪族に成長し、その一部が南下するうちに奈良盆地にとどまりその地で勢力を拡大していたのでしょう。

以上の様に考えると大和朝廷のメンバーに流れる血は古代イスラル人、中国漢族である秦の始皇帝の秦、朝鮮半島の百済人(今の韓国)、新羅人、もともとの倭人が集合した混血国家と言える。
そしてその主体となった弓月君(ユズキの君=百済に一時期滞留=後の秦氏)によって普通に使われていた「ヤマト」という読みがまず王朝名として使われ、その当て字として、多くの種族が大きく和み(なごみ)作り上げた国ということで大和という漢字が使われることになったのではないかと思うのです。

尚、朝鮮半島には、百済、新羅の他、高句麗も大きな国として栄え、倭国にも渡来人として新天地を求めてやってきた一族がいることは誰でもしっている事実ですが、かれらがどの様に関わってくるかは次回の“思うことあり”で紹介したいと思います。
 







2020/06/08 10:32:30|おもうことあり
おもうことあり  (8)ウィルスベクター
おもうことあり  (8)ウィルスベクター

今年前半は、世界中の人が新型コロナウィルスに翻弄された。世の中が一変した感じがする。また“安部のマスク”を通じて政治と一般庶民との間に大きな溝というか距離を多くの人が感じたのは確かでしょう。ただ今回の“思うことあり”のテーマはそのこことではなく、我々人類を大きく翻弄したウィルスの話でなのです。
 
新型コロナウィルスという語からウィルスと言う語だけを除去すると、往年のトヨタの新タイプの名車であり、更に新型という語を除去した“コロナ”は愛くるしい言葉となり、“コロナちゃん”とでもなると犬や猫のペットの名前にぴったりである。また太陽のコロナ活動は時には地球上に電波障害という被害を与える場合があるが、人の生命に影響を及ぼすほどではない
 
一方コロナという語にウィルスという語がつくと、どれほど恐ろしいかということを、世界中で旋風の様に起きた,またはおきている医療崩壊、パンデミック、都市のロックアウト、オーバーシュート、クラスター感染などの語を通じて知ったのですが、感染力のすさまじさや死亡者の急増はいつ自分や家族に忍びよるか分からない大きな恐怖を味わされたのは世界中の誰でも同じだったでしょう。
 
コロナウィルスが話題の中心になる以前前の主役はコンピュータ・ウィルスでこの駆除に苦労をした人も多いと思いますが、人の生命に影響を及ぼすほどではなかったが“ウィルス”という語は歓迎されない語であることは確か、と言えましょう。
 
では、人間の生命に危害を及ぼすコロナウィルスのウィルスというものはどういうものか、Wikipediaには次の様に説明されています。
 
ウイルス(ラテン語: virus)は、他生物の細胞を利用して自己を複製させる、極微小(数十nm)の感染性の構造体で、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。生命の最小単位である細胞やその生体膜である細胞膜も持たないので、小器官がなく、自己増殖することがないので、非生物とされることもある。」
 
即ち、自己増殖できないので、他生物の細胞を利用して自己を複製させる存在と言うことなのです。
 
要約すると、自己の力だけでは増殖できないが、他生物の細胞を利用して自己を複製させてゆく、細胞よりも小さな感染性のたんぱく質構造体、ということになる。
 
では、そのウィルスが持つ機能というのはどんなものがあるのだろう。
他生物の細胞に入り込み、自己を複製させると同時に、その他生物の細胞が持つたんぱく質の構造を壊してゆくのだ。その他生物の細胞が呼吸機能に関わる細胞であるとすると、破壊された細胞の数がある一定量を超えると呼吸機能が不全となってゆくのだ。
 
もう一つのウィルスの特徴はRNAは持っているがDNAは持たないということだ。
 
今回の“おもうことあり”はそのことを言いたいわけでない。ウィルスベクターという人間にとって味方となる存在についてであり、世界平和に貢献できるウィルスに関することである。
 
ウィルスベクターはすでに医療分野では頻用されているが、ウィルスベクターのベクターとはどういうものか。Wikipediaによると、「ベクター (vector) とは、外来遺伝物質を別の細胞に人為的に運ぶために利用されるDNAまたはRNA分子である。」とある。
 
この言葉にウィルスがつくと、「細胞に吸着したウイルスは、自らのゲノムを細胞内に送り込み、細胞がもつ転写翻訳機構を利用してゲノムを複製し増殖する。」となる。すなわち、「遺伝子操作により、複製および増殖能を欠損させたウイルス(増殖力欠損株)や、逆に複製・増殖能の一部を保持したウイルスに外来遺伝子を組み込み、効率的に目的の遺伝子を細胞へ導入し発現させる能力を利用したもの」をウイルスベクターということになる。
 
 
そして、どのように役立つのかというと、任意の遺伝子やDNA、RNA配列を導入先の細胞内で増幅・維持・導入させる、いわゆる遺伝子組換え技術に用いられる。
 
具体例としては、がん細胞を正常な細胞に戻すことのできる遺伝子を導入する目的でも用いられる。がん治療に用いられるウイルスの一種として利用ああれているのだ。
 
以上は長くなって恐縮だが、”おもうことあり”の前段の話で、これからが”おもうことあり”の本論であるが、やや夢物語的な話でもある。
 
前述の様に、「ウイルスに外来遺伝子を組み込み、効率的に目的の遺伝子を細胞へ導入し発現させる能力を利用したものをウイルスベクターということになる。」の文中にある外来遺伝子として

世界平和に貢献できる遺伝子、
・国の最高責任者と庶民の間の溝をなくすことのできる遺伝子、.
・悪いと思ったらすぐ素直に謝罪できる遺伝子、
・困っている人を見かけたら積極的に助けてあげる気持ちを持てる遺伝子
・自立する気持ちを盛んにさせる遺伝子
・民主主義を貴ぶ気持ちを盛んにする遺伝子
・世界をむやみに騒がせることを慎むことができる遺伝子
・核兵器の拡散を抑止する条約に無条件に賛意を示せる遺伝子
・地球温暖化防止に無条件に賛意を示す勇気を持つ遺伝子
・争いの気持ちを抑えることのできる遺伝子
・欲望を抑え、あるがままの生活を送れる体質と気質を促す遺伝子
・簡単には臆病風を起こさせない遺伝子
・継続する力を起こさせる遺伝子
・酸素の量が現在よりも半減しても生活できる能力を持たせる遺伝子
・体内に侵入してきたコロナウィルスを即座に撃退することが出来る遺伝子
・常に向上心を持続させる気持ちにさせる遺伝子
・失敗を恐れず果敢に挑戦する気持ちをおこさせる遺伝子
・経済力の豊かな人が貧困者への救済の気持ちを起こさせる遺伝子
・アルツハイマー、パーキンソン病等の精神疾患を起こさせない遺伝子
等々、これらの外来遺伝子の一つでも組み込んだウィルスベクターを中国武漢ウィルス研究所やアメリカ合衆国の国立衛生学研究所で開発し、先ずは自国で治験をし、臨床試験をしたうえで世界中の人が感染する様に全世界にばらまいて欲しいものだ。
 







2020/05/26 23:53:01|おもうことあり
おもうことあり (7)沙羅双樹の花の色
              おもうことあり (7)沙羅双樹の花の色

この欄の筆者は、50年前に初めて社会人として勤務した企業で働いた仲間5名でウィークリーにメールをやり取りして、近況や想いを伝えあっています。その当時は全員兵庫県伊丹市在住でしたが、現在は熊本(水俣市)、滋賀(湖南市)、愛知(尾張旭市)、静岡(三島市)、埼玉(入間市)と分散しています。以前はもう一名広島県山県郡で陶磁器造りで素晴らしい仕事していた仲間がいたのですが残念ながらすでに他界しています。

最近、このうち愛知県在住のTさんからメール添付で沙羅双樹の花の写真を送ってきてくれました。(冒頭写真)

この樹木は庭に植えている近所の家があったり、近くの園芸店でもこの季節になると大きな植木鉢に植えられたものが販売されていたりしますが、仏教三聖樹のうちの一つということもあり、以前から自分にとって気になっていた樹木でありました。しかし、Tさんからの添付写真でそのうちの一つが解けそうなのです。そのことについて自分の思うことを以下に記したいと思います。

それは、「平家物語」の冒頭に、誰でも知っている以下の文があります。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。・・・」
の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」のところであります。沙羅双樹をウェブで調べると、花の色は白、となっています。
 この白い花の色がどうして「盛者必衰の理をあらはす」ことになるのか不思議で仕方なかったのです。              

その答えともいえる花姿がTさんの写真にあったのです。即ち蕾の状態では紅く、花弁が開くと白くなるのです。また花弁がまだ白くなりきれず、花弁に淡い紅班が残っているのがわかります。
要は紅色が白色に変化する様を「盛者必衰」という言葉で表しているのだろうことに気がついたのです。
 
仏教では「朝(あした)に顔、夕べに骨」という句が法事等の法話で用いられることが多くあります。無論、紅色は“”を、白色は“”を現しているのです。
 
そして、Tさんに後日聞いてみたら、花が落下する時の様子は、椿の様に首元からポトリと落ちるとのことでした。椿に関して言えば、この様な斬首を思わせる落花の仕方なので、あまり縁起の良い花樹ではないとみている国や地域があるようです。
 
ついでながら、続きを記すと「遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡きにし者どもなり。」と続きます。

いづれも中国の王朝にいて、傾国に強く影響した歴史上の人物が列挙されています。華流歴史ドラマに登場するもの達です。
現在の日本の状況がなんと似ているでしょうか。
 
尚、以下に平家物語の冒頭文の現代語訳を付したいと思います。
 
現代語訳(口語訳)
manapediahttps://manapedia.jp/text/2321から引用させていただいています。
 
「祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。
遠く外国(の例)を探すと、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの者はみな、もとの主君や前の皇帝の政治にも従わず、享楽の限りを尽くし、(他人の)諌言も気にかけることなく、天下が乱れていることを理解せず、民衆が心を悩ましていることを認識しなかったので、(その栄華も)長く続くことはなく、滅んでいった者たちである。
近ごろの我が国(の例を)調べてみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらの者はおごり高ぶる心も勢いが盛んなことも、みなそれぞれに甚だしいものであったが、ごく最近で言えば、六波羅の入道で前の太政大臣平朝臣清盛公と申した人の有様は、伝え伺うにつけても、想像することも言い表すこともできないほどである。」
 
以上いつの世にも、どこの世界にも言えることと思えてなりません。
 
気になっていたもう一点は、沙羅双樹の“双樹”ですが、長くなるので別の機会としますが、この疑問に関してお察しがつくと思いますので省略させていただきます。