写真とは

自分の思い
 
2010/01/08 14:35:58|その他
私は3歳から8歳まで満州にいました。特に最期の地「斐徳」は思い出深い所。終戦時にあたり、思い出に残るものは記憶だけ。写真一つなく、懐かしさがつのるばかり。当時の写真等お持ちの方はおられませんか。東は東安、西は興凱へ向かう線路。南は地平線まで原。北は竹本山がそびえ、水道山にはシャクヤクに桜草や翁草、赤い百合が咲き乱れました。雉や雁の群れ、ノロと呼ぶ鹿、時にはオオカミの声も聞かれ、自然がいっぱい。 春は延々と襲ってくる野火が怖かった。これらの写真等見せていただけませんか。なにぶん引き上げ時は、下着だけ。何も思い出はもっていません。




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私も懐かしいからメールします
斐徳駅から6キロ興凱側に離れた自動車第3聯隊に初年兵入隊したものです。昭和19年の4月5日までいましたが、部隊が中支転用となり鉄道、船舶を乗り継ぎ武漢へそして湘桂作戦に参加しました。
斐徳は昭和16年2月3日入隊から、中支転用まで3年2ヶ月居た事になります。
おっしゃる通り、狼もノロも雉子なども沢山いましたし、野火や初夏の融氷による洪水も怖かったですね。
今は航空写真で見ると兵舎跡はすっかり住宅地帯に変っているようです。
斐徳だけでも数万人はいるのではと思う程です。大学もあるそうですから。
現在は裴徳と変っているらしいですね。

あなたはよくご無事にご帰国なさいましたね。そのお話でも聞かせていただければとペンを取らせていただきました。

なおお尋ねの写真など軍隊では機密になっていて、所持も受け渡しも出来ませんでしたし、カメラは持っていましたので写真ネガはありましたが、終戦時全部没収されました。

篠原満  (2012/02/29 19:42:37) [コメント削除]

満州斐徳の思い出
写真をお持ちではないでしょうか
平尾善秀  (2011/05/05 17:51:08) [コメント削除]

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