先日清水冠者源義高終焉の地というのが目に飛び込んできてすぐ訪れてみた。
国道16号線のすぐ脇に建っていて、埼玉県狭山市の市指定文化財になっている。
清水八幡
清水八幡には源義高(清水冠者義高)が祭られています。
義高は源(木曽)義仲の嫡子ですが、源頼朝に人質として鎌
倉に送られ、 頼朝とその妻北条政子との間に生まれた娘、 大
姫の婿になっていました。 義仲が頼朝に討ち果たされたのを
知った義高は、自分にふりかかる難をのがれるため、従者六人
ばかりと共に、祖父義賢(よしかた)の地(大蔵館)や 義仲を助
けた畠山重能の地(菅谷館)がある現在の嵐山町をめざして逃
亡しましたが、当地入間川原で頼朝の追手に討ち果たされまし
た。 このくだりは「吾妻鏡」にのっていますが、 それによると、
政子と大姫は義高の討死にを嘆き悲しみ、 直接、義高を刃にか
けた藤内光澄を打ち首にし、義高の霊をまつるため、そのうちは
てた地、入間川原に社を建てたということです。 それが清水八
幡ですが、 度重なる風雨や洪水で当時の社は跡形もなくなり、
場所も現在では、はっきりせず、このあたりであろうと思われま
す。
さらに調べてみると捕らわれの地に 「影隠し地蔵」・・・義高が後ろに隠れたといわれているお地蔵さん。
又大船の常楽寺にはお墓が有るという。
身近なところにこんな史跡があろうとは・・・。
我が家から車で10分くらいのところである。
影隠し地蔵にも行って見たいと思っている。