昨晩、ぱんつがいつも拝見させていただいていたブログで
あるヒョウモントカゲモドキちゃんが亡くなったことを知りました。
更新を楽しみに、パソコンを立ち上げた時は真っ先に見に行くブログです。
本当に、かわいい、愛されていることがはっきりわかる写真が満載で
どのコの写真もキラキラ輝いている、そんなブロガーさんです。
もちろんぱんつはお会いしたこともなく、
コメント欄で数回やりとりさせていただいたくらいですが
ぱんつにとってはお隣さんのような感覚で、いつもてんぷらとの会話にのぼっていました。
夢ではないのか、なぜ時間は戻せないのかと
あまりにも悲しく、涙が止まらず、昨晩はよく眠れませんでした。
ぱんつでさえこんななのに、飼い主さんのお気持ちは
想像しようとすることさえできません。
愛したものが亡くなると、こんなに可愛がらなければよかったと
名前なんかつけなければ、話しかけたりなんかしなければよかったと
そう思ってしまいます。あまりにも辛すぎて。
ぱんつなんて勝手なもので、名前をつけてはなしかけ、えさをやって
可愛がった魚が亡くなるとそれはもう大泣きです。
でも、苔取りで入っているエビが飛び出して干しエビになっているのを発見しても
ショックは受けても涙の一粒も出やしません。
エサコオロギに至っては、ほとんど「ロス」扱いです。
命は同じなのにね。
でも、愛するってそういうことなのでは、って思うのはぱんつの勝手でしょうか。
毎日たくさんの人が亡くなってるけど、ニュースや話をきいても泣いたりしない。
でもそれが自分の家族や友人だったら…。
ましてやペットは、ブリード個体ならなおさら、
人に飼われて愛されるために生まれてきたようなもの。
相手がペット、爬虫類や虫ならなおのこと、人間側の一方的な愛情、
だけれど見返りを求めない真の愛情でもあるのでは・・・。
押し付けでしょう、と言われたら、そうなのかもしれないけれど…。
ぱんつが大人になってハジメテのペットは、かぶとむしのしげる。
しげるは、ぱんつの人生を変えた大事な大事なかぶとむし。
しげるがいなかったら、今のぱんつはないだろうっていうくらい。
しげるは、かぶとむしとしては長生きなほうだったと思う。
でも、しげるが亡くなった時、ぱんつは2日泣き続けて2キロやせた。
しげるがいなくなった飼育箱を見るたび泣いた。
今も、毎年しげるの子孫が生まれて、なくなっていくけど、
一匹ずつに名前はついていない。亡くなっても、大泣きすることもない。
ぱんつなんて、いい加減だなあ、って思うよね、そういうとき。
みんな同じかぶとなのに、しげるだけ特別なの、って。
そうなの。
しげるは特別なのね。
ボスやちびたやけんちゃんたちも、特別なのね。
自分のココロの中の重要なポジションを占める存在、
それはやっぱり特別でしょう。それを決めるのはやっぱり自分のココロだし。
愛するものを失うのは辛い。苦しい。
でも、そのコからもらったものが、それだけ大きいからで
そのコを失った穴を埋めることは到底出来ないけれど
それでも、出会えなかったことよりは出会えたことに感謝したい。
たくさんのありがとうをして、たくさん泣いてあげたい。
死んだ時に泣いてもらった動物は、極楽にいける。
極楽は、これからも生きていかなければいけない人のためにあると思う。
辛いけど、苦しいけど、これからも一生懸命生きていかなくちゃいけないから。
極楽に行って、そこで待っててね、って。
ぱんつは、大事なコたちを亡くすたびに、死を身近に感じるようになったよ。
死ぬのが昔は怖かったけど、今でも怖いし嫌だけど
最後にたった一つ、希望を持って死に臨めるとしたら、
それは極楽でみんなに会えることだから。