吉田玉男師匠
人形浄瑠璃文楽の人形遣い
14歳で人形遣い吉田玉次郎に入門、「吉田玉男」と名乗る
重要無形文化財保持者(人間国宝)
お亡くなりになって1年以上経った・・・
7〜8年前にある人が病気で入院した時に
玉男師匠にお見舞いのビデオレターを撮影しに
国立劇場小劇場の楽屋にお邪魔したときが
初めての出会いでした
お付きの人やお弟子さんで溢れていた楽屋を
人払いをして撮影をした玉男師匠は
凄く暖かい言葉、優しい浪花言葉
レンズを通して人間の色気が溢れていた
その後、何回か食事の席を共にさせてもらい
その時に「舞台を撮影しても良いですか?」
「ええよ」とニコリと微笑んでくれました
三宅坂の国立劇場小劇場で2台のカメラで撮影をした
舞台の幕が下りて楽屋にご挨拶に伺ったときも
「上手に撮れましたか?」と微笑んで迎えてくれ
「はい!」と答えたら
「それはよろしゅうかったですなぁ」と汗を拭きながら
答えてくれました
『曽根崎心中』 (近松門左衛門作)の徳兵衛も
勿論、素晴らしいが
『平家女護島』俊寛が大好きである
鹿児島県硫黄島に撮影で2週間滞在した事もあり
俊ェには個人的に想いがある
「五十、六十はまだまだ洟垂れ小僧ですよ 七十過ぎても毎日勉強の日々ですよ」
玉男師匠の言葉です
一芸を極めた人間が言葉は重いです
生涯、『曽根崎心中』「徳兵衛」役を1111回目の上演
平成18年(2006年)9月24日、肺炎のため逝去。享年87。
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