70代、男のサイクリングの記録です。 日常の出来事や雑感も書いています。
 
CATEGORY:日記の余白

2016/07/19 0:11:31|日記の余白
7月沿線句会
第3日曜日。石神井公園にて沿線句会。

参加者は15名(男子8名、女子7名)。7句出句7句選。

兼題は「炎昼」「青林檎」「河」。 

今月は105句の中から7句選と厳しい。

互選になったのは以下の4句。


  「炎昼やずぶ濡れとなるパンツの児」

  「炎昼や岩よりしたたる銀の粒」

  「炎昼やひと雨こいと鳩が鳴く」

  「咀嚼する音さくさくと青林檎」


結果的には予想以上の成果だったといえるのだが、

出来としては新鮮味に欠けると反省している。







2016/05/16 22:50:17|日記の余白
完全休養
5月の沿線句会は参加者13名。

兼題は「青嵐」「筍」「剣」。

1人7句出句。全91句の中から自句を除いて7句選。

互選の後、合評会。互選された句を鑑賞批評。

評価後に作者が名乗る。こうして全ての互選句を鑑賞。

私は7句出句中、互選句が4句。

兼題句の中から好評だった2句を発表する。


沈黙の切株一つ青嵐    うさぎ

筍の気配をさがす足の裏  うさぎ


3時間半に及ぶ沿線句会は無事に終了。解散。

5月の句会はいつもより合評に時間が掛かり、

非常に疲れた。帰宅し晩食の後、ベッドで休息。

そのまま眠ってしまう。夜中に覚め、軽食してまた眠る。

翌日も体調不良で、無気力のまま一日を完全休養。

それでもまだ疲れが残っている。






2016/05/07 23:46:04|日記の余白
真夏日と日傘
今年のゴールデンウイークは30℃以上の真夏日に

なったところが続出して大変だったらしい。

私も4/30~5/7までの8日間で6回のポタリング。

総計98.17㎞も走行したのは極めて珍しい。

そこで目立ったのが日傘だった。梅雨の雨傘よりも

日傘が先行するとは異様な光景だと感じた。


  ひとひとりいれ歩きだす春日傘   鷹羽狩行


歩くのは人だが「春日傘」が歩だすと詠うところが俳句の

面白いところである。同様に帽子や靴などの動きで

人間の行動を描写することもあるが、すべて成功するとは

限らない。要は俳人の力量に掛かってくる。

上の俳人・狩行の句に刺激されて句作したのが、


  独りとは日傘の中の影法師    うさぎ


真夏日の日傘は当たり前の光景となっていて、その情景は

もう刺激的ではない。そこで視点は地上の影へ向かう。

上句は日傘の影で人間の孤独感を描写してみた。


  坂登る日傘の影と犬の影     うさぎ


この句は影だけで、犬を散歩させている女性の姿を

描いてみた。ゆっくり歩く女性と、疲れて舌を垂らしながら

歩く犬の姿が「坂登る」で見えてくれば成功だと思う。


  閉居とは隅にたためる白日傘    神尾久美子


こんな日傘の句もある。女性ならではの感性がさりげなく

描かれていて、脳裏に一本の白い日傘が見えてくるようだ。







2016/05/05 22:54:10|日記の余白
ぶらんこの魅力
俳句を始めた初級のころ「ぶらんこ」が俳句の

季語になっていることを知り、一瞬、戸惑った。

というのは「ぶらんこ」は子どもの遊具であり

季節とは関係ないと思っていたからである。

歳時記には「鞦韆(しゅうせん)」とあり、

傍題に「ぶらんこ」とある。また「半仙戯」ともいう。

古く中国から入って来た遊具である。昔は宮廷の

女性たちもこれで遊んだらしい。


  鞦韆を下りきて僧の無言かな    加藤楸邨


この句は、僧侶も「ぶらんこ」に乗っていたという意外性が

面白い。こんな情景に出合ったら、俳人ならきっと句に

詠むだろう。そう思わせる俳句である。

実際に目撃したのか。作者の空想か。どちらでもよい。

「ぶらんこ」と「僧」の取り合わせが絶妙である。


  蒼天のぶらんこにふと歩み寄る  うさぎ


快晴の公園を散歩中、無人のぶらんこがあれば、ふと近づいて

乗ってみたくなる。こんな気持ちになることがたまにある。


  ぶらんこに乗りてぶらりぶらりかな  うさぎ


すごく当たり前のことだが、その当たり前を真剣に詠うと

人間の心理状態までもが描かれているような気がして来る。

ストレス解消に「ぶらりぶらり」は効果的かも知れない。

そういえば、黒澤明監督の名画「生きる」のラストシーンが

突然、脳裏に浮かんで来た。


  ふらここに一人飽きればみんな飽き  藤松遊子


子どもは不思議な生き物だ。見ていて飽きない。

上の句のような場面に何度か出会ったことがあるが、

俳句にできるとは思ってもいなかった。仮に句作しても

これほど見事に詠むだけの力量も無かっただろう。

こんな句に出合うと何でも俳句になる。そう思い知らされる。

要は目の付けどころと表現する能力にかかっている。







2016/05/03 23:12:56|日記の余白
新芽ほほえむ
八十八夜の1日、入間市役所で新茶まつりが開かれ、

茶摘女に扮した市職員ら5人が茶摘みを披露した。


   むさし野もはてなき丘の茶摘かな  水原秋桜子


俳人・秋桜子が上の句をどこで詠んだかは知らないが、

入間の茶畑だろうと勝手に思い込んでいる。

茶山を実際に見たことがない人は、その広大さは

なかなか実感できないだろう。「はてなき丘」に

秋桜子の実感がこもっていると思われる。


   一望の新芽ほほゑむ茶摘かな   うさぎ


いつも身近に茶畑を見慣れているから、茶畑や茶山には

新鮮味を感じないが、新芽のころになるとあらためて、

その美しさを再認識させられる。

「ほほゑむ」には花の蕾が開く。木の芽がほどけるなどの

意味もあり、同時に明るさも感じられる。

新茶を摘むころの茶畑にはぴったりの言葉だと思った。

この句では、同時に「ほほゑむ」が茶摘女にもかかる。

そう感じてもらえればうれしい。


   一番茶その一盃の重さかな   うさぎ


一番茶(新茶)の一杯には格別の思いを感じる。

緑茶の好きな人にとっては至福の一杯といってもいい。







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