沢木興道老師は、現代の世相を評して、 いみじくも、「グループ呆け」と喝破された。 私はこの言葉を私流に「生存呆け」として、私の中に納めている。 まさしく、そういう時代である。 ファミリーという単位、会社という単位、ナニナニ会という組織、 そういう束のなかでしか行動の原理を見出せない現代日本人の頼りなさの原風景を、 老師は「グループ呆け」という一言のなかに帰納された。 その悲劇性は、たとえば、「会社は永遠なり」などと、 聞かされたほうがきまり悪くなるような言葉を吐いて自殺した男の生きざまにあらわれてくる。 世間を大騒ぎさせた疑獄事件に関連して、その事件のカギを握る会社員が会社のおんため、 自分の証言を永遠に封じ込めてしまうために、みずから死を選んだときの最後のメッセージだった。 こういう、会社員の驚嘆に値すべき行動の原理について、 沢木興道老師はまた、「泥棒の親分を偉いと思っている・・・・・泥棒の子分たちは」と言われた。 まさにその通りであろう。 この親分のために、親分をトップとする集団のために「死すとも可なり」では、 なんともなさけないかぎりではないか。 そして、これこそ真実の価値観をもたない、 ただひたすら「生存」しているにすぎない人間どもの、悲しい現実なのである。 (内山興正著『独りで歩け』より)
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人生を豊かにしようと、金と地位と名声を得ることばかりを考えて、「ただひたすら生存しているにすぎない」人生を送ってきた人は、生存のことしか知らない(専門バカならざる)ただの“生存バカ”です。人より所得が多かったとか、少しばかり世に知られたとか、そんなことしか自慢できないなんて、実につまらない。
(全53回/その47) |