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3)日本人と中国人(1)
紅蓮とその新聞記者は、時計とにらめっこしながら、今か今かと店の前の通りを見つめている。苦学生とゴロツキ犬の通過を待っているのである。紅蓮はその一瞬を待ちながら、懐かしさがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
蘇州にあった自宅の前に時折漣がたつ運河があり、そのそばに佇み、傍らの槐の大木の幹に左手の手の平を支え置き、右手を翳して毎日毎日河の流れを見つめていた頃を思い出すのであった。
どんなものか分からないが、自分にとってとてつもなく幸運をもたらすものが自分のところまで流れ来るのではないか、それを見逃してはいけない。そう思って朝から晩まで待ちわびる毎日だった。
そして、ついにその時がやってきたあの一瞬をいまだに鮮明に脳裏に残していた。その思い出を発端に、連鎖的に次から次へと時の流れに沿うように際限もなく頭をよぎるのであったが、いまは、“ごろつき犬と苦学生”の通りがかる様を観なくてはならないのだ。
間もなくギーコ、ギーコとさび付いたペダルを踏むリズミカルな音が聞こえてきた。明らかに中古の自転車の音だが、犬の足音は聞こえてこない。
最近は、この時間にこの通りを下っていく“ごろつき犬と苦学生”のことはこの界隈では評判になっていて、知らない者はいないということになっていた。
以前は、時に店の前に駐車していた車もあったが、この時間帯に限って見通しが良くなるのであった。またゴロツキ犬も以前のように通りを右に左にと我が物顔に占領し、街の人にとっての恐怖心も与えなくなったので、それによっても道幅が広がったような印象を与えていた。
そして、彼らが店の前を通過する瞬間をどの様な表情で新聞記者が見過ごすか、紅蓮にとってはその表情を観測しようとしていた。紅蓮は既に“ごろつき犬と苦学生”をまじかに見ていて、それほど大したことでは無いように感じていたのだ。
第一中国でこのようなシーンを目にしたことがなく、犬を飼うという文化も身近なものではなかったのだ。しかし、それ以上にゴロツキ犬がゴロツキ犬だった時の行状を知らないので、感動のしようも無いのだった。
店の女主人から、ことの経緯を物語ってもらったことがあるが、その情景を描き出せなかったのである。それにしても、その新聞記者は自分の方ばかり見ていて、外を眺めやる雰囲気が全くないのだ。
従って、“ごろつき犬と苦学生”の光景を見て感動する表情を全く示してくれそうになく、“ごろつき犬と苦学生”が通りすぎる瞬間、そして通り過ぎたあとも表情を変えないのだ。
一方、記者は記者で、これから紅蓮にどのようなインタビューをしようかと紅蓮の後ろにおいてある四面聖獣銀甕を見つめながら考えていたのである。
四面聖獣銀甕がその格好なテーマであり、四面聖獣銀甕を知ることが紅蓮を知ることであると、半ば決め付けていたのだが、記者の持っている情報網をフル活用してもそれについての知見は全く得られないのであった。
知っていることと言えば、店のママさんから聞いたことだけであり、その話には書誌的事実は何もなく、あるのは、四面聖獣銀甕を前にして如何にも会話しているかの様な不思議な光景を目にしたという店のマダムの話とマダムの鑑識眼だけであった。
これまでのマダムとの付き合いで、ママさんの度量の大きさと美徳とに惹かれている。そのママさんがまるで自分の娘の様に面倒を見ているのだ。
三年ほど前からは、彼女の兄の息子が勤務する山の手病院へ、勤務できるようにしてあげている。ここまでするのは、紅蓮が彼女の度量と美徳の眼に適う魅力的な人物と映っているはずなのであった。
その魅力を自分が如何に引き出せるか、必ずしも自信があるわけでは無かった。そんな気配を察したのか、紅蓮から切り出してきた。
つづく